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月下奇譚  作者: 土斑猫
四夜の話
22/59

四夜の話・壱

 その少女がくまがやストアに入ってきたのは、月の綺麗な上弦の夜の事だった。

 レジにいた坂本智也(さかもとともや)は一目で、見た事のない娘だな、と思った。


 くまがやストアはこの町では、唯一のコンビニエンスストア。都会からは遠く離れた片田舎。訪れる客は、ほとんどが町の住人で顔見知り。初見の、それも少女が一人で訪れると言うのは、非常に珍しい。


 件の少女は、弁当や惣菜類の置かれた棚を物色している。夕食でも買うつもりなのだろう。珍しい、それも異性の客。不躾とは思いつつも、ついチラチラと見てしまう。


 歳は10代半ば程。整ってはいるが、何処かほんわかとした顔をしている。うなじの辺りで二股に結った濃い藍色の髪が、チャームポイントと言った所だろうか。

 背中には、リュックと一緒に何やら布に包まれた長い棒の様なものを背負っている。本来なら奇異に思う所なのだろうが、不思議と奇妙に感じない。剣道か何かの道具だろうと、漠然と考えた。


 しばらくして、買うものを決めたのか。商品を入れたカゴをぶら下げた少女が、レジに向かって歩いてきた。

 ポンとレジに置かれたカゴ。入っているのはシャケと明太子のおにぎり二つ。そして無糖の紅茶のペットボトルが一本。



 「お願いしま~す」



 そう頼む声は、妙にむにゃむにゃしている。



 (何だか、眠そうだな)



 そんなどうでもいい事を考えながら、商品のバーコードを読み取り機に通す。



 「450円です」



 そう言うと、少女が懐に手を突っ込んだ。襟の奥が見えそうになって、思わず覗き込みそうになる。 


 もっとも、理性で制したが。


 懐から取り出されたのは、がま口の財布。その中から千円札を一枚取り出すと、少女はレジに置いた。


 「はい。お釣り550円ね」


 そう言って、お釣りを手渡す。少女の手の、ひんやりとした柔らかい感触に心が踊った。何となく気分が踊って、話をしてみたくなった。他に客もいないし、問題はないだろう。



 「君、見ない顔だね。何処から来たの?」



 ひょっとしたらウザがられるかもとも思ったが、そんな事もなかったらしい。少女は別段嫌な顔もせず、答えてくれた。



 「ん~、そうだね~。○○県の辺りかな~」



 思ったより、遠かった。



 「え?そんな遠くから来たのかい?こんな、何もない田舎に?」

 「あはは~、お兄さん~。自分の故郷の事、そんな卑下しちゃいけないよ~」



 そう諌める顔が、愛らしい。何だか、ここでバイトしてて良かったなどと思ってしまう。



 「ボク、ちょっとした事情で一人旅しててね~。ここには、その途中で寄ったのさ~」

 「一人旅?女の子一人で、物騒じゃないかい?」

 「あはは~。大丈夫大丈夫。小さい頃からやってて、慣れてるから~」

 「でも、寝る所とかは?この辺り、旅館とかもないよ?」



 そんな疑問も、少女はサラリと流す。



 「言ったじゃん~。慣れてるよ~。野宿も余裕~」



 その言葉に、目を丸くする智也。



 「ええ?野宿だなんて、そんな……」



 慌てる智也を見て、少女がその眠たげな目を悪戯っぽく笑ませる。



 「じゃあさ~。お兄さんの家に~、泊めてくれる~?」

 「え゛?」



 突然の言葉に、顔に血が上がる。



 「い、いや、そ、それはその……ちょっと……」

 「あはは~。でしょ~」



 笑いながら、商品の入った袋をヒョイと取る少女。そのまま、出口に向かって歩いていく。



 「あ、ちょ、ちょっと……」

 「心配してくれてあんがと~。じゃ~ね~」



 後ろ手に手を振りながら、そんな調子で出て行ってしまう。



 「……大丈夫かな……?」



 その背中を、ただ見送る事しか出来ない智也だった。





 それからしばし。



 「さて~。今晩は何処で寝ようかな~っと」



 件の少女はおにぎりをパクつきながら、月夜の道をぶらついていた。


 歩みに連れて人家は減っていき、明かりも乏しくなっていく。けれど、少女の足取りには恐れも迷いも現れない。夜闇の満ちる道を、平然と歩いていく。


 やがて、行き着いたのは一岳の山の麓。人家も人の気配も失せたその場所で、少女はあるものに気づく。



 「おや~?鳥居があるね~」



 少女の目には、木々の暗がりの中に建つ古びた鳥居が映っていた。



 「鳥居があるって事は~」



 そのまま、臆する事なくその鳥居を潜る。半ば草木に埋もれた山道を進む事しばし。彼女が目指すものは、その姿を現した。



 「ああ、やっぱりあった」



 ニッコリと笑む視線の先。そこには古びた社が一社、ひっそりと建っていた。



 「ふむふむ~。じゃ~、ちょっと失礼しますよ~」



 そう言って、社の扉を開ける。長い間、放置されていたのだろう。その中は大分痛み、床には沢山の木屑や枯葉が積もっている。それでも、少女の顔が曇る事はない。「上等、上等~」等と言いながら上がり込むと、ザッザッと足で大雑把に床を履く。そうやって、人一人寝れるだけの空間を作ると、そこにゴロリと横になった。



