六夜の話・拾壱
ギィ……
夕食を持って部屋に入ると、そこにはもう”彼”の姿はなかった。
「……あの子、どこに行ったの?」
「ああ、もう”仕事”に出たよ」
暇そうに読書をしていた”彼女”が、顔も上げずにそう言った。
……やっぱり、そうか。
昨夜の事から、何となくそんな気がしていた。
”彼女”達は、何かの仕事のためにここに滞在している。何をしているかは分からない。ただ、夜になると彼女の弟は消える。得体の知れない、仕事のために。そしてその間、”彼女”は一人になる。この、尊大な魔女は。
「食事、持ってきたよ」
「ああ、そこに置いておいておくれ」
言われるままに、食事をテーブルの上に置く。
彼女はやっぱり、顔を上げない。
その代わりの様に、声が飛んできた。
「で、どうしたのかな?”アレ”は、飲んだかい?」
その言葉に、思わずビクリとなる。
視線を向けると、彼女はいつの間にか顔を上げていた。こちらを見ながら、ニタニタしている。
「その様子だと、まだの様だねぇ」
三日月の様に歪む朱い瞳。全てを見通す様なその視線が、あたしの緊張を煽る。
「大抵の人間は、話を聞いただけであおるんだがね。それとも何かな?」
色の白い顔に、亀裂の様な笑みを浮かべながら魔女は言う。
「例の娘の事で、迷っているのかな?」
彼女は、心を読める。誤魔化しても、意味はない。
「……そうだね。正直、迷ってる」
だから、言う。
「やっぱり、あたしはあの娘を見捨てたくない。一緒に、生きたい」
「強欲だね。過ぎた欲は、身を滅ぼすぞ?」
「そう言わないで」
酷く楽しそうな彼女の、背後に回る。その目に、思いを悟られない様に。そして、そっとその背に身を寄せる。黒衣越しに抱き締めた身体は、思ったよりもずっと華奢で非力そうだった。これなら、きっと……。
「何を、しているのかな?」
彼女が、訊いてくる。やっぱり、死界にいる相手の心は読めないらしい。
「ねえ。お願いが、あるの……」
白い髪に優しく手櫛を通しながら、彼女の耳に吐息を当てる様に囁きかける。
「あるんだよね?もう一本……」
「ああ。あるよ」
なんの躊躇もなく、答える声。警戒は、されていない。そう。する筈もない。彼女は、思っている。確信している。自分は、あたしよりも上の存在。あたしが、自分に歯向かう筈などないと。決まっているのだ。力を持つ輩の考える事なんて。
あたしは、続ける。
「くれないかな?最後の、もう一本……」
言いながら、自分の身体をしなだれかかる様に密着させる。
「くれるなら……」
「対価は身体で払う、かい?」
彼女が、ククッと笑う。
「生憎だがね。私はその手の趣味には疎くてね」
「……駄目かな?」
「対価には、ならないね」
「そう……。じゃあ……」
右手を、そっと懐に差し入れる。取り出すのは、一本のナイフ。それを、気配を悟られない様にかかげる。そして――
「仕方ないよね!!」
一息に、振り下ろした。
手応えは、酷く軽かった。
当たり前かもしれない。
だって、あたしがナイフを振り下ろした先には、もう彼女の姿はなかったのだから。
「………!!」
「やれやれ」
立ち尽くすあたしの後ろで、声が聞こえた。
呆れた様な、嘲る様な、それでいて何処か嬉しそうな声だった。
いつの間にか、あたしの後ろに立った魔女が言う。
「見かけによらず、怖い子だ」
「………」
無言で、振り返る。何が可笑しいのか。そんなあたしを見て、彼女はクスクスと笑っている。
「良い目だね。そういう目をする子は、嫌いじゃない」
「うるさいっ!!」
短く叫んで、もう一度突っ込む。狙いは、彼女の胸の中。目を瞑って、一息でナイフを突き立てる。
ガキンッ
けれど、返って来たのは肉の柔らかい感触じゃない。硬い、金属を突いた様な感触。
「―――っ!!」
