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月下奇譚  作者: 土斑猫
五夜の話
33/59

五夜の話・伍

 カツン カツカツン



 千切れたチョーカーが、乾いた音を立てて地面に転がる。


 外灯の光の中、崩れ落ちた朱里(あかり)。震える手で、首を抑える彼女。その眼差しは、焦点も虚ろに周囲を見回す。


 それは、先の地獄の再現だった。


 深々と落ちる外灯の光。それを囲む様に、無数の異形が蠢いていた。



 「おー、おー。こりゃまた、さっきの五割増ってとこか?」



 周りを見回しながら、訃月(ふづき)が呑気に口笛を鳴らす。



 「あ……、あぁ……」



 怯える朱里が、声を揺らす。そんな彼女を値踏みする様に、数多の目がギョロギョロと動く。



 『可愛げだねぇ……』



 濁った、声が響く。



 『ああ。本当に、可愛げだねぇ……』

 『愛でてあげるよぉ……。愛しんであげるよぉ……』

 『だから、おいでよぉ……。こっちへ、おいでよぉ……』

 「ひ……ひぃ……」



 光の中には、入れないのだろう。それらは囁き、しきりに手招きする。その誘いから少しでも離れようと、朱里は外灯の柱に背を寄せる。

 そんな彼女をなだめる様に、それらは言う。



 『大丈夫だよぉ……。大丈夫だよぉ……』

 『喰わないからぁ……。喰わないからぁ……』

 『そなたは、喰わないからぁ……』

 『他のみたいに、喰わないからぁ……』

 「……え……?」



 ふと耳に入った言葉に、朱里が顔を上げる。



 「喰うって……何……?」



 誰ともなしに、かけた問い。けれど、それに答える者が一人。



 「あ~。この隠里世(かくりよ)に巻き込まれた、他の人間達だろ」

 「!?」



 ハッと目を向ける。そこには、訃月が何でもない顔をして立っている。



 「今、この公園は隠里世(かくりよ)……一種の結界ん中に取り込まれてるんだけどよ。その時、運の悪いのが何人か取り込まれたからな。そいつらが、喰われたんだろうさ」



 「な……!!」



 絶句する朱里。その様を見て、訃月は薄く嗤う。



 「何、目丸くしてんだよ?鬼が人を喰うなんざ、昔からど定番の話じゃねぇか」



 その言葉に呼応するかの様に、”それ”らが囁き始める。



 『美味かったねぇ……』

 『ああ、美味しかったねぇ……』

 『久方ぶりの、人だったからねぇ……』

 『男は、硬かったけどねぇ……』

 『女は、柔らかだったねぇ……』

 『柔らかだったねぇ……』

 『甘かったねぇ……』

 『美味だったねぇ……』



 ゲラゲラゲラ



 ”それ”らが嗤う。楽しげに。嬉しげに。


 その声を聞きながら、朱里は全身の血が下がっていくのを感じていた。


 柔らかだった?

 甘かった?

 何が?

 女?

 ”女”の、肉が?



