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4-2

 雅緋と別れて矢塚の屋敷へと向かう。

 相変わらず矢塚は大広間の縁側にゴロリと寝転んでいた。

「これ、お返しします」

 瑠樺はカバンのなかから、雅緋から預かってきた書物を矢塚に渡した。

「いつもご苦労さまだね」

 上半身を起こして矢塚が書物を受け取る。

「また新しいものを持ってきてくれって」

「帰る時まで用意しておくよ」

 そう言いながら矢塚はあぐらをかいて無造作に書物を脇へと置いた。

「私も読んだほうがいいんでしょうか?」

「うん? どうしたんだい?」

「私も少しは八神家のことを勉強しなきゃいけないかと」

「コレでかい? 瑠樺君はこれを読んでみようとしたことは?」

「ええ、前に一度、でもほとんど読めなくて」

「古い書物だからね。このあたりは鎌倉時代に書かれたものだ」

「ずいぶん古いものなんですね」

「古いというだけでどれほどの価値があるかはわからないけどね。これに何が書かれていると思う?」

 矢塚は脇に置かれた書物を一冊手に取った。

「さあ、古い儀式とか。何かの術式とか? それとも妖かしについて?」

 それを聞いて、矢塚は笑って首を振った。

「いいや、実はそんな小難しいものじゃないんだよ。例えばこれはね、我が祖先、矢塚雨月斎の日記なんだ。日記とは言っても、ほとんど自分が食べた食事の中身なんだよ。なかなかの食通だったらしく、自分でも料理を研究してたみたいだよ」

「料理? じゃあこの中身は――」

「そういうこと。実は雅緋君が読んでいるものは他のものもこれと大差ないものばかりなんだよ」

 そう言って矢塚はもう一度大きく笑った。

「でも、それって雅緋さんが知りたがってるものなんですか?」

「違うかもしれないね」

「それじゃ――」

「でも、彼女は自分から具体的に何の記録が見たいとは言っていない。可能性は限りなく低いだろうけど、こうものだって彼女の知りたい一つかもしれない」

 その言葉を矢塚本人が決して信じていないことは明らかだ。

「矢塚さんは雅緋さんが何を知りたがっているのか知っているんですか?」

「どうだろうねぇ」

 まるで誤魔化すかのように笑って頭をかく。「ところでキミはなぜ彼女と知り合いに?」

「知り合いに……というか、クラスメイトですから」

「でも、彼女はああいう人だ。決して付き合いが良いほうじゃないだろう。彼女と会話するようになるにはそれなりにきっかけがあったんじゃないのかい?」

「それは……こんなこと言うと笑われるかもしれませんが……」

「なんだい?」

「夢を見たんです。雅緋さんの夢。入学して間もない頃だったし、彼女のことはほとんど知らなかったのに。でも、それが気になって注意していたら、彼女に妖力を感じたんです。だから声をかけました」

「夢……か」

 一瞬、その瞳から笑みが消えた。

「変ですよね。そんな夢を見なかったら話すことなどなかったかもしれません」

「夢を見ることは必然だったのかもしれないよ。いや、この場合は必然なんてものじゃないかも」

「どういう意味です?」

「妖かしの中には『騙し神』と呼ばれる他人の夢に入り込む者もいるということさ」

「夢のなかに?」

「もしキミの見た夢が人為的なものだったとしたら、そして、雅緋君と関わるように誰かに仕向けられていたら……いや、考え過ぎかもしれないけどね。ところでキミは八神家のことを知りたいのかい?」

「え?」

「さっき言っていたろ。八神家のことを勉強したいと」

「はい、私が一条家に仕えるようになって一年です。でも、私は八神家について何も知りません。このままでいいのかと少し不安になります」

 それは正直な気持ちだった。

「斑目さんは? あの人が一条家でのキミの世話係だったろ?」

「以前、お願いしたことがあります。でも、いずれ自然に知る機会がくるといって教えてくれませんでした。私がまだまだ未熟であることはわかっているつもりです。でも、このまま何も知らないままでいいのかわからなくなります」

