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月下奇譚  作者: 土斑猫
五夜の話
35/59

五夜の話・漆

 ――わたしは、孤独だった。


 名家と言われる家に生まれ、その家の名に縛られて育った。


 親は情が薄く、プライドが高く、それに応じた生き方をわたしに強いてきた。


 幼い頃から多くのしがらみに縛られて、周りの人達からは一線を引いた世界に置かれていた。


 親は、家の名を守る事ばかりに忙殺され、それらしい愛を受けた記憶はない。


 関われるのは、雇われた使用人達やそして塾や習い事の先生達。けれど、彼らもまた、機械的に仕事をこなすだけ。絆など紡げない。


 そんな生き方しか知らないわたしが、人並みに友人を作る術など学べる筈もなく。また、同世代の娘達が作るコミュニティも、そんなわたしを拒絶した。


 孤独。


 それだけが、幼いわたしに与えられたもの。


 そんなある日。塾帰り、薄闇が降り始めた路地。その片隅で、わたしはあの娘に会った。





 ブォンッ



 夜気を引き裂き、朱里(あかり)に向かって振り下ろされる月鏡(つきがね)。冷たく重い塊が彼女を叩き潰そうとしたその時、



 グイッ



 月鏡(つきがね)の下から、朱里の姿が消えた。



 「!!」



 驚いて手を止める訃月。地面すれすれで、月鏡(つきがね)がブワリと土煙を上げる。


 驚いたのは彼だけではない。今まさに、光の外に出ようとしていた朱里。彼女を迎え入れようとしていた、鬼達。その全てが、起こった事象に目を剥いた。





 ――わたしが見つけた時、彼女は暗がりに立つ外灯の光の中で佇んでいた。


 その小さな背中を見た時、何かがわたしの中で高鳴った。


 今思えば、それが運命というものだったのかもしれない。


 胸に灯った高鳴りに背押される様に、わたしは彼女に近づいた。声が届く距離まで近づくと、赤茶色のショートカットが、甘く香った。


 緊張に、口が渇く。舌の戦慄きを、無理やり飲み込む。一拍の間。そして、わたしは声をかけた。それまでの自分の、全てをかける思いで。


 ――「遊ぼ」――



 「!!」



 振り向いた彼女の、驚いた顔。


 わたしはそれを、一生忘れない。





 清音朱里(きよねあかり)は、光の中で仰向けに倒れていた。何が起こったのかは、分からない。光の外に踏み出して、闇に身を委ねようとした、まさにその瞬間。誰かが彼女の左手を握り、光の中へ引き戻したのだ。突然の事に忘我するのは、ほんの一瞬。今も左手を握る、その温もり。間違える、筈が無かった。





