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8-5

 瑠樺が矢塚の屋敷に着いた時、六角は既に寝床から出て座敷にて瑠樺を待っていた。その傍らには付きそうように周防の姿があった。これまでとは打って変わって穏やかな表情をしている。父の六角左内が意識を取り戻したことに安堵しているのだろう。

 座敷の隅には当然のように蓮華の姿も見える。

 六角の背筋を伸ばし正座するその姿は、窶れてはいても頼もしく感じるところがあった。

 その姿に一年前を思い出す。

 父の友人であり、一条家に仕える頼もしい存在。

 大柄な体格は変わっていないが、あの頃とは違ってかなり痩せている。この一年、妖鬼と化してさ迷ってきたその苦労が垣間見える気がした。

「六角さん、もう起きても大丈夫なんですか?」

 瑠樺は矢塚に促されるまま、六角の前に座った。

「ありがとう。瑠樺さん、申し訳なかった」

 六角は深々と頭を下げた。「本来ならば儂は瑠樺さんに顔向け出来る立場ではない。私がもっと注意をしていれば、辰巳殿の言葉を聞いていればこのようなことにはならなかったのかもしれない」

「やめてください。いったいどういうことですか?」

 六角は頭をあげて瑠樺の目を見つめ――

「春影さまは妖夢だ」

 その言葉に瑠樺は驚きを隠せなかった。

 それはそこにいる周防も、瑠樺の脇に座る蓮華も同じようだった。当然だろう。これまでずっと春影様を信じて仕えてきたのだ。

「春影さまが妖夢?」

「正確には、春影さまの意識が妖夢に呑まれたのだ」

「何があったのか聞かせてくれないか?」と唯一、冷静な顔をした矢塚が言った。

「一年前、街に怪しい妖気が感じられるといくつもの報告が上がっていた。あの日、春影さまはわしと二宮の若とを連れ、妖気の原因を探るために屋敷を出た。町外れのあばら家でその気を調べていた時、わしらは背後から襲われた。最初は辰巳殿が。当然だ。妖夢にとってもっとも警戒していたのが辰巳殿だった」

「しかし、辰巳さんの力なら妖夢にそう簡単にやられることはなかったんじゃないかい?」

「そうだな。そのあたりの事情はわしにはわからないが、あの日、辰巳殿の力はなぜかとても弱々しいものだった」

「弱々しい?」

「ひどく疲れているような感じがした。その結果、辰巳殿は殺され、わしもかろうじて内なる妖かしの本能を呼び起こすことで生き延びたものの、その鬼を抑えることができなくなった」

「今までどこに?」

「最初は完全に鬼の意識に呑まれてしまい、自らを抑えることが出来なかった。そこで、なんとか自らに術をかけて森の奥に身を隠していた」

「襲ったのは本当に春影様だったのかい? 春影さまは自らも妖夢に襲われたと話していたよ」

「バカな!」

 六角は吐き捨てるように言った。「わしは見た。辰巳殿が襲われた時、春影様はその辰巳殿やわしの動きを封じるための術を唱えておられた。おそらくあの妖夢は春影さまが飼っていたものだろう」

「飼っていた? それはどういうことですか?」

 その瑠樺の質問の答えたのは矢塚だった。

「妖夢というのは初めからそういう存在なわけじゃない。妖かしや式神などが特殊な事情で変異したものなんだ。春影さまは京の陰陽師だ。陰陽師は体のなかに幾体もの式神を飼っている。あの妖夢もその一匹だ。普段は陰陽師である春影さまの力によって仕えさせられていたが、今回は春影さまの意識を飲み込んだとうことなんだろう」

「どうしてそんなことに?」

「春影様は優れた陰陽師だ。いや、一人の陰陽師としてだけではない。政にも優れた能力を持っていた。そんな春影さまが、若い頃、八神家を一つにまとめたいと仰られた時、ボクは嬉しかったよ。京の陰陽師としてではなく、八神家の一つになりたいと。その思いにボクも辰巳殿も力になりたいと考えていた」

「若い頃?」

「瑠樺君は聞いていないかい? ボクと辰巳君、春影様とは同級生なんだよ。ボクや辰巳君にとっては、春影様は初恋相手みたいなものさ。もちろん下心みたいなものとは違うよ。子供の頃の純粋な淡い気持ちだよ。まあ、若いキミたちからすれば、オッサンが何を昔話を語っているんだと笑うかもしれないけどね」

