1・5:深紅のフード
一人暮らしのエマに新しい家族が加わって、もう一週間が経った。
黒目がちの白猫で名をエイリスという。
普通の飼い猫との違いは、エマが学校やアルバイトに行くときも留守番をしてくれないこと。
人の言葉を話すけど、エマにしか聞こえないこと。
そして、主従が逆なこと。
しかしなにより、その正体は氷の魔法を操るアイスドラゴンなことだった。
「つまり、この正式版のアプリを起動したら、私達には自動で転生魔法『リヴァース』がかかって、私はエマ・フレイトナー、貴方はアイスドラゴンとしてあの世界に行けるのね」
「その通りだ妻よ。これで私が定期的に帰ってイゾルデを見張っていないと、王国で何をするか分からないからな。それからノアルの世話もだ。まったく、アイツいい子にしてるんだろうか」
面倒臭そうで、しかしまんざらでもなさそうに猫のエイリスが言う様子が可愛くて、エマはくすりと笑ってしまう。
「にしても、スマートフォンと言うのは便利なものだ。欲しいものがタダで何でも手に入るのだものな。チーズにベーコンに、シーチキン。魔法でもそう簡単なことではないぞ」
「ただじゃないよエイリス。お金がいります。……はぁ、ゲームの世界から宝石とかも持ち出しできるなら、私は今頃大金持ちなんだけどね。ふふふ」
などと言いながら、エマは膝上にエイリスを抱きながら一緒にスマートフォンの画面を見ていた。
「これがニュースというやつか。世界中の出来事をいち早く把握できる。これも便利だな。なになに、ジョシコウセイを狙った殺人事件が多発。なんだ、ジョシコウセイって?」「高校で勉強する女の子のこと。私もそうだよ」「コウコウ……ああ、エマがセイフクを着てよくいく場所だな。私も人型なら一度着てみたいぞアレ」
エマは制服姿のエイリスを想像する。
ツンデレの留学生で魔法使いポジションかしら、とやや難しい分析してしまった。
そして、再び事件のニュースに目を戻す。
「……家からそう遠くないし、気を付けないと」
「うむ、そうだ。気を付けなくてはな。私が守ってやると言いたいが、ここでは一匹の飼い猫に過ぎないからな。向こうからなら、あの時のように『リヴァース』を併用した魔法で守ってやれるのだが」
向こうから、と言うのはゲーム世界のことだ。
そして『リヴァース』は転生魔法。
人に使えばゲーム世界と現実世界の往復に使用できるが、魔法に使えば、現実世界に魔法を行使できるのだ。
エマはそれによって、エイリスに命を救われている。
車に挽かれるはずだった彼女を守ったのだ。
エマはそのことを思い出しながらエイリスの背中を撫でる。
ありがとうと。
そのとき、メッセージアプリから通知が来た。
「あ、サッコだ。何かな」とアプリを開く。
『いま家庭教師のバイト終わった。エマちん、マッハでそっち行くから何かご飯作って(お願いマーク)。材料は買ってくから!』
ぴくりと、膝上のエイリスが反応した。
エイリスはこの、サッコというエマの友人が少し苦手だったのだ。
サッコは『ネコは苦手と自称していたエマが可愛がっている猫』というのが妙に気になるらしく、会うたびに『エマちんのハートを射止めたのは君なのかー』と、肉球を触ってくるのだ。
エイリスは、あのムズムズする感触にはどうも慣れない。
「まったく、その娘はどういうつもりなのだ。私の妻には馴れ馴れしいわ。私にも馴れ馴れしいわ。約束もなく勝手に家にやってきては、私の妻に飯を作れと言う。エマの友人でなければ、軽く氷漬けにしているとこだぞ」
尻尾を立てて威嚇めいたポーズをするエイリスが可愛いなと思った時、インターフォンが鳴る。
さすがにマッハだと苦笑しつつエマは
「はいはい、すぐいくよ」と立ち上がる。
エイリスは
「私はここに隠れているからな。いないと言うのだぞ妻よ」
と不機嫌そうにコタツへ潜ろうとしたが、
扉向こうに感じたヒリつくような違和感に
「待てエマ!」と駆け出した。
気配が前と違うのだ。
「そいつは! ……そいつはサッコじゃないぞ!」
居間から飛び出してきたエイリスには、
玄関先で「え?」と振り返るエマが見えた。
そして鍵を開けたばかりの扉から入ってきたのは、真っ赤なフードを目深に被った正体不明の何者か。
それが手にしていたのはスタンガンだったが、エマはそうと気付かぬ間に『バチン』と、背中が仰け反るほどの電気ショックを受けて、その場に崩れ落ちた。
エイリスは「シャー!」と叫びながら侵入者へと飛び掛かる。
「っぐ!!」
不審者の顔に爪を立てて噛み付いたが、すぐに背中の皮を鷲掴みにされて叩きつけられた。
その衝撃は猫の身にとって墜落死のように激しく、エイリスは血と共に内臓を吐き出しそうになった。
心は激情にあらぶっていたが、身体は全く言うことを聞かなかった。
急速に霞んでいく視界の向こうでは、エマが痙攣している。
そして不審者は彼女にまたがると、両手で首を絞め始めた。
ギリギリと絞られたとき、エマの意識がかすかに戻る。
抵抗したいが、全身が痺れてほとんど動かない。
視界の隅にエイリスが見える。
彼女は血を吐き、虫の息だった。ギリギリギリっと、喉がさらに絞られる。口の端から泡が出て来た。
なんとか、しないと、と必死に力を込めたとき、手が何かにあたる。
スマホだ。
不審者も気付いた様子だが、110番とは無関係な操作だと分かったせいなのか、面白がるようにそれを見ていた。
今更、ゲームのアプリなど起動してどうするのだと言わんばかりに。
その歪んだ口元を見ながら、エマの意識は途切れた。
ブックマーク・評価・いいね・ありがとうございます。本作を継続する貴重な養分になっています。
これより2章の始まりです。