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月下奇譚  作者: 土斑猫
六夜の話
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六夜の話・陸

 彼があたしを選んだのを見て、エイブラムは大げさに声を上げた。



 「おお、流石坊ちゃん!!御目が高い!!その娘は我が宿では一番の上物ですよ!お年も近い様ですし、きっと相性もピッタリかと!!」



 随分と持ち上げてくれた。ちなみに”一番の上物”は、その日によって違う娘になるのだけど。



 「おら、セシル!!何してやがる!?さっさとお部屋に案内して差し上げろ!!」



 急かすエイブラム。はいはい。分かりましたよ。


 正直気が進まないけれど、指名されたからには仕方ない。これも、仕事だ。それに、助けられたままと言うのも気が引けるし。借りを返すにも、丁度いいかもしれない。


 あたしは前に進み出ると、彼の前でペコリとお辞儀をした。



 「改めまして。セシルと申します。今宵は、どうぞよろしくお願いいたします」

 「ああ。よろしく」



 あたしがこれ以上ないくらい(しな)を作ってそう言うと、彼は何処となく気のない様子でそう返事をした。





 「頑張ってね~。セシル~」

 「久々に、仕事抜きで楽しめそうじゃない」

 「しっかり稼ぐんだよ~」



 皆の無責任な歓声を背に、あたしは彼を促して部屋に向かう。シェミーの視線が些か痛かったけど、仕方ないだろ。仕事なんだから。



 「人気者らしいね。君」

 「面白がってるだけよ。皆」



 そんな会話をしながら歩く事しばらく。あたし達は目的の部屋へと着いた。

 サビの浮いたドアノブを回しながら、念のために言っておく。



 「悪いけど、ろくな部屋じゃないからね。しばらく使ってないから」

 「ああ、構わないよ。別に」

 「よし。聞いたからね」



 そして、あたしは扉を開けた。





 「うわ、こりゃ酷い」



 暗い部屋を手探りで探って灯りを灯すと、惨憺たる光景が浮かび上がった。


 天井には、無数の蜘蛛の巣。床には塵が厚く積もって、歩く度に埃が舞い上がる。ベッドは湿気ってカビが生えているし、毛布を叩くとよく分からない小虫が何匹も逃げ出してきた。


 分かっちゃいたけど、流石にゲンナリする。こんな所で行為に及んだら、ならなくていい病気に罹りそうな気がする。いくら買われる身とは言え、自分の健康を憂う権利くらいはあるだろう。ダメ元で、提案してみる。



 「ねぇ。やっぱりやめて、別の部屋にしない?何処も似た様なもんだけど、ここよりマシな部屋は幾つもあるわよ。助けてもらった恩があるから、ちゃんとヤりたい事はヤらせてあげるからさ」

 「いや。その必要はないよ」



 そう言われて振り向くと、彼はあたしにはまるで興味がない様子で、キョロキョロと部屋を見回していた。


 ……ベタベタ言い寄られるのは嫌だけど、これはこれで何か腹立たしい。あたしにだって、女としてのプライドがあるのだ。



 「ちょっと。人を買っておいて、その態度はないんじゃない?」



 そう囁いて、背後から彼にしなだれかかる。ついでに、ちょっと胸など当ててみた。

 どんな堅物でも、これで落とす自信があった。舐めんなよ。コノヤロー。


 だけど、そんな誘惑にも彼はまるで柳に風。こっちを見もしない。ちょっと、自信が傾ぐ。すると、そんなあたしに彼は言った。



 「ここに来たのは、性的欲求の発散が目的じゃないよ。宿が欲しかったんだ。なるべく人目に触れないね」

 「……え?」

 「君を選んだのは、少しは耐性があると思ったからさ。さっきの事があるからね」



 そう言うと、彼は被っていたつば広帽を脱いだ。



 サラリ



 涼やかな音がして、黒髪の束が落ちる。すごく、長い髪。細い肩を流れるその様が妙に艶っぽくて、少しドキッとした。



 「姉さん(・・・)。ここでいいかな?」


 

 そして、手にしていた帽子をポンとベッドの上に載せた。途端――



 「――まあ、平均点かね。衛生的には、些か問題ありそうだが――」



 あたし達しかいない筈の室内に、もう一人の声が響いた。



 「え!?だ、誰!?」



 戸惑うあたしの目の前で、ベッドの上に置かれた帽子がググッと持ち上がった。まるで、その下の影に持ち上げられる様に。そして、



 ザザッ



 伸び上がった影が、水の様に流れ落ちる。その下から広がるのは、闇色のマントとローブ。そして、ふわりと広がるビロードの様な白髪(しらかみ)



