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8-3

 家を出て、瑠樺は小さくため息をついた。

 さっき自分の身に起きた奇妙な出来事のせいではない。雅緋もまた自分と同じように父を失っていた。その事実が頭から離れなかったからだ。

 彼女はどういう気持ちで生きてきたのだろう。どうして呉明沙羅という存在を受け入れたのだろう。

 やはり雅緋の心の中にも自分と同じような思いがあるのだろうか。

「なんじゃ、あの娘に同情か」

 その頭のなかに響く声に驚いて、瑠樺は思わず顔をあげた。

 そこに呉明沙羅の姿があった。塀の上に座っているようにも見えるが、実態のない霊体である沙羅がそのような行動を取れるはずもない。ただ、霊体としてフワフワと浮いているように見えるに過ぎない。

「沙羅さん? どうして?」

「ん? 何がじゃ?」

「どうしてここに? 雅緋さんは眠ってるんじゃ――」

「そう、あやつは眠っておる。だからこそじゃ。あやつの意識がない時、我は自由となる。ま、自由といってもそう遠くには行けぬし、ほんのわずかなことしか出来ぬがな。不便なものじゃ」

 沙羅はそう言って肩を竦めた。

(わずかなこと?)

 ひょっとしたらさっきの幻覚は沙羅の仕業なのだろうか。

「雅緋さんは大丈夫なの?」

「大丈夫といえば大丈夫じゃ。妖力が不足して動けなくなっておるだけじゃからな」

「本当に?」

「普通の人間ならば生活するのに妖力などは必要せん。しかし、我の宿主となっているからな。我を自らの肉体に縛るためにはそれだけで妖力が必要ということじゃ。そもそもあやつが宿主となっていることが無理なのじゃ。あやつには一族の血は流れておらん。一般の人間にも妖かしの血が流れている者はおるが、その血はまるで薄い。あやつもそういうただの人間。つまりは妖かしの血が薄い。我を宿すことが出来るほどの妖力がまるでない。そのためあやつは我の力を使うたびに妖力を失って眠り続けなければいけなくなる」

「それじゃ、どうして雅緋さんを選んだの?」

「意思の力……とでもいうのかの」

「意思の力?」

「実はな、なぜ、あの娘が我のもとに訪れたのかは、我にもわからんのじゃ。本来ならばもっと違う……言ってみれば一族の血をひくものが訪れると思っておった。おまえのようにな。おまえのように二宮の一族ならば妖力にもことかかん」

「ひとつ教えて」

「何じゃ?」

「雅緋さんはどうして意識を保っていられるの?」

「はて? 何のことかの?」

 沙羅はわざとらしく首を傾げた。

「惚けないで。矢塚さんが言っていたわ。あなたたち一族がかつて忌み嫌われていたのは死人や人形を操るからだけじゃない。一般の人の意識をも奪って操るからではないの。なら、どうして雅緋さんは意識を保っていられるの?」

「あの墓守め。余計なことを」

 沙羅は不機嫌そうに呟いた。

「答えて」

 沙羅はしばらく黙っていたが、やがて――

「わからん」

「どういうこと? ちゃんと答えて」

「答えておる。我にもわからん。確かに墓守の言うとおりじゃ。実は我はあの娘が我の前に現れた時、その心を全て奪おうとした。我のほうがあの娘を傀儡にしようとした。じゃが出来なかった。つまりは我が負けたのじゃ」

「あなたが負けた?」

「ああ、負けた。あの娘は我の力を押さえつけた。おかげで我はあの娘を我がものにするどころか、我の力をあの娘に奪われた」

「どうして?」

「だからそれがわからんと言うておるじゃろ。我を抑えるほどの妖力、あの娘にはまるでないのじゃがな。不可思議な話よ。じゃが実際、あの娘は我の力によって戦い、我の知識によって話をしておる。信じられんがそれが現実ということじゃ」

「雅緋さんはどうしてあなたのことを知ったの?」

「質問が多いな。さっき『一つ教えて』と言うたのはなんじゃったんじゃ?」

「これも含めて大きな意味で一つよ」

「強引じゃな。そういうところは和彩の血じゃな」

「いいから教えて」

「わからぬ」

 ムスッとした表情のまま沙羅は答えた。

「どうして?」

「どうしてと聞かれてもな。あの娘はそのことを我に話さぬからな」

「でも、あなたと雅緋さんはどういう関係なの? 雅緋さんはあなたの魂とつながっているのでしょ?」

「つながっておると言っても一方通行のようなものじゃ。あの娘は我の力や知識を使うことが出来ても、我はあの娘の思考にも記憶にも入り込めん。まあ、無条件に人の知識や考えを読めるというのも気持ちの悪いものじゃがな」

「気持ち悪い?」

「考えてもみろ。全ての知識には理由と経緯がある。それもまったくないまま自分の頭のなかに知識があるのじゃぞ。しかも、それが何百年も前の知識なのじゃ。気持ち悪いに決まっておろう」

