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5-4

 矢塚の屋敷での稽古は相変わらずだった。

 いつものように道場内で線香を見つめ続ける日々だ。

 以前ならば、この稽古方法に疑問を感じていたが、最近では自らの妖力をしっかりと制御出来るようになってきている。

 きっとこの稽古方法の成果といえるのだろう。

 雅緋のほうはといえば、決して順調というわけでもないらしい。毎日、瑠樺を通じて矢塚の蔵にある膨大な書物を借りて読んでいるようだが、望む成果はなかなかあがっていないらしく、どこか不機嫌そうな表情で帰っていく毎日だった。

 だが、今日は珍しく、雅緋本人が矢塚のところに書物を借りに行くことになっていた。

 どこか不機嫌そうにスタスタと足早に歩いていく。

 なぜだろう。

 先日、矢塚の屋敷を訪ねたときもそうだったが、いつもの雅緋とどこか雰囲気が違っているように思える。

 いつも感情が見えない雅緋だが、今日はいつも以上に無機質に感じる。

「いったい何を探しているんですか?」

 瑠樺は雅緋の背中に向かって問いかけた。

「歴史の真実を知りたいだけよ。でも、それに必要な書物を渡してくれないのよ。あんな何の役にも立たないものばかり」

「どういうものを探しているか伝えてみたらどうですか?」

 先日の矢塚との会話を思い出していた。

 矢塚がわざと意味のない書物を渡していると知ったら雅緋はどう思うだろう。

「そうね。でも、それを伝えたからとして、あの墓守が素直に渡すとは限らないわ。きっと今もわざと意味のないものばかりをあなたに預けているのよ」

 既に雅緋は矢塚の行動を把握しているっぽい。だが、それでも矢塚に書物を借りようとするというのは、それだけ大切な何かがあるということなのだろうか。

 雅緋が突然、足を止めた。

「誰か待ち伏せてるみたいね」

「それって……また周防君が?」

「きっと違うわね。あんな単純な気とは違うわ。それにこの術……」

「術?」

 そう言ってからハッと気づいた。この周囲に術がかけられている。張り巡らされている気があまりに薄いため気づかなかったのだ。言ってみれば細い糸が、ただし細かな網となって全体に広げられているようなものだ。

 きっと矢塚の屋敷で稽古を積んでいなければ、たとえ雅緋に指摘されていたとしても気づかなかったことだろう。

「これって――」

 と言いかけた時――

「なら、利用してあげましょう」

 突然、雅緋が走り出した。

 慌てて瑠樺も雅緋を追う。道をはずれ、足場の悪い道なき道を巧みに走っていく。それを追うようにいくつもの気が近づいてくる。

 林を抜け、元の道に戻った途端、二人の行方を遮るようにして何人もの追手が現れた。

 二人は足を止めた。

「誰かしら?」

 雅緋が冷静に声をかける。

 黒い忍び装束に白い仮面。一条家に仕える『常世鴉』だ。

「一条の常世鴉? どうしてあなたたちが?」

「二宮さま、離れていてください」

 常世鴉の一人が瑠樺に向かって言う。その声に聞き覚えがあった。以前、猫仮面が現れた時、瑠樺を助けようとした常世鴉のものだ。だが、今はそんなことを話している場合ではない。

「何をするつもり?」

「その方を排除いたします」

 その言葉にゾクリと背筋が寒くなる。

「排除? いったいどうして?」

「春影さまのご指示です」

「そんな――」

「何をやってるんだい?」

 振り返るとそこにいつの間に現れたのか矢塚冬陽の姿があった。その姿に常世鴉たちの間に動揺が広がる。

「矢塚さま、あなたには関わりのないこと」

 常世鴉たちの一人が答える。

「関係がない? バカなことを言うもんじゃないよ。キミたちはここがどこだと思っているんだい?」

 いつものように口調は柔らかいが、その背後にピリリと感じる鋭さがある。

「それは――」

 そう言ってからハッとしたように周囲を見回す。「バカな……いつの間に」

「そうだよ。矢塚の地にて無断で暴れてただで済むと思っているのかい? ま、若いうちは暴発することもある。そう気にすることもない」

 その矢塚の言葉を聞いて、瑠樺はどういうことかを悟った。この土地全体にかけられた術。それは矢塚冬陽の術だ。その術にかかり、常世鴉たちは自らの居場所を錯覚し、矢塚の土地に足を踏み入れたのだ。

 さっき感じた術の気配は矢塚のものだったのだ。

「矢塚の地? ここが?」

 雅緋が小さくつぶやく。

「ええ、この山全て矢塚の敷地なんです」

「そう……そういうこと」

 納得したように雅緋が頷く。「やはり思ったとおり、なかなかの策士なわけね」

 常世鴉の一人が進み出た。

「矢塚さま、我々は一条の指示で動いております。引くことは出来ません。どうか目をつぶっていてください」

「それはキミたちの理屈だ。ボクだって引くことは出来ないよ。キミたちはこの土地に無断に足を踏み入れ、争いを起こそうとしているんだからね。それを矢塚の当主として見過ごすことは出来ない。素直に帰ってくれないかな」

 無言のまま常世鴉たちが身構える。

 だが――

「そうかい」

 そう答えた次の瞬間、空気が衝撃で震え、たちまち常世鴉たちが吹き飛ばされる。その姿を目にして、瑠樺は気づいた。

 すでに矢塚の妖気が細く堅牢な糸となり、常世鴉たちの周りに張り巡らされている。

「キミたち、知っているだろう? この土地のなかではボクに勝てるものなどいない」

 それは決して誇張されたものではない。

 矢塚の土地のなかには亡くなった八神家の者たちが眠っている。矢塚の一族にはその先霊たちが力を貸し与え、その土地のなかで矢塚の一族に叶う者など存在しない。

 瑠樺もそう聞いていた。

「矢塚さま、一条に弓引くおつもりですか?」

「まさか、そんな恐ろしいこと考えもしないよ。だがね、ボクにとっても八神家の一つ矢塚の当主としての立場というものがある。ボクの客人にこの地で手を出すなど許されるものではないよ」

