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月下奇譚  作者: 土斑猫
六夜の話
40/59

六夜の話・肆

 その後も、夜の街に怪しい噂は絶えず、宿に客が戻る事はなかった。


 日が経つに連れてエイブラムは荒れて、あたし達に対する風当たりも強くなってきた。一日中酒をあおっては、苛立ちをあたし達にぶつけてくる。


 重箱の隅をつつく様に些細な粗を探しては、引っぱたいたり蹴ったり。空の酒瓶をぶっつけられそうになった事もある。


 あたし達の身体には痣や擦り傷が絶えなくなり、彼の一挙手一投足にビクビクする日々が続いていた。





 そんなある日の夕暮れ、あたしはテーブルに座って、暗くなりつつある外を眺めながらボンヤリとしていた。何しろ、一日一食の日がもう一週間も続いているのだ。ただでさえ内容が粗末の極みなのに、これじゃあ身が持たない。振り絞る元気もなくゲンナリしていると、後ろからエイブラムの怒鳴り声が飛んできた。



 「おい、セシル!!何ボーっとしてやがる!!暇なんだったら、街に行って酒を買ってこい!!」



 はあ?何を言ってるんだこいつは。こんな時間に、街まで行けってか!?


 大体、酒がないのは、儲けもないのにあんたが昼晩構わずかっ食らってるせいだろうが。そんなに飲みたいなら、自分で行って買ってこい!!