 ガバッ



 思うよりも早く、身体が動いた。


 急に立ち上がった彼女に、訃月が「お?」と軽く驚きの声を上げる。けれど、そんな事には構っていられない。朱里、目の前で蠢く”それ”に向かって叫ぶ。



 「あんた達!!汐音(しおね)に何をした!?」



 怒号にも似たそれに、けれど返るのはクスクスと言った笑いだけ。



 「答えなさいよ!!あんた達……あんた達、まさか、汐音を……!?」



 戦慄く朱里を、”それ”らの目がキョロキョロと見つめる。



 『知りたいかい?知りたいかい?』

 『なら、おいで。こっちへ、おいで』

 『教えてあげるよ。教えてあげるよぉ……』

 「――――――っ!!」



 抑えきれなくなる激情。朱里が光の外へ駆け出そうとした、その時。



 グイ



 襟首が、掴まれた。掴んだのは、訃月。強い力。足が、止まる。



 「何、知れた挑発に乗ってんだよ。案外、単純だな。あんた」



 呆れた声。けれど、構わない。子供の様にバタつきながら、朱里は叫ぶ。



 「放して!!汐音が!!汐音を、助けないと!!」

 「しおね?」



 一瞬小首を傾げ、訃月は「ああ」、と相槌を打つ。



 「あんたの相方か?なら、諦めな。もう、生きちゃいねぇよ」

 「―――っ!?」



 強張る、朱里の顔。けど、それを振り払う様に頭を振る。



 「違う!!そんな事ない!!汐音が、あたしを残して死ぬ筈ない!!汐音は!!あたし達は……」



 あまりに必死なその様子に、何かを察したのだろう。訃月はもう一度、「ああ」と呟く。



 「あんた達、そう言う仲か」

 「!」



 訃月の言葉に、朱里は顔を紅く染めて黙り込む朱里。訃月は、さらに言う。



 「なら、尚更断ち切りな。秘める恋慕の情は、ことさら強く人を鬼に引き寄せるぜ」

 「そんな、事……、そんな事、出来る訳……ないじゃない……」



 潤む声で呟くと、朱里はガクリと膝から崩れ落ちる。



 「汐音……こんなの……こんなのって、ないよぉ……」



 顔を手で覆う。震える身体。指の間から、ポロリポロリと雫が落ちる。



 「やれやれ。泣く女は苦手なんだがなぁ……」



 そう言って、訃月が頭を掻いたその時、



 ジャンコ……



 奇妙な音が、辺りに響いた。


 その音に、目を細める訃月。



 ジャンコ ジャンコ ジャンコ ジャンコ……



 近づいてくる、音。それに道を譲る様に、鬼の群れが分かれていく。見れば、分かれる群れの中を突っ切る様に何やら大きな影が近づいてくる。そして……



 ジャンコ ジャンコ ジャンコ……



 現れたのは、巨大な漆黒の馬。しかし、ただの馬ではない。その馬には、頭が無かった。太い首は途中でスッパリと断ち切れ、臓物の覗く断面からボタボタと赤黒い血を零し落としていた。



 ジャンコ……



 首なし馬が歩みを止めると同時に、音も止まる。音は、馬の首元に飾られた大きな鈴が鳴る音だった。



 ブルル……



 無い頭を振るい、首なし馬が嘶く。けれど、訃月の目が向けられるのはそれではない。彼の視線の先。それは、首なし馬の背。そこに跨った、大きな影。



 『哀れよなぁ……』



 その影が、不気味な声を放つ。周囲の闇が、それに怯える様に震える。その声に相応しい、異形の人影だった。


 全身は、古い時代の公家の様な衣装に包まれている。乱れた髪は、馬の背から垂れる程に長い。額から伸びるのは、二本の長い角。目は一つ。盆程もある、紅く濁ったそれが、ギョロギョロと顔の中心で蠢いていた。



 『誠、哀れな事よ……』



 鋭い歯牙が幾重にも並んだ、口。文字通り、耳まで裂けたそれをパクパクと動かして”それ”は話す。



 『現世うつつよに疎まれ、拒まれた挙句に、最後の絆さえも失ったか……』



 濁ったその言葉に、確かな憐憫を感じるのは気のせいだろうか。



 「よく言うぜ」



 吐き捨てる様に、訃月が言う。



 「その最後の絆とやらを奪ったのは、テメェの眷属だろうが。『夜行(やぎょう)』」



 ギョロリ



 その言葉を聞いてか、「夜行(やぎょう)」と呼ばれた存在は訃月を見る。



 『くく。眷属とは言え、(我ら)は自由なもの。個々が何を成すかは、我の関する所ではないのぅ……。それに……』



 ギョロン



 目玉が蠢き、今度は顔を覆って震える朱里を見据える。



 『此れが娘を現に縛るものは、これで絶えた。何の憂いもなく、此方に来れると言うものではないかのう……』



 ピクリ



 その言葉に、朱里の肩が揺れた。



 「ふざけないで!!」



 爆ぜる様に響く、少女の叫び。その目を涙に濡らした朱里が、憎悪に満ちた表情で夜行を睨めつけていた。



 「(あんた)達じゃない!!(あんた)達が、汐音を殺したんじゃない!!なのに……何で!?何で(あんた)達の仲間になんかなれるって言うの!?」



 バリンッ



 唐突に響く裂音。朱里が、傍らに転がっていた空瓶を外灯の柱に叩きつけたのだ。飛び散る破片が、注ぐ光の中でキラキラと舞う。ギラリと光る、割れた瓶。それを手に持ち、朱里はユラリと立ち上がる。



 「殺してやる……」



 昏く響く、怨嗟の言葉。



 「(あんた)達、みんな、殺してやる!!」

 『カカッ』



 その言葉を聞いた夜行(やぎょう)が、さも嬉しそうに嗤う。



 『良いなぁ。実に良い。呪い。怨嗟。憎悪。其が負の想い。正しく、(我ら)の華に相応しい』



 ゲラゲラ ゲラゲラゲラ



 鬼が嗤う。嘲り、歓喜し、鬼が、嗤う。



 「上等だよ……」



 鬼気迫る表情と声で、朱里は言う。



 「そうならなきゃいけないなら、あたしは鬼になってやる!!同じ鬼になって、(あんた)達を皆殺しにしてやる!!」



 ギリリ



 噛み締める唇と、瓶を掴む手から滴る血。血の気の失せた白い肌と、紅く咲く血雫。壮絶な色彩の中で、鬼の姫が吠える。



 「死ね!!皆、皆、死んでしまえ!!」



 絶叫しながら、駆け出す朱里。


 おいで……おいで……

 おいで……おいで……

 おいで……おいで……


 悍ましく。優しく。誘い招く、手の中に。


 駆ける足が、光の結界を飛び出そうとしたその時、



 ズガンッ



 獅子の咆哮の様に低く響く音が、冷たい夜気と地を揺るがした。

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