「キミは真面目だねぇ。やはり辰巳さんに似ているよ」

 そう言った後、矢塚は急に真顔になって――「そもそもキミはなぜ一条家に仕えようと思ったんだい?」

 その問いかけに瑠樺は一瞬、沈黙した。そして、数秒、頭のなかで言葉を整理してから答えた。

「父の意思を継ぎたいと考えたからです」

「辰巳さんの意思か……辰巳さんはキミにそうしてくれと望んでいたのかい?」

「いえ、そういうわけじゃないです。父はここに引っ越してくるのも、最初は一人だけで来るつもりでした」

「それならキミが一条に仕えることは辰巳さんの意思ってことになるのかい?」

「……」

 瑠樺は答えられなかった。

「そもそもキミは一条家がどういう存在だと思っているんだい?」

「それは……八神家の筆頭で……」

 いや、矢塚が訊いているのはそんなことではない。

「キミは最近、一条家に行ったかい?」

「いえ」

「なら、今度行ったらちゃんと見てみると良い。今のキミなら、その力に違いがあることに気がつくはずだよ。キミやボクの持つ妖力と彼らが持つ霊力とは違うものだってことがね。そこにどんな違いがあるかわかるかい?」

「……いえ」

「彼ら、陰陽師は霊能力者であり、人間だ。そして、ボクたち一族は人間であり妖かしだ。彼ら『陰陽師』にとって、ボクたち『妖かし』は式神となんら変わりのない存在なんだよ。キミは二宮の血をひいている。その血のなかには妖かしの血が混じっている。しかし、ここに来なければ、辰巳さんから八神家のことを聞かされなければ、キミは普通の人間として生きることが出来ただろう。八神家なんて言っているが、人間のように生きてはいるが、ボクたちは基本、妖かしなんだよ。それを覚悟しなければいけないんだ。大切なのはキミの覚悟なんだ。キミは覚醒して強くなった。けれどね、本当はその覚醒は自分自身の覚悟によって成らなければいけないものなんだよ」

 矢塚の言葉がズシリと胸に重く響く。

「八神家の人間として生きていくための覚悟が足りないということですか?」

「少し違うね。八神家の者として生きる覚悟、そして、生きない覚悟だ。辰巳さんは、かつて八神家を離れるという覚悟をした。その後、再び八神家に戻るという覚悟を決めた。それはどちらも決して間違ったことじゃない。正しいとか間違っているとか、それは第三者が決めることじゃないからね。今、キミに必要なのはどう生きるかを自分で決めるということだ。覚悟を決めることだ。キミがどちらの覚悟をしても、ボクたちはその手助けをする用意があるよ。それにね、キミは今、ちゃんと八神家のなかで働くための準備は進んでいる。今、キミがやらなければいけないのは、ちゃんと今の稽古を続けることだよ」

「あれで強くなれるんですか?」

「信じられないかい?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

 信じていないわけではない。現に妖気を感じる力は強くなっている。だが、それと瑠樺の思う強さが連動しているのかどうかがわからないのだ。

「瑠樺君、キミ、運動神経は良いほうだったかい?」

「えっと……以前はあまり」

 子供の頃からあまりスポーツが得意とは言えなかった。足も人より遅かったし、運動部にも所属をしたことはなかった。

「でも、今のキミは普通の人間とは比較出来ないほどの運動能力があるはずだ。それは覚醒したからだろ?」

「そう……ですね」

 確かにあの夜を境に、妖力を制御することで普通の人間ではありえないほどの運動力を持つようになった。

「つまりね、自分がどういう立場の存在かをキミ自身が知ることになったからだよ。たとえば人間がどう稽古をつんでも羽が生えて空を飛ぶことは出来ない。どんなに練習しようと獣なみに早く走ることは出来ない。大切なのは血なんだよ。自らの存在が何なのかを知ることなんだよ。我々は八神家だ。その存在を知ることが、何よりも大切なことなんだ。今、キミがやっている稽古というのはそういうものなんだよ」


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