表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下奇譚  作者: 土斑猫
六夜の話
45/59

六夜の話・玖

 カチャカチャ……



 目の前では、魔女とその弟が食事をしている。魔女の方が、「パンが硬い」とか「スープが薄い」とか文句を言っているけど、それも耳を通り抜けていくだけ。頭になんか入らない。



 「食べないのかい?」



 忘我の体でベッドに座っているあたしに向かって、彼がそんな事を訊いてくる。けど、それに答える気力もない。


 頭の中では、先刻魔女に告げられたばかりの言葉が渦巻いている。



 (証明されたよ。君が、”かの病”に罹っている事が)



 ――かの病――


 それは、あたし達がいつか罹ると言われる病。精を通じて感染し、肌に朱い花を咲かせ、身体を崩し、正気を奪い、最後には死に誘う。静かに、ゆっくりと。だけど、確実に。


 幾人もの先達の生を奪い、今はシェミーやシンディが患う病。

 あたしも、それに犯されていると言う。


 疑う気持ちは沸かなかった。


 いけ好かない魔女だったけど、こんな嘘だけは言わない。

 何故か、そんな確信があった。



 「ねえ」



 誰とはなしに、尋ねる。



 「何かな?」



 答えたのは、魔女だった。ちょうどいい。そのまま、続ける。



 「あたし、病んでるんだよね?」

 「そう言っただろう?」

 「死ぬのかな?」

 「放っておけばね。まあ、進行の遅い病だから、だいぶ後の話になるが」

 「……そう……か……」



 あたしは大きく息を吐くと、ゴロンとベッドに寝っ転がった。

 そんなあたしを見て、意地悪げに魔女が訊く。



 「怖いかい?」

 「………」



 少し考えて、あたしは言った。



 「……怖い?そうね。怖い、かな……」

 「ほう?」



 そんなあたしを見て、魔女が意外そうな声を上げた。



 「割とあっさりしているじゃないか。ハールシンギや私を見た時の反応からすると、もっと大騒ぎするかと思ったが」

 「………」



 答える気がしない。ただ、沈黙だけを返す。


 そう。これは、この世界で生きるあたし達にとって運命の様なもの。明確ではないにしろ、何となく決めていた覚悟。だから、心は意外と凪いでいた。いや、むしろ……



 「……嬉しそうじゃないか」

 「……え?」



 言われて、気づいた。

 あたしは笑んでいた。微かに。けれど、確かに。



 「益な事でもあるのかい?その病に罹る事に」

 「益な事……?」



 言われて、気づいた。

 脳裏を過ぎるのは、シェミーの顔。そして、彼女の言葉。



 (わたしはこんな身体だし、何も望まない。でも、気持ちだけは分かってほしい)



 あの時は、戸惑いでしか受け止められなかった想い。

 でも、今はとてもすんなり受け入れる事が出来た。

 そう。あたしは、喜んでいるのだ。

 この病を得た事を。彼女と、同じ身体になれた事を。あの娘の想いに、答えられる事を。



 ククッ



 そう思いかけた途端、自嘲の笑いが漏れた。

 カマトトぶるのはやめよう。今のこの想いは、そんな尊いものじゃない。


 これは。

 この想いは……。



 ギシリ



 突然、ベッドが軋み沈んだ。

 落ちる影。

 視線を、上に上げる。

 真っ赤な瞳が、あたしを見下ろしていた。



 「成程。そう言う事情かね」



 いつの間に近づいたのか。魔女があたしに覆い被さっていた。彼女は何かを察した様な顔で、クックと笑う。



 「君を想う者も、病持ちか。その想いを受け止めるのに、(それ)が邪魔だったという訳だ」

 「……分かるの……?」

 「そうだよ。読心の術は初歩の初歩だからね」



 空になった食器をまとめていた彼が、こっちも見ずにそう答えた。


 ああ、そう。

 正直、もう驚く気にもならない。


 魔女の方は、変わらず意地の悪い顔で笑っている。



 「……何が、可笑しいのよ?」



 察してはいたけれど、一応訊いてみる。



 「随分、勝手な話じゃないか。お相手が病持ちだからと、即答を迷っておいて。自分も同じ病と知った途端、受諾を決めるなんて」



 ……予想通りの答え。溜息をつくしかない。

 彼女が、わざとらしく小首を傾げた。



 「否定しないのかい?」

 「……全部、分かるんでしょ?なら、誤魔化したってしようがないじゃない」

 「おやおや。いたぶりがいのない子だ」



 苦笑いする魔女。でも、本当の事だ。この期に及んで、体裁を繕う気なんてありゃしない。


 そう。あたしがシェミーの告白に即答できなかったのは、間違いなくあの娘の病の事が頭を過ぎったから。かの病を自分たちの運命だなどと言っておきながら、矛盾もいい所。確かにあの瞬間、あたしはシェミーを受け入れる事に恐怖を感じていたのだ。それでいて、こんな事になった今は、自分の慰みのためにあの娘を受け入れようとしている。


