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月下奇譚  作者: 土斑猫
一夜の話
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一夜の話・肆

 あくまで表情は揺るがさず、目の前の異形を見つめる叉夜(さや)。彼女を、身体一つ高い場所から見下ろしながら、皐月の懇願はなおも続く。



 「あたしの……あたしの身体が……欲しがるの……。欲しい。欲しいって……だから……だから、だからお姉ちゃんは……――っ!!」



 不意に途切れる、言葉。皐月(さつき)の顔色が、見る見るうちに変わっていく。ただでさえ血の気の薄い肌がさらに蒼白になり、掻き抱いた身体が(おこり)にでも罹ったかの様に震え出す。



 「か……ふ……っ!!」



 滑稽に思えるほど裏返った声が上がり、その身体が大きくビクリと震え仰け反った。



 「か……ぐ……くぅ……ぎ……」



 悲鳴にすらならない、苦悶の声。


 その身体が巨蛆(きょそ)の下半身から跳ね曲がり、半ば逆立ちの様な体制で崩れ落ちる。


 華奢な身が、壊れてしまうのではと思うほど激しい痙攣を繰り返す。細い指が爪も剥がれんばかりにガリガリと床を掻き毟り、紅い滴を周囲に撒き散らす。


 その様を見た弥生(やよい)の顔が、恐怖と焦燥に強張る。



 「皐月ぃっ!!」



 少女の呻きに重なる様に、姉の悲痛な叫びが響いた。





 「………」



 叉夜は目の前の少女の狂態を、感情を映さない目で見つめていた。


 その視線がゆっくりと、悶える皐月の身体をなぞっていく。と、それがある一点でピタリと止まった。


 そこは、少女の身体と巨蛆(きょそ)の身体との境目。その不自然な体勢のせいで上着がめくれ上がり、件の場所はよりはっきりとその様を晒し出していた。


 少女特有の、ほっそりとした柔らかい曲線を描く下腹部に、網の目の様に走る血管で強引に接合された巨蛆(きょそ)の腹。


 苦痛に戦慄き、ぐっしょりと脂汗に塗れた人の肌に対し、その濁油の詰まった薄皮は冷たく乾き切っている。


 それは、淡々と静かな脈動を繰り返していたかと思うと、突然大きく膨らみ、一拍の後に急速に縮まるという運動を繰り返していた。その様は、まるで玩具の蛙に空気を送るポンプの動きを連想させる。そして、蛆の腹がその運動を成す度に、其と弥生を繋ぐ血管がグギュルと不気味に蠢く。そして――



 「――っあっ……かはっ!!」



 皐月の身体が苦悶のうめきを吐き、苦痛に跳ねるのだった。



 「………」



 その様を見た叉夜の目が、冷たく光る。彼女が一歩、皐月に向かって踏み出したその時――


 不意にその身が翻った。


 一瞬前まで、叉夜の身体があった空間。そこを、白い閃きが切り裂いた。クルリと向き直った叉夜の鼻先を、亜麻色の髪がかすめていく。



 「存外しつこいな。君も」



 呆れのこもった呟き。その先には、鬼気迫る様子で少年を睨みつける弥生の姿。その手には、いつの間にか拾い上げられた短刀。再び叉夜の鳩尾に向かって構えられた切っ先が、闇の中鋭い光を放っていた。



 「……お願い……」



 低く押し殺した声で、弥生が乞う。



 「あなたの命、皐月(あの娘)にください……!!」

 「………」



 己に向けられたその言葉に沈黙で答え、叉夜はただその目を細める。



 「……痛くない様にしますから……」



 弥生が、ジリッと少年に近寄る。



 「……ちゃんとお墓、作りますから……」



 一歩。



 「一生、忘れないでいますから……」



 もう一歩。



 「だから!!」



 叫びとともに、走り出す弥生。光る短刀をしっかりと両手で構え、叉夜の急所目掛けて一直線に。

 けれど、叉夜は眉一つ動かさず、迫り来る切っ先からするりと容易く身をかわす。



 「――っ!!」



 返す勢いでもう一撃。でも、結果は同じ。



 「避けないでよぉっ!!」



 悲痛とさえ思える声を上げ、弥生はがむしゃらに刃を振り回す。半ば正気の失せた目に涙を浮かべながら、舞う様に刃先を逃げる叉夜を追う。



 「ちょうだい!!あなたの身体!!あなたの命!!無駄にしないから!!骨の一片も、血の一滴も!!」



 大振りの一撃が空を切った瞬間、それまで常に刃の先にあった叉夜の身体が、スルリと弥生の懐に滑り込んだ。



 「!!」



 不意を突かれた弥生の目が、驚きに見開く。


 気がついた時には夜の色が視界を覆い、白く細い腕がその身体を床にねじ伏せていた。短刀が再び、乾いた音を立てて床を転がる。


 的確に力点を封じられているのだろう。万力で締めつけられた様に、固められた腕はビクともしない。



 「く……!!」



 苦痛に顔を歪めながら見上げると、叉夜が冷ややかな眼差しで彼女を見下ろしていた。あれだけの大立ち回りを演じたというのに、息を切らすどころか、汗一滴浮かべてはいない。



