1-4
その夜――
瑠樺は緊張していた。
父が亡くなり、自分がその跡を引き継ぎ一条家に仕えると決めてから一年が過ぎる。
しかし、一条家に仕えると言っても、瑠樺に出来ることなど無いに等しかった。今は学校が終わるとすぐに一条家に向かい、一条家に仕える斑目秀峰の指導のもと稽古を続けているに過ぎない。しかも、斑目は忙しいらしく、直接指導されるようなことはほとんど無く、ほったらかしにされているような状態だった。
そんな瑠樺に夜になって連絡が入った。それは教育係である喜多村隼也からのものだった。
喜多村は一条家の指示で瑠樺に連絡を取ったのだと話した。
最近、街に怪しげな妖気を感じられることが増えているらしい。そこで今夜、喜多村の手伝いをしてその妖気を調べるように一条家から指示が出たらしい。
そして、瑠樺は喜多村隼也と共に指示通りに公園へと向かった。
既に夜11時を回っている。
街はすっかり寝静まり、辺りはシンと静まり返っている。
月が煌々と輝き、静かに街を照らしている。
誰もいない公園はどこか淋しげに見える。
いつもならば一条の配下の者たちと共に行動するのだが、今夜はまだ一条の者たちはここへは来ていないようだ。
「喜多村さん、ここで待つんですか?」
「それが春影さまの指示だ」
黒い式服を着た喜多村が言った。黒い式服は一条のなかで一端の術者と認められた者たちが使う装束だ。もちろん瑠樺のような見習いの立場のものがそれを着ることは許されてはいない。
「春影さまご自身からですか?」
ジーンズとトレーナー姿の瑠樺が訊く。今夜のようなことは初めてで、出来る限り動きやすい格好を選んだつもりだ。
「文鳩が届いたんだ。君を連れていくようにと指示を受けている。きっと君も期待されているんだろう」
喜多村もまた少し興奮しているように見える。『文鳩』、それは一条家の者が使う術の一つだ。自らの意思を呪符にのせ、それを鳥のような姿に変えて相手に飛ばす。基本的な術ではあるが、春影本人から指示がくるというのは一条家の者に仕える者にとって滅多にあるものではない名誉なのだ。
瑠樺は緊張をほぐそうと大きく深呼吸した。
「心配かい?」
喜多村が声をかける。「大丈夫、皆もじきに来るだろうから。今日は勉強と思って皆の動きを見てなさい」
「ありがとうございます」
「疲れたかな。急の呼び出しで少し急ぎすぎたかもしれないな」
息を切らせている瑠樺とは違い、喜多村はまったく息が乱れていない。術者は自らの妖力を持って、その身体能力をグンと上げることが出来るらしいが、瑠樺はまだそれが上手く出来ずにいた。
一条家に仕えることになり、もっとも感謝しているのは喜多村が教育係になってくれたことだ。
一条家には一般的な使用人から特殊な力を持つ術者たちまで、多くの人達がさまざまな面で仕えている。26歳の喜多村は若き術者たちを束ねる立場にたっている。面倒見がよく、斑目からほったらかしにされている瑠樺にも何かあるごとに声をかけてくれる。
喜多村は斑目家や茉莉家のようにもともと一条家に仕えいる家柄ではないが、大学卒業後に一条家の表家業の会社に就職した後に裏稼業でもある陰陽師に興味を持ち、急遽術者として修行したのだと聞いている。
他にも表家業から術者へ移り変わる者もいないこともないが、喜多村ほどの術者になれるものはそう多くはいない。
この人のようになりたい。
その気持が常の稽古の辛さを乗り越える糧となってきた。
冷たい風が頬にかかり、瑠樺は思わず身を竦めた。4月も下旬になろうとはしているが、まだ東北の夜は肌寒い。
瑠樺は空を見上げ、真っ暗な空に光る星々を見つめた。
その時――
突如、空気がいっそう冷たいものに変わった。それは冷たいという以上に体の芯を凍らすようなものだった。
みるみるうちに公園全体が何かとてつもなく大きな妖気に包まれてくる。
背筋をゾクリとしたものが走る。
いつの間にか月は暗い雲に覆われている。
(これは――)
この妖気を瑠樺は以前に感じたことがある。
それが八神家にとって最大の敵であることを瑠樺は知っていた。そして、それは同時に瑠樺にとっての最大の憎しみの対象でもあった。
父は妖夢に殺された。
自らがその場にいたわけではない。
それでもあの日、この妖気は感じ取れた。
学校で授業を受けていた瑠樺は、突然、あの全身が凍るような感覚を受け止めた。
今は亡き、あの愛すべき父とぶつかりあった妖力。そして、父の気が一気に消えていくあの感覚。
(妖夢)
瑠樺はそれを感知した。そして、それは喜多村も同じだった。
喜多村は瑠樺と顔を見合わせ、それからすぐに呪符を懐から取り出して額の前にかざす。だが、その表情がすぐに曇った。
「ダメだ。妖気が張り巡らされていて外に連絡が取れない」
「どうすれば……」
「ここは俺たち二人でなんとかしないと――」
その喜多村の言葉は最後まで聞くことが出来なかった。
大きな妖気が白い霧となって、喜多村に襲いかかったのだ。瑠樺は当然ながら、喜多村さえもまったく反応することが出来なかった。
霧が降り注いだ一瞬で喜多村の上半身が突然消えた。鈍い骨の砕ける音、細かく散った肉片、そして、残った体の傷口から血が吹き出して一面を染める。
(喰われた!)
その光景に体の力が抜けていく。
全身が大きく震え、立っているのもままならない。
(殺される)
自らの死というものを間近に感じていた。