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月下奇譚  作者: 土斑猫
一夜の話
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一夜の話・伍

 静かだった夜空に、奇妙な音が鳴り響いた。


 白い粉塵が上がり、澄んだ夜気を汚す。それに混じる、獣の如き呻き声。夜天に浮かぶ月が、怯える様にユラリと揺れた。



 ジュウルルル……



 弾け飛んだ小屋の壁。舞い散る破片を零しながら、巨大な影がその身を起こす。外壁を引き裂き、地面に突き刺さった八本の樹脚。その中に文字通り、篭の中の鳥になった叉夜(さや)の姿があった。その篭の口を塞ぐ様に覗き込んでくるのは、皐月(さつき)と呼ばれていた少女の顔。


 叉夜が見上げると、それを見た皐月がカチリと牙を鳴らした。



 「……ツカまエタ……」



 カチカチと牙を鳴らしながら、呂律の回らない口調で言葉を放つ。亀裂の様に、歪んだ笑みを浮かべる顔。

 そこにはもう、一途に姉を想っていた少女の面影はない。見開いた双眸を血走らせ、小さめの口から不釣合いな大きさの牙をむくその様は、もはや全く別の存在。“それ”が、言う。



 「……おなカが、スイた……」

 「?」

 「……オナかガすいたヨ……。たべテ、いイ……?」

 「食べる?」



 唐突に出た言葉に、叉夜は一瞬目を細める。けれどすぐに何か得心した様に、頭をかく。



 「ああ、なるほど。そういう事かね。これはまた、随分と面倒な事だ」



 そう呟きながら、視線をちらと篭の外に向ける。そこでは、襦袢を着崩した弥生(やよい)がニコニコしながら手を振っていた。薄い唇が言う。



 「――バイバイ」



 次の瞬間、皐月の形をしたモノの口がバリッと裂けた。顕になる、無数の歯牙。それが、雪崩落ちる様に迫ってくる。巨蛆(きょそ)の身体が覆い被さる様に、叉夜を閉じ込めた篭の中を満たした。





 目の前で、クリーム色の巨体がモゾモゾと蠢いている。それをぼんやりと眺めながら、弥生は壊れていない側の壁に背を預け、ほっと息をついた。


 これでいい。これでいいのだ。これでまたしばしの間、皐月は皐月でいてくれる。


 ――疲れた。


 壁に背を預けたまま、ズルズルとへたり込む様に腰を下ろす。目の前で、モゾモゾと哀れな少女を貪る妹。その様に、愛しげな視線を送る。華奢で小柄な娘だったけど、皐月の可愛い口では、食べきるのに一晩かかるだろう。


 その間に、とりあえずお風呂に入って、ゆっくり休んで、食べ終わったら、血とかいろんなもので汚れちゃってるだろうから、着替えさせてあげて、床を掃除して、骨を集めて、お墓を掘って――