「そうだったんですか」

 瑠樺はやっと父がこの地に戻ってきた意味を知った気がした。

「ちなみに左内はボクらの2つ年下だよ」

 その言葉に瑠樺たちはどう答えていいかわからなかった。だが、間違いなく瑠樺も蓮華も周防も、佐内が矢塚よりも年下とはとても思っていないという顔をしていた。

「え……?」

「左内は昔からオッサン顔だったからなぁ」と矢塚が笑う。

 六角は照れくさそうに頭を掻いていたが――

「そんなことはどうでもいい」

 と言ってから真顔になった。「春影さまの願いには裏があった」

「裏?」

「春影様は一条家を八神家ごと西ノ宮に戻そうと考えられていたようだ。春影さまは西ノ宮にそれを提案された。だが、西ノ宮はそれを許さなかった。西ノ宮にとって、我らは未だに異端の地の者たちだったのだろう。それでも春影様は諦めなかった。そして、八神家の力を利用しようと考えられた」

「待ってください。一条家を西ノ宮に戻す? それはどういうことですか?」

 二人の会話がわからずに瑠樺が訊いた。

「陸奥神の一族が西ノ宮に屈した時、それを束ねるものとして一条家が送り込まれた。我らにとっては支配するものだが、一条家にとっては少し意味が違う。一条にとって、この地に送り込まれたということは左遷されたようなものだ。言わば、都落ちといったことだろう。一条家にとって、八神家の筆頭などといいながら、実のところずっと西ノ宮に戻りたかったんだよ。そして、春影さまには十分にその力があった。それこそがある意味不幸の始まりだったといえたかもしれない」

「でも、八神家の力を利用っていうのは? 八神と言っても、今は一条と矢塚さんしか残っていないのに」

「これは儂の想像だが……おそらく、春影さまは穂乃果様の力に気づかれたのだ。そして、その力に脅威を持つ反面、魅力も感じたのだろう」

「穂乃果ちゃん? 彼女がかつての陸奥神の大切な巫女という話は聞きましたけど、でも、まだ穂乃果ちゃんは子供ですよ。まだ中学生なんですよ。脅威だなんて」

 その言葉に矢塚は笑った。

「いやいや、それは現世での姿だよ。実際には彼女は永遠を生きる不死鳥だ」

「不死鳥?」

「そうだよ。キミも会ったんじゃないか?」

「それって――」

「そうだよ。キミの出会った火喰鳥というのは彼女の化身だ」

 あの夜、炎を纏った少女の姿が思い出される。

「あれが……穂乃果ちゃん」

「穂乃果様は永遠の命を持ち、妖かしの命の源だ。不死鳥は人の姿でこの世に生まれ、数年に一度、ああやって化身である火喰鳥を放ち、妖かしの命を浄化する。穂乃果様は人の姿をしているが、我らの神である不死鳥でもあるんだ。その力は我ら妖かしの一族の全てよりも大きなものだ。京の陰陽師たちがそれを知れば快くは思うはずがない。春影様は京の陰陽師の一人として、本来ならばそれを西ノ宮に報告しなければならない。しかし、それをすれば西ノ宮が介入し、春影さまが穂乃果様の力を利用することは出来なくなる。そして、それを見逃すことにも迷いが生じた。そこを妖夢が目をつけた。式神は京の陰陽師たちにとって大きな武器だ。だが、強すぎる武器はそれに呑まれるリスクがある。春影さまの心の迷いをついて妖夢はその意識を呑み込んだ」

「じゃあ今の春影さまは本来の春影さまとは違うのですね?」

 小さな希望を持ちながら瑠樺は訊いた。

「本来の春影さまに戻ってくれれば……という意味かな? それはどうだろうね。妖夢のなかには春影さまの意識がある。先日、妖夢が上園の屋敷を襲ったのは、おそらく穂乃果様の力を取り込みたいと願う春影さまの意識が投影されたものだろう」

「じゃあ、穂乃果ちゃんを狙ったのは春影さまの意思?」

「そうなるだろう。つまり今も穂乃果様を狙っているということになる」

 と矢塚がため息とともに言った。

「わしもそう思う」と六角が相槌を打つ。

「いったいいつから? やはり辰巳さんが帰ってきたのはそういう事情があったからかい?」

「辰巳殿はそのことに誰よりも早く気づいていたんでしょう。しかし、わしはそんなことにまったく気づかなかった。だが、ある日、不可思議な妖気現象がこの街で起こるようになった。春影さまの意識を呑み込んだ妖夢がその力をふるいはじめたのだ」

