7-5
矢塚はすぐに庭の中央に一枚の符を貼った。
そして、振り返ると――
「もうすぐここに妖鬼が送られてくるはずだ。じゃボクはこの周囲に結界をはろう。妖鬼を逃がすわけにもいかないし、このことを一条家に知られるわけにもいかないだろうからね。それとね、改めて言っておくけれど、ここは矢塚の敷地ではない。ボクはほとんど戦力にはならないのでそのつもりでいてくれ」
そう言うと矢塚が胸元で印を結び、術を唱え始める。
雅緋のほうを振り返ると、彼女は門柱に体を預け、腕を組んだまま妖鬼を睨んでいる。さっき雅緋自身が言ったように動くつもりはないのだろう。
(私がやるしかない)
瑠樺はさっき矢塚から渡された『乱魔』をその手の中に静かに浮かせた。
不思議なことに、まるで昔から使い慣れたかのような感覚が伝わってくる。
その鉄球の中には符が練り込まれている。その符に妖力を伝えることでその鉄球は瑠樺の意思に従って動く。
(お父さん、私を護って)
乱魔を握りしめる。
父の親友であった六角左内をなんとしても助け出してあげたい。
(命に変えても)
決意を持って大きく息を吸い込む。
その時――
「ねえ、あなた」
ふいに背後に近づいてきた雅緋が瑠樺に声をかけた。「死んで人を護るなんて出来るわけがないわよ」
「え?」
まるで心の中を読まれたかのような驚きで瑠樺は振り返った。
「ウチの娘はとても個性的なんだ。独創的で個性的、正義感が強くて、そして、少しだけ頑固で最後まで諦めようとしない」
何を言い出したのかわからず、瑠樺はあっけに取られて雅緋を見つめた。
「雅緋さん? 何を――」
「そういうふうにあなたのことを話していた人のことを私は知っている。私にはあなたがそういう人には見えないんだけど」
「誰のことを言っているの?」
「決まっているでしょう。あなたのお父さんよ。自分が死んで誰を護る……あなたのお父さんはそんなこと考える人ではなかったはずよ」
「どうして? どうして雅緋さんが父のことを? 会ったことがあるの?」
「そう言っているでしょう。もう時間がないわ。この話はまた今度ね」
「でも――」
「くるわよ」
その言葉にハッとして再び正面を向く。
そこに矢塚が貼った符を中心に術式が浮かび上がる。
そして、次の瞬間――
目の前に現れた存在を見つめ、瑠樺は息を飲んだ。
大柄な鬼の姿がそこにあった。
人間の3倍の大きさの巨大な鬼。
妖鬼の背には数本の矢が突き刺さっている。きっと、これまで何度も追手に攻撃され続けてきたのだろう。
妖鬼を挟んで蓮華と周防の姿が見えた。
符の力を使い、妖鬼を自らこのお堂まで転送させたのだ。
『転送符』
その呪符がなければこの作戦は成り立たなかっただろう。
それは特殊な呪符の一つだ。一定の空間の物質を符によって転送することが出来る。一般の符は術者ならば自分で作ることも出来るが、転送符などの特殊な符を作ることが出来るのは特定の術者でなければならない。今、転送符を作ることが出来るのは一族の中でも斑目だけだろう。
そんな呪符を矢塚が持っていることは驚きだった。
その呪符の存在のおかげで、常世鴉たちに追われている妖鬼をこのお堂へ転送させることが出来たのだ。
これならば一条に知られることなく、妖鬼を捕えることが出来る。
そのための特殊符、『封の符』も矢塚が準備してくれている。
この2つの特殊な呪符を用意すること、それがこの作戦を実行するための雅緋の言った最大の条件だった。
――とはいうものの――
暴れる妖鬼を実際に眼の前にすると、本当に捕えることが出来るのだろうかと不安になる。
(それでも)
今は戦わなければいけない。
周防と蓮華は妖鬼の暴れるのを巧みに躱しながら、妖鬼に攻撃を仕掛けている。だが、妖気の大きさはまるで比べものにはならない。
少しでも早く彼らを助けないと――
そう思う反面、体が反応しない。
その時――
「慌てなくていいわ」
雅緋だった。「あの二人、妖力は小さいけれど、戦い慣れているわ。そう簡単にやられはしない。それよりもあなたはちゃんと目の前のものに注目しなさい」
「はい」
瑠樺は頷いた。
「見える? 妖鬼の動きが。ずっと妖気を見る稽古をつんできたのでしょう。それならばちゃんと見えるはずよ。それはつまりあなたが強くなっているということ。大丈夫。あなたなら出来るわ」
その雅緋の声が瑠樺の心に染み渡る。
一歩一歩、現実を踏みしめるかのように瑠樺はゆっくり妖鬼に向かって進んでいった。
「二人とも、下がって!」
自分でも不思議なほどに自然に声が出た。
蓮華は当然とばかりに身を翻すようにして妖鬼から離れる。わずかに遅れてから周防が一瞬戸惑うような表情をしたが、それでも大きく飛び退いた。
瑠樺の存在に妖鬼が気づく。
まっすぐに妖鬼が瑠樺に向かって歩いてくる。そして、大きく六角棒を振り上げた。
それよりも早く瑠樺の手から乱魔が放たれる。乱魔の中にはいくつもの呪符が組み込まれており、その呪符に瑠樺が妖力を加えることで術式が発動されていく。
乱魔が鬼を弾き、そのまま瑠樺の妖気に操られて手のなかへと戻ってくる。さらに一撃、二撃……その都度、自らの手の中にその衝撃が伝わってくる。
それは非常に不快な感覚だった。
自分のその手で妖鬼を直に殴っているような感触。しかも、その相手が父の友人である六角左内なのだと思うと、その痛みが自らにも返ってくるように思えてくる。
それでも、今はこれを続けなければいけない。
周防にとってはそれを見るのが苦痛なのか、乱魔に妖鬼が弾かれるたびにグッと歯を食いしばっている。
妖鬼が大きく六角棒を振り回す。
その強い妖気から、それが凄まじい威力を持っていることを理解させる。だが、その六角棒の動きがハッキリと瑠樺には読み取れた。
瑠樺の力によって妖鬼の力が削り取られ、徐々にその力が弱まっていく。
やがて――
(押さえ込んだ!)
妖鬼が力を失っていくのがハッキリと感じ取れる。
ここまで妖鬼の力が小さくなれば、あとは矢塚から預かった『封の符』で縛れば人間に戻すことが出来るはずだ。
そう思った瞬間――
妖鬼の中の気が変化した。
さっきまでかなり消えていた妖鬼を包んでいた妖力が再び膨れ上がっていく。




