6-1 妖鬼
6 妖鬼
翌日、瑠樺は再び雅緋と共に矢塚の屋敷を訪ねた。
昨日はあの騒ぎのため、雅緋も書物について矢塚と話をすることが出来なかったからだ。
矢塚は珍しく玄関まで出迎え、二人はすぐに座敷へと通された。
そこにはすでに先客の姿があった。制服姿の蓮華芽衣子だった。
「蓮華先輩、どうして?」
「昨日のことでキミに話がしたいだろうと思ってボクが呼んでおいた」
矢塚の言葉が終わるより早く、芽衣子は瑠樺に向かって畳にこすりつけるほどに頭を下げた。
「お嬢様、昨日は大変申し訳ありませんでした」
「その『お嬢様』って止めてもらえますか? それに頭を上げてもらえますか」
「申し訳ありません。しかし、蓮華の家にとって二宮の家はもっとも重要な主家なのです。何があろうとそれだけは変わりません。それをわかってください」
その蓮華の姿に瑠樺はどうしていいか狼狽えた。
すると雅緋が――
「そんなことを言ってみても今は一条の常世鴉をやっているのでしょ。しかも、攻撃まで仕掛けておいて。それって主家への反逆になるんじゃないの」
その冷たい言葉に、芽衣子は顔を上げて雅緋を睨む。
「私は二宮様を襲ったわけではありません。危険認定されたのはあなたです」
「私があなたに何をしたっていうのよ」
「そんなことは私に関係ありません。私は指示に従うまでです」
「何が指示よ。二宮を捨てて一条の言いなりになってるだけじゃないの」
まるで挑発するかのような雅緋の言葉に蓮華は眉を釣り上げた。
「蓮華家の二宮様への忠誠が変わったわけではありません。今でもお嬢様こそが私にとって絶対の存在です」
芽衣子はそう言ってから再び瑠樺に向かって頭を下げた。
「急にそんなふうに言われても……」
「我が蓮華家は辰巳さまがこの地に帰られた時、二宮に再度仕えなおすと決めていたのです。しかし、辰巳さまに断られました。争いの種になることはするべきではないと。それよりも同じくして春影さまを支えようと仰られました」
「争い?」
芽衣子の言葉の意味が瑠樺にはわからなかった。そして、それに答えたのは矢塚だった。
「辰巳さんは平和主義者だったからねえ。それにどんな時にでも先を読み、あるべき姿を求めようとする」
「意味がわかりませんが」
「今、八神家を束ねているのは一条家だ。だが、大昔、二宮はそれに匹敵する力を持っていたことがある。そして、二宮が昔のように力をつけることになれば、一条にとって二宮は厄介な存在になる可能性があるということだ」
「そんな……私が一条家と争うはずないじゃないですか」
「キミがどう思うかは関係ないさ」
「お嬢様の指示があれば私は動けます」
矢塚の言葉を裏付けるかのように、芽衣子が熱い視線で瑠樺を見つめる。
「だから、その『お嬢様』というのを止めてください。蓮華さんは私の先輩なんですから」
「学校での関係など些細なことです。私は蓮華の家の人間としてお嬢様に従うつもりでいます」
「まあまあ、お互いにいろいろと立場というのがある。今はそのままでいることが良い方法なんじゃないかな。そういえば瑠樺クン、キミは斑目さんに逆らったそうじゃないか」
すでに矢塚は昨夜の斑目とのやり取りを知っているようだ。しかも、まるで面白がっているように見える。
「逆らうなんて……そんな大げさなものじゃありません。ただ、雅緋さんの危険認定が納得出来なかっただけです」
「私のせい? バカね。自分の立場を考えたら? 私のことなど放っておけばいいのよ」
「バカとはなんだ?」
蓮華が顔をあげ、雅緋に向かって言い返す。「お嬢様が一条に狙われることになったらどうするつもりだ?」
「まあまあ、そのことで瑠樺クンが狙われるようなことにはならないだろう。それより昨日のことを教えてくれないか。何があったんだい?」
どうやら矢塚にとってはそれこそが本題だったようだ。
芽衣子はふっと一息ついてから話しだした。
「妖夢が現れました」
その言葉は矢塚にとって予想していたものだったようだ。
「やはりそういうことか。あれだけ一気に鴉たちを引かせたんだ。新手の敵が現れたと見るべきだとは思っていた。場所は?」
「上園の屋敷です。鴉が二人、喰われました」
その言葉に背筋に冷たいものが走る。瑠樺は喜多村が殺された夜のことを思い出していた。
だが、矢塚はそれを当たり前のように受け取った。
「まさか上園の屋敷を狙ってくるとはね」
確かにそれは瑠樺にとっても驚きだった。上園の屋敷とは、一条の屋敷からわずか500メートルほど離れた別宅であり、一条家で仕える者たちの屋敷で、普段、六角周防や茉莉穂乃果もその屋敷に暮らしている。そこには術者たちも多い。
