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月下奇譚  作者: 土斑猫
五夜の話
29/59

五夜の話・壱

 居場所がない

 居場所がない

 偽りでも

 幻でも

 居場所が欲しい

 居場所を探して

 ただ 迷う

 あっちへフラフラ

 こっちへフラフラ

 月の下





 いつからだろう。

 あたしの目に、”彼ら”が映る様になったのは。


 いつからだろう。

 あたしの耳に、彼らの囁きが聞こえる様になったのは。


 夜の街灯。灯りの外。

 夕暮れの家。部屋の暗がり。

 人混みの中。行き交う人々の隙間。


 そこここから感じる、彼らの視線。

 あちこちから響く、彼らの声。

 確かに在る、その存在。


 幼い頃、あたしにはそれが当たり前の世界だった。

 父も。母も。友人も。学校の先生達も。

 同じものを見、同じものを感じているのだと思っていた。


 けれど、いつしかあたしの世界はずれ始めた。

 あたしと言う、存在諸共に。





 日は沈み、東の空には細く痩せた月が浮かび始めていた。



 ジジ…… ジジジ……



 低い呻きを上げて、外灯がチカリチカリと灯りを散らす。舞い落ちる、光の燐。その輝きを、見つめる者がいた。


 赤茶色のボブカットに、今風のカジュアルな服装。首に巻いた、黒いチョーカーが印象的な少女だった。



 「………」



 少女の目は、一心に外灯が落とす光を見つめている。

 否、目が敏い者なら気づいたかもしれない。少女が見つめているのは、決して光ではないと。その視線が注がれているのは、光の外。そこに満ちる暗闇だった。

 少女は見つめる。何もない。何もない筈の、その空間を。まるで、そこに誰かがいるとでも言うかの様に。



 「朱里(あかり)



 不意にかけられた声に、朱里と呼ばれた少女は驚く様子もなく振り返る。その先に立っていたのは、また別の少女。


 背中まで伸ばされた色素の薄い髪と、淡い色のカーディガン。軽活そうな朱里に比べ、見た目にも大人しそうな様相の少女だった。



 「や、汐音(しおね)



 軽く手を上げて挨拶する朱里。汐音と呼ばれた少女は、微笑みでそれに返す。



 「……いるの(・・・)……?」



 朱里の横に並びながら、汐音が問う。



 「うん。いる」



 視線を暗がりに戻しながら、頷く朱里。



 「悪い(・・)もの?」



 もう一度の問い。今度は、首を振る。



 「そんなでもない。でも、関わらない方が、いいかな?」



 そう言って、汐音の方を向く朱里。



 「気にしない方がいいよ。行こう」



 そして、彼女は先を促した。





 数分後、夜の公園を歩く朱里と汐音の姿があった。


 この公園、市街地の真ん中にあるため、この時間帯でも人通りはそれなりにある。また、中には交番もある。一応、防犯上は整った場所。故に、塾通いの学生達の近道によく使われていた。


 朱里と汐音も、週三回の学習塾通いにこの公園をよく使っていた。通い慣れた道。よく知れた風景。 

 けれど、朱里の目はキョロキョロと落ち着きがない。その理由を知る汐音が、周囲を通る人に聞こえない声で囁く。



 「朱里、大丈夫?」

 「ん?何が?」

 「あなた、最近目が”良く”なり過ぎてない?」

 「――――!」



 その言葉に、朱里の顔から表情が消える。



 「どうして?」



 問い返す朱里。その顔には笑みが浮いているが、作り笑いなのは見え見えだった。汐音は溜息をつく。



 「何年、付き合ってると思ってるの?分かるわよ。そのくらい」

 「はは、敵わないなぁ。汐音には」



 何処か疲れた様に笑んで、小さく溜息をつく。その所作が、この賢しい友人への何よりの答えになる事を、朱里は良く心得ていた。



 「大丈夫なの?辛くはない?」



 気遣う汐音に、けれど朱里は力ない笑みを返すしか(すべ)を知らない。



 「うん。大丈夫」



 疲れのこもった返事。汐音は心苦しそうに眉を潜める。術を知らないのは、彼女も同じ。ただ、その疲れを少しでも分かち合おうとする様に、肩を寄せる。そんな親友の気遣いに、朱里は少しだけ救いを感じた。


 けれど、彼女を包む世界はその束の間の安らぎすらも許さない。


 絶える事なく、その囁きが鼓膜を揺らす。

 切れる事なく、その姿が網膜を過ぎる。

 終わる事なく、その存在が彼女を犯す。



 『見えてる……。見えてるよ……』

 『見てる……。見てるぞ……』

 『聞こえる……?聞こえる……?』

 『見て……。わたしを見て……』



 聞こえる声を。見える姿を。朱里は可能な限り、意識から外す。


 今までの生の中で、彼女は心得ていた。


 焦点を合わせたが最後、彼らは群がり寄ってくる。自分達の思いを告げようと。自分達の声を届けようと。自分達の存在を、示そうと。


 けれど、それを許せば引きずられる。引きずり込まれる。彼らの、場所へと。



 『ねえ……。聞こえてるんでしょ……?見えてるんでしょ……?』

 『来てよ……。こっちへ、来てよ……』

 『一緒にいてよ……。一緒に……』

 『ねえ……。ねえ……』



 まとわりつく彼らの声を振り払いながら、朱里は思う。


 こんな目は、いらない。

 こんな耳は、いらない。

 こんな、能力(ちから)はいらない。


 どんなに見えても、自分に成すべき術はない。

 どんなに聞こえても、自分に答える術はない。

 どんなに知る事が出来ても、自分に伝える術はない。


 それどころか……




 ズシ……




 不意に、肩に感じる重み。

 まるで、氷でも押し当てられたかの様な冷感。



 (しまった!!)



