六夜の話・拾参
「相変わらず、無駄に仰々しいなぁ」
一連の出来事を眺めていた彼が、呆れた様にそう言った。
呆然としているあたしに近づくと、彼も身を屈めて語りかける。
「良かったね。これで、君は姉さんの正式な患者だ」
「……は?」
「姉さんが、治してくれるって言ってるのさ。その病気」
「??????」
何を言ってるのか、訳が分からない。霊薬は、偽物だったのに。
「そんなに悩む事じゃない。そもそも、その程度の病気、姉さんにとっちゃあ歯牙にもかからないものだから。霊薬なんて大層なもの、使う必要もないんだよ」
「どういう、事……?」
「分からないかなぁ。医学的に治すって言ってるのさ」
その言葉に、あたしは三度目を丸くした。
「魔法使いってのは、広い知識と技術を得なきゃならない。医療も、その例外じゃない。そして、姉さんはその医学に特化した魔法使いだ。治せない病気はほぼないし、心臓さえ動いていれば、どんな怪我だって癒せる」
そう講釈を垂れる彼の後ろでは、件の魔女が何やらカチャカチャと訳の分からない器具を弄っている。その横顔は酷く楽しそうで、何だか非常に嫌な予感がする。
「大丈夫だよ。ただ、治療の準備をしているだけさ」
彼はそう言うけれど、あの顔はどうにも”ただ”じゃない。何ていうか、その、物凄く邪悪な顔をしている。何か、いかにも魔女って感じだ。
そんな事を考えていると、彼女がこっちに向かって歩いてきた。その手には、怪しく光る注射器が一本。
「さて、インフォームド・コンセントは済んだかな?」
そんな事を言いながら、彼の横に立つ。その顔は、やっぱり楽しそうにニヤニヤしている。
「煌夜、今からこの娘の治療を始めるが……」
「その様だね」
「となると、治療後の経過観察もしなければならない」
「だろうね」
「つまり……」
「分かってるよ」
やれやれと溜息をつく、彼。クルリと、踵を返す。
「ちょ、ちょっと!!何処行くのよ!!」
「仕事の続きだよ。やらなきゃならない事が増えたからね」
慌てるあたし。正直、あんな事の後で彼女と二人っきりになんかなりたくない。でも、彼は冷酷だった。
「心配はいらない。全部、姉さんに委ねていればいい。別に、とって喰われる事はないから」
そう言うと、さっさと窓から出て行ってしまった。
残されるのは、当然の様にあたしと彼女だけ。気まずい事、この上もない。と言うか、あたしはまだ彼女を信用してはいなかった。あれだけ散々な事をされたのだ。当たり前と言えば当たり前だろう。けれど、彼女に悪びれる様子は全くない。
「さて。始めるようか」
言いながら、あたしの腕を取ろうとする。あたしは、咄嗟に腕を引っ込めた。
「そう身構える事はない。今度は、嘘はなしだ」
「信じろって言うの?あんな事をしたクセに」
あたしの言葉に、彼女はククッと笑う。
「心配はいらないよ。君と私は、すでに契約を交わした」
そんな言葉と共に、白い指があたしの唇をなぞる。さっき、血の香りのする涙を塗りつけた、唇を。
「死は、神が与える最高の救いだ。君は、契約を受け入れる事で、それを放棄した」
指は唇を滑り、頬に至る。冷たい体温が、あたしの意識を愛撫する。
「私は、獲物を逃がさない」
彼女は言う。冷たく。けれど優しく。
「君の死は、間違いなく私が喰らう。君は、その対価として生を得る」
いつしか、彼女の顔からは笑いが消えていた。朱い瞳が、真っ直ぐにあたしを見つめる。
「君は、生を求めるのだろう?その、掃き溜めの様な生を」
そう。あたしは、生きたいのだ。どんなに、薄汚れていても。どんなに、爛れていても。あたしはまだ、この世界にしがみついていたいのだ。
頷く、あたし。
「ならば、受け入れろ。私を。この、生を」
もう、抗う理由はなかった。
けれど、あたしは最後に言う。
「……一つだけ、教えて」
「何だい?」
「あたしは、あなたの名前を知らない」
「そう言えば、名乗ってはいないね」
「なら、教えて」
「知って、どうする?」
「知っていたい。命を委ねる者の、名前くらい」
クスリ
彼女が、笑う。
さっきまでの、意地の悪い笑みじゃない。
その白い肌の様に澄み切った、とても穏やかな微笑み。
そして、彼女は言う。
「……Saya……」
「……え……?」
「”Saya・Yasiro“だ。覚えておおき」
「サヤ……」
気づいた時には、腕に光る針が刺さっていた。
色のない筒の中の液体が、ゆっくりとあたしの中に溶けていく。
痛みは、感じなかった。
その頃、彼は沈黙に沈む街へと向かっていた。と、音もなく進んでいたその足が、ピタリと止まる。
肩越しに振り返る、黒い瞳。視線の先にあるのは、遠く夜闇の中に浮かぶ宿のシルエット。それを見つめながら、独りごちる。
「……死の対価は生……」
囁く声には、何処か哀れみの響きが篭る。
「覚悟しておく事だね。姉さんに死を捧げた以上、君はもう生きる事しか出来ないのだから……」
そして、彼は再び歩み出す。闇に怯え、静まり返る街。そこへ向かって。
ジャン ジャン ジャン……
遠く響く、魔性の音。
けれど、それもこの夜で終わり。
人々を怯えさせる樂の音は、かの日を境にピタリと消えた。
「おぅ、セシル!!よくやったぞ!!」
