1-3
瑠樺が八神家について初めて知ったのは2年前のことだ。
当時、瑠樺は宮城県仙台市に住んでいて、その街の中学に通っていた。
ある週末の夜、出張から帰ってきた父が母と瑠樺を前に切り出した。
――実は私は八神家の一つである二宮の家の末裔なんだ。
父の話はあまりに突拍子もないものだった。
岩手県奥陸奥市、それが父の故郷で、その街に八神家は存在している。八神家というのはその名の通り八つの家から成り立っている。それぞれ古くから継る家柄で、『妖かし』から人々を護る使命を負っている。かつては自分もその一族の一人であったが、家を継ぐことを拒否して田舎を離れた。しかし、今になって八神家の存在の意味を考えなおし、自分はその八神家で働きたい。家族全員でなくても構わない。自分一人だけでも田舎に戻りたい。
一年後に地元の高校への進学を目指して受験をひかえていた瑠樺にとって、それは突拍子もない提案だったが、それをすんなりと受け入れることが出来た。そして、自らも父についていくことを決めた。
それほどに父のことが好きだった。
母は仕事の都合でそのまま仙台に残らなければならず、父と自分だけがこの街に引っ越すことになったのだ。母のいない二人での生活はそう簡単なものではなかった。これまで母に任せきりだった炊事や掃除なども瑠樺が進んでやるようになった。
それでも楽しい生活だった。
この街に引っ越してきてからは、瑠樺も父から少しだが八神家について話を聞かされていた。瑠樺にとって、八神家というものにそう興味があったわけではなかったが、父の強い思いを感じ、その思いが達成出来ることを祈り応援していた。
それから一年後、つまりは今から一年前、父は命を落とした。
ずっと父の背中を見つめてきた瑠樺にとって、父の死によってどこへ進めばいいのかが見えなくなった。
母の住む仙台に戻るという選択肢もあったが、悩んだすえに瑠樺はそのまま街に居続けることを決めた。父の意思を継ぎたいと思ったからだ。瑠樺は亡くなった父の代わりに働きたいと、八神家筆頭である一条家に頼み込んだ。
そこで瑠樺は改めて八神家がどういうものかを知ることになった。
八つの家から成り立つ八神家といってもそれは遠い昔の話であり、長い年月のなかでその多くの家系が途絶えていて、今は一条家と矢塚家だけが正式に存在している。二宮もかつては八神家の一つであったが、祖父の代でその地位から離れており、父は一条家に仕える立場で戻ってきたのだ。
一条家は表の仕事として山林や田畑をはじめ、さらには不動産や建築関係の会社を複数所有しており、表の世界でも資産家として、地方の有力企業の一つとして広くその名を知られている。だが、その本質は八神家の筆頭として、この地域に存在している妖かしから人々の暮らしを護るという使命を帯び、多くの術者たちが存在している。一条家の術者たちの中には京から来た陰陽師たちも含まれており、古くから京の陰陽師、土御門家と深い関係があるらしく、一条家では昔から『西ノ宮』と呼んでいる。
瑠樺は自分の知識の範囲で出来る限り雅緋に八神家のことを話して聞かせた。
「八神家と言っても、今残っているのはその筆頭である一条の家と矢塚の家だけなんです」
「あなたは?」
「私も八神家の一つであった『二宮』の家の者なんですけど、二宮の家が八神家の一つとして数えられていたのは祖父の代までで、今、私は一条の家に仕えているだけです」
「……そう……」
ずっと表情を変えなかった雅緋が、なぜか一瞬だけ少し暗い表情をした。「それで他の一族はどうなったの?」
「さあ……」
想定していなかった質問に瑠樺は首を捻った。「それはわかりません」
「知らないの?」
「ごめんなさい」
思わず瑠樺は頭を下げた。「ずいぶん前に八神家から離れたと聞いているので」
「謝る必要はないわ。それで?」
「え? それでって?」
「あなたが知っている八神家のことってそれだけなの?」
「ごめんなさい」
「だから謝る必要はないわ。じゃあ、今、あなたは八神家で何をしているの?」
「いえ……私はまだ最近になって仕えることになったばかりで」
「そう。じゃあ、今、八神家というのは形骸化しているということね」
「いえ、そんなことありません。一条家を中心になって妖かしに対処しています」
「対処?」
「妖かしが人に害を成さないようにすることです。そして、人に仇なすものなら駆除しないといけません」
「何のために?」
「それが私達一族の仕事だからです」
「仕事?」
「言いましたよね。私たちは命をかけてこの国を護っているんです」
きっと父はそんな思いでいたに違いない。
「命をかけて?」
雅緋が鋭い視線で瑠樺を見た。そして、吐き捨てるように言った。「そんなもの、くだらないわね」
「くだらない?」
「命をかけるってことは、命を捨てることでしょ。命を捨てて護れるものなんて何もないわ」
「そんな……」
雅緋の言葉に怒りを覚える。だが、なぜだろう。その怒りは雅緋に対するものとは違っている気がする。むしろ、その言葉と同種の気持ちを自分も持っている。
瑠樺は言い返すことが出来ず、その苛立ちをぶつける先もわからず拳を握りしめた。
「まあ、いいわ。それよりあなたたち一族の歴史を書いたものとかないのかしら?」
「歴史? どうして?」
「あなたたちのルーツを知りたいの。私があなたと同じ力を持っているというなら、どこかに何かつながりがあるかもしれないでしょ? 調べてみたいの。知らないかしら?」
「さあ、私は見たことはないです。でも――」
「でも?」
「矢塚さんなら……」
八神家の一つ、矢塚の家では歴史の管理もしていると聞いている。だが、その名前を出すのは少しためらわれた。矢塚との付き合いはほとんど無く、さらに今の矢塚の当主は変わり者だと聞いていたからだ。