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月下奇譚  作者: 土斑猫
四夜の話
25/59

四夜の話・肆

 そこに、朝はなかった。


 月は、遥か西の空に傾いている。けれど、それが丘陵の向こうに消える事はない。すれすれまで堕ちた月はそこで動きを止め、またゆっくりと空を登り始める。ユルリユルリと形を変えながら、ユロリユロリと上がっていく。その様を見つめ、琴宮静莉(ことみやしずり)は言う。



 「月が、登ります……」



 見上げる瞳には、上弦から十日夜へと変わりつつある月の姿。



 「あれが、十日夜に変わった時、夜刀(やと)様はまた現れる……」

 「………!!」



 その言葉に怯える様に、澄里(きより)がその小さな身体を竦める。



 「贄を捕りに来る訳だ。ボクの雇い主様を」



 竦む澄里を抱いて、流凪(るな)も言う。酷く淡々と。

 そんな彼女に伝える様に、静莉は話す。



 「……わたし達の村は、古くから夜刀(やと)様の加護によって栄えてきました。夜刀(やと)様のお力によって、育たぬ作物を育て、山の獲物を許され、他者の侵略や略奪から守られてきました。けれど、その代わり……」

 「贄を要求してくるって言う訳か。君達の夜刀(やと)様とやらは」



 皮肉げな響きを持って紡がれる、流凪の言葉。静莉は、ゆっくりと頷く。



 「夜刀(やと)様は年に一度、十を数える前の幼子を贄として要求します。わたしは、その年の贄が誰になるかの神託を、巫女として受ける役目を負ってきました。そして、今年の神託で告げられたのが……」

 「君の弟、ボクの雇い主様って言う訳?」



 流凪の言葉に、頷く澄里。



 「夜刀(やと)様の神託は絶対です。村の者達は、当然の様に澄里を贄として捧げました。けれど、わたしは許せなかった……」

 「………」



 流凪は、何も言わない。静莉は続ける。



 「わたしと澄里は、幼くして両親を疫病で亡くしています。以来、わたし達は二人で生きてきました。神職としての苦役も、悩みも、二人で分かち合ってきたのです。澄里は、わたしの半身も同然……。その澄里を贄にするなんて……」