 沙羅はそう言って笑った。

「そういうもの……なの?」

「お主、一族として覚醒しているのじゃろ? 覚醒した時、どのような感覚じゃった? 突然、それまでまったく使えなかった妖力に包まれた感覚。それまで知っていた知識や筋力とはまるで違った力が溢れてくる感覚。慣れるまでに時間がかかったはずじゃ」

 確かに沙羅の言う通りだった。

 最近は慣れてきたが、覚醒したばかりの時はその力が体の中で爆発しそうな感覚で、それを抑え込むだけで必死になったものだ。しかも、雅緋が取り込んだのは妖夢を撃退出来るほどの力を持つ沙羅なのだから。

「雅緋さんもいつかは慣れるということ?」

「まったく和彩の末裔ともあろうものが妖かしというものをわかっておらんな。そう言うならば、どうじゃ? お主が我の宿主にならぬか?」

「私?」

「お主の妖力なら、我の宿主になるには十分じゃ。妖夢を倒すことも容易い。お主の父の復讐を遂げることが出来るぞ」

「私があなたの宿主になった時、雅緋さんはどうなるの?」

「あの娘か? 知らんな。元の人間に戻るかもしれんし……そうでないかもしれん」

「そうじゃない場合って?」

「さあな。我も人間に取り込まれるのは初めてのことじゃからな」

「雅緋さんの安全は保障出来ないということね」

「あの娘のことを心配しているのか? 今、そのようなことを心配している状況か? 今のお主らの戦力で一条の者の意識を呑み込んだ妖夢に勝てるのか?」

 確かに沙羅の言うことも事実だ。だが、雅緋を身に危険が及ぶことだけはやってはいけない。

「雅緋さんは……それで自由になれるの?」

「ほう、あの娘の幸せのためならば……ということか。じゃが、人の幸せなど他人が決めるものではないぞ。他人の目から見て幸せだと思うことも、本人にとってはそうじゃないことも多い」

「あなたに取り憑かれていることが雅緋さんにとって幸せだというの?」

「さあ、そんなこと我にはわからん。しかし、あの娘は我を手放さぬだろう」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「我はあの娘の思考が読めん。記憶も読めん。しかしな、あの娘が我を手に入れるためにどれほどの努力をしたかは感じ取れる。

 その悟ったような口ぶりに瑠樺は――

「あなたは何歳なの?」

「なんじゃ急に?」

「大人びたことを言ってるから」

「1400年も生きとるからな。この姿でも生きていると言えればじゃが」

「私には子供に見えるわ」

「これは我の霊的偶像じゃ。お主と話すのに姿かたちがないと都合が悪いじゃろ。この姿になったのは12歳の時じゃからな。その時の姿じゃ。捨てた体がそれ以上成長するわけなかろう」

 その年齢を聞き、瑠樺は改めて沙羅の若さに驚いた。

「12歳……どうして?」

「また質問か。まあ、良いがな」

「どうしてあなたはそんな姿に?」

 もう一度、瑠樺は訊いた。

「我の父親は九怨の出じゃ。九怨は流浪の妖かしじゃ。他の妖かしどもからは疎まれておった。そんな父が呉明の一族から気に入られて婿に入った。そんな時、魔化が姿を現した。父にとっても我にとっても、自分の存在を周りに認めさせるためには必要なことじゃった」

「でも、もっと何か違う方法があったんじゃないの?」

「我にはよくわからん。だが、この姿になることがもっとも強くなることなのじゃ」

「じゃあ傀儡は何のために?」

「我はこの姿になったことで大地とのつながりが強くなり、妖力は跳ね上がる。しかし、一方で物理的攻撃が出来んようになる。そのため傀儡が必要となる」

「あなたは後悔していないの?」

「何度も言わせるな。他の選択肢以外に魔化を倒す手段は知らんかった。しかし、結果は思ったようにはならんかったかもしれん。我の戦いの結果、多くの村々が焼け、多くの人々が死にたえた。戦いながらも多くの人の恨みを感じた。そして、戦いが終わってすぐに我は封印された。人々のために戦ったというのにな。なぜ、我は封印されなければならなかったんじゃろうな」

 その表情は少し寂しそうに見えた。

「人を超えられるのは人だけ」

 瑠樺は思わずつぶやくように言った。

「なんじゃ、それは?」

「昔、父がよく言っていた言葉よ」

「自分で自分を高めるための言葉か?」

「ええ、そう思ってた。人を超えられるのは人だけ。でも、それって言いかえることも出来るわ。魔化を超えられるのは魔化だけ」

「何?」

 沙羅の表情が固くなった。

「あなたは魔化に勝った。あなたは魔化を超える力を持った。そして、封印された。なぜなら、あなたこそが人の世を危険に晒す存在になったから」

「あの時、我が感じた妖気は我自身のものということか?」

「わからないわ。でも、どうしても私はあなたを肯定出来ないわ。だから、あなたの宿主にはなれないわ」

 沙羅は黙って瑠樺を見つめていたが、やがて――

「それが正解じゃな」

 そう言うとフッと姿を消した。


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