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月下奇譚  作者: 土斑猫
五夜の話
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五夜の話・陸

 目の前に堕ちた鋼鉄の塊。その地を割らんばかりの衝撃に、朱里(あかり)は声も出せずにヘナヘナと腰を落とした。



 「……ったく。人の話を聞かねぇ女だな。余計な世話かけんじゃねぇよ」



 手にした鉄塊を振り下ろした訃月(ふづき)が、イラついた様にそう言った。大きさからして、その鉄塊は彼が背負っていた包みの中身だろう。白銀に輝く三日月の様な形をしたそれを、片手で軽々と持ち上げて肩に乗せると、彼は腰を抜かしている朱里を睨む。



 「あんた、その気がないなら、まともに相手すんじゃねぇ。鬼の言霊には魔力があるんだ。聞いてっと、心を囚われんぞ」



 放心したままの朱里を一瞥すると、訃月はその視線を異形の群れとその頭役へと向ける。



 「おら、お前らもこんなメスガキに色目使ってんじゃねぇよ。喰うもん喰ったなら、さっさと消えろ。じゃねえと、一匹残らず叩き潰すぞ」

 『おお、怖い怖い……』

 『怖い子だねぇ……』



 訃月の剣幕に、群れる雑鬼達が怯える様に騒めく。


 しかし、鬼の頭領――夜行(やぎょう)は微塵も揺るがない。ただ、乾いた声でカカと嗤う。



 『そう言う主も、女子(おなご)一人に随分とこだわるではないか』

 「男が女助けて、何が悪い?」



 当然の様に言ったその言葉を、周りの鬼達がゲラゲラと嘲る。


 夜行(やぎょう)は言う。



 『詭弁を弄すな。主は、その様な殊勝な心根の持ち主ではあるまい?』



 そう。訃月は先だって、この異変に巻き込まれた人々が鬼に喰われた事を平然と流している。彼が、人間としての情に薄い事を夜行(やぎょう)は見抜いていた。



 『所詮、主も我らと同じ。(うつつ)(ことわり)から外れた在であろうが?』



 そう断じて、夜行(やぎょう)はまた嗤う。対する訃月は、不愉快そうにチッと舌打ちをした。

 そんな訃月を一瞥すると、夜行(やぎょう)は視線を朱里へと戻す。


 『実の所、主も勘付いているのではないかえ?』

 「………」



 その言葉に、訃月は何も返さない。沈黙は肯定。夜行やぎょうはニヤリと裂けた口を歪に歪める。



 『そうよ。その娘はな、(我ら)の姫であると共に、”門”でもあるのよ』



 ヒクリ



 首が、疼いた。

 朱里は、震える手で首を抑える。



 『其が娘が、何故首を隠す衣装を装っていたか分かるかえ?』

 「………」



 訃月はやはり、黙ったまま。辺りを囲む異形が、ゲラゲラと嗤う。



 『知らぬのなら、教えてやろう』



 朱里が乞う様に視線を彷徨わせるが、応じる者などいる筈もない。否、悟る者はいたかもしれない。ただ、その思いに応じるつもりがないだけ。



 『其が首にはなぁ……』



 鬼はただ、無慈悲に紡ぐ。己の存在の有り様、そのままに。


 朱里は喘ぐ。首に刻み込まれた”それ”を抑え、成す術なく。



 『実の親に付けられた”絞め痕”が残っているのよ』



 そう言って、夜行(やぎょう)は自分の首を長い爪でスゥとなぞった。





 そう。十年前のあの日。朱い西日の差し込む部屋の中。その目から涙を零しながら。母さんは、あたしの首を絞めた。


 「ごめんね。ごめんね」と泣きながら。


 けれど、その手が緩む事は決してなかった。


 飛び込んできた大家さんと、児童保護施設の職員に止められる、その時まで。


 以来、あたしは母さんに会っていない。





 『愛されるべき者に拒まれ、付けられた痕……』



 鬼が、言う。

 酷く、優しく。



 『深い深い、負と陰の想いで刻まれた傷……』



 酷く、愛しく。

 鬼が、言う。



 『其は、この上なく美しい……』



 ヒクッ



 ああ。

 ああ。


 首が。喉が。疼く。

 痕が。母さんの痕が、疼く。



 『それは正しく、(我ら)を導く導……』



 ガリ……



 掻く。



 ガリガリ……



 掻き毟る。

 けれど、疼きは止まらない。



 『(うつつ)此方(こなた)を繋ぐ門……』



 ガリッ



 爪が、痕を削る。


 ポトリ



 滴り落ちる血。


 昏い影の中で揺れるそれは、地獄の様に黒く見えた。


 汐音(しおね)……。


 いつしか、あたしは彼女の名を呼んでいた。


 初めて、本当のあたしを認めてくれた女性(ひと)

 初めて、本当のあたしを見つめてくれた女性(ひと)

 初めて、本当のあたしを愛してくれた女性(ひと)


 駄目。

 駄目。


 いなくちゃ。

 あなたが、いなくちゃ。


 あたしは、あたしでいられない。

 あたしは、人間(ひと)でいられない。


 どうして。

 どうして、いてくれないの?