 鈴の様に澄んでいた静莉の声が、呪詛を紡ぐ様に濁る。



 「そんな事……許さない!!」



 そんな彼女を、流凪が冷ややかな目で見つめる。



 「勝手な、話だねぇ~」

 「!」



 その言葉に強張る、静莉の顔。けれど、流凪は構わず続ける。



 「君も、送ってきたんじゃないの?他の子供達を、贄として」

 「それは……」



 容赦なく紡がれる言葉。静莉が苦しげに唇を噛む。けれど、流凪の眼差しは容赦なく彼女を射抜く。



 「さて、どんな道理を立てるのかな?他人の子は良くて、自分の弟は嫌だなんて」

 「流凪様!!姉上は……」

 「やめなさい。澄里」



 食ってかかろうとした澄里を、静莉が制する。



 「貴女や、村長(むらおさ)の言う通りです。わたしの願いは、自分勝手で浅ましい……。それでも……」



 白い手が、澄里の頭を撫ぜる。



 「わたしは、澄里を、守りたい……。例え、それが他者の憎悪を背負うものであったとしても!!」



 澄里を見つめる、静莉の眼差し。その中に、流凪は強い意思を見る。



 「ふ~ん。なるほど~。理屈も道理も承知してなお、って訳ね~」



 その顔に、微かな笑みを浮かべる流凪。返す言葉で、澄里にも問う。



 「君はどうなのかな~?雇い主様~」

 「え……?」



 戸惑う澄里。流凪の笑みが、彼に尋ねる。



 「どうだい~?贄になるのは、怖いかい~?」

 「僕は……」

 「ああ、建前はいいからね~」

 「え……?」



 ポカンとする澄里に、顔を寄せる流凪。仄かに甘い香が、澄里の鼻腔を撫でる。



 「義理も、使命も、道理も関係ない。君の、ボクの雇い主様の、本当の心を聞かせておくれ」

 「流凪様……」

 「さあ。言ってごらん」

 「………」



 しばしの沈黙。やがて、澄里の目に大粒の涙が浮かぶ。



 「……なりたくない……」



 彼は言う。



 「贄になんか、なりたくない……。僕は、ずっと姉上と一緒にいたい……。ずっと、ずっと……」



 グッ



 涙を飲み込み、歯を食いしばり、言葉を放つ。



 「生きていたい!!」



 夜闇に響く叫び。それを聞いた流凪が、今度こそ不敵に笑う。



 「アハハ、よーし。よく言った!!」



 バンッ



 「イッタ!?」



 流凪の手が、澄里の背を叩く。


 飛び上がる澄里の横で、グワッと立ち上がる流凪。腰から抜き取った露羽(つゆばね)を、ガスっと地面に突き立てる。土の破片と共に、澄んだ雫がキラキラと散った。



 「いいね。君達のそういう所、実にいい!!」



 その様に、ポカンとする静莉と澄里。おずおずと流凪に問う。



 「あの……。いいんですか?」

 「何が?」

 「わたし達、自分達でも相当勝手な事言ってると思うんですけど……」

 「フフン」



 その言葉に、流凪はまたニヤリと笑む。傍から見たら、相当に悪い顔である。



 「言ったっしょ。そういう所が良いって。そこで、変な自己弁護や屁理屈こねられたら、それこそ、この場で頭叩き割ってたよ」



 そうとう物騒な事を、実に清々しい顔で言う。背筋に薄ら寒いものを感じながら、唖然とする静莉と澄里。



 「それでいいんだよ」



 流凪は言う。



 「人も所詮一個の動物。動物なら動物らしく、もっと我欲に正直になればいい。生きたいなら、生きる。守りたいなら、守る。そこに神やら道義やら、余計なものを絡ませるから人は歪むんだ。生きたいなら、神なんて蹴り倒せ。守りたいなら、道義なんてねじ曲げろ。それでこそ、人は一生命として輝くのだから」



 静莉は絶句する。それはかなりというか、相当に歪んだ思考だった。もし、全ての人間が彼女の言う様に生きたら、あらゆるコミュニティは崩壊する。バラバラになれば、人々は生きる導を失う。そう。人と言う生き物は、秩序を守り、従ってこそ生きられるのだ。神職と言う、秩序の一端に職していた静莉はその事を良く理解していた。


 流凪の言葉は、強者の理屈だった。神を畏れぬ力を持ち、秩序に縛られずとも生きられる強さを持った、強者の暴論だった。


 本来であれば、否定しなければならない論理。


 けど。けれど。


 静莉には、慈雨の如き言葉でもあった。


 守るためならば、如何なるものをも切り捨てる。それは、今まさに自分がしようとしている事。澄里と多くの村人の生活を天秤にかけ、そうすれば多くの人の生活を崩壊させると知りながら、それでもなお、澄里を選んだ。


 呵責もあった。迷いもあった。けれど、その全てを振り払って、澄里を守ると決めた。そんな自分を、流凪は肯定した。


 非難され、蔑まれるだけと思っていた自分の選択を正しいと言ってくれた。



 ポトリ



 地面に、数滴の雫が落ちる。


 いつしか、静莉は泣いていた。今まで、無理に張っていた気が、一気に緩んでいた。



 「姉上……」



 気づいた澄里が、腰を浮かしかける。けれど、彼の手が届くよりも早く、温かい感触が静莉を包んでいた。



 「ほれほれ~。泣くなら今のうちだぞ~。もう少しで、それどころじゃなくなるから~」



 流凪が、その胸に静莉を抱き込んでいた。衣越しに感じる。淡い胸の膨らみ。それに、心臓が高鳴った。その高鳴りを誤魔化す様に、静莉は泣いた。幼い子供の様に声を上げ、流凪の胸にしがみついて泣きじゃくった。



 「よしよ~し。頑張ったね~。辛かったね~」



 茶化す様に言いながら、流凪がポンポンと背を叩く。その感触が、心地良い。一瞬、幼い日に母に抱かれた記憶が脳裏を過ぎる。


 けれど、それはすぐに消えた。


 今、静莉の胸に沸き起こる想いは、親を慕うそれとは全く別のもの。これを、何と言うのかを彼女はまだ知らない。ただ、この想いを伝えた時、流凪がどんな顔をするのかだけが気になった。驚くだろうか。それとも、嫌悪するだろうか。いや。そのどちらもないだろう。彼女は全てを受け入れて、その上でこう言うのだ。


 「馬鹿な事、考えてんじゃないよ~」、と。


 だから、今は泣く。彼女の胸の中で。せめて、この想いが溶けてしまわぬ様に。





 明けぬ夜闇の中、抱き合う少女が二人。夜天を昇る月が、その姿を影絵の様に映し照らしていた。

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