四夜の話・弐
そこにいる誰もが、沈黙した。
突然の乱入者に、魂消ているのか。
それとも、神の鎮座する社を切り壊すと言う暴挙に呆れているのか。
もしくは、その両方か。
とにかく、そこにいるもの全員が唖然としている事は確かだった。
「……誰……?」
呆然と呟く静莉の前で、少女がズンと大剣を半壊した社の床に突き立てる。
「まったく~。人が寝てる傍でガヤガヤガヤガヤと……」
爛々と光を湛えた瞳。コパァ……と口から漏れる呼気。仁王立つその姿は、結構、真面目に怖い。
「人の安眠を妨害する事は~、世界の三大悪行の筆頭だぞ~!!それを承知の上か~!?」
つらつらと呪詛の様に宣うが、そんな事実は当然ない。
そんな少女の様を見た影達が、ヒソヒソと言い合い始める。
『誰か?』
『誰か?』
『知らぬ娘だね』
『知らぬ娘だ』
『社を壊したよ』
『壊したね』
『不届きだね』
『不敬だね』
『祟ろうか』
『捕ろうか』
『喰ろうてしまうか』
その声を聞いた、静莉が叫ぶ。
「いけない!!逃げて!!」
しかし、その言葉は間に合わない。
『喰うて、しまおう』
途端――
ドバァアアアアアッ
跳ね上がる、無数の影。そのまま、少女に向かって雪崩落ちる。
足でも竦んでいるのか。少女は落ちくる影達を見上げたまま、微動だにしない。
「――――っ」
思わず目をつぶる静莉。一瞬後に眼前で繰り広げられる惨劇から、視線を避けようとする。
しかし――
「だぁかぁらぁ~~」
響く、剣呑な声。そして――
「うるさいって言ってんだろぉおおおお―――――っ!!」
ズガァッ
引き抜かれる大剣。そのまま、神速の勢いで振り抜かれる。
ズバァアアアアアンッ!!
雪崩落ちてきていた影の群れが、一閃で切り払われた。
ボタボタと落ちてくる、影達の残骸。その中で、静莉と澄里は呆然と事の次第を見つめる。
対して、囲む影達はあくまで冷静な様子。
『あれあれ』
『おやおや』
『思いのほか、面倒だね』
『面倒だね』
『面倒なのは、面倒だね』
『面倒なのは、嫌だねぇ……』
ザザザザザ……
そんな言葉と共に、地を覆っていた影の群れが蠢き始める。
「!!」
身構える静莉。しかし、影達は言う。
『仕方ないね』
『仕方ないね』
『邪魔が入った』
『今日は引くよ』
『引こう』
『引こう』
ザザザザザザ……
潮が引く様に、影の群れが闇の中へと溶けていく。
『長らえたね……』
『長らえたね……』
『静莉ぃ……』
『澄里ぃ……』
『またね……』
『またねぇ……』
『この次は……』
『この次は……』
『諸共に』
『諸共に……』
『喰ろうて、やるからねぇ……』
バチィ
静莉が放った力が、地面を弾く。
シシシ…… シシシシシ……
それを嘲りながら、影の群れは夜闇の中へと溶けていく。
『じゃあねぇ……』
『じゃあねぇ……』
『おやすみぃ……静莉ぃ……』
『おやすみぃ……可愛い子ぉ……』
『良い夢を……』
『良い夢をぉ……』
そして、妖しの影は闇へと消える。
後に遺るは、月と松明に照らされる夜の森。
「あ~あ、もう~。何だってのかなぁ~。全く~」
ブツブツ言いながら、少女は腰にぶら下げた鞘に大剣を収める。と、その視界にあるものが映る。地面に散らばる、細い紐の様なもの。それは先刻、彼女が切り払った影の残骸。
「ん~?」
まだピクピクと動くそれを、何の躊躇もなくつまみ上げる。
「おや~?」
蛇だった。2m程の体長に、漆黒の鱗。奇怪なのはその頭部。そこには、二本の角が天を突く様に生えていた。
「……夜刀神?」
少女の呟きに答える様に、裂かれた蛇体がピクリピクリとひくついた。
と、
ドサリ
何かが、倒れる音がした。
「姉上―!!」
響く、悲鳴。
「ん~?」
声のした方に目を向けると、静莉が倒れていた。その身にすがる様にして、澄里が泣いている。
「あ~、もう。面倒だな~」
少女は半壊させた社から飛び降りると、そのまま石段を駆け下りて静莉と澄里の元に近づいた。
「ちょっと~?大丈夫~?」
ひょいと覗き込むと、静莉にすがりついて泣いていた澄里がビクリと身を竦めた。
「あ~、怖がんなんくていいよ~。怪しい者じゃないから……っても説得力ないか~」
一人でそう言いながら、倒れた静莉に手を伸ばそうとすると、
ギラリッ
「お?」
静莉の前に経った澄里が短刀を手に持ち、その切っ先を少女に向けていた。それを見た少女が、ほんわりと笑む。
「へえ~。姉様を守る気概はあるんだ~。感心感心~」
そう言うと、ヒョイと手を動かした。