 そう思った時には、もう遅い。


 反射的に向ける視線。


 右肩の上。


 そこに、”手”が乗っていた。


 隣にいる、汐音の手ではない。まして、自分の手であろう筈もない。


 手首より上がない。文字通りの、手だけ。血に塗れ、土気色をしたそれが、肩の上を這いずり回る。千切れた手首の断面。赤黒い肉と白骨(しらほね)が蠢き、その度に濁った鮮血が宙に散る。


 固まる朱里の肩に爪を立てながら、ありもしない口で”それ”は言う。



 『寒い……。寒いよ……』



 昏く響く、嘆き。



 『身体が欲しい……。身体が、欲しいの……』



 この世ならざる者の、咽び泣く声が耳を打つ。



 『寒い……。痛い……。血が出るの……。止まらないの……』



 ギシシ……



 冷たい痛み。死者の爪が、肩へと埋まってくる。けれど、朱里に成す術はない。



 『欲しい……。欲しいよ……。身体が、欲しい……』



 喰い込む爪を通して伝わる、怨念、無念、残心。やるせぬ、悲しみ。その無限とも言える負の思念が、朱里の精神を蝕んでいく。



 「やめて!!」



 たまらず、耳を塞ぐ。けれど、もはや(うつつ)の存在ではないその声が遮られる事はない。



 『寒い……寒い……寒い……』

 『痛い……痛い……痛い……』

 『欲しい……欲しい……欲しい……身体が、欲しい……』

 『頂戴……頂戴……頂戴……あなたを、頂戴……』



 必死に振り払うも、心に絡みつく声は消えはしない。

 彼女に、術などありはしないのに。


 そう。彼女に術はない。


 答える術も。

 癒す術も。

 そして、己を守る術さえも。


 心を、くびり上げる声。

 犯されていく意識。


 このままでは、堕ちてしまう。


 朱里が、そう思ったその時――


 「その辺に、しとけよ」


 唐突に、そんな声が響いた。





 気が付くと、朱里の前に人影が立っていた。


 見知らぬ少年だった。高い背。染めているのだろう。オレンジ色の後ろ髪に、真っ赤な前髪。丈の長い、半分だけのコートを半身に羽織ったロック調の服装。ギターか何かだろうか。背中には、大きな荷物を背負っている。


 顔は整っているが、朱里を見下ろす眼差しは鋭い。正直、普段であれば避けて通りたい様な風貌。けれど、今の朱里にそんな余裕はない。何しろ、こんな目立つ(なり)の人物が目の前に来るまで気付かなかったのだから。


 見下ろしてくる視線の強さ。それに戸惑う朱里。けれど、まもなく気付く。少年の目が、自分の顔を見ていない事に。彼の視線の先にあるもの。それは――



 「気持ちは分かるけどよ。いつまでも、迷ってんじゃねぇよ。人に憑いた所で、何の救いにもなりゃしねぇぞ」



 言葉と共に、少年の左手が上がる。そして、



 「逝くべき所に、逝きな」



 ピンッ



 少年の指が、”それ”を弾いた。


 途端、



 ボフゥッ



 朱里の肩を掴んでいた”手”が、塵となって吹き散った。



 「………!!」



 その様を、朱里は呆然と見送る。



 「あんた、大丈夫か?」



 我に返ったのは、そう声をかけられたから。ハッとして視線を戻すと、今度こそ少年が彼女を見ていた。



 「え……あ……」



 戸惑う朱里。すると少年は首を傾げ、そんな彼女の顔を覗き込んできた。ビクリと竦む朱里を、しげしげと見つめる。



 「なるほど。あんた、見える口か……」



 納得した様に頷く少年。まだ状況が把握出来ない朱里を眺めながら、目を細める。



 「まあ、その様子だとあんまりいい思いはしてねぇみたいだけどな」

 「あ……あなた、一体……」



 朱里が、何とか絞り出した問い。けれど、それには答えず少年は彼女を見つめ続ける。距離の近さと、無遠慮な視線。それに、先だってとは違った意味で戸惑い始める朱里。すると、少年の視線がある一点に止まる。彼が見ているもの。それに気付いて、朱里はハッと自分の首に手をやった。


 その様を見た少年が、「ああ」と何かを得心した様に頷いた。



 ヒョイ



 ようやく、顔を離す少年。朱里が思わずホッと息をついた時。そんな彼女に向かって、少年が言った。



 「あんた、気をつけな」

 「え?」

 「それ、”今夜”はやばいぜ」

 「な、何言って……」



 唐突にかけられた、不可解な言葉。朱里が、その意を確かめようとした瞬間、



 「朱里!!」

 「!?」



 突然耳に飛び込んできた声が、彼女を我に返した。


 思わず振り向いた、声の出処。そこに立っていたのは、心配そうな顔をした汐音だった。彼女は問う。



 「どうしたの?朱里、急に黙り込んじゃって……」

 「え?あ、だってあたし、この人と……」

 「この人?」



 何を言ってるのか分からないと言った顔をする汐音。そこに至って、朱里はようやく気付く。自分の前には、誰もいない事に。



 「あ……れ……?」



 呟く言葉に、答える声はない。ただ、一枚の枯葉が外灯の光の中でクルクルと舞っているだけだった。

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