 やらなきゃいけない事は、いっぱいだ。


 そこまで考えて、弥生はあ、と小さく声を上げた。



 「“やしろさや”って、どう書くんだろう?」



 さて、困った。名前がなかったらお墓を作った時、様にならない。平仮名で書いてもいいけれど、あからさまに漢字な名前だ。締まりが悪い様な気がする。


 さて、どうしたものだろう。


 弥生が小首を傾げたその時――



 「ちょっと、口では説明し辛いかな」



 「!?」



 不意に聞こえてきた、聞き覚えのある声。文字通り、飛び上がって驚く。顔を上げると、いつの間にか目の前に叉夜本人が先と一寸変らぬ姿で立っていた。



 「ひぃっ!?」



 思わずくぐもった悲鳴を上げる弥生。そんな彼女に向かって、叉夜は平然と言葉を続ける。



 「“やしろ”の”や“は、そのまま”夜“だがね。”しろ“の方が面倒なんだ。ああ、漢和辞典などあると助かるのだけどね……」


 淡々と言葉を紡ぐ叉夜。しかし、聞かされる方はとてもじゃないがそれどころではない。



 「あ……ひ……あなた、一体どうして……!?」



 驚愕と恐怖に青ざめた顔で見つめてくる弥生に、叉夜は微かに肩をすくめる。



 「酷いね。化け物でも見るみたいに。自覚はしているが、面と向かってそんな目で見られるとさすがに傷つくよ」



 言葉のわりには飄々とした調子で言いながら、叉夜は親指を立てて背後を示す。



 「せめて、君の妹さんに向ける十分の一分くらいは、思いやりを持った対応を希望したいものだ」

 「妹……皐月っ!?」



 その言葉に我にかえった弥生が、慌てて叉夜の肩越しに目をやった。

 視線の先に映ったのは、無残に大破したフローリングの床。

 その上に、長々と横たわる巨蛆(きょそ)の姿。

 力なく投げ出されたその身体は輪郭がぼやけ、まるで陽炎か蜃気楼の様に危うげに揺らいでいた。



 「さ、皐月ぃ!?」



 青いを通り越し、もはや土気色に近くなった顔で、弥生は叉夜に向かって叫んだ。



 「な、何よ!?あんた、皐月に……妹に、何したのよ!?」



 血を吐かんばかりの剣幕で詰め寄る弥生。彼女の目の前に、叉夜は無言のままローブの中から、右手を出して晒す。



 「………?」



 キョトンとしてそれを見つめる、弥生。握られていた手の平が、ゆっくりと開く。そこにあったのは、夜闇の中で白く輝く小さな欠片。



 「?……?……?」



 弥生はしばしの間、訳が分からないといった顔で叉夜の手の中の“それ”を見つめる。

 じっと。じっと。ただ、見つめる。



 「?……?……?……?」



 やがて、見つめるその目がゆっくりと歪み始める。細い肩が、怯える様にフルフルと震える。戦慄く唇の間から、カチカチと歯の根が鳴る音が聞こえた。


 そして――



 「あ……あぁ……あ……!?い、嫌ぁああっ!!駄目ぇえっ!!」



 突然絶叫すると、弥生は叉夜に掴みかかった。伸ばされた手が叉夜の手の中の“それ”をもぎ取ろうとするが、叉夜の動きは速い。スルリスルリと、その指の間を抜けてしまう。



 「駄目ぇっ!!返してっ!!返してってばぁっ!!」



 叫びながら、三度(みたび)掴みかかる。今度は、伸ばした手がローブの端にかかった。弥生はそのまま、叉夜にぶら下がる様にしがみ付く。



 「……重いんだがね」



 眉を潜めた叉夜が、女の子にかけてはいけない言葉のトップスリーに入るそれを口にするが、弥生は気にもとめない。ただ、闇色のローブに爪を立てながら、叉夜の手の中の“それ”に必死の形相で自分の手を伸ばす。けれど、叉夜の手はスルスルと蛇の様に動いて、捕まえることも出来ない。



 「お願い……返して……皐月を、返して……」



 その顔を涙と鼻水でグチャグチャにしながら、弥生は叉夜にすがりつく。



 「妹なの……。一人しかいないの……。大事なの……。取らないで……。連れてかないで……。嫌だ……嫌だよぉ……!!」

 「……大事?」



 嗚咽混じりの声で連ねられた、言葉の羅列。その中から一言を拾い上げ、叉夜は冷淡な声を出した。



 「その“大事”な妹に使ったのかい?こんな、欠陥だらけの術を」

 「………!?」



 かけられた言葉に、嗚咽の声がピタリと止まる。バネ仕掛けの様に跳ね上がる弥生の顔。大きく見開いた目が、呆然と叉夜の顔を凝視した。

 その顔を見下ろしながら、叉夜は言う。



 「使ったのだよね?」

 「………?」



 怖気が立つ程に冷たい声。手の中の欠片が、カリリと鳴る。



 「これは、”人骨”だろう?」

 「え……」

 「使ったのだね?」



 もう一度、問う。絶対の、確信を持ちながら。



 ――「“反魂の術”を」――



 それを聞いた弥生の顔が、ピシリと強張った。

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