9-1 妖夢
9 妖夢
今、春影が目の前にいる。
もちろん、その意識は今や妖夢に支配されている。
以前、春影に呼び出された時は御簾越しだったが、今日はハッキリと顔を見ることが出来る。妖しく青白い顔。美しいがその美しさは精気を纏っていないように見える。そして、そのすぐ脇には茉莉穂乃果の姿があった。ぼんやりとした表情で、まるで目の前のものが見えていないかのようだ。
瑠樺は斑目と共に奥の院に出向いていた。いや、出向くというよりも連れられてきていたと言っていたほうがいいだろう。瑠樺はもちろん、瑠樺の背後で意識を失った雅緋も縛られたまま倒れている。
「呉明沙羅を封印したというのは本当ですか?」
抑えたような声。だが、その抑えた声のなかに興奮が感じられる。
「真です」
答えたのは斑目だった。「昨日、矢塚の屋敷に呼び寄せた音無雅緋を封印しました。私もそれに立ち会ったので間違いありません」
「矢塚の屋敷で?」
「はい、あの者は矢塚の地であれば無敵です」
「確かにそれならば可能かもしれませんね。しかし、それならばこれまでにも封印する機会はあったのではありませんか? なぜ、今まで封印をしようとしなかったのですか?」
「音無雅緋の狙いを知りたかったのだと申しておりました。いかに封印の仕方を知っていたとしても、呉明沙羅の力は強大です。音無雅緋の力が弱まる時を待っていたのだそうです」
「なるほど、六角を利用したということですか?」
「さようで」
「六角は?」
「あれも一条に歯向かったもの。故に今は矢塚の屋敷の地下牢に」
「音無雅緋は?」
春影は少し警戒するような目で、瑠樺の背後に倒れている雅緋に視線を向けた。
「呉明沙羅と引き離された音無雅緋はただの人間です。何の力もありません。気にする必要もないかと」
「ふむ、確かに今のあの者からは呉明沙羅の気は感じませんね。それで? 今日、矢塚はいかがしました?」
「呉明沙羅の封印塚で術を練り直しております。弱っていた塚の封印を再度強固にする必要があるのだそうです」
「それは再び封印が解かれる可能性があるという意味ですか?」
警戒するような声で春影が訊いた。
「さあ、しかし、矢塚の思い次第ということもあり得るかと。もちろん、矢塚はそのようなことを望んでおりません。条件次第かと」
「条件?」
春影は眉をひそめた。「それは何です?」
「一条をはじめとする八神家がこれまでと同様の関係でいられることを望んでいるかと」
「なるほど、それが矢塚の本心ですか」
「我らからもお願い申し上げます。ぜひにも穏便に」
斑目はそう言ってゆっくりと頭を下げた。
「争いは好まぬと?」
「もちろんです」
「ならば聞こう。この茉莉穂乃果とは何者か?」
「はて? 何者とは? その者は古くから一族に仕えるただの巫女にございます」
その言葉に瑠樺は違和感を憶えた。矢塚は一条家に忠誠を誓っていたはずだ。つまり陸奥神の全てについて一条家に話していたはずだ。
だが、今の春影の言葉はどういうことだろう?
「ただの巫女?」
「さようです。神事の折に下働きをさせてきた茉莉の家の巫女でございます。神事も無くなった今の世では意味もございません」
斑目は繰り返した。
「そうか、それが答えか。私を甘く見ているのか」
春影はそう言うとすっくと立ち上がった。
次の瞬間、屋敷を包み込むように黒い霧が強い風に乗って周囲を覆った。そして、大きな爆音を伴い、その黒い風に吹き飛ばされ2つの塊が宙を舞い瑠樺たちの背後にある壁に叩きつけられる。
瑠樺はその2つの塊を見てハッとした。
それは矢塚と六角の二人だった。
「矢塚さん! 六角さん!」
「まいったな。バレバレというわけか」
頭を抑え、痛みをこらえるようにして矢塚が体を起こした。
禍々しい闇の気が集まったような腕が幾本も地面から伸びている。それが這いずり回り瑠樺たちを取り囲んでいる。
「戦うしかないようだな」
六角が杖をついて立ち上がる。既に覚悟を決めているようだ。
その瞬間、矢塚の本心に瑠樺は気づいた。
全ては春影を騙し、茉莉穂乃果を救い出すための策だったのだ。
矢塚は一条家に取り込まれていたわけではない。二人は姿を隠し、茉莉穂乃果を救い出すために忍び込んでいたのだ。
「矢塚さん、騙したんですね! どうして話してくれなかったんですか?」
「すまないね。でも、キミは嘘をつけるタイプじゃないみたいだからね」
その矢塚の言葉に――
「たわけたことを。この私を騙せると思ったか。この愚か者どもめ」
春影の笑い声が大きくなっていく。