その日、朝食を取りに食堂に行ったあたしは、異常に上機嫌なエイブラムに背をバンバンと叩かれた。
痛いなぁ。もう……。
何事かと思っていると、エイブラムは「見ろ」と言ってカウンターの上を示した。
……思わず、目が丸くなった。
そこには、この間の倍以上の量の金貨が山と積まれていた。
何だ……?これ……。
「さっき、例の坊ちゃんが来てな。”これ”を置いてってくださったのよ。向こう一ヶ月の滞在費だと言ってな。お前、随分と気に入られたモンじゃねぇか」
「そうよねぇ。さっき、あの子が来て袋からドザザッと金貨を出した時には腰が抜けるかと思ったわ」
「よっぽど、”あっち”の相性がいいのね」
「で、あんたはどんだけ貰ってんのよ?ちょっと、お姉さんに貸さない?」
食堂にいた皆が、ワイワイと好き勝手な事を言ってくる。流石に辟易していると、ススッと近づいてくる女がいた。
ベティーナだ。
彼女が、あたしに耳打ちをする。
「セシル。頑張るのよ」
何をだろう。
「このままあの子に気に入られれば、ひょっとしたら身請けしてもらえるかもしれないわ」
「!!」
その言葉に、胸がドキリとした。
身請け。あたし達が真っ当な世界に戻る、唯一の手段。ベティーナは、その可能性を示唆しているのだ。
思わず、顔を上げる。
皆が、ベティーナと同じ目をしていた。
シンディも。
カリーナも。
アビーも。
皆があたしを案じ、想ってくれている事が痛い程に分かった。
「あ……ご、ごめん。あたし、もう行かないと……」
その想いの重さに耐え切れず、あたしは出口に向かう。
「おい!!しっかりお相手をするんだぞ!!」
エイブラムのガラ声に背押される様に、あたしは食堂を後にした。
早く、部屋に戻ろう。そう思った、その時、
「待って!!」
後ろから追ってきた声に、思わず足が止まる。
振り返った先には思った通り、シェミーが立っていた。
彼女はあたしに駆け寄ると、グッと両手を握った。
「シ、シェミー?」
「良かったね!!」
「な、何が?」
「ベティーナに言われたんでしょう!?彼が、身請けしてくれるかもしれないって!!」
「そ……それは……」
「放しちゃダメだよ!!絶対に!!そうすれば、きっと……」
少しの間。ほんの少しだけ、息を飲む。そして、言った。
「幸せに、なれるから」
「!!」
微笑むシェミーの目に、浮かぶ涙。それを見た瞬間、あたしは彼女を抱き締めていた。
「セシル……?」
「ごめんね……ごめんね、シェミー……」
自分でも、何を謝ってるのかは分からない。ただ、色々な想いが胸を締め付ける。大き過ぎて、抱えきれない想い。けれど、シェミーは確かに受け止める。
そっと伸びた腕が、震えるあたしの方を抱きしめる。
「大丈夫……。大丈夫だよ……」
耳の傍で、優しく囁くシェミーの声。ポンポンと、あやす様に叩かれる背中。
そのまま、あたし達は抱き合い、泣き続けた。
「……何だか、おかしいね。あたし達……」
「そうだね」
そう言って、微笑み合うあたしとシェミー。一度だけ、おでことおでこを合わせると、あたし達はそっと身を離した。
「それじゃ……」
「うん……」
同じ建物の中で、少しの距離を離れるだけ。けど、何故かそれがとても切なくて、あたしは振り切る様に早足で彼女の元を離れた。
濡れた目を擦りながら、廊下を部屋に向かって歩く。一つある角を曲がった、その時、
「大丈夫かい?」
唐突に、聞こえる声。目を向けると、夜色の外套を羽織った彼が影の様に立っていた。
「……見てたの?」
「無作法は謝るよ」
少し険を込めて言うと、彼は素直にそう言った。
そのまま、部屋への道を一緒に歩き始める。
「いい仲間に、恵まれてる様だね」
「でしょ」
率直に、かけられた言葉。少しだけ気恥ずかしくて、とても誇らしい。
あたしは、胸を張る。
「そう言えば、随分とウチにいる事にしたみたいね」
「言われただろう?君の経過観察をしなきゃいけないからね」
答える調子は、相変わらずそっけない。
そんな彼に向かって言う。
「ねえ」
「何だい?」
「まだ、名前聞いてなかった」
髪に隠れて、片方しか見えない彼の眼差し。それが、キョロリとあたしを見る。
「聞いて、どうするのかな?」
「名前知らなきゃ、ちゃんとしたお礼も言えない」
「お礼?」
「いいから!教えて!!」
彼は少しだけ考えて、そして言った。
「”Kouya“だよ」
「コウヤ?」
「ああ。”Kouya・Yasiro”。これでいいかい?」
「そう。分かったわ」
彼の前に出て、クルリと振り返るあたし。
怪訝そうな顔をする彼と向き合うと、あたしはペコリと頭を下げた。
「ありがとう。コウヤ」
「何がだい?」
小首を傾げるコウヤ。あたしは、顔を上げながら説明する。
「お金よ。お店が潤えば、皆の暮らしも少しは良くなるわ」
「正当な対価だ。礼を言われる筋じゃないよ」
「それにしちゃあ、随分多い様な気がするけど」
「君が、そう思ってるだけさ」
「でも、それじゃあ困るのよ」
「………」
コウヤの眼差しが、冷たく光る。
「何を、考えてるんだい?」
少しの間。
息を、一吸い。
そして、あたしはその言葉を口にした。
「コウヤ。あなた達……いいえ。サヤと、取り引きをしたいの」