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月下奇譚  作者: 土斑猫
五夜の話
32/59

五夜の話・肆

 それよりしばし前。鈴城汐音(すずしろしおね)は一人、夜の帰路を急いでいた。



 カツカツカツ



 誰もいない公園。彼女の足音だけが響く。


 変だとは、思っていた。パタリと絶えた、人の気配。まるで、自分だけが闇の中に切り取られた様な、孤独感。この公園で、こんな感覚を覚えるのは初めての事。



 カツカツカツ



 幾度か、足を止めようと思った。けれど、それをすればそのまま闇に囚われる様な気がする。背中を滑る、嫌な汗。それを振り払う様に、もう一歩を踏み出そうとしたその時、



 ビョウ……



 一陣の風が吹いた。

 生温かく、生臭い風。思わず、足が止まる。



 「嫌だ……。何、この風……?」



 乱れる髪が、視界を遮る。このままでは、歩く事もままならない。風に嬲られる髪を、何とかまとめようとする。


 髪と格闘する汐音。だから、彼女は気づかない。


 後ろから、近づくモノがある事を。


 ”それ”は、ゆっくりと。けれど確実に。汐音へと近づいていく。


 闇に溶け。

 夜に沈み。

 音もなく。

 気配もなく。


 ゆっくりと。ゆっくりと。それは、近づく。


 ゆらぁりと上がる、腕。捻くれた指の先で、鋭い爪が光る。


 乱れる髪が、やっと纏まった。ホッと息をつく、汐音。


 彼女は、気づかない。ゆっくりと掴みかかってくる、その爪に。


 馬鹿馬鹿しい程に、大きく裂けた口。太く歪な、無数の牙。ほんの、数センチ先にある美酒。それに誘われる様に、”それ”がゴクリとおとがいを鳴らす。


 汐音は、気づかない。気づかない。

 近づく。近づく。”それ”が、近づく。


 あと、数センチ。あと、数ミリ。そして、最期の瞬間は、酷くゆっくりと。


 ……悲鳴は、なかった……。





 「鬼……?」

 「ああ、鬼だ。想像してたのと、違ったか?」



 怪訝そうな顔をする朱里(あかり)を見て、訃月(ふづき)は薄く笑う。



 「頭に角生やして虎皮の腰巻、右手に金棒なんて後世になって作られた空想の産物さ。本当のやつら(・・・)は、あんなもんだ」



 朱里は、つい先刻まで自分を取り囲んでいた”モノ”達を思い起こす。


 正視するのも耐えられない、幾百数多の異形。


 そこに、幼い頃絵本で親しんだ、愛嬌あるキャラクターの面影はなかった。現実は、かくも残酷なものか。けれど、腑に落ちない事は他にもある。



 「……何で?」



 初見の、どんな人間かも知れない相手。こんな事を訊くのは、お門違いかもしれない。けれど、分かっていた。目の前に立つ少年は、今起こっている事の全てを知っている。確証はない。けれど、確信があった。幼い頃より、この手の勘は外した事がない。だから、問う。



 「何で、そんなものが突然出てきたの?何で……」



 闇の中で、アレらが囁いた声が脳裏を過ぎる。背筋を走る怖気。それを堪えながら、言葉に変える。



 「何で、あたしに『おいで』……なんて……」

 「ん?」



 キョロリ



 訃月の目が、朱里を見やる。酷く愉しそうに、笑みながら。



 「何だ。分からないのかよ?」



 クックと嗤う訃月。



 「……分からないから、訊いてるんでしょう!?」



 何処かからかう様なその態度に些かイラつきながらも、極力抑えた声で朱里は言う。得体の知れない人物ではあるが、今この場に置いては唯一の情報源であり、確かな味方でもある。下手に気分を害するのが得策でないのは、間違いなかった。


