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月下奇譚  作者: 土斑猫
六夜の話
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六夜の話・弐

 その日の夜は、珍しく暇だった。


 いつもなら、この時間には馴染みの客や勢いに乗った酔っ払いで賑わうのに。


 バーはガラガラ。客が付いた娘も、2人しかいない。カウンターに立ってるエイブラムも手持ち無沙汰でジンをあおっている。


 まあ、あたしとしてはデリカシーのない男共の相手をしなくて良い分、気は楽だ。儲けがないのは、侘しいけれど。



 「でも、ホントに暇だねぇ」

 「街で何かあったのかしら?」



 テーブルでは、カリーナとシンディが安ワインをチビチビやりながらそんな事を言い合っている。



 「ねえ、セシル。あんた、今日買い出しだったんでしょう?街の様子、何か変じゃなかった?」

 「へ?」



 ボーッとしていた所に急に話を振られて、ちょっと慌てる。



 「んー?別にそんな事もなかったけどなぁ」



 昼間の街の様子。特に変わった様子もなかった様な……。ん?待てよ。


 何かが、頭に引っかかった。街の喧騒の中で、ちょこちょこと耳に入って来た単語があった様な気がする。聞きなれない単語。でも、今日のあたしには、ちょっと縁のある単語だった。



 「……『ハールシンギ』?」



 思わず、呟いた言葉。隣でだべっていたシェミーが、ピクリと聞き耳を立てる気配があった。



 「ハールシンギ?小鬼の団体?それが、どうした?」



 カリーナが、小首を傾げながら訊いてきた。



 「いやね。どうしたって言うか、今日街中で結構聞いたから……」

 「それが、今のこの無意味な時間と何か関係あるのかしら?」



 シンディも、何か興味をそそられた様に首を突っ込んできた。いや、あたしそんなに事の次第知ってる訳じゃないんだけど……。


 あたしが困っていると、隣でシェミーがビシッと手を上げた。



 「わたし、知ってるわ!!」



 おお、流石親友!!助け舟を出し……てくれた訳じゃないな。こりゃ。単に自分の持ってるネタを披露したいだけだ。



 「きっと、皆ハールシンギを怖がってるのよ!!」

 「なになに?」

 「何か、面白い事でもあったの」



 古今東西、女の子は噂話と怪談話が好きと決まっている。先の二人のみならず、他の娘達まで寄ってきた。ああ。皆、暇なのね。



 エイブラムは、とっくに酔い潰れて眠っている。邪魔が入る心配はない。


 そして、ほんの束の間、あたし達は現実を忘れて幻想に浸る。皆の輪の中で、バートから仕入れた話を得意そうに話すシェミー。その顔は、年相応の茶目っ気に溢れている。己の身体に巣食った病魔の事など、きっと綺麗さっぱり忘れているのだろう。なら、幻想でも何でもいい。この時が、少しでも長く続けばいいと思う。神様なんて、ロクな奴じゃない事は十分に知っているけど、それぐらいの気配りはあってもいいだろう。