 ……なんて言える筈もなく、あたしは渋々腰を上げる。



 「そらよ!!ちょろまかすんじゃねぇぞ」



 投げつけられる銅貨を受け取るあたし。こんな端金にもならない所からちょろまかして、何になるってんだ。

 ブツブツ言いながら戸に向かうと、シェミーが走り寄ってきた。



 「待って、セシル!わたしも行く!」

 「ええ!?いいよ!夜風は身体に障るよ!」

 「わたしは大丈夫!こんな時間に、女の子一人で歩く方が危ないよ!」



 あたしが拒んでも、シェミーは頑として聞かない。困っていると、後ろから怒号が飛んできた。



 「何ゴタゴタしてやがる!?モタモタしてたら、酒屋が閉まっちまうだろうが!!二人で行くなら、さっさと行きやがれ!!」

 「は~い。ただいま」



 シェミーが大声で答えた。

 もう。仕方ないなぁ。

 あたしは溜息をついて、宿の戸を開ける。目の端で、シンディがニタニタしながら手を振ってるのが見えたけど、気づかないふりをした。





 宿から街までは遠い。酒屋でお酒を買って帰る頃には、日はすっかり暮れていた。



 「あ~あ。やっぱり、暗くなっちゃった」



 夜闇が満ち始めた道を見て、あたしはまた溜息をついた。



 「全く。何の因果で空きっ腹抱えてこんな事を……」

 「ブツブツ言わない。愚痴れば、それだけお腹が空くよ」



 隣を歩くシェミーが、ニコニコしながらそんな事を言っている。何か、妙にご機嫌だ。ちなみに、その両手はあたしの左腕に絡みついている。


 この間の夜の件以来、この娘は前にも増してあたしにくっついてくるようになった。まあ、親友だし。別に嫌じゃないけど。


 陽気に鼻歌なんて歌ってるシェミー。

 あたしは、何となく言ってみる。



 「シェミー、寒くない?」

 「大丈夫。こうしていれば、暖かいよ」



 絡める腕に、ギュッと力を込めるシェミー。彼女の胸の感触が、腕に伝わる。それが、何だか気恥ずかしい。


 女同士なのに、何でこんな気分になるんだろう。


 その気持ちを誤魔化す様に、あたしはまた問いかける。



 「それにしても、何であんな真剣についてくるなんて言い張ったの?」

 「言ったよ。セシルが心配だから」

 「買い出しなんて、いつもの事じゃない」

 「暗くなるの、分かってたから。危ないし。それに、今は尚更……」



 シェミーの言葉に、ピンと来るものがあった。



 「ああ。ひょっとして、ハールシンギの事?」



 いい加減、聞き飽きた単語を出してみる。シェミーの肩が、ピクンと揺れた。



 「……図星?」

 「うん……」



 頷くシェミー。その顔に、夜闇とは違う影が差す。

 あたしは、心配になった。



 「シェミー。あんた、まだ……」

 「違うよ!!わたしが会いたい訳じゃない!!」



 抱いた不安は、即座に否定された。

 あたしの顔を見ながら、シェミーは言う。



 「本当にね、心配なの。セシルの事……」

 「え?」

 「この間の夜ね、言ってくれたでしょ?ずっと側にいてくれるって……」

 「う、うん……」

 「嬉しかったの。とても……」

 「……シェミー?」

 「あんな事言ってくれたの、セシルが初めてだったから……」



 あたしの顔を見つめるシェミーの顔が、妙に熱っぽい。くっついていた身体が、さらに密着する。彼女の動悸が早い。いや、あたしもか!?

 何だ何だ!?この状況!!



 「二人っきりでしか、こんな話出来ないし……」

 「いや、ちょっ、待ちなさい!!シェミー!!あんた、何かおかしいよ!?」

 「おかしいなんて、言わないで!!」



 強い声で、シェミーが言った。

 もの凄く、ビックリした。

 この娘が、こんなに強い気持ちを見せるのは初めてだ。

 たじろぐあたしに、シェミーは迫る。



 「セシルは嫌?こんな関係」

 「こ、こんな関係って……」

 「わたしはこんな身体だし、何も望まない!!でも、気持ちだけは分かってほしい!!」

 「ま、マジで!?マジで、そっちの話!?」

 「わたし、本気だよ!!」

 「え、あ、いや……その……」



 不思議と、嫌とか嫌悪の気持ちは沸かなかった。むしろ、身体目当てのむさくるしい男共に言い寄られるより、余程心地いい。

 とは言え、事情が事情。何て答えたら良いのか、分からない。

 って言うか、分かる奴いるのか。



 「セシル!!」

 「あ、あわわ……」



 シェミーの顔が間近に迫る。吐息が甘い。緊張してるのか、紅潮した肌が妙に色っぽい。たまらず、目を閉じる。

 頭の隅で、満面の笑顔でサムズアップするシンディの姿が浮かんだ。


 と――



 ドンッ ドサッ



 いきなり、路肩の茂みに押し倒された。


 ええ!?いきなり!?いきなりですか!?ちょっと待て!!待ちたまえ!!親友!!こういう事は、もっと順序を踏んでだね!!ほ、ほらっ、AとかBとかCとか!!て言うか、いくらあたしでも女同士なんてどうやったらいいのか分かんないし!!それにさ、場所がね!!こんなトコでね!!あのね!!そのね!!



 「しっ!!」

 「もがっ!?」



 テンパるあたしの口を、シェミーが塞ぐ。



 「ろ、ろうひらの!?」

 「何か、聞こえる」



 声を潜めて、シェミーが言う。



 「え……?」



 耳を澄ます。



 ジャン……



 聞こえた。

 確かに。



 ジャン ジャン ジャン……



 聞いた事のない、樂の音。

 いや。あたしは知っている。これは、この音は……。



 (音が、聞こえたんだ……)



 蘇る、アドレーの言葉。



 (ジャン、ジャンって、気味の悪い音が……)



 そう。この音は……!!



