8-2
瑠樺は雅緋の自宅を訪ねることにした。
矢塚に促されたからだ。ずっと見舞いに行きたいという思いはあったが、きっと雅緋はそれを望まないだろうと我慢してきた。
――彼女が妖力を取り戻す手助けが出来るかもしれない。
そう言って矢塚が瑠樺に渡したのは御守りだった。その中には『妖力符』という呪符が入っているらしい。いわば輸血の妖力版のようなものらしい。
その言葉を信じ、瑠樺は雅緋を訪ねた。
訪ねていった瑠樺を出迎えたのは一人の女性だった。その女性は母親というにはずいぶん若く見えた。
「あの……雅緋さん、いらっしゃいますか? 私は同じクラスの二宮といいます」
「ええ、いるにはいるんだけど」
女性は困ったように言葉を濁した。
「体調、そんなに悪いんですか?」
「心配して来てくれたの? そうね……ごめんなさいね。雅緋、寝てるのよ」
「寝てる?」
「あの子、疲れるととにかく眠るのよ」
「そうですか……じゃあ、起きたら伝えてほしいんですが――」
「あ、いや、そういうのと違うのよ」
女性は困ったように頭をかいた。
「違う?」
「あれ? そういえばあなた、さっき二宮って言った?」
「はい、二宮瑠樺です」
「あぁ、あなたがね。ねえ、よかったら上がってくれないかしら」
「でも――」
「いいじゃないの。あの子の話を聞かせてほしいの。ちょっとだけ、ね」
まるで哀願するかのように強く誘われると、さすがに断りづらい。瑠樺は仕方なく女性の誘いを受け入れた。
女性は瑠樺を居間のソファに座らせると、「ちょっと待ってね」と言ってキッチンへと入っていった。
真っ白な壁紙、部屋はキレイに片付いている。ただ、その整理のされかたがどこか不思議な規則的な雰囲気があることが気になった。
(何かを意図してあるような)
そんなことを考えながら待っていると、女性はすぐに戻ってくると瑠樺の前に紅茶とクッキーの入ったお皿を並べた。
「ねえ、これ食べてみて。さっき作ってみたんだけど、口にあうかな」
促されるままにハート型のクッキーを一つつまんで口に入れる。サクリと砕け、ほんのりとした甘さが口の中に広がる。
「美味しいです、とっても」
「良かった」
そう言ってニッコリと微笑む。「ちょっとだけお酒が入ってるのよ。だから、少し体が暖かくなるかも」
「お母さん、お料理上手なんですね」
「いやいや、私は雅緋の母親じゃないのよ。雅緋は私の兄の娘。姪っ子なの。私は伯母の日奈子。私、まだ29歳よ。さすがに雅緋くらいの娘はいないわよ」
「す、すいません」
慌てて瑠樺は頭を下げた。「どうりで若いなって思ったんです」
「ホント? ありがとう。あなた、二宮さんって言ったわね。あなたの名前は前に聞いていたわ。あの子、ただでさえ一年ダブっているし、学校でのことなんてほとんど話すことなんてなかったから。友達がいるように思えなかったのよ。どうせ学校でも愛想ないんじゃないの?」
「はぁ……」
どう答えていいかわからず瑠樺は曖昧に返事をした。もちろん嘘をつくことも出来たが、日奈子は雅緋の性格をちゃんと理解しているようだ。変に嘘をつけば、むしろ傷つけることになりそうに思えた。
そんな瑠樺の表情を見て――
「やっぱりね。昔は明るい子だったんだけどね。実はね、さっきは『寝てる』って言いかたしたけど、それが正しい表現かどうかわからないの。あの子のはね、普通じゃないの。いつ起きるかわからないの。ああいう眠り方をしている時は、いつ目覚めるかわからないの。1日なのか、3日なのか、一週間なのか、ぜんぜん目覚めないで眠り続けているの。最初はこのまま死んじゃうんじゃないかって心配したこともあったわ」
「そうだったんですか」
やはり力の反動なのだろうか。
先日は妖夢を撃退した時、そして、今回は妖鬼を捕らえ、六角を人間に戻した時。どちらも強い妖力を使った後だ。
「あの子、何かとんでもないことをしてるんでしょ?」
日奈子は真剣な眼差しで瑠樺を見つめた。
「あ、それは……」
さすがにそれは答えられない。
「大丈夫よ。無理に喋らせようなんて思ってないから。誰にだって話したくないことはあるものだしね。それにね、私、あの子が何をしようと信じることにしているの」
「信じる?」
「そうよ。あの子は決してやってはいけないことはやらない。卑怯なこと、筋の通らないこと、ちゃんと生きている人を傷つけるようなことはしない。私はそう信じてる。ねえ、あの子から何か聞いてる?」
「何かって……」
「どうしてあの子がここに引っ越してきたのか知ってる?」
「いえ」
瑠樺は首を振った。
「そう、話してないのね」
その答えに、日奈子は自分と雅緋の距離感を測ったように思えた。
「……すいません」
なぜだろう、少し顔が火照っている。そういえば、クッキーにお酒が入っていると言っていたのを思い出した。
そのせいだろうか。見えない透明な薄い毛布で包まれているようで心地良い。
カチコチと時計の針の小さな音が響いてくる気がする。
