終夜の話・伍
それからまた、しばらく歩いた。
何処までも続く、薄暗い通路。
(いつまで続くんだろう……?)
先の森の中から歩きっぱなしなのだ。流石にうんざりしてきたその時、
サッ
「うわ!!」
「きゃっ!?」
突然差し込んできた光に、あたし達は驚きの声を上げた。
「大丈夫でございますか?」
そんなハヅキの声に、光に滲む視界を開ける。
すると、そこに広がっていたのは……
「うわぁ……」
隣りのシェミーが、感嘆の声を上げる。
昏い通路は、そこで終わりを告げていた。代わりに広がったのは、思いもよらぬもの。
空に浮かぶ、大きく青い月。それが煌々と降らす光の中に、広い庭園が広がっていた。
青いバラに、蛍光に輝くホタルブクロ。見た事もない、色彩の花々が至る所で咲き乱れ、夜目にも鮮やかな木々が揺れている。咲き誇る花々の間を飛び交うのは、虹色の燐を散らすハチドリだ。
足に感じる芝生は柔らかく、極上の絨毯の様な感触を返してくる。
吹き渡る風は、甘い花と爽やかな緑の香を含み、澱んだ肺の腑を洗い流していく。
もし、この世に楽園と言うものがあるのなら、こここそがそうなのかも知れない。
あたしがそんな事を考えていると、
♪~♪♪~♪~♪~♪♪♪~
何処からか、綺麗な音が聞こえてきた。
それは、歌の様であり。
知らない楽器の音色の様にも聞こえた。
何処から聞こえているのだろう。
周りを見回すと、庭園の中心にある大きな噴水が目に入った。そこに、あたし達の視線を止めるものが二つ。
一つは、その噴水の縁に。一人の女の子が腰掛け、そして歌っていた。
夜風に揺れる、綺麗な金の髪。白い衣装を纏ったその姿は、とても清麗。まるで、美しい天使を見ている様だった。
もう一つは、そんな彼女の前に。一人の女の子がクルクルと回り、踊っていた。
薄闇に舞う、艶やかな漆黒の髪。黒い衣装を纏ったその姿は、とても妖艶。まるで、艶かしい悪魔を見ている様だった。
青白い月光と、仄暗い夜闇。その中で演じられる、華麗な歌と踊りの共演。あたし達はしばし、疲れを忘れて見入っていた。
と、白い女の子がふと歌うのを止めた。つられて、黒い女の子も踊るのを止める。二人の視線が、そろってこっちを向く。どうやら、あたし達に気づいたらしい。
「空木唱未さまと華梨鳴魅鴉さまです。ご挨拶しますか?」
ハヅキが、あたし達に向かって問う。
「え?え~と……」
「どうする?」
「どうしましょう……?」
戸惑うあたし達。
その間に、彼女達の方が近づいてきてしまった。
「葉月じゃあん。外に出るなんてぇ、珍しいわねぇ」
妙に鼻にかかった甘い声で話しかけて来たのは、黒衣の踊り子の方。ミアと呼ばれていただろうか。
「御機嫌よう。魅鴉さま。唱未さま」
例の如く、スカートの両端を持って優雅に挨拶するハヅキ。
すると、それに倣う様にミアとトナミも自分達のスカートを持つ。
「はいはぁい。ご機嫌よぅ」
そう言って挨拶を返すミア。対して、トナミは何も言わず、笑顔で会釈だけを返してくる。
見た目に合わず、無口なタチなのだろうか。怪訝そうな顔をしているあたしに気づいたのか、ハヅキが説明する。
「申し訳ありません。唱未さまは”言霊使い”でございまして、みだりににお話しになられる事が出来ないのです」
コトダマツカイ?
何の事だか分からない。頭を捻っているとミアが笑いながら言った。
「簡単に言うとねぇ、唱未が話した事はぁ、ぜぇんぶ本当になっちゃうのよぉ。ペラペラ喋ったらぁ、それこそ世の中無茶苦茶になっちゃうわぁ。だからこの娘ぉ、滅多な事じゃあ、しゃべらないのよぉ」
はぁ?