 醜悪だな。

 本当に。


 自嘲の笑みと共に、一筋の涙が頬を伝った。



 「まあ、そんなに自己嫌悪する事でもなかろうさ」



 そう言いながら、魔女がギシリと身を起こす。


 面白そうな口調で、そんな事を言う彼女。その顔には相変わらず、性根の悪そうな笑みが張り付いたまま。



 「人間など、いくら良く言った所で所詮自己愛の塊さ。私としては、そんな君の有り様にはむしろ好感を覚えるよ」



 魔女なんかに褒められたところで、嬉しくも何ともない。あたしは目を背ける様に、横を向く。


 魔女は、そんなあたしをニヤニヤしながら見ていたけれど、しばらくして不意に口を開いた。



 「……生きたいだろう?」

 「……え?」



 その言葉に、思わず視線を戻す。

 そんなあたしに向かって、魔女は言う。



 「答えなくていいさ。既に確認済みだ」



 そして、身につけていたローブの裾に手を入れると、何かを取り出した。

 それは、小指半分程の小瓶。中が、琥珀色に澄んだ液で満たされているのが見える。



 「さて。取りい出したります、この液体」



 それを、あたしの目の前でちらつかせながら、彼女は歌う様に話す。



 「これこそ、世にも名高き霊薬、『エリクシア』」

 「……エリ、クシア……?」



 訳が分からないあたしに、彼女は「そうさ」と頷く。



 「一口飲めば、いかなる病もたちどころに癒し、不老長寿をも約束する至高の万能薬だ」

 「!!」



 思わず身を起こしたあたしに、魔女は妖しくほくそ笑む。



 「ふふ。食いついてきたね」



 そう言って身を屈めると、あたしに視線を合わせる。間近で輝く、朱色の瞳。吸い込まれる様な感覚が、思考を犯す。



 「欲しいかい?欲しいだろう?」



 チャポ チャポ



 白く細い指の中で、琥珀の液体が揺れる。

 それを、食い入る様に見入る。そんなあたしの顎を、彼女の指がクイと上げた。


 薄赤い唇が、言葉を紡ぐ。



 「欲しいなら、くれてやってもいいよ?」

 「な……!?」



 目を剥くあたしに、彼女が顔を寄せる。少し身を乗り出せば、口が重なる距離。胸が、ドキドキした。



 「私は、君が気に入った。本来なら原則に従って対価が必要な所だが、特別に無償でくれてやろう」



 ゴクリ



 カラカラに乾いた喉。それが、呻く様に鳴る。



 「ただし」



 彼女の笑みが、一瞬邪悪を孕む。



 「一本だけだ」



 気づくと、その手の中には二本の小瓶があった。それを見せびらかしながら、彼女は言う。



 「エリクシア(これ)は、精製に非常な手間がかかる。私の手持ちでも、二本しかない。そのうちの一本を、君にやろう」



 白い指が、あたしに向かって小瓶を差し出す。

 震える手で、それを受け取るあたし。



 「それで、丁度一人分だ。それより一滴でも少なければ、効果はないから気をつけるといい」

 「!!」



 その言葉に、ドクリと騒ぐあたしの心臓。それを見透かすかの様に、彼女が冷たく笑む。



 「そう。”例の彼女”と分けたりしたら、効果がなくなる訳だ」

 「……姉さん」



 傍らで話を聞いていた彼が、咎める様な声を出した。けれど、魔女は止まらない。



 「かたい事を言うな。遊ばせておくれ」



 微笑む彼女の顔は、とても冷たい。その顔が、あたしに向き直る。



 「言ったろう?私は、”君”が気に入ったんだ」



 ギシリ



 軋む音と共に、魔女が隣に座る。伸ばされた手が、あたしの肩を抱き寄せた。



 「何。気に病む事はない」



 耳に寄せられる、薄い唇。耳朶に当たる吐息が、酷く冷たい。



 「人には、神に決められた運命と言うものがある。君は選ばれた。その娘は選ばれなかった。それだけの話だ。それに……」



 楽しそうに歪む、朱い瞳。あたしに身を絡ませながら、魔女が囁く。



 「その娘は、君を愛していると言うのだろう?それならば、君が自分を差し置いて生き続けても、喜びこそすれ恨む道理はない」



 心を蕩かせる様な、甘い響き。魔女、否、悪魔の声が脳漿を揺らす。



 「今なら、君の病を知るのは私達だけ。何をしても、咎める者はいない」



 小瓶の乗った、あたしの手。それを、握り締めさせる様に魔女の手が包む。



 「さあ。”こっち”へ、おいで」



 酷く冷たい手。仲間を招く、死者の様だと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