 しかし、当の訃月はそんな朱里の心を見透かす様に言う。



 「そんなに気ぃ使うなよ。こんな成りだが、割と穏健派で通ってんだぜ。俺ぁ」

 「何処での話よ?」

 「”仲間内”さ」



 この少年の仲間?何とも得体が知れない集団が、頭に浮かぶ。これ以上悩みを増やしたくはないので、深く追求はしなかったが。なので、話は結局最初に戻る。



 「とにかく、知ってるなら教えてよ。(あいつら)は、何だってあたしを……」

 「”鬼”ってのはな、”陰”て言葉が変じたもんでな」

 「?」



 唐突に始まった話。頭がついていかず、一瞬キョトンとしてしまう。



 「何、訳分からない事……」

 「まあ、聞けよ」



 朱里の言葉を制して、訃月は話を続ける。



 「”陰”ってのは、”隠れたもの”とか、”隠されたもの”って意味があんのよ。それをそのまんま頂いた(あいつら)は、文字通り人の世から隠れたもの、隠されたものの成れの果てだ」

 「隠された、もの……?」



 繰り返す朱里に、「応」と訃月は答える。


 瞬間、ズクリと首が疼いた。



 「(あいつら)の素性は、人がこの世から隠したもの、隠したいものだ。例えば、人殺しの手元にある死体や凶器。他人には見せたくないだろ?胸ん中の、嫉妬や嫉み。他人には知られたくないだろ。そんなもんが、世の中には掃いて捨てる程ある。”(あいつら)”は、そう言ったもんを苗床にして生まれんのよ」



 朱里には分からなかった。何故、彼がこんな話をしているのか。何故、自分の方を見つめているのか。何故、こんなにも嫌な汗が浮いて来るのか。何故、こんなにも首が疼くのか。朱里には、分からなかった。


 けれど、そんな彼女を置いてきぼりにする様に、訃月は続ける。



 「とどのつまり、鬼ってのは人の裏の顔なのさ」



 ザア……



 風が吹く。生温かく、生臭い風。疼く首を抑えながら、「死臭の様だ」と朱里は思う。

 そんな、死の気配が満ちる風に、半分だけのコートを揺らしながら訃月は言う。



 「だからこそ、人は古きから鬼を恐れ、鬼は人を欲してきた訳だ……」



 いつしか、身体がが震えていた。ガクガク。ブルブルと。流れる汗は止まらない。首の疼きも、止まらない。



 「どうしたい?些か風は吹いちゃいるが、凍える程じゃないだろう?」



 そう言って、訃月はまた嗤う。月明かりの影で、闇に沈む顔。三日月に笑んだ口だけが、妙に紅く見える。


 疼きを止めようと、強く首を抑える。けれど、それは無駄な事。



 「でよ。この鬼共ってのが大層寂しがり屋でよ……」



 ガチガチ……ガチ……



 歯が鳴る。彼の言うとおり、寒くなんてないのに。聞くのが怖かった。この先の話を、聞くのが酷く、怖かった。けれど、訃月は止めない。


 首が、疼く。



 「毎月、決まった日に大勢でつるんで、探して回るんだ。新しい仲間をよ。『おいで……おいで……』ってな」



 そう。”彼ら”は、探していた。求めていた。新しい”仲間”を。


 止まらない。首の疼きが、止まらない。



 「『百鬼夜行』ってやつだ。聞いた事、あるだろう?」



 言葉は知っている。けれど、頷く事は出来ない。訃月の話す言葉。その全てを、肯定する事が怖かった。



 「で、ここからは俺が訊きたいんだけどよ……」



 訃月の口調が変わった。たった今までの、からかう様な調子が消えた。高い背が屈む。座り込んでいる朱里。合わせる視線。


 ああ。ああ。首が、疼く。



 「あんたは……」



 言わないで!!


 叫ぶ。心の中で。言葉には、ならない。訃月の口は、止まらない。



 「どんだけ、”隠されて”きた?」



 やめて!!やめて!!



 「どんだけ、”隠して”きた?」



 お願いだから!!



 「親に。親戚に。師に。世間に。この、世界に。そして――」



 聞きたくない!!聞きたくない!!



 「あんた自身に」



 分かってる!!もう、分かってる。だから、形にしないで!!



 「そう。あんたはもう――」



 その言葉、だけは――


 懇願する思い。


 けれど、彼は酷く冷徹だった。



 「――鬼の、種子(たね)なんだよ――」



 「あ……」



 言われた。



 「あぁ、あ……」



 言われて、しまった。



 「あぁあ、あぁ……」



 真っ白になる、思考。



 ズクリ



 疼く、首。



 「あ、あぁあああああああああああぁあ―――――――っ!!」



 響く、絶叫。


 弾け飛ぶ、チョーカー。


 そして、闇が弾けた。

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