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月下奇譚  作者: 土斑猫
四夜の話
27/59

四夜の話・陸

 「やれやれ。これで今年の御供も無事に成ったなぁ」



 蠢く蛇群の向こうから、そんな声が聞こえた。


 いつの間に来たものか。浮かぶ提灯の光に、数人の人影が立っていた。その中には、弓を携えた者もいる。



 「少々手間をくったが、その分上等な供物を捧げられたわい。巫女の血肉じゃ。夜刀(やと)様も、ご満足してくださるだろう。」



 村長(むらおさ)と呼ばれていた者の、声が言う。



 「皆の衆、ご苦労じゃったな。これで、今年も村は安泰じゃ」

 「祝いじゃ。このまま、長の屋敷で一杯頼めんかのぅ?」

 「意地汚い奴じゃな。まぁいい。寄っていけ」

 「ありがてぇ」



 そんな事を言いながら、影達が立ち去ろうとした時、



 「待ちなよ」



 底冷えのする様な声が、彼らを呼び止めた。


 振り返ると、一人残された流凪(るな)が彼らを見つめていた。


 彼女の足元では、地を覆い尽くした蛇神達が哀れな姉弟を貪っている。

 パリコリ、ぺチャぺチャと響くおぞましい音。けれど、それに動じる様子もなく、流凪は幽鬼の様に昏い陰影の中に立っている。


 そんな彼女に、村長(むらおさ)の声が言う。



 「まだおったか。余所者の娘」



 返る言葉はない。村長(むらおさ)は、構わずに続ける。



 「主は、見逃していただいたのじゃ。夜刀(やと)様に感謝して、疾く去るがいい。さすれば、わしらも咎めはせん」

 「それとも、行く所がないかぁ?」



 弓を持った人影が言う。笑い混じりに。



 「なら、俺んとこに嫁に来いや。見りゃあ、なかなかの別嬪じゃねえか。良い子、産ませてやるでよぉ」

 「何言ってやがるかなぁ。この助平がぁ」

 「おぅ、大変だなぁ。こいつ、馬並みだでよぉ。壊されんなよぉ」



 ゲラゲラと、下品な笑い声が響く。けれど、それに返るのは、滴る冷水の様に色のない声。



 「お断りするよ。化生に嫁入りなんて、まっぴらだ」



 言葉と共に、流凪の右手がピクリと動く。

 瞬間――



 ゴウッ



 旋風の如き轟音が、満ちる夜気を引き裂いた。



 バツンッ



 響き渡る、鈍い音。


 卑猥な言葉を口にしながら、ゲラゲラと笑っていた弓の人影。その頭が、夜空高く跳ね上がっていた。



 ブシュッ



 一拍の間をおいて、噴水の様に吹き上がる飛沫。血と呼ぶにはあまりに黒いそれが、夜天を更に昏く染めていく。



 「う、うわぁああああ!!」

 「ひぃいいいいいい!!」



 ようやく事態を察した影達の悲鳴が、響き渡る。



 キュキュキュン パシッ



 回転しながら弧を描いてきた露羽(つゆばね)の柄を、流凪の手が受け止める。



 「騒がしいな。喚くなよ。傀儡風情が」



 露羽(つゆばね)の刃をザシッと下ろしながら、冷淡な声で流凪は言う。そんな彼女に向かって、影達が叫ぶ。



 「何をしやがる!!人殺しが!!」

 「夜刀(やと)様の御前を血で汚すとは!!祟りがあるぞ!!」

 「死ね!!死んでしまえ!!」



 口々に、罵詈雑言を喚く影達。けれど、流凪は動じない。冷たく澄んだその声で、再び言い放つ。



 「へえ。それが”人”なの?」

 「へ?」

 「え?」



 間の抜けた声を上げ、影達が傍らを見る。そこにあったのは――



 「うおお!?」

 「こ、これは!?」



 一斉に上がる呻き声。そこにあったのは、ウネウネと蠢く蛇の塊。頭を飛ばされた人の形など、何処にも残っていなかった。


 流凪は言う。



 「あんた達、とっくに取り込まれてたんだよ。この”隠里世(かくりよ)”に」

 「な、何!?」

 「どう言う事だ!?」



 その声を無視して、流凪がゆっくりと露羽(つゆばね)を構える。鋭い切っ先が狙うのは、目の前で贄を貪る蛇の群れ。その中心。



 「ま、待て!!何をする気だ!?」



 村長(むらおさ)と呼ばれる影の叫びに、流凪は淡々と答える。



 「ボクの不手際だから。けじめをつけさせてもらう」

 「何だと!?」

 「神だと言っても、所詮化生だね。血に我を忘れて、居場所がバレバレだよ」

 「よせ!!」



 絶叫と共に、蛇達の頭が一斉に流凪を向く。けれど、構わない。流凪は構えた露羽(つゆばね)を、一気に突き下ろす。



 「やめろぉおおおおおっ!!」



 村長の形をしたもの。それの叫びに従う様に、蛇の群れが流凪に襲いかかる。けれど、その毒牙が流凪の肌に届くよりも早く、露羽(つゆばね)が群れの中に突き刺さった。



 ピタリ