「謝る必要なんてないわ。あの子にとってその話は最大の鬼門なのよ。あの子、以前は東京で普通に暮らしてたんだ。あの子の父親が警察官でね。父一人、子一人の家族だったのよ。ところが、あの子が小学4年のある日、通り魔事件で襲われそうになった子供を守ろうとして殉職したの。それで私があの子を引き取ることになったの。でも、それ以来、あの子、全然笑わなくなっちゃって。無理もないわ。父親のこと、大好きだったからね。ところが去年の春、あの子、こっちに引っ越してきて初めて笑ったの。何があったのか訊いてもちゃんとは答えてくれなかったけど、ただ『私は力を手に入れた』って嬉しそうに笑ったの。ところがその日の夜から眠り続けるようになって」
「ずっとですか?」
「時々は目が覚めるのよ。でも、それが続かないの。起きていられるのはほんの数時間、短いときはわずか数分でまた眠っちゃうの。医者に診せても全然原因がわからなくって」
昨年の春、それはつまり呉明沙羅と契約した頃だろう。眠り続ける原因が妖力不足ならば、医者でもわかるはずがない。
日奈子はさらに話を続けた。
「結局、一年くらいはほとんどそんな状態。おかげで高校は留年。やっと今年の春になって普通の生活に戻れるようになったんだ。でも、今でも時々、こんな感じに眠っちゃうんだ。あの子の中で何が起きてるんだかわからないんだけど、あの子はその原因を知ってるように思えるんだけど、私には何も話そうとしない。やっぱ叔母さんじゃダメなのかなぁ。あ、愚痴っちゃってごめんね。急にこんなこと言われても困っちゃうよね」
て学校に行けるようになったの」
「そんなことがあったんですか」
「でも、最近はあの子も少し変わってきたかもしれないわ。少し前になるけど、夜にシャワーを浴びていたら突然慌てたように出てきて、髪も渇かそうともせずに飛び出していったことがあったわ。あの時、あなたの名前を口にしていたかも」
ドキリとした。
それはきっと自分が妖夢に襲われた夜のことだ。つまり雅緋は自分を助けるために急いで駆けつけてくれたということになる。
「あの……こんなこと訊いていいのかわかりませんが、雅緋さんのお母さんは?」
「いないわ」
「いない?」
「知らないって言ったほうがいいのかしら。もちろん雅緋を産んだ母親はどこかにいるんだと思う。でも、あの子が生まれてすぐに兄から……つまりあの子の父親から話を聞かされたんだけど、その時にはもう母親はいなかった。母親が誰なのかを教えてくれなかったの。兄は一人であの子を育て、あの子にも母親のことは何も話さなかったらしいわ。だから今、あの子の母親の手がかりは何もないの」
母の顔を知らない雅緋にとって、父親の死はどれほどの傷になったことだろう。沙羅との契約に全てを賭けたことも頷ける気がする。
自分が父の死を知った時のことを思い出す。
「何を考えてるの?」
「あ、いえ……」
「死んだ人間は帰ってはこないのよ。亡くなった人を想い続けることと、そこに立ち止まることは違うわ。自分が何をすべきなのか、どこへ向かいたいのか、ちゃんと自分を見つめて考えなきゃいけないのよ」
それが雅緋のことを言っているのか、それとも瑠樺に対する言葉なのか判断が出来なかった。そもそもこの目の前の女性は、いったい自分のことをどこまで理解しているのだろう。
ただ、日奈子の言葉が頭の奥に流れてくるような感覚を受けていた。
「あなたは何を知っているんですか?」
「何も。ただ信じているだけよ」
そう言って日奈子はニッコリと笑った。
「信じる? 何をです?」
雅緋の力のことを知ったら、この人はどう思うのだろう。力を使うことで死ぬ可能性だってあると知っても信じていられるのだろうか。
「私の信じるもの全てを。雅緋を、そして、あなたを」
不思議な感覚があった。
まるで日奈子が自分に向かって、自分の生き方を話しているように思えてくる。そんなことがあるはずがないのに。
「私……ですか?」
「そうよ。私はあなたを信じてるの。あなたの体のなかを、心のなかを流れる血を。きっとあなたのお父さんもあなたを信じているはずよ」
「……お父さん?」
「そうよ、感じない? あなたのなかに存在している力」
声がボンヤリと聞こえる。
体が動かない。
視界がボヤける。
魂が肉体を離れていくような奇妙な感覚。
「わかる?」
何が?
「あなたはもう一段、覚醒出来る」
もっと?
「そうよ、あなたはもっと強くなれるのよ」
強く?
(これは……何?)
その時――
壁時計が5時を告げる。
その音にハッとして我にかえる。
いつの間にか眠っていたような感覚がある。
今、何を話していたのだろう。それもハッキリ覚えていない。
「どうしたの? 大丈夫?」
不思議そうな顔をして日奈子が問いかける。
「あ、いえ……」
今のは何だったのだろう? 日奈子と話をしていたはずが、いつの間にか幻覚を見たような気がする。
「大丈夫?」
「は、はい……私、そろそろこれで」
瑠樺は慌てて立ち上がった。
「そお、本当に大丈夫?」
「はい、ありがとございます。あ……これを雅緋さんに渡してもらえますか?」
瑠樺はポケットから取り出した白い封筒を日奈子に差し出した。
「これは?」
「中にお守りが入っています。知り合いに詳しい方が居て、特別に作ってもらいました。ぜひ、枕元に置いてあげてください。きっと元気になれると思います。それと……」
「それと?」
「気のせいかもしれませんが、私、前に日奈子さんに会ったことがあったような気がしてならないんです」
「そう、残念ながらそれはないわ。でも、私をどこか懐かしく感じてもらえたのなら嬉しいわ。もしよかったらまた遊びにきてちょうだいね」