 「―――っ!!」



 息を呑むあたしの前で、全ては一瞬。


 気づけば、ベッドの上には黒衣を纏った女の子が一人、妖しい笑みを浮かべて座っていた。





 「ひっ……!!」



 事態を理解した瞬間、悲鳴にもならない声が喉を塞いだ。

 ほんの数刻前、あの夜闇の中で感じた恐怖が蘇る。



 「ば、化物……!!」



 咄嗟に、ドアに向かって駆け出す。けれど、



 バンッ



 「!!」



 後ろから伸びてきた手が、一瞬早くドアを押さえつけた。



 「ほらね。こうなるから、物音が聞こえ辛い部屋の方が良かったんだ」



 あたしのすぐ後ろで、彼が言う。耳朶に当たる吐息。その冷たさに、背筋が凍った。

 ガタガタと、足が震える。あたしは開かないドアに背を預け、そのままズルズルと崩れ落ちた。

 そんなあたしを見下ろしながら、彼が呆れた様に息をつく。



 「やれやれ。どうにも君は腰を抜かしやすいタチの様だね」



 そういう彼の顔は、光の影になって表情が見えない。まるで、夜の仮面を被っている様だ。そこから感じる気配は、闇の中で見たあの魔物の群れよりも恐ろしい。



 「あ、ああ……、お、お願い……助けて……おっしゃる事は、何でも聞きますから……どうか、どうか……」



 震えながら、手を握り合わせて懇願するあたし。顔は涙と鼻水でグチャグチャだけど、体裁なんか構っていられない。ただひたすらに、命を乞う。



 「まいったなぁ。これじゃあ、話も出来ない」



 辟易した様に言う彼。その向こうから、彼女の声が聞こえた。



 「アハハ、相変わらず罪だねぇ。煌夜(こうや)。あまり女性を泣かせるものじゃないぞ?」

 「冗談事じゃないよ。姉さん。何とかしてくれ。このままじゃ、いつ誰に気づかれるか分かったものじゃない」

 「分かった分かった。そうむくれるな」



 憤慨する彼にそう言うと、彼女はスルリとベッドから降りる。そのまま、ツカツカとあたしに向かって歩いてくる。黒いつば広帽に、同じ色のマントとローブ。伝え語りに聞いた魔女、そのままの格好。歩み寄ってくる彼女から少しでも離れようとするけれど、後ろは開かないドアと壁。逃げ場は、ない。


 戦慄くしか出来ないあたしの前に立つと、彼女はヒョイと腰を屈めた。



 「ひっ!?」



 あたしの視線と、彼女の視線が重なる。彼女の瞳は、ルビーの様に真っ赤だった。

 静かな声で、彼女が言う。



 「そう怯えなくていい。ほら」

 「!?」



 途端、辺りに漂う甘い香り。思わず息を吸うと、その香気がたちまち身体に染み渡る。すると、今にも破裂しそうだった鼓動がみるみる収まっていった。



 「はぁ……」

 「どうかね。少しは落ち着いたかね?」



 確かに。

 目の前の二人に対する恐怖心はまだあるものの、今さっきまでの狂乱はすっかりなくなっていた。

 思わず頷くと、目の前の顔が優しく微笑む。



 「ならば、良し」



 そして、彼女は手にしていた小瓶にキュッと栓をした。





 「特製のマジックハーブだ。鎮静の効果がある。よく、効いただろう?」



 小瓶を懐にしまいながら、彼女が訊く。その効果を実感しながら、あたしは脱力したまま、コクリと頷く。



 「うむ。結構だね」



 そう言う彼女の顔は、何処か得意そうだった。





 「全く。姉さんも、そういうものを用意しているなら最初に言ってくれ。お陰で余計な気を使ったじゃないか」

 「アハハ。悪かった悪かった。謝るから、そうむくれるなと言ってるだろう」

 「笑い事じゃないよ。大体、姉さんはいつも……」



 ヘタリ込んだままのあたしの前で、言い合う二人。こうして落ち着いて見ていると、その見てくれやり取りは、あたしに年近い少年少女のものに違いない。そして、そこに害意がない事も十分に見て取れた。


 そうと分かると、何かムラムラと熱いものがこみ上げてきた。ああ、我慢出来ない。まだ微かに震える身体をかき抱きながら、あたしは口を開く。



 「……何なの?」

 「ん?」

 「おや?」



 二人の視線が、一斉にあたしに向く。心臓がドクンと高鳴るけど、もう後には引けない。って言うか、もうヤケだ。そのまま、突っ走る。



 「一体何なの!?何だってのよ!?あんた達!!お化け!?怪物!?それとも悪魔!?本当に、さっきから次々と!!訳分かんない!!ハールシンギだか魔女だか知らないけど、もうウンザリよ!!ハッキリして!!説明して!!弁明して!!それすんだら、さっさと出て行って!!あの世でも地獄でもいいから、帰ってドア閉めて、二度と出てこないで!!」



 思い浮かんだ言葉を、一息で吐き出した。

 二人とも目を丸くしているけど、知った事か。もうあたしは、いっぱいいっぱいなのだ。

 ゼエゼエと肩で息をしながら、目の前の二人を睨み返す。

 少しの間。


 そして――



 「く、くく……」

 「?」

 「アハ、アハハハハハハ!!」



 彼女の方が、笑いだした。それも、たいそう盛大に。正直、外に聞こえるんじゃないかと思った。実際、彼の方はゲンナリしている。けれど、そんなのには全然構わずに彼女は続ける。



 「アハハ!!ただの腰抜け小娘かと思っていたが、どうしてどうして。なかなか言うじゃないか!?」



 笑いながら、彼女がパチンと指を鳴らす。途端――



 ボウッ



 部屋の中が、一面青白い炎に包まれた。

 精神が、本能的に悲鳴を上げる。



 「何!?何をする気!!」



 喚くあたしを見て、楽しそうに彼女は言う。



 「何。心配しなくていい。少々、掃除をするだけさ」



 青い炎は勢いを増して、部屋中を舐め尽くしていく。禍々しい光の中で、闇色のマントが踊る。



 「先の言葉だがね、一つだけ正解があったよ」



 逃げる術もなく、ただ竦むだけ。そんなあたしに、彼女は見下ろす。

 楽しげに。

 そして、愛しげに。



 「その通り。正しく、正しく――」



 青白い光の中、純白の髪が禍しく舞い踊る。

 まるで、邪悪な天使の翼の様に。



 「――私は、”魔女”さ――」



 真紅の瞳を歪ませて、闇色の彼女は誇らしくそう告げた。

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