思わず、目が点になった。
話した事が本当になる?信じられない。もし、本当だとしたら、それは正しく……
「おっとぉ!!」
「んぐ!?」
呟きかけた口が、ミアの指で塞がれた。
「ここではぁ、その例えはぁ、禁句よぉ。特にぃ、”あの娘”のぉ前ではねぇ」
そんな言葉と共にミアが指した先には、サヤがいる。
彼女は何処か不機嫌そうな顔でこっちをみていたけれど、あたしの視線に気づくとプイとそっぽを向いた。
「あんたもぉ、これからぁ、あの娘に仕えるならぁ、気をつけなさいなぁ」
ケラケラと笑いながら、ミアという少女はそう言った。
と、笑っていたミアが急に黙った。
どうしたのかと思っていると、しげしげとあたしの顔を覗き込んで来た。
そして、一言。
「可愛いわね」
……は?
見れば、ミアが舌舐りでもしそうな顔であたしを見ている。
獲物の兎を睨む、毒蛇の様な目。
何だか、冗談抜きで怖気が走る。
「好みかも」
「ひゃ!?」
いきなり、ほっぺを舐められた。
ついでに、胸を揉まれた。
「あははぁ、やっぱりぃ!!おっいしぃい!!」
楽しそうな嬌声を上げながら、あたしの胸を揉みしだくミア。
「うぅん!!こっちもぉ、ジャストサイズゥ!!」
「ちょ、ちょっと……やめて……あん!!やめてってば!!」
自分の声に艶が混じり始めたのに気づいて、あたしは真っ赤になってミアを突き飛ばそうとした。けれど、彼女はそれをスルリと交わすとますますあたしに絡み付いてくる。
「キャハハァ。そんな邪険にしないでよぉ。別にぃ、初めてって訳じゃあないんでしょう?」
「な、何言って……あっ……!!」
「分かるのよぉ。香りでねぇ」
「魅鴉さま。その方は叉夜さまのものです。お戯れはお止めください」
流石に見かねたのか、ハヅキが止めようとするけれど、ミアに止める様子はない。
「ねぇ。叉夜ぁ、この娘、一晩貸してよぉ。ちょっと味見したらぁ、返すからぁ」
しまいには、ぬけぬけとそんな事を言い始める。
その言葉に、サヤが顔をこっちに向けた。
ああ、サヤお願い!!この女は文字通りの淫蛇です!!あたしはあなたの所有物でしょう!!なら、助けて!!得意の変な術で止めて!!
けれど、現実は非情だった。
あろう事か、かの魔女はその顔に薄笑いを浮かべて言ったのだ。
「ああ、好きにしたらいいさね」
ピシ
固まるあたし。そんなあたしに、ミアが毒蛇の様に絡まってくる。
「ほうらぁ、お許しが出たぁ。さあ、褥に行きましょう。それともぉ、外のがお好きぃ?」
そんな事をのたまいながら、あたしの服を脱がしにかかるミア。冗談じゃない。いくらとっくに散らした華とは言え、こんな所で枯れた雑草みたいに引っこ抜かれたくない。
抵抗するあたし。けれど、ミアの力は強い。なし崩し的に組み敷かれていく。
「あはは、いいわよぅ。どぉんどん、抵抗してぇ。そういうシチュエーション、大好きだからぁ」
ああ、もう駄目だ。こんな所で、こんな人の面被った獣に辱められてしまうのか。
あたしが、切ない絶望とともに諦めようとしたその時――
「もっとも、その娘の了承を得られればの話だがね」
サヤが言った。途端――
ガクン
急に、ミアの身体が傾いだ。
「ん?」
「え?」
あたしとミアが、揃って横を見る。
泣きそうな顔をしたシェミーが、ミアの腕にしがみついていた。
「やめて!!」
彼女が言う。叫ぶ様に。
「こんな形で、セシルを汚さないで!!」
そして、渾身の力を込めてミアの腕を引く。
「おっとぉ」