 「それじゃ~、一晩お借りしますよ~」



 誰にかけた言葉か、そう言うと手枕で目をつぶる。一分もすると聞こえてくる、小さな寝息。その無作法を咎める様に、何処かで梟がホウと鳴いた。





 それから、どれほどの時が経っただろう。



 ピクリ



 眠っていた少女が、スとその瞼を開けた。

 音もなく身を起こすと、社の扉の方に目を向ける。

 格子状になった、社の扉。その向こうが、光に満ちていた。夜明けの光ではない。燃える、炎の光。



 「うにぃ~?」



 不機嫌げに唸ると、寝ぼけ眼を一擦り。そのまま、その瞳を扉の方へと向けた。





 ボウウ……



 社の前には、夜闇の中に明るく燃える二つの松明。

 その間には、一つの人影が立っている。荒く息をつく細い肩。息遣いと共に漏れる声と、夜風に揺れる長い髪。それらが、件の人物が女性である事を如実に伝える。

 と、

 彼女の息遣いに紛れる様に、奇妙な音が聞こえてきた。



 シュウ…… シュウ…… シュウ……



 何かの呼気の様に聞こえる、それ。

 耳を澄ませば、かの音は彼女を取り囲む様にして無数に聞こえる。

 目を凝らして見えるのは、夜闇の中に輝く幾つもの光。動き回る様から、それらが何かの目だと知れる。



 パチンッ



 弾け飛ぶ、松明の炎。その火塵の中、影が飛ぶ。細く、長い影。いくつも飛んだそれが、女性に向かって躍りかかる。



 「くっ!!」



 女性が、襲い来る影の群れを払う様に手を振る。途端、



 バチィッ



 一筋の閃光が走り、影の群れを弾き飛ばした。


 バラバラと地に落ちた影が、シュルシュルと群れの中に戻っていく。

 ゼイゼイと、女性が肩で息をする音が響く。

 と、



 シシ…… シシシシシ……



 群れの中から、声が聞こえた。



 『頑張るねぇ……』

 『頑張るねぇ……』

 『ああ、全く、愛しげだねぇ……』

 『愛しげだねぇ……』

 『静莉(しずり)ぃ……』

 『静莉ぃい……』



 硝子と硝子を擦り合わせる様な、不快な音。それが言葉となって、鼓膜を揺らす。

 静莉、と言うのはかの女性の事だろうか。あちこちから響く声に、彼女が答える。



 「……気安く呼ばないで。耳が腐るわ……」



 澄んだ、少女の声だった。彼女は、自分を囲む光達に向かって言う。



 「わたしを愛しいと言うのなら、もう来ないでくれる……?いい加減、あなたの相手は飽き飽きなのよ……」



 凛とした、気丈な言葉。けれど、その声音には疲労の色が濃い。その事を察しているのだろう。囲む声達は、嘲笑う様に言う。



 『いいよ……?』

 『いいよ……?』

 『いつでも……』

 『いつでも、いなくなってあげる……』

 『その子を……』

 『その子を、喰ませてくれたらねぇ……』



 不快な音が、不吉な言葉を奏でる。群れの視線が、一斉に静莉の背後に向けられる。


 見れば、仁王立つ静莉の後ろにもう一人。小さな人影があった。怯えているのだろう。小柄な身体をさらに縮こまらせ、ブルブルと震えている。


 静莉と言う、少女が言った。



 「何度、言わせるの?澄里(きより)は渡さないと、言ってるでしょう」



 シシ……。シシシシシ……。



 軋り声が、妖しい声で笑う。



 『分かっているくせに……』

 『分かっているくせに……』

 『その子は、捧げられたのだよ……?』

 『捧げられたのだよ……?』

 『贄として……』

 『贄として、()に……』

 『もう、戻る所などない……』

 『帰る場所もない……』

 『()の糧になるしか、道はないのだよ……?』

 『ないのだよ……?』



 ギリッ



 歯噛みする音が響く。静莉が、叫んだ。



 「そんな事、わたしは許さない!!」



 ザワッ



 彼女の身から発せられる力が、夜の空気をさざめかせる。



 「澄里はわたしの弟!!ずっと二人で生きてきた!!どんな理由があろうと、あなたの餌になんかさせない!!絶対、絶対、絶対に!!」



 けれど、その怒気にも影達は揺るがない。ただただ、嘲笑う。



 『哀れだねぇ……』

 『哀れだねぇ……』

 『村の者達は、それを望んでいるのかい……?』

 『望んでいるのかい……?』

 「!!」



 かけられる言葉に、静莉の顔が歪む。



 『ほら』

 『ほら』

 『承知だろ?』

 『