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月下奇譚  作者: 土斑猫
四夜の話
26/59

四夜の話・伍

 いつしか、沈まぬ月は天頂へとその座を戻していた。微かに端の膨らんだ、十日夜の月。それは、かの時が来た事を、少女達へと教えていた。



 「そろそろ、時間みたいだね~」



 夜天を見上げ、流凪(るな)が呟く。



 「澄里(きより)、わたし達の後ろへ……」



 静莉(しずり)に言われ、澄里が下がる。その時、



 ザワリ



 眼前の林が、ざわめいた。



 シュル…… シュルシュル……



 辺りを覆う様に聞こえ始める、這いずる音。生臭い様な、青臭い様な匂いが周囲に満ちる。



 パチリッ



 夜気を揺らして、松明が弾ける。舞い散る火燐の光。その中に、スルスルと蠢く蛇影が映る。



 シシ……シシシシシ……



 響く哄笑。無数のそれが、皆の耳朶を埋めていく。



 『こんばんは……』

 『こんばんはぁ……』

 『ご機嫌よう……』

 『ご機嫌よう……』



 声と共に漂う腐気は、かの者達が吐く呼気だろうか。濁りゆく空気に、その場の者達は顔を顰める。



 「臭うなぁ~。人に会いに来るんだから、歯の一つも磨いてくりゃいいのに~」



 単なる軽口か、緊張を緩めるための冗談か。流凪がそんな事を言う。この女性(ひと)の事だから、多分前者だろう。そう考えて、静莉は少しだけ笑った。

 けれど、その間にも蠢く蛇影の群れは少女達を覆い込んでいく。途方もない数。見渡せるだけで、数千はいるだろうか。



 シシシ……シシシシシシ……



 群れが、一斉に嗤う。



 『可愛げだねぇ』

 『ああ、可愛げだねぇ』

 『良き匂いだねぇ』

 『ああ、良いねぇ』



 スルスル スルリ



 這いずる影が、輪を狭めていく。松明の明かりの中に、黒い蛇体が見え隠れする。粘着く息を吐きながら、かのモノ達は不自然に揃った声で言う。



 『可愛い子らだねぇ』

 『甘い匂いだねぇ』

 『さぞや、柔こいだろうねぇ』

 『柔こくて、甘いだろうねぇ』

 『楽しみだねぇ』

 『楽しみだねぇ』



 シャア……



 妖の群れが、舌を舐めずる様に呼気を鳴らした。



 「随分とまぁ~、期待されてるねぇ~」



 あいも変わらず、何処か緊張感に欠ける声で流凪が言う。それに応じる静莉の声は、心なしか震えている様だった。



 「昨日までに比べて、数が多い……。今夜で、終わらせるつもりかと……」

 「ん~?しずりん、ひょっとしてビビってる?」



 唐突にかけられた言葉。静莉が、ん?と言った顔をする。



 「……しずりんって、何ですか……?」

 「今、思いついた~。静莉ってなんか、堅苦しいし~」

 「はあ……」

 「という訳で~、君は今からしずりん。お~け~?」



 クスリ



 静莉の顔が、微かに笑む。



 「緊張感、ないですね」

 「この程度で緊張してちゃ、商売やってけないからね~」



 言葉と共に、居合いの形を取る流凪。瞬間、キリと引き締まる流凪の顔。

 ほんの束の間、静莉はその凛々しい横顔に見とれる。

 先まで確かにあった、心の怯えが消えゆくのを感じながら。



 「……とは言え、ただならぬ数ですよ。どう纏めますか?」

 「全部片付ける必要はないよ」



 その言葉に、静莉はキョトンとする。



 「どう言う事ですか?」

 「夜刀神(こいつら)は、多であると同時に個。群れの意思を統率する”核”が存在する。そいつを片付ければ、事は収まるよ」

 「……初耳です……」



 その呟きを聞いて、流凪は笑む。



 「そんなもんだよ。己が崇める神の真の姿なんて、普通は知らないし、知る必要もない。けれど――」



 瞬間、



 「姉上!!」



 静莉の影に隠れていた澄里が叫ぶ。



 シャアァアッ



 暗がりの中から跳ね上がる、無数の蛇影。そのまま、滝の様に雪崩打って落ちてくる。



 「こういう場合には、正しい知識を得ておかないとね」



 言葉と同時に、神速の速さで露羽(つゆばね)を抜き放つ。落ちてきた蛇の群れが、一閃で切り飛ばされた。



 シャアアアッ



 されど、その威力をもってしても敵の数はなお多い。剣閃をくぐり抜けた一群れが、静莉と澄里の方へと向かう。