そんな声を上げながらも、今度はミアの身体は動かない。
「何ぃ?この娘ぉ」
ミアが訊いてくる。
「そ、それは……」
口ごもるあたしを見るミア。一拍の間をおいて、その顔が破顔した。楽しそうに。本当に楽しそうに笑んだ。
「ああ、な~るぅ!!先約がいた訳だぁ!!」
「え?あ、いや、シェミーは……!!」
動揺するあたしの様に確信したのか、ますます楽しそうに笑うミア。もう、普通の笑顔じゃない。文字通り、悪魔の微笑みだ。
「よきかな。よきかなぁ。なるほどぉ。あんた達もぉ、同好の士って訳ねぇ」
そんな事を言いながら、ミアはシェミーの顎を掴んでクイッと上げる。
「あらぁ。あんたもぉ、結構いいじゃなぁい。いいわよぅ。三人でぇ、楽しみましょうかぁ?」
「!!」
「ちょっと!!シェミーには手出さないで!!」
いくらあたしが叫んでも、のれんに腕押しだった。
「……あいつ、ちょっと調子乗り過ぎじゃないかね」
アビーが剣呑な顔で、腕まくりをする。
「だね。ちょっとほっとけないね」
カリーナがそれに倣う様に、ダンと足を鳴らした。
「話し合いで……と言う訳にはいかないわね」
ベティーナも、彼女にはそぐわない低い声で言う。
「無理やりは、趣味じゃないんだよねぇ……」
シンディは全くもって遺憾と言う顔で、舌打ちをした。
「皆様、お待ちください」
セシル達の所に向かおうとする、ベティーナ達。それを遮る様に、葉月が間に入る。
「ちょっと。どいてくれない?」
「あの娘らは、あちし達の妹みたいなもんなんだよ」
「傷もんにされるのを、黙って見てる訳にはいかないのさ」
口々に言って、葉月に迫る面々。そこに、別な声が割って入る。
「やめておきなよ」
皆が振り返る。
煌夜だった。
「あんなのでも、荒事に関しては一級品だ。君らが束になった所で、話にもならない」
「だから何さ!?」
「そういう問題じゃないのよ」
「そう。そういう問題じゃない」
煌夜の放った言葉に、皆がキョトンとする。
その時、
「魅鴉。止まれ」
誰のものか分からない、凛とした声が響いた。
途端――
「うぎっ!?」
好き勝手やっていた魅鴉が、変な声を上げた。
見ると、セシル達に絡みついていた筈の魅鴉が、珍妙な格好で固まっている。
「ちょ……何すんのよ……唱未……」
その言葉に、皆が一斉に唱未を見る。
注目の中、唱未は黙ったまま両手をパタパタと動かす。
「え?」
「なになに?」
「手話でございます」
戸惑う皆に、葉月が説明する。
「唱未さまはその能力故、みだりに言葉を発せません。故に、普段は手話や筆談によって会話を行っております」
唱未は頷いて、手を動かし続ける。
「ちなみに、今は『ごめんなさい。ちょっと、悪ふざけが過ぎてしまって』と申しております」
「は……はぁ……」
「さいですか……」
話について行きかねる皆。そこに、苦しげな声が怨嗟の様に響く。
「と……唱未ぃ……せっかくぅ、いいとこ……だったのに……ぃ……邪魔……しないでよぉ……」
パタパタパタ
動く手。
「『やかましい』、と申しております」
通訳する葉月。そして、
『魅鴉、吹っ飛べ』
唱未が、冷酷に言った。
「げ」
引きつる魅鴉の顔。途端――
バヒューン
「うきゃあぁああああああああああ――――っ!!」
猛烈な勢いで吹っ飛ぶ、魅鴉の身体。そのまま噴水の縁にぶち当たり、跳ね上がって水の中へと落下した。
ドッパーン
高々と上がる水柱。その様を、セシル達は呆然と見つめた。
続く