「でも――」

 と瑠樺は六角に訊いた。「なぜ春影様は父を殺す必要があったんですか? 妖夢に飲み込まれたせいですか?」

 それこそ、瑠樺にとって一番知りたいことだった。なぜ父が殺されたのか、なぜ死ななければならなかったのか。

「さっきの話にもあったけれど、春影様が西ノ宮に戻ろうとして拒否されたのは2年前のことだ」

と答えたのは矢塚だった。

「……2年前」

「そうだよ。辰巳君が八神家に戻ると決めたのも同じ頃だ。そして、雅緋君が呉明沙羅の封印を破ったのも同じ時期だ。これはただの偶然だと思うかい?」

「関係があるんですか?」

「2年前、辰巳君はおそらく春影様を止める手立てを探していたのだろう。春影様にとって辰巳君は邪魔な存在だった」

「矢塚さんは何か聞いていたんですか?」

「いや、残念ながら。八神の中の人間はボクを含めて皆、春影さまを疑っていなかった。そして、その八神家の者たちを動かそうとすれば、それは春影様にも伝わりかねない。辰巳君はおそらく今の八神家の外の者たちで春影様を止めようと考えていたのだろう」

「外の者? それが雅緋さん?」

「それはボクにもわからないよ。そもそも彼女が何者なのかもハッキリしていないからね。それに彼女の存在だけではこれまでのこと全ての疑問の答えとして説明することは出来ない。おそらく他にも誰か関わっているんだろう」

「他というのは?」

「まあ、その辺りは悩んでみても仕方ないよ。問題は春影様だ。いや、今は妖夢といったほうがいいかな。このまま放っておくわけにはいかない」

「妖夢を倒せるんですか?」

 瑠樺の疑問に、矢塚は困ったような表情をしてみせた。

「そう簡単に言わないでほしいなぁ。かなり難しい相手だよ。妖夢としての力も強いし、何よりもあの春影様を呑み込んでしまっている。遥かに妖かしのレベルを超えている。妖夢を倒すということは一条家を倒すことになる。一条に仕える九頭竜たちが黙って見ていてくれるとは思えない。さらには一条の後ろには西ノ宮の存在がある。つまりは西ノ宮を敵にすることになる。これまで我々が一条家に従っていたのもそれが理由なんだ。そして、何よりも我々にとって不利な点がある」

「なんですか?」

「我々は人質を取られている」

「人質? それって――」

「そう。穂乃果様だよ。かつてキミの一族を身代わりにしてまで隠した我らの神。その神の存在、茉莉穂乃果様が特別な存在であることに春影さまは気づいている。だからこそ、自分の近くに置いている」

「でも、穂乃果ちゃんが陸奥神の神ならその力で妖夢と戦うことも出来るんじゃありませんか?」

「いや、それは出来ない」

「どうして?」

「穂乃果様の力は戦うことにむいていない。陸奥神の血筋ならば、穂乃果様の力を使って戦うことも出来るけどね」

「それなら矢塚さんが――」

「ボクは本来、陸奥神の一族ではないよ。ボクはもともと和彩の家に仕える立場でしかない。和彩の末裔であるキミならばその力があるのだが、さすがに今のキミではそれをするのは簡単ではないだろう。辰巳君が殺されたのもその力を警戒されたからだ」

「穂乃果ちゃんを救い出せば?」

「それも今となっては難しいだろう。妖鬼が六角さんであることは春影さまが一番わかっている。だからこそ妖鬼が姿を現した今、穂乃果様は隔離されてしまった。おそらく既に穂乃果様の心は分離されているだろう」

「分離?」

「一条の術の一つさ。心を体から取り出し、『神楽箱』という特殊な箱へと分離する。自由は奪われ、生きた屍となる」

「そんな……じゃあ六角さんのことは――」

「すでに人間に戻ったことは気づかれていると思うよ。つまりボクたちが春影さまの正体を知ったことも察しているだろう」

「じゃあ、どうすれば……」

「方法がないわけじゃあない。そのために今日、キミに動いてもらったんだ」

 そう言って矢塚は胸ポケットから青白い光に包まれた符を取り出した。「おっと、早くもお守りの効果が出たようだよ。

「それは?」

「雅緋クンからの連絡だよ」


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