 「もう、やめたらどうだい?」

 「………」



 苦しげに喘ぐ弥生に向かって紡ぐ言葉は、数刻前にお茶を飲んでいた時と全く同じ調子。



 「好きじゃないんだがね。荒事は。疲れるだけだから」



 その言葉に、何とか逃れようともがいていた弥生がギッと叉夜を睨みつける。痛みに涙ぐみながらも、その瞳には以前絶える事無い鬼気が揺らめいていた。



 「……あなたこそ、やめてよ……。逃げるの……。何さ……。どうせ、ろくな使い道だって……無いくせに……!!」



 多少自由の許されている左手が、自分を押さえつける手を掴み爪を立てる。



 「お願い……ちょうだい……。あなたの、命……。持ってたって、持ち腐れじゃない……。あたし達には要るの……!!欲しいの……!!あの娘には……。弥生には……」



 突き立てられる爪を気にもせず、叉夜は溜息をつく。



「聞いていれば、随分と手前勝手な言い様じゃないか。使い道がどうだの、持ち腐れだの。そんな事は、君が決める事ではないだろう?」



 その言葉に、弥生の顔がクニャリと歪んだ。



 「分かるよ。だって、ここはそういう所なんだもの……。そういう人達しか、来れない所なんだもの……」



 たった今まで、顔に浮かんでいた筈の苦痛の色が消えている。代わりに、そこには奇妙な笑みが張りついていた。



 「ねえ……。叉夜さんは、何をしたの……?」

 「………?」



 意味の分からない言葉。叉夜は小首を傾げる。



 「現世(あっち)で、何をしたの?何があったの?居場所が無いの?それとも無くしちゃったの?命の使い方ってわかる?分からないでしょ?無駄な使い方してるでしょ?そういう人の前にだけ、開く様にしてあるんだもの。“ここ”の入口は」



 叉夜の腕を掴む手に、さらに力がこもる。



 「無駄だよね?居場所がなくて、使い道もなくて。辛いでしょ?苛々するでしょ?それもこれも、重い命を持ってるからだよ。持っててもしょうがない、使い道の分からない命を、持ってるからだよ。重すぎる荷物持つと、辛いよね?苦しいよね?それが使い道のない、いらないものだと、苛々しちゃうよね?それと、同じ。そういう時、どうすればいいか分かる?分かるよね?荷物、下ろしちゃえばいいの。簡単でしょ?だからね、それと同じ様にすればいいの。でも、下ろした荷物は、どうすればいいと思う?そのまま、置いてっちゃあ、勿体ないよね?どうする?教えてあげよっか?あげちゃえばいいの。欲しい人に、あげちゃえばいいの。そうすれば、自分は楽になるし、荷物は無駄にならないし、欲しかった人も満足するし、めでたしめでたし。」



 歪んだ笑みを貼り付けて、コロコロと笑う。笑う度に、締められた気管がヒュウヒュウと鳴るが、気にもしない。



 「分かる?ここはね、そういう場所なの。おも~い(荷物)を持っちゃった人が、楽になる場所なの。だからね……」



 正気の失せた瞳が、叉夜の後ろを見上げた。



 「君の荷物(いのち)、わたし達が貰ってあげる。」



 叉夜の背に、生温かい呼気がかかる。



 「!」



 瞬間、叉夜の頭の位置を風切の音と共に巨大な樹棍が通り過ぎた。


 床を転がる様にして身をかわした叉夜。目をやると、今まで床で悶えていた皐月がユラリと身を起こしていた。爛々と光る双眸が、叉夜を見つめる。



 「……おネエちゃんヲ……イヂめルな……」



 呂律の狂った口調で、ボソリと呟く。薄い唇の隙間から、肉食獣の様に長く鋭い牙がのぞいた。

 八本の樹手が、ギシギシと軋みながらその先端を叉夜に向ける。



 「……ユルさナイ……」



 歯牙をガチガチと鳴らしながら、ズズッとその巨躯が動く。



 「オねえチャンをイジメルやつは……コロシテやる……!!ころしてヤルんダカラぁっっ!!」



 グゥオンッ



 咆哮にも似た叫びと共に、樹手の一本が叉夜に向かって槍の様に突き出される。



 「!」



 寸ででかわした所に、続けざまにもう一本。今度はかわし切れずに、ローブの一部が裂かれる。



 「……一張羅なのだけれど」



 少々不愉快げな色を浮かべた視線が、暴れる巨躯に守られる様にしてこちらを見つめている弥生を捕らえた。


 笑っていた。酷く嬉しそうに、そして優しく。


 三日月に歪んだ口が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。



 ――お墓、作ってあげるからね――



 トン



 追い詰められた叉夜の背が、軽い音を立てて壁に当たった。

 そして――



 ガシャッ



 八本の樹手が、叉夜を巻き込む様に夜の空気を引き裂いた。

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