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月下奇譚  作者: 土斑猫
一夜の話
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一夜の話・漆

 「……まだ、やるのかい?」



 ユラリユラリと揺れる、異形の影。それを背に負った弥生(やよい)が、鬼気迫る表情で叉夜(さや)を見る。その手に持たれた短刀が、月の光を反して冷たく光った。



 「……しようがないんだよ」



 昏く沈む声で、弥生は言う。



 「()がないと、皐月は皐月でなくなっちゃう。皐月が皐月でいるためには、()が必要なの……」

 「それが、人の血肉という訳かい?」



 溜息を一つつくと、叉夜は言った。



 「一つ、私の見地を聞いてもらいたいのだが?」

 「……見地?」



 急な言葉に、キョトンとする弥生。構わずに、叉夜は続ける。



 「『樹木子(じゅぼっこ)』と言うモノを、知っているかね?」

 「じゅぼっこ……?」



 その言葉に、首を傾げる弥生。答えなど期待していないのだろう。叉夜は淡々と話す。まるで、医師が患者に病状を説明する様に。



 「『樹木子(じゅぼっこ)』。君の大事な妹さんの半身だよ。古戦場などに生えた老木が、死体から流れた血や腐汁を啜るうちに生ずる。凶暴で貪欲。人を食う妖物だ。君は術を行う際、足りない人骨を補うために木枝(きえだ)を使った。それが、樹木子(そいつ)の一部だったんだろう」



 言いながら、叉夜は周囲の森を見回す。



 「そもそも、この山林自体が樹木子の作った隠里世(かくりよ)だ。言ったね。『ここは、命を無駄に使う人間の前にだけ、開く様にしてある』と。恐らくは、妹さんの仕業だろうが、それとても妹さんの意思じゃない」

 「………」


 沈黙する弥生。背後の異形も、まるで話の続きを求める様に動かない。



 「分かるかな?」



 故に、叉夜は続ける。この地を満たす、怪異の真理を。



 「分かるだろう?人の命を求めているのは、妹さんではない。その身に宿る、樹木子(じゅぼっこ)の方だ。妹さんが苦痛を訴えるのは、樹木子(そいつ)が飢えを訴えるから。妹さん本人が欲しがってる訳ではない。」

 「だ、だから何よ!!」



 ようやく、弥生が口を開いた。何かを振り払う様に、叉夜に向かって食ってかかる。



 「中身がどうだとか、何が求めているかなんて、関係ない!!皐月なの!!苦しむのは、皐月なの!!痛いって!!苦しいって!!それを止めてあげなきゃ治してあげなきゃ!!それとも何!?この子に、一生苦しんでろって言いたいの!?」

 「……望んでるかね?」

 「……え?」



 弥生の激情を、叉夜の冷めた声があっさりといなす。



 「どういう……事……?」



 戸惑う弥生を、冷えた視線が射抜く。



 「妹さんの本意さね。君の妹さんは、望んでいるのかい。今の様な在り方を」



 そう言って、叉夜は弥生の向こうの彼女を見る。その視線が、彼女のものとかち合った。


 悲痛な、眼差しだった。血への渇望に喘ぎながら、心の痛みに苦しむ眼差しだった。



 「……ふむ」



 それを見た叉夜が、ローブの裾を揺らした。黒衣の中からスルリと出てくる細い手。そこには、ひと振りのメスが握られていた。先刻、皐月の身体から骨片を抜き出したのも、これだろうか。その刃は、紅い液に濡れている。


 強張る、弥生の顔。



 「……何、する気……?」

 「その子の中から、核となる骨片を全て摘出する」

 「な……!!」



 絶句する弥生の前で、叉夜が取り出した脱脂綿でメスを拭う。強いアルコールの匂いが、夜風に漂った。


 弥生が、悲鳴の様な声で叫ぶ。



 「やめて!!そんな事されたら、皐月が死んじゃう!!」

 「その子が、それを望んでいる」



 その言葉に、弥生の身体がビクリと震えた。



 「分かっているのだろう。その子の心は、今の在り方を望んではいない。むしろ、苦痛に思っている。本能に従えば、心が痛み、心に従えば身体が病む。文字通りの無間地獄だ。それから開放してやる事こそ、その子のためだと思うが……」



 ドンッ



 紡がれる言葉が、不意に途切れた。


 朱い瞳が、淡々と己の足元を見つめる。その視線を、見上げる琥珀の瞳が受け止めた。狂気と怒りと、憎悪の入り混じった瞳。



 「………」

 「………」



 朱色に凍った視線と、凶色(まがいろ)に染まった視線が、無言で絡み合う。


 ――叉夜の胸に飛び込んだ弥生。白い手に握られた短刀が、叉夜の鳩尾に深々と突き刺さっていた。



 グルンッ



 弥生は握った短刀の柄に渾身の力を込めると、それを突き立てた叉夜の身体ごと振り回して背後の壁に叩きつけた。



 「許さない……。そんな事、絶対に許さない……」



 そのまま、壁と自分の身体で挟み込む様にして、刺した刃をさらに深く押し込んでいく。深く、深く、ギリギリと。



 「皐月は、あたしのもの……。あたしだけのもの……」



 短刀が、埋まっていく。



 「奪う奴は、許さない……」



 どこまでも。どこまでも。



 「……許さない……許さない!!」



 根元まで、叉夜の中に埋まった刃。それを、グリリと抉る。叉夜の中の何かが、ミチミチと湿った音を立てる。



 「渡さない!!離さない!!ずっと……ずっと二人だけで生きてくの!!あたしが皐月を守って、皐月があたしを救ってくれて……!!これからも、そう!!ずっと、ずっと!!そうあり続ける!!だから、だから、そんな事を言う奴は……」



 狂気の言葉を吐き散らしながら、しなだれかかる様にその身を叉夜の身体に預ける。



 ズブン



 少女一人分の重みをかけられた刃が、一気に根元まで沈んだ。



 「殺してやる……そんな奴は、母親(あいつ)みたいに……皆、皆……」



 捻る。捻くる。叉夜の細身が、ガクガクと揺れる。



 「神様だって、殺してやる!!」



 最後に抉り取る様に、大きくグリッと引き抜いた。



 ズポンッ



 鈍い手応え。音。



 「はぁ……はぁ……」



 荒い息をつきながら、手元の刃を見る。綺麗(・・)に研かれた刀身に、半ば正気を失いかけた自分の顔が映った。


 そして、本気で正気を失いかけた。


 ――何も、ついてなかった。


 突き刺した筈なのに。あんなに深く。

 掻き回した筈なのに。あんなに激しく。

 抉った筈なのに。あんなに力任せに。


 なのに。


 一滴の血さえも。

 一片の肉片さえも。

 何も、ついていなかった。



 「ふむ……」



 頭の上から、声が響いた。


 苦痛の呻きでも。苦悶の慟哭でもなく。


 何でもない調子の声が。



 「………」



 弥生は泣き出しそうな、それでいて笑い出しそうな顔で、上を見る。


 その視線の先で、叉夜が笑んでいた。

 とても楽しそうに。そして、愉快そうに。


 そして、こう言った。



 「神を、否定するのか?」



 嬉しそうに。本当に嬉しそうに、そう言った。

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