 「シェミー!!」

 「しっ!!」



 思わず叫ぼうとしたあたしの口を、シェミーが再び塞ぐ。

 耳を澄ます彼女。あたしも一緒に、耳を澄ます。



 ジャン ジャン ジャン……



 音は、あたし達が向かう方向から聞こえてくる。


 ゆっくりと。

 ゆっくりと、近づきながら。


 声を潜めて、あたしは言う。



 「シェミー……。あれは……」



 震える、あたしの声。それを聞いて、シェミーが確信した様に頷く。



 「ハールシンギ……なんだね?」



 水飲み鳥の様に首を振りながら、あたしはシェミーにすがりつく。



 「そんな……そんな、まさか、本当に出るなんて……!!」

 「セシル、落ち着いて!!」

 「に、逃げなきゃ……!!逃げなきゃ!!シェミー!!」



 頭の中では、死んだアドレーの言葉が反響していた。



 (ハールシンギを見た者は、不幸になるんだ!!)

 (きっと、俺は死んじまう!!)

 (川で溺れた、あの酔っ払いみたいに!!)



 そう。ハールシンギに出会った者は、不幸になる。そして、その不幸は死まで招くのだ。



 ジャン ジャン ジャン



 音が、近づいてくる。

 ゆっくりと。

 だけど、確実に。



 「セシル!!街へ戻ろう!!この時間なら、まだ人がいる」

 「う……うん……!!」

 「向こうはまだ、気づいていない筈だよ!!このまま、茂みの中を通って!!」



 シェミーに促され、あたしは立ち上がろうとした。

 けれど――



 「だ、駄目!!立てない!!立てないよ!!」



 そう。あたしの足は震えて、まともに動こうとしなかった。



 「ど、どうしよう!!どうしよう!!」

 「セシル……」



 と、半狂乱のあたしを見つめていたシェミーが、何かを決意した様に頷いた。彼女は優しくあたしの髪を撫でると、ニコリと笑って言った。



 「セシル、あなたはここに隠れていて」

 「……え?」

 「わたしが、囮になるわ」

 「!!」



 彼女が、何を言っているのか分からなかった。

 戸惑うあたしに、シェミーは続ける。



 「わたしが”あれ”の気を引くから、あなたはここに。そうすれば、あなたは”あれ”に会った事にならないかもしれない」

 「な、何を馬鹿な事言ってるのよ!!そんな事したら、あなたが……!!」



 喚くあたし。けれど、シェミーは揺るがない。



 「いいの。忘れた?わたしは、”あれ”に会いたがってたんだよ」

 「でも、違うでしょ!!今は、違うでしょ」



 そう。違う。今の彼女は、生きようとしている筈なのだ。だからこそ、だからこそ、この娘はあたしに想いを告げたのだから。

 けれど、シェミーは言う。笑ったままで。



 「わたしがそう思える様になったのは、あなたがいてくれたから。だから、あなたがいなくなっちゃあ、どの道わたしに先はないの」

 「シェミー……」



 ジャン ジャン ジャン



 音が、近づいて来る。

 道の奥に、微かに蠢くものが見えてきた。

 それを見て、シェミーが言う。



 「もう、間がないわ。いい娘だから、静かにしていてね」



 そして、彼女はあたしの額に軽くキスをする。



 「ありがとう。セシル。こんなわたしの人生に、光をくれて」

 「駄目!!待って!!」

 「我侭、言わないで」



 異形の行軍は、もう少しの所まで来ている。もうじき、互いの姿がはっきりと見えるだろう。

 そうなれば、きっと全ては終わり。

 シェミーが、すがるあたしの腕を振り解く。そしてそのまま、彼女は”それ”の前へと飛び出していく。



 ジャン ジャン ジャン



 あたしの悲鳴をかき消す樂の音。そして――



 プァアアアアアアアアン



 その樂の音を塗り潰す様に、高らかな音が夜空に響いた。

 瞬間、

 

 消えた。


 鳴り響いていた樂の音も。すぐそこまで迫っていた、異形の群れも。

 全てが、跡形もなく消え去っていた。



 「え……?」

 「な、何……?」



 呆然とするあたし達。と、



 「大丈夫かい?君達」



 不意に響いた声。飛び上がる。

 思わず振り返ると――


 そこに、黒い影法師が立っていた。

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