 歌の様に流れるシェミーの語りを聞きながら、あたしはそんな事を思った。


 ……にしても、随分話を盛ってやしないかい?親友よ。





 そんな事をしながら、ロクな客もないまま夜も半分を過ぎた。そろそろ宿を閉めようかと皆が話し始めたその時、



 バンッ



 大きな音と共に、乱暴にバーの扉が開いた。


 皆の目が、集中する。


 そこに、アドレーが立っていた。


 何だ。やっぱり来るのか。こいつは。心の中で舌打ちをしそうになって、あたしは妙な事に気づいた。


 アドレーの様子が、おかしい。汗ビッショリで、顔色は真っ青。肩でハアハアと荒く息をついている。皆も、彼の異常に気づいたのだろう。妙な緊張感が、バーの中に漂う。


 アドレーはしばし、血走った目でバーの中を見回していたけれど、あたしと目が会うとズカズカと近づいてきた。



 「ア、アドレー?」

 「セシル、来い!!」



 そう言うと、アドレーはあたしの手を掴んで引っ張り出した。



 「ちょ、ちょっと!!どうしたのよ!?」

 「うるさい!!」



 やっぱり、おかしい。いつもなら、一杯飲んでから誘いをかけてくるのに、今日はその余裕がない。


 成す術もなく、引っ張られていくあたし。シェミーが「セシル!!」と悲鳴みたいな声を上げたので、取り敢えず「大丈夫」のサインを送る。



 「早く来い!!」

 「痛い!!痛いって!!」



 皆が呆然と見守る中、あたしはその為(・・・)の部屋へと引っ張られていった。





 「セシル!!」

 「あ……!!ちょ、待って……!!そんな、激し……んっ!!」



 その夜の行為は、激しかった。もともと野良犬みたいな男だけど、今回はそれを通り越して、(けだもの)の様だった。我を忘れて貪りつく。まさに、そんな感じだった。



 「は……はぁ!!ま、待って!!駄目!!もう駄目!!」



 何回目かの行為の後、とうとうあたしが悲鳴を上げると、アドレーはようやく我に返った様に身を引いた。



 「……すまねぇ……」

 「もう……。どうしたのよ?何か、あったの?」



 息を整えながら、問う。すると、アドレーは震える身体をかき抱く様にして言った。



 「……怖いんだ……」

 「怖い?何が?」

 「見ちまったんだよ……」

 「何を……?」

 「……だ……」

 「?」



 怯える声。よく、聞こえない。あたしが小首を傾げると、アドレーは声を振り絞る様にして叫んだ。




 「”ハールシンギ”だよ!!」




 その言葉に、あたしは思わず凍りついた。





 今夜、炭鉱から遅めに上がったアドレーは街の酒場で軽く一杯引っ掛けてから、ブラブラとあたし達の宿に向かって歩いていた。


 あたしが聞いた通り、街ではちらほらとハールシンギの噂が飛び交っていたけど、アドレーは意にも介していなかった。もともと、あたしと同じで、そんな絵空事を本気にする口ではないのだ。


 あたし達の宿があるのは、街の郊外。来るには、外灯が何本かあるだけの暗い道を通ってこなければならない。アドレーはほろ酔い気分で口笛なぞ吹きながら、その道をブラブラと歩いていたらしい。


 すると、しばらく行った所で道の向こうから妙な音が聞こえて来た。



 ジャン ジャン ジャン



 何かの楽器を鳴らす音。何かと思って目を凝らすと、暗い道の向こうから、何やらこっちに向かって歩いてくる大勢の人影が見えた。


 最初は、旅芸人の一座でもやって来たのかと思った。けれど、そんなものがこんな夜中に来るのは何かおかしい。不審に思っているうちに、団体はどんどん近づいて来る。



 ジャン ジャン ジャン



 大きくなる音。そして、団体の先頭が外灯の光の中に浮かんだ時。


 アドレーは、凍りついた。


 仄明かりに浮かぶその顔は、人間じゃなかった。工場が吹き出す、スモッグよりも黒い肌。頭から生えた、山羊の様な角。耳まで裂けた口からは杭の様な牙が覗き、皿の様に大きな丸い目は爛々と光を放つ。


 正に、地獄の形相。


 そしてそれは、先頭だけじゃなかった。それに類する化け物達が、その後もゾロゾロと隊列を成して行軍してきたのだ。


 アドレーは言う。人間ってのは、本当に怖いと声も出なくなるんだなと。


 魔物達は、手にした楽器を鳴らしながら通り過ぎていく。まるで、立ち竦むアドレーの存在など意に介さない様に。


 10分?20分?もっと長かったかもしれないし、短かったかもしれない。地獄の行軍が通り過ぎ、闇の向こうに消えてしまうと、アドレーはようやく悲鳴を上げて走り出した。来た道を戻るなんて、考えられない。そんな事をしたら、またあの魔物達に行き合ってしまう。アドレーは、必死の(てい)であたし達の宿を目指した。





 「あれは……あれは間違いなく『ハールシンギ』だった……!!酔っ払いの与太話なんかじゃ、なかったんだよ!!」



 子供の様に毛布にくるまり、ガタガタと震えるアドレー。その様は、酔ってる様にも嘘をついてる様にも見えない。



 「アドレー……」

 「怖いんだよ!!ハールシンギを見た者は、不幸になるんだ!!きっと、俺は死んじまう!!川で溺れた、あの酔っ払いみたいに!!」

 「ちょっと。落ち着いてよ。」

 「死にたくねぇよ!!死にたくねぇんだ!!」

 「もう!!落ち着けっての!!」



 そう言って、あたしは半狂乱の彼をたいしてない胸に埋める様に抱きしめた。



 「大丈夫。あなた、休みなしで働いて疲れてるのよ。だから、幻を見たんだわ」

 「でも……」

 「大丈夫って言ってるでしょう?ほら、今夜はずっとこうしててあげるから」

 「セシル……」



 ガバッ



 アドレーが、感極まった様にあたしをベッドに押し倒した。母親に泣きつく子供の様にむしゃぶりついてくる彼を受け止めながら、あたしは(今夜は徹夜だな……)なんて事を考えた。





 次の日の朝、ようやく落ち着きを取り戻したアドレーは、「悪かったな」と言って宿を出て行った。あたしに、いつもの倍の額の銅貨を握らせて。


 そして、それが彼を見た最後。


 その日、アドレーは死んだ。


 炭鉱で起こった、大規模な落盤に巻き込まれて。


 生き残った炭鉱夫が言っていたという。

 何処かで、ジャンジャンと鳴る楽器の音を聞いたと。

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