 ――わたしと朱里。形は違えど、孤独な者同士。惹かれ合うのは、当然だったのかもしれない。

 わたしの話を、彼女は親身になって聞いてくれた。それに答えようと、わたしも彼女の話を懸命に聞いた。


 彼女の話は、とても怖いものだった。けど、嘘をついてるとは少しも思わなかった。むしろ、一番の秘密を話してくれた事が嬉しかった。何よりも、嬉しかった。





 闇の呼びかけに、冷え切っていた心。それに、火が灯る様に温もりが戻る。


 ああ。

 ああ。


 やっぱり。

 やっぱり、来てくれた。


 そう。


 逝く筈がない。


 ”彼女”が、あたしをおいて逝く筈がないのだ。


 胸の高鳴りと共に、彼女の手を引く。



 「汐音(しおね)!!」



 けれど。


 引き寄せたその手は、酷く軽かった。





 ――以来、わたしの心はいつも朱里と一緒にあった。


 心が成長して、その想いの形が変わってきても。


 わたし達はその事を不自然だとは思わなかった。

 わたしと朱里は一つ。

 わたしにとって、朱里は全て。


 貴女が悲しみに沈むなら、その涙は全てわたしが受け止める。

 貴女が痛みに苦しむなら、その痛みは全てわたしが引き受ける。

 貴女が闇に手を引かれるなら、わたしがその手を引き戻す。


 そう。何があっても、あなたはわたしが守る。


 だから。

 だから。


 貴女は、わたしの側にいて。


 ずっと。

 ずっと――





 「……そう、くるかよ……」



 ”それ”を見た訃月が、驚いた様に呟く。


 周りを囲む鬼達も、沈黙している。



 『おお……』



 一つだけの目を剥き、夜行(やぎょう)が呻く。



 『かくも、恐ろしきものか。人間(ひと)の情は……』



 その視線が見つめるのは、身を起こした朱里の左手。それが、握るもの。


 それは、”手”だった。


 手首より先のない、華奢な女性の手。


 それが、しっかりと繋ぎ合う様に、朱里の左手を握り締めていた。





 朱里は、見つめる。自分の手を握る、”彼女”の手を。

 闇に向かおうとした自分を、光の中へと引き戻した手。

 その想いを表す様に、今だ熱を保つそれ。



 「汐音……」



 呟く、愛しい名前。

 それに答える様に。

 握る手から、朱い雫がシトリと落ちた。



 「……参ったね。どうも……」



 全てを悟った訃月が、独りごちる。



 「こりゃあ、下手な真似すりゃ、祟られるどころじゃ済まねぇなぁ」



 そして、その鋭い視線は、周りを囲む異形の群れへと向けられる。



 「わりぃな。やっぱお前らが消えてくれや」



 ブゥンッ



 重い風切り音と共に、月鏡(つきがね)が鬼達へと向けられる。鬼の何匹かが、気圧される様に下がる。しかし、頭領である夜行は引く様子を見せない。



 「……引かねぇか?」



 その問いに、夜行(やぎょう)は赤濁の単眼を細ませる。



 『……言ったであろ?其が娘は(我ら)が姫。それが、この世に生ぜし時からの定めよ……』

 「厄介なモン、背負い込むぜ?」

 『カカ……。我らを何と思うておる?其が程度の情念、飲み干せずして何が鬼か』



 揺るがぬ言葉。訃月は、ボリボリと頭を掻く。



 「成程。鬼にゃあ鬼の矜持があるか。なら……」



 ゴウ



 訃月が、手にした月鏡(つきがね)を振るう。夜気が弾け、夜行の衣を揺らした。



 「戦るしか、ねぇな」

 『さればこそ』



 一拍の間。そして、



 ジャンッ



 首なし馬の鈴が鳴る。

 それを合図に、無数の異影が訃月へと雪崩打った。





 外灯の、光の前に立つ少年。


 彼に向かって、殺到する異形の群れ。迎え撃つ様に、少年が手にした鉄塊を振るう。その威容に見合うだけの重量がある筈のそれが、目に映らない速度で旋回。飛びかかってきた鬼の一群を薙ぎ払う。打たれた者は敢え無くひしゃげ、血塊と肉片となって飛び散っていく。やせ細った月の下で、異形の悲鳴が響き渡った。


 眼前で繰り広げられる、凄惨極まる光景。けれど、それを前にして朱里は微動だにしていなかった。その目が映すものは、ただ一つ。


 その手の中にある、想いを寄せ合った者の残滓。


 先刻、確かに自分の手を引いたそれ。


 その時の力は、今のそれにはもうない。さっきまで、確かに宿っていた熱も僅かずつ消えていく。けれど、それに宿る想いを、朱里は確かに感じていた。



 「……約束、したものね……」



 もはや物言えぬ姿となった彼女に向かって、朱里は囁く。



 「ずっと……ずっと、側にいるって……」



 その呼びかけに答える様に、彼女が動いた様な気がした。



 「汐音は、守ってくれたよね……」



 ――何があっても、あなたはわたしが守る――



 「………」


 こみ上げるものを飲み込んで。朱里は言う。

 「だから、あたしも……」

 彼女の、願いは一つ。


 ――わたしの、側にいて――



 叶える術は、ただ一つ。



 「約束、守るから――」



 そして、朱里は彼女に唇を寄せた。





 ジャンコ



 重い、鈴音が鳴る。


 巻き上がる土煙。それ突き破り、巨大な蹄が襲いかかる。



 「あぶねっ!!」



 咄嗟に掲げる月鏡(つきがね)



 ズシンッ



 重い衝撃と共に、蹄が月鏡(つきがね)を叩く。その威力を片手で支えながら、訃月は唸る。



 「ったく!!いい加減諦めろっての!!」

 『かの娘が華開く頃、如何程待ったと思っておる?そう易く諦めると思うてか?』

 「執念深すぎるんだよ!!このロリコン野郎!!」

 『カカッ!!深き情念こそ、(我ら)の本質よ!!』



 嗤う夜行(やぎょう)が駆る首なし馬。その巨体を、訃月は渾身の力で押し返す。



 ズシンッ



 目の前に落ちる巨躯。その後ろには、光る眼光がまだ無数に見える。それを見て、訃月は舌打ちする。



 「チッ!!やっぱ根絶やしにするしかねぇか!?めんどくせぇ!!」

 『カカッ!!難儀ならば引くが利口ぞ!!』

 「いまさら引けるかっつの!!」



 そう吠えて、訃月が月鏡(つきがね)を構え直したその時――



 ゾワッ



 凄まじい鬼気が、その背を襲った。



 「な、何だぁ!?」



 一瞬、新手かと思った。しかし、その考えはすぐに思い直される。


 怯えていた。


 周囲を幾重にも囲む、鬼の群れ。それに、例え様もない戦慄が走っていた。それは、かの夜行(やぎょう)でさえも例外ではなく。



 『何と……』



 呆然と目を見開くその様に、訃月は思わずその視線を追って振り返る。


 そこにあったのは、形を成した地獄だった。

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