 途端、蛇達の動きが止まる。蛇だけではない。村長(むらおさ)達人影も、その動きを止める。



 ズ……



 重い音と共に、蛇群の中から引き抜かれる露羽(つゆばね)。月を背に掲げられる切っ先。それに刺し貫かれるのは、幼い少年の傷一つない身体。


 澄里(きより)と呼ばれたその幼子は、胸を露羽(つゆばね)に刺し貫かれたまま、ピクリとも動かない。



 「君が、”核”だね?」



 流凪が問う。すると――



 ギョロリ



 閉じられていた澄里の眼差しが開く。その中にあったのは、かつての澄んだ少年の目ではない。


 それは、昏い輝きを灯す爬虫類の目。細く切れ上がった瞳孔。それが、自分の身を掲げ上げる流凪を映す。


 ゆっくりと開く口。薄い口の間から、鋭い牙が覗く。



 『……まいったねぇ……』



 先の割れた舌をチロチロと出しながら、澄里は言う。



 『本当に、怖い子だねぇ……』

 「ボクも、褒めてあげる」



 賞賛の響きの篭った言葉に、流凪も返す。



 「こうなるまで、気付けなかった。良く出来た、仕掛けだったよ」



 シシシ……と澄里が嗤う。



 『残念だねぇ……。もう少し。もう少し、楽しみたかったんだけどねぇ……』



 本当に。本当に口惜しそうな声。紅い舌がチロチロと揺れる。



 「もう、十分。終わりだよ」



 切って捨てる流凪。澄里は、ハァと生臭い息を吐く。



 『ああ、残念だ……。残念だぁ……』



 それが、最期の言葉。そして――



 ドパンッ



 澄里の身体が、弾けて溶ける。周囲を覆う、蛇の群れも。村長(むらおさ)達、人影も。諸共に。

 後に残るは、立ち尽くす流凪と”彼女”だけ。

 何処か遠くで梟が、ホウホウホウと悲しげに泣いた。





 ふと目を開けた時、視界に入ったのは自分を見下ろす、流凪の顔。



 「流凪……様……」



 絞り出す声。半分は、ヒュウヒュウと風鳴るだけで、形にならない。



 「喋らなくていいよ。全部、終わったから」



 そう言って、微笑む流凪。と、彼女の目がチラリと揺れる。その視線を追って、少女は気付く。


 ああ、そうか。

 自分は、もう。


 でも、気づいた事はもう一つ。自分の頭が、流凪の膝に乗せられている。いわゆるところの、膝枕。少し、頬が熱くなる。昇る血など、残ってもいないだろうに。



 「辛い?でも、もうすぐ楽になれるから」



 不器用な気遣い。でも、その必要はない。もう、痛みなんて感じていないから。

 かすれる声で、少女は言う。



 「流凪様が、終わらせて、くださったんです、ね……」

 「ボクは何もしていない。出来てない」



 澄んだ声が、耳に心地良い。少しでも持って行こうと、今はない胸に詰め込む。



 「……流凪、様……」

 「しずりん……」

 「いいん、です……。喋らせ、て……。でないと、時が、早くなる……」



 言葉の意を察したのだろう。流凪は、黙って頷く。



 「全部……思い出しました……」



 その記憶に、寂しさが過ぎる。



 「わたしは、一人……。弟なんて、いない……」



 流凪が、目を細める。



 「だから……贄に、選ばれて……ずっと、繰り返して……」



 声が霞む。もう、幾ばくも話せそうにない。

 額に、冷たい温もりが触れる。流凪の手が、額を撫でていた。



 「もう、終わったから。苦しみが繰り返る事は、ないから」

 「……はい……」



 思いを返す様に、微笑む。でも、それ以上は叶わない。だからせめて、伝えよう。後悔だけは、残さない様に。



 「るな、さま……」

 「何?」

 「わた……し……」



 ほんの一瞬、間があった。


 戸惑われるだろうか。それとも、嫌われるだろうか。少女らしい不安が、消えゆく意識を過ぎる。


 放たれた想い。


 行き場所など、ないと思ったその想い。


 けれど、彼女は受け止めた。受け止めて、ニコリと微笑んだ。そして――



 「――――っ!!」



 止まりかけていた心臓が、一度だけドキリと跳ねた。


 重なった、花弁が離れる。


 元通り身を起こした流凪が、もう一度、優しく微笑む。


 それを、潤む視界に焼き付けて――




 「――あり、がとう――」


 それが、最期の言葉。


 そして、琴宮静莉(ことみやしずり)の鼓動は止まった。


 今度こそ、永久の安らぎに。


 安らかに閉じられた眼差し。そこから溢れる雫を、流凪はそっと拭う。と、そこに差し込む一筋の光。

 目を向けると、いつしか月は消えていた。代わりに輝くのは、遠き東の丘陵の向こう。


 夜が、ゆっくりと溶け始めていた。

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