「!?」
次の瞬間には、澄里の構えていた短刀は少女の手の中にあった。
「そんな事しなくていいよ~。獲って喰おうとか思ってないから~」
ポカンとする澄里をよそに、少女は静莉の傍らに膝まづく。しばし、彼女の様子を観察すると、少女は瞳を細める。その手が伸びて、荒い息をつく静莉の髪をかき上げた。
「ああ、これか~」
髪の下から現れた首筋。松明の明かりに照らされ、白く浮かび上がる肌。そこに、かの妖蛇の頭だけが喰らいついていた。
「こいつの毒のせいだね~」
「毒!?」
その言葉に、澄里が顔色を下げる。震える彼の横で、少女が静莉の首筋から蛇の頭を慎重に外す。外された頭は今だに蠢き、ガチガチと歯を鳴らしている。
「往生際が悪いよ~」
少女が、蛇の頭を握り潰す。「ギュッ」と短く断末魔を上げると、少女の手の中で蛇の頭は溶けて消えた。
「あ!!」
「ん~?」
思わず声を上げた澄里に、少女が小首を傾げる。
「何~?」
「そんな事して、大丈夫なの?その、毒とか……」
「あ~、大丈夫大丈夫~。ボク、この手の毒気には強いから~」
平然とそう言うと、少女は静莉の首筋へと顔を寄せる。
「はい~。ちょっと、ごめんなんしょ~」
そう言うと、首筋に紅く浮かぶ傷に口をつけた。
「ん!!」
静莉の身体がビクリと震えるが、構わずにそのまま傷を吸い続ける。しばしの間。そして、
少女は顔を上げると、プッと口の中のものを吐き捨てた。
ピシャッ
地面に叩きつけられたのは、黒く濁った血。鉄錆に混じって、酢酸の様な臭いが微かに漂う。
「毒は吸い出したし~、後は~っと」
スラリ
少女が、腰の大剣を抜いた。月明かりに、冷たく光る刃。その切っ先を、静莉の首筋に向ける。
「!!、何するの!?」
思わず止めようとする澄里の頭を、先を読んでいた様に少女の手が押し戻す。
「大丈夫だって~。見てごらん~」
言われるままに、大剣の刀身に目を向ける。澄里はそこで初めて、その刀身がしとどに濡れている事に気づく。
傾けられた水晶の様に輝く刀身。それを、同様に澄み通った水滴が滑り落ちていく。水滴は切っ先に下がるにつれて集まり、細い流れとなる。滴り落ちる先は、静莉の首筋。澄んだ滴りが、彼女の傷を洗い清めていく。
「この剣はね~。『露羽』って言うのさ~」
「『露羽』?」
少女の言葉に、澄里が小首を傾げる。
「水の気を持った神剣だよ~。この刀身から生じる水は、汚れを払うんだ~。これで清めれば、毒は消えるからね~」
みるみる血の気が戻っていく、静莉の顔。それに安堵の息を漏らしながら、澄里は尋ねる。
「……お姉ちゃんは、誰……?」
「ん~、君達の同業者って所かな~」
「同業者?」
不思議そうな顔をする澄里。そんな彼の着物の端を摘み、少女は言う。
「この服~。君達、神職だよね~?」
「う、うん……」
「ボクもだよ~。と言っても、荒事専門だけどね~」
その言葉に、澄里がハッとする。
「荒事……。お姉ちゃん、退魔師なの!?」
「ま~、そう言う事さ~」
途端、澄里がバッと一歩引いた。
「ん~?」
少女の前で、畏まった澄里が地に手を付け、頭を下げていた。
「退魔師様!!どうか、どうか、やつがれ共をお助けください!!」
「……それ、ボクに言ってるの……?」
「はい!!」
平伏したまま、澄里は言う。
「こうしてお会い出来たのも、御神のお導きと存じます!!どうか、そのお力をやつがれ共に……!!」
「君、分かって言ってる?」
露羽を鞘に収めながら、少女は問う。
「退魔師は、慈善事業はやらないよ。業を頼むなら、相応の対価が必要になる」
「存じております!!」
「君に、払えるの?」
「この身に、代えましても!!」
ふふん。
その言葉を聞いた少女が、微かに笑む。
「そんな言葉、易々と口にするもんじゃないよ」
「しかし……!!」
「でもまあ……」
さらに言い募ろうとする澄里の言葉を、少女の声が遮る。
「その目に、偽りはなさそうだね」
「え……?」
少女が、澄里に向かって手を差し伸べる。
「覚悟は、分かった。その業、受けてあげる」
パアッと明るくなる、澄里の顔。小さな両手が、少女の手を握る。
「ありがとうございます!!退魔師様!!」
「う~ん。その呼び方、しっくりこないなぁ~」
差し伸べた方とは別の手で頭を掻きながら、少女は言う。
「ボクの名前は流凪だよ~。流凪って呼んで~」
「流凪様……ですか?」
「うん~。まあ、字名だけどね~」
そう言って、少女――流凪はもう一度ニコリと微笑んだ。