 どうして、今ここに。


 遠い闇の中に、彼女の姿を追おうとした時、



 『分かるであろう?』



 鬼が、言った。


 彼女に代わる様に。

 彼女の隙間を埋める様に。


 あたしに向かって、鬼が言った。


 顔を上げる。


 紅く濁った一つ目。


 視線が、合った。



 『其が、そなたの在る意味よ』



 大きな口が、ニヤリと笑む。



 『そなたは、(我ら)の姫……』



 首の無い馬。その上から、手が伸びる。

 周りの闇からも、手が伸びる。



 『敢えて、言おう』

 「おい!!耳を借すなって!!」



 彼が言う。でもそれはとても遠い場所。耳を捕らえるのは、昏く響くかの声だけ。



 『最早、(ここ)にそなたがいる場はない』

 『そうだよぉ』

 『そうだよぉ』



 闇が、囁く。



 『此方にこそ、そなたの安寧はあるのだ』



 それは、とても優しい声。

 そして、とても嬉しい言葉。

 そう。彼女の事すら、忘れさせるくらいに。



 『さあ。来るがいい』



 闇が、言う。



 『此方へ。そなたの、在るべき場所へ』



 誘う。招く。


 おいで……おいで……

 おいで……おいで……

 おいで……おいで……


 優しく。

 愛しく。


 闇が、呼ぶ。


 伸びてくる手。

 差し伸べられる、手。


 彼女以外、誰もしてくれなかった事。



 『そなたは、(我ら)同胞(はらから)。代え無き、宝』



 彼女以外、誰も言ってくれなかった事。


 それを今、してくれる者達がいる。

 それを今、言ってくれる者達がいる。


 彼女、以外に。



 『さあ、おいで。愛しい姫よ』



 首が、疼く。


 行こう。

 行こうと。


 囁きかける。



 フラリ



 砕けていた、腰が上がる。



 「おい!!」



 彼が叫ぶけど、それは酷く遠い響き。


 聞こえるのはもう、彼らの誘う声だけ。


 おいで……おいで……

 おいで……おいで……

 おいで……おいで……


 さあ、おいで……


 差し伸べられる、安らぎの手。


 これさえ、これさえ掴めば。


 あたしは、救われる。


 ゆっくりと、手を伸ばす。


 後、数センチ。

 数ミリ。


 最後の瞬間は、酷くゆっくりと……。





 (ちっ……。こりゃ、ダメか……)



 自分の声が朱里に届かなくなった事を悟った訃月は、手に握る鉄塊――「月鏡(つきがね)」をチラリと見た。


 本来、鬼の活動日は月に一度の百鬼夜行日に限られている。故に、人の影として増え続ける鬼が世に溢れる事はない。


 けれど、朱里は鬼の姫。


 その身に鬼門を宿し、鬼を導く力を持っている。彼女が鬼界に堕ちれば、鬼達は日に縛られる事なく、自在に現に渡る術を手に入れる事になる。そうなれば、鬼の存在は(うつつ)に溢れ、世が混乱に包まれるは明白だった。



 (夜行日にいくらか捕られるくらいなら多めに見るが、流石にそれは不味いよなぁ……)



 今、力づくでこの場を収めたとしても、夜行日は今日だけではない。最後の楔であった伴侶を失った今、遅かれ早かれ朱里の心は鬼に囚われるだろう。それならばいっそ……。


 決断は早かった。


 彼の目の前には、虚ろな目をして歩く朱里の姿。彼女は、今まさに光の結界を出て鬼達の手を取ろうとしていた。一人の人間と、幾百の鬼の群れ。相手にするに易いはどちらか、考えるまでもなかった。



 (女を殺すと、祟るんだがなぁ……)



 内心ブツブツ言いつつも、その行動に迷いはない。月鏡(つきがね)を握る手に、力を込める。



 「わりぃな!!取り敢えずは、”あっち”で相方とよろしくやんな!!」



 そして、訃月は月鏡(つきがね)を朱里の脳天めがけて振り下ろした。

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