痺れる手から、ナイフが落ちる。涙が滲む目を開けると、クルクルと回る朱い魔法陣が砕けて散った。
「ふふふ。何だか思い出すね。あの時の、あの娘の様だ」
何だか言っているけれど、耳を傾ける余裕なんてない。震える手で、もう一度ナイフを拾い上げる。
「まだやる気だね?分かっているよ。その目をしている子は、あきらめない」
「……分かっているなら、渡してよ……」
汗で滑る手で、ナイフの柄を掴む。光る刃を彼女に向けて、喚く。
「いるのよ!!アレが!!アレが、もう一つ!!」
「……少し、騒がしいかな?」
そう呟いた彼女が、足をトンと踏み鳴らす。途端、
ボウッ
その足元から、朱い円陣が部屋中に広がる。明らかに変わる、部屋の空気。朱い光の中で、魔女は笑う。
「さあ、これでこの中の音は外には聞こえない」
あたしを受け止めようとするかの様に、黒衣が広がる。ザワリと広がる白い髪が、天使の翼の様にさざめく。
「思う存分、歌っておくれ。可愛い子」
純白の翼を羽ばたかせて、黒衣の天使は優しく。とても優しく囁いた。
「あんたの戯言に、付き合う気なんてない!!いいから、薬をよこせ!!」
喚き立てるあたしを楽しそうに見つめながら、彼女は言う。
「もう、渡しただろう?君の病を癒すには、あれで十分だ」
「あれじゃ、足りない!!あたしと、シェミーが一緒に生きるには!!」
「言っただろう?選ばれたのは、君だよ?」
「そんなの、関係ない!!シェミーも一緒じゃなきゃ、意味がない!!」
「本当に、欲深いね。強欲は、7つの罪の一つだ。神に、見放されるよ?」
「神様なんて、知った事か!!」
あたしの叫びに、彼女の顔に張り付いていた笑みが変わった。それまでの嘲る様な笑みから、酷く嬉しそうなそれへ。
「神を、否定するのかい?」
「神様なんて、いやしない!!いたって、ただのロクデナシだ!!」
完全に、頭に血が上がった。胸にあったものが、喉にまで上がって来る。それを、これでもかというくらい吐き散らした。
「神様がいるなら、何であたし達はこんな所にいる!?何で、あの娘がこんな事になっている!?何で、皆は毎日傷ついている!!あたし達と、あの街で日がな一日酒をかっくらってる貴族様方と何が違う!?気分か!?全部が全部、神様とやらのご機嫌で決まるのか!?なら、そんな奴の趣味になんか絶対従ってやらない!!地獄に落とすなら、落とせばいい!!そんなロクデナシの足元に膝まづくくらいなら、奈落で魔王の噛み煙草にでもなってた方が数倍ましだ!!」
言葉にもならない、喚き声。でも、確かに溜まり続けていた澱。それを、全て吐き出した瞬間、
「いけない子だ」
視界が、真っ赤な色に覆われる。
いつの間にか、肉薄した彼女。真っ赤な瞳が、間近からあたしを見つめていた。
その目と焦点が合った瞬間――
ギシッ
「―――っ!?」
身体が、鉛を飲んだ様に重くなった。
「これで、大人しくなっただろう?」
そんな言葉と共に、彼女があたしの手を強く引く。
「!!」
そのまま、傍らのベッドの上に仰向けに転がされた。そこに覆い被さってくる、彼女。
「な……何を……!?」
呻くあたし。クスクスと笑いながら、魔女が言う。
「神を愚弄するなんて、悪い子だ」
そして、あたしの目の前に右手をかざす。
「あ……!!」
いつの間に取ったのだろう。その手には、あの小瓶が握られていた。
「か、返して……!!」
必死に手を伸ばそうとするけれど、投げ出された手は重りをつけた様に動かない。そんなあたしを見てほくそ笑む魔女。
「駄目だね。悪い子には、お仕置きをしなくては」
そう言うと、彼女は手にした小瓶の栓を親指で押した。
パキンッ
軽い音を立てて、栓が飛ぶ。
「あ……」
「さあ。お仕置きには、苦い薬を飲まなくてはね」
次の瞬間、
グイッ
彼女が、小瓶をあおった。そして――
「!!」
塞がれる、あたしの唇。
熱い酒精が、喉を下った。