「それで妖夢は?」
「逃げました」
「逃げた? 上園の屋敷で妖夢に対抗出来る力を持った人がいたかな?」
「いえ、そうではありません。実は妖鬼が襲ってきたのです」
「妖鬼? 妖夢じゃないんですか?」
思わず瑠樺が聞き直す。
瑠樺自身、これまで妖鬼を見たことはないが知識としてはいろいろ聞かされている。
『鬼』というと、妖かしの中でも三大妖怪でもある酒呑童子、大嶽丸が有名だが、それ以外にも『鬼』には多くの種類が存在しており、それら全てを『妖鬼』と呼んでいる。
「屋敷を襲ったのは妖夢です。しかし、直後、妖鬼が現れたのです。まるでその妖夢を妖鬼が襲うかのように」
「妖鬼が妖夢を襲う? 珍しい話だ」
矢塚の口調はまるで面白がっているようにも見える。
「はい、私もそんな話、聞いたこともありません。妖鬼にとって妖夢は上位種ですから」
「妖鬼じゃ妖夢には太刀打ち出来ないだろう?」
「ところがその妖鬼、なかなかに戦い慣れたもののようで、むしろ妖夢のほうが逃げました。妖夢といってもここ最近、現れるようになった妖夢の片鱗です」
「妖夢に戦いを挑む妖鬼か。興味深いね。それで一条は?」
「春影さまは妖鬼を追うように指示されました。私たち常世鴉は昨夜からずっと妖鬼を捜し続けております。私もこの後、他の常世鴉たちと合流する予定です」
「妖鬼を? 妖夢を追うのではなくて?」
「妖夢を追おうにも追えません。ただの片鱗では立ち消えるだけですから。それと念のために上園の屋敷の人たちは皆、一条の屋敷に移るよう指示されました」
「一条に?」
矢塚が眉をひそめた。「それじゃ斑目さんや茉莉の家族も?」
「はい、昨夜のうちに」
「だからあんな慌ただしかったんですね」
昨夜の一条の屋敷のことを思い出す。そして、同時に自分が未だに八神家にとって他人のように扱われているのだと気付かされる。
「それは斑目さんも大変だね」
矢塚は何かを思案するような目をした。「九頭龍の術者たちは?」
「それが……先日より九頭竜の術者たちの多くは屋敷を出て各地へ散っています」
「なるほど」
矢塚は大きく頷き、瑠樺のほうへ視線を向けた。「キミも蓮華君について行ってみなさい」
「私ですか?」
「キミだって八神家の一つ二宮の人間だ。今回のこと、ちゃんと自分の目で見ておく必要があるだろう。明日は学校も休みだろう? 心配はしなくて大丈夫だよ。妖鬼の姿を見たらすぐに戻ってくればいい」
「でも――」
「蓮華君、キミも一緒に行ってくれるかな?」
「もちろんです。お嬢様は私が必ず御守りします」
まるで水を得た魚のように、蓮華は目を輝かせた。
「いやいや、そんな危険なことにはならないだろう。それと周防君にも声をかけなさい」
「周防君? なぜです?」
不思議そうな表情で蓮華は矢塚に訊いた。
「彼は今、微妙な立場にいるからね。彼にとっても妖鬼の存在は興味のあるところだろう。ちなみにキミも同行するかい?」
矢塚は雅緋へ目を向けた。
「行くわけないでしょう。それよりもそろそろこっちの話をさせてもらっていいかしら」
「うん、話?」
「惚けないで。昨日、あなたが日を改めて来てくれと言ったのでしょ」
「ああ、そうだったね。それで? 何の用だったかな?」
軽い口調で矢塚が訊く。いかにも雅緋を怒らせようとしているようにも見える。
「あなたが渡してくる資料のことよ」
「ああ、あれね。何か参考になったかい?」
「ならないわよ」
「おや? 八神家の歴史を知りたいのだろう?」
「そうよ。あなたの祖先の書いたつまらない日常なんかじゃないわ」
「気に入らなかったみたいだね」
「もっとマシなものを見せてほしいものだわ」
「ボクも全ての書物を読んだわけじゃあないからね。また何か持っていってみるといいよ」
「わざわざ来るように言っておいてそれが答え?」
「そうだよ。気に入らないかい?」
「当然でしょ」
「しかしねえ。前にも言ったけど、キミが何も話してくれないからどれが必要かはわかりにくくてね」
「少なくても今まで借りたものとは違うわ」
「キミが何を知りたいか教えてくれればもっと協力出来ると思うんだがけどね」
「それは結構よ」
「そりゃあ残念。じゃ、とりあえず今日のぶん、持っていくかい?」
矢塚はそう言って部屋の隅に置いてあった書物を雅緋へ手渡した。
雅緋は無言のまま無造作にカバンに書物を押し込むと、すっくと立ち上がって帰っていった。




