敬老の日、継続×3
「溢れ出る豊かさこそが美なのだ」 ウィリアム・ブレイク
慌てる乞食は貰いが少ないというのは本当だった。いや、そんな言葉じゃ済まないことをしたのだろう。何を一体していたかって?パチンコだ。
普段からよく行くわけではない。パチンコ店は、7、8の付く日や祝日に「本日は良く当たる設定にしています」と告知することがある(実態は知らない)のだが、てっきり今日はその日だと勘違いして打ちに行ったのである。
店に入ってそのことに気付いたが、遊戯しないというのは気が引けたので(僕はコンビニでトイレを借りる時には商品を買うタイプだ)、ローリスク・ローリターンの台をチビチビ一時間ばかし打ち、トントンの収支を得ていた。
ボチボチ帰ろうと思い、出口に向かって細い通路を歩いていたところ、丁度僕の持ち財産で天井(一定回数抽選に外れると当たりがもらえる仕組み)に届きそうな台を見つけた。僕はそろばんを叩いた。最悪の場合でも8割程帰ってくるだろう。特に予定もなかったので、椅子に座って打ち始めた。
天井まであと10回というところまで来ていたのだが、僕は行動を迫られていた。お金が尽きたのだ。すなわちATMに行かなければ当たりを引けない。情けなく走った。公共料金の支払いもあったので多めにお金をおろした。すかさず戻って再開した。規定回数に達した。おかしいぞ、当たらない。
第二の勘違いだ。同じアニメの題材を扱っている隣の台までは天井が存在した。僕の台は底なしだった。ついでにハイリスク・ハイリターンの台だった。そりゃあ当たらないし、勘違いしていた天井の回数まで中途半端に近いままで放置されていたことにも納得した。
非常にガッカリしたが、同時に良くない下心が出た。もうすぐ当たるんじゃないかと思い始めたのだ。今までの時間とお金を無駄にしたくなかった。目の前の可能性がきらきらしていた。十二分だったはずのお金は、当たるかもしれない量に認識が変わった。「コンコルド効果、マシュマロ実験、満足遅延耐性」という文字が脳裏にちらついたが、気にしなかった。だってもうすぐ当たるんですもの。それと、ギャンブル狂いの小説家ごっこもやってみたかった。馬鹿だ。(今にして思う。彼らは才能があったからなんとか破滅せずに済んでいたのであって、常人が真似をすると火傷で済まないし、本当に何の見返りもない。)
ところで皆さんは、パチンコをやったことがありますでしょうか?
当たった場合には、大抵の場合、ある言葉が連呼されるのですが、お分かりでしょうか?
正解は「おめでとう」です。
結局その言葉は聞けずに財布はすっからかんになった。
パチンコ店のぎらぎらした天井を仰ぎ見た。虚無感のうちに、突然妙な感激が湧いて出た。
おじいちゃん、最近帰れなくてごめん。敬老の日おめでとうって言い忘れててごめんね。お小遣いいつもありがとう。変なことに使ってごめん。
本当にごめん。
ごめんて。