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9-2

 禍々しく、黒々しい妖気。

 その妖気の強さに瑠樺は足が震えるのを感じた。

 先日、六角を助けるために妖鬼と向かいあった時もその強い力に驚いたものだが、今、目の前のものはそれよりも遥かに強大だ。

 雅緋ならばこの妖夢と戦えたのだろうか。だが、既に雅緋のなかにある呉明沙羅は封印されてしまっている。それを悔やんではいけない。雅緋を妖夢と戦わせることは、彼女の命を奪うことになったのかもしれないのだ。それを考えれば、呉明沙羅を封印したことは決して間違いではなかったはずだ。

(今は――)

 やれるだけのことをやるしかない。

「弱き者たち、大人しく我が操り人形となっておれば良かったものを」

 ケタケタと一条春影が怪しく笑う。

 その形相はすでに美しく穏やかだった春影のものとは別物だった。今の春影はすでにただの入れ物でしかなく、その内側から妖夢の気が漏れ出てくる。

「愚かよな。墓守、己の地に閉じこもっておれば自らだけは助かったかもしれぬものを。神巫女を護るために優位な地を離れわざわざやってきたか」

「そういうバカなこともしなきゃいけないこともあるってことですよ。確かにここは我が矢塚の地じゃあない。それでもやれることはやらせてもらいますよ」

 矢塚が印を組む。

 地面から光る細い糸が網のように這う。

 スックと斑目が立ち上がる。次の瞬間、瑠樺を縛っていた縄がパラリと切れた。

「斑目さん――」

「これ以上、儂も芝居を続ける必要がなかろう」

「斑目、キサマも一条に弓引くか!」

「おまえはもはや一条ではない。ただの妖夢。九頭竜の者たちにもすでに話はついておる」

「なるほど。昨夜から栢野らの姿が見えぬのはそういうことか。だが、この場におらぬということは表立って儂と戦う覚悟はなかったようだな。おまえたちだけで何が出来ると」

「さあな、それでもやれることをやるだけじゃ。皆、我が符に力を乗せよ」

 そう言うなり、斑目が春影に向け符を投げつける。

 斑目が投げた複数の符が宙を舞い、矢塚が放った妖気の糸に乗り、春影を取り囲む。

 さらに飛び込んできた常世鴉たちが術を唱える。その中には蓮華や周防の姿も見受けられる。

 春影を取り囲んだ呪符が術者たちの念を受け青白く光る。

 瑠樺もまたあらん限りの妖力を符にのせる。

 しかし――

 春影の体から湧き出てきた黒い気が巨大な妖夢の姿を形作る。

 その異形な姿をハッキリと目にするのは初めてのことだ。

 狼のような顔をしているがその耳は異様に大きく、鋭い赤い眼が燃えるように異様な光を帯びている。大きく開いた口から複数の牙が覗いて見える。一本一本が鋭い刀のような真っ白な毛に覆われ、尻尾はまだユラユラと霧のように霞んでいる。

「キェェェェェェ!」

 妖夢の雄叫びが全ての術をかき消し、その波動の力で皆、吹き飛ばされる。

 呪符が燃えていく。

 妖夢はその鋭い爪のある左手で傍らにいた茉莉穂乃果の体をむんずと捕まえた。それでも穂乃果は人形のようにまるで反応がない。やはり矢塚が予想していたように、穂乃果の魂は術によって取り出されているのかもしれない。

 そんななか、瑠樺はなんとか起き上がった。

 妖夢が笑う。

「バカな人間どもめ。私に対抗出来る力を自ら捨ておるとはな。死ぬがいい」

 再び妖夢の体から大きな波動が膨れ上がる。そして、妖夢の体から沸き立った妖気が槍となり瑠樺たちに襲いかかった。

(まずい!)

 矢塚も斑目も、そして多くの術者たちがさっきの一撃からまだ立ち直れていない。

 それは無意識の行動だった。

 瑠樺は両の手を合わせ、そこに力を集中させる。そして、その力を周囲に開放する。手の中に生み出した力は『大鷲の羽』となり、蓮華たち常世鴉や矢塚たちの足元に突き刺さった。

 それは瞬間的に護りの盾となり、妖夢から放たれた槍を止めた。

 だが、それは小さな抵抗だった。

 一瞬で羽が燃えていく。

 これでは次の攻撃はとても耐えられないだろう。

 妖夢の笑い声が響くたび、ビリビリと強い波動となって伝わってくる。

 その波動が体を強張らせる。

 皆、妖夢から発せられる力によって身動きが取れずにいるようだ。

(勝てない)

 このまま殺されるのだろうか。

(嫌だ……嫌だ)

 死が怖いわけではない。

 ただ、無駄死にすることが何よりも悔しい。

 何よりも、今、目の前で妖夢に捕らえられている穂乃果を助けてあげたい。

 ドクン

 胸の奥で大きな鼓動が聞こえた気がした。

 誰か、自分の知らない何かが心のなかで目覚めようとしている。

(これは――)

 それが何なのか、それは瑠樺にも容易に想像することが出来た。

 自分の体のなかにも流れる妖かしの血。それが今、本能的に殻を破ろうとしている。

 これを解放すれば、妖夢に対抗しえるかもしれない。

 妖鬼と化した六角の姿が脳裏を過る。

 人間を捨てれれば――

(いや……私はもともと人間じゃない。ただの妖かしだ)

 捨てるものなど何もない。

 その時――

「やめておきなさい。あなただって知っているでしょ。その力を使うためにはもっと稽古をつまなきゃいけないものよ。今、その力を解放などしたらあなたもただでは済まないわよ」


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