 「ほら、しずりん。そっち、頼んだよ」

 「はい!!」



 流凪の声に答えて、静莉が手を凪ぐ。



 バチンッ



 不可視の力が、押し寄せる蛇の群れを薙ぎ払う。



 「そうそう。君は、そうやって守りに専念してて。その間に、何とか核を探し出すから」

 「承知しました!!」



 言いながら、静莉がまた蛇を弾く。



 「はいよっと」



 また、露羽(つゆばね)が一閃。何十匹もの蛇体が断たれ、月明かりの中に散った。

 ボトボトと落ちる、仲間の残骸。それに身を濡らしながら、蛇達が言う。



 『あれあれ』

 『おやおや』

 『怖いねぇ』

 『怖い子だねぇ』



 その言葉を聞いた流凪が問う。



 「怖い?」



 蛇達が答える。

 


 『怖いね』

 『怖いねぇ』

 「なら、このまま引いてくれない?そうすれば、とりあえず滅ぼしはしないよ?」



 流凪の提案に、蛇達が顔を見合わせる。



 『そうだねぇ』

 『そうだねぇ』

 『滅ぼされるのは、嫌だねぇ』

 『引こうか?』

 『引こうかぁ?』

 「!!」



 交わされる言葉に、思わず安堵の息を漏らしそうになる静莉。けれど、



 フォンッ



 その息を断ち切る様に、露羽(つゆばね)が彼女の前にかざされた。驚いた静莉が視線を向けると、流凪が怪訝そうに眉を潜めていた。



 「流凪様……?」

 「気、抜かないで。こいつら、何か企んでる」

 「……え?」



 静莉の当惑には構わず、流凪は眼前の蛇の群れを油断なく凝視する。


 彼女は知っていた。この夜刀神(やとのかみ)の様に、神として庇護を与える代わりに贄を要求する妖物は多い。

 そういった妖物に共通するのは、贄に対する執着の強さ。

 彼らにとって贄とは、支配する民に神としての畏れを植え付けると共に、己の力を維持する為に必要な要素。


 飛騨の猿神然り。

 新潟の古貉然り。


 かの(もの)達が、贄を諦める事は決してない。


 目の前の妖神達の言葉が偽りである事を、流凪は知識と経験から察していた。年経た妖物の賢しさは、容易に人間を凌駕する。故に、流凪は意識を緩めない。一片の油断もなく、その注意を囁き合う蛇の群れへと向けていた。


 蛇達が言う。シュルリシュルリと、渦巻きながら。



 『駄目だねぇ』

 『駄目そうだねぇ』

 『諦めようかぁ』

 『諦めようかぁ』



 シュルリ



 蛇達が、言った。



 『この娘(・・・)は、諦めようかぁ』



 流凪は見ていた。蛇達の動きの全てを。一寸の油断もなく。意識を集中していた。


 だから、気付けなかった。


 眼前の蛇神達とは切り離された、彼ら(・・)の動きに。



 ヒュンッ



 鋭い風切り音が、耳を掠めた。



 トスン



 続いて聞こえたのは、不吉に響く鈍い音。



 「……え?」



 思わず目を向けた流凪の目に映ったもの。それは、一本の矢。

 違う事なく、白い巫女服の胸を貫き、風切の余韻に震える一本の矢だった。



 「……しずりん……?」



 忘我の(てい)で呟く流凪の目の前。

 矢に胸を刺し貫かれた静莉が、訳が分からないと言った顔でこちらを見た。



 「流凪……様……」



 震えながら、求める様に伸ばされる手。

 それを掴もうと、流凪も手を伸ばす。

 手と手が触れようとした、その刹那。



 カハッ



 静莉の口が、紅い雫を散らす。

 そのまま、崩れる様に彼女の身体は地に堕ちる。

 倒れた静莉。その胸に、見る見る真っ赤な華が咲く。

 悲鳴を上げて、すがりつく澄里。

 我に返った流凪が叫ぶ。

 けれど、時はもう遅くて。



 ゾゾゾッ



 怖気立つ音と共に押し寄せる、黒い濁流。

 妖しの蛇神の群れ。

 倒れた静莉と、彼女にすがる澄里。

 二人を諸共に、包み込む。


 悲鳴はなかった。


 ただ、助けを求める様に突き出された小さな手が、二回、三回と空を掻いた。

 だけど、それも束の間。沈んでいく。黒く蠢く、蛇渦の中へと。


 流凪は見ていた。

 何も出来ず。

 立ち竦んだまま。

 冷たく注ぐ月明かりの中で。

 ただ、全てを。

 見つめて、いた。

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