 言葉が終わらぬうちに次の衝撃が空気を震わし、常世鴉たちが再び吹き飛ばされる。

 とても常世鴉たちに勝ち目などなかった。

「退け!」

 その声に、たちまち常世鴉たちの姿が次々と煙のように立ち消えていく。

「逃げるにしても、少しは痛い目にあってもらわないとね」

 矢塚の力がさらに強くなる。網のように張られた矢塚の妖力が全域に現れ、そこから常世鴉たちにむけて強い気が発せられる。

 瑠樺は思わずその光から逃れるように背後に飛び退いた。

 それはまるで閃光だった。

 気づくと、すでに常世鴉たちも矢塚の姿も消え去っていた。

 気持ちを落ち着けてからふと周囲を見回すと、背後ではいつの間に動いたのか、雅緋が常世鴉の一人を後ろ手に捕まえている。

「どうしたの?」

「ちょっと興味があったのよ。やけに一人だけあなたに対して躊躇した気を放っているものだから」

 そう言いながら、雅緋がその常世鴉の面を取る。

「あなたは――」

 その顔に瑠樺には見覚えがあった。「蓮華……先輩?」

 いつもの銀縁眼鏡はかけていないが、その顔は間違いなく一学年上の先輩、蓮華芽衣子のものだ。

「知り合いなの?」

「ええ、まあ……一つ上の先輩です」

「先輩? そう言われてみれば……」

 雅緋は蓮華の顔をマジマジと見つめた。「前に見たことがあるかも。あなた、誰なの? 会ったことある?」

「去年、同じクラスだったわ。あなたは3日しか来なかったけど」

 不愉快そうに蓮華が答える。

「まさか蓮華先輩が一条の常世鴉だったなんて」

「蓮華と言ったわね。あなた、どうして常世鴉なの? 鴉は斑目に仕えているのでしょ?蓮華といえば二宮に仕える家柄なんじゃないの?」

「え? それってどういう意味ですか?」

 雅緋の言葉の意味が瑠樺には理解出来なかった。

「あら、瑠樺さんは知らなかったのね。あなたも二宮の家の者ならちゃんと自分がどのような立場なのか知りなさい。今度、矢塚の歴史書を読ませてもらいなさい。きっとまともなものならその程度のことは書いてあるかもしれないわよ」

 そう言ってから、雅緋は再び蓮華へ視線を向けた。

「ねえ、昔から二宮に仕える者の忠誠心は相当のものだと思っていたけど。そうでもなかったみたいね。主家を裏切って一条についたなんて」

「違う。私は今でも二宮に仕えているつもりだ」

 視線を反らしながら蓮華は答えた。

「そう虐めてはかわいそうだろう。どんなに二宮に仕えているといっても、今の一条はそのさらに上の存在だからね」

 いつの間にか戻って来たのか、木陰から現れた矢塚が声をかける。

 既に周囲に常世鴉たちの姿はまったく見当たらない。皆、矢塚の力に抗うことが出来ず、逃げ去ったようだ。

「矢塚さん、あなたってずいぶん強いのね」

 蓮華の体を抑えたまま、雅緋は矢塚に向かって言った。

「キミこそ」

「私はあなたの策にのってあげただけよ」

「おや、何の事だい?」

 ニヤニヤと矢塚が笑みを浮かべる。

「恍けるつもり? 鴉たちが自分たちの居場所を錯覚するように術を仕込んだでしょ」

「それに気づいて咄嗟に利用するなんて、キミはすごいね」

 矢塚はポケットからタバコを取り出して咥えた。

「からかわれるのは好きじゃないのだけれど」

「そりゃ失礼。でも、からかっているつもりはないよ。キミのことは本当にすごいと思っているんだよ。ところでその子をどうするんだい?」

 その言葉に再び視線を蓮華へと向ける。

「雅緋さん、蓮華さんを放してあげてください」

 瑠樺の言葉に、雅緋は素直に蓮華の腕を放した。

「……お嬢様」

 芽衣子は申し訳なさそうにうなだれ、瑠樺に向かって膝をついた。

「蓮華さん、教えてください。どうして雅緋さんを?」

「春影さまはその人を危険認定されました」

「春影さまが? そんな……ありえない。春影さまは、雅緋さんのことは私に任せると言ってくれました」

 そう、ありえない。一条春影、それは父が命をかけて守ろうとした存在なのだ。

「春影さまは以前とはお変わりになられました。以前のように我々下々の者の言葉に耳を貸すこともなくなりました」

「だが、キミたち鴉たちに直接指示を下せるのは斑目さんだったろう」

「はい、今回のことは斑目さんの指示ですが、もちろんそれは春影さまの意思があってこそだと」

 突然、芽衣子の目の前に青白い小さな炎が現れた。

 それが何なのかは瑠樺も知っている。斑目からの伝令だ。斑目が常世鴉や一条に仕える者たちに伝令を伝える時、相手にそのための特殊符を持たせており、その符に念を伝えてくる。

 瑠樺もその符は持っている。だが、瑠樺の符に斑目から伝令があったことはない。

 この炎は斑目から芽衣子への伝令を伝えるものだ。

 その炎がふと消える。

「どうしたの?」

「い……いえ。失礼します」

 そう言って芽衣子は走り去っていった。

「何かあったみたいね」

 雅緋は走り去る芽衣子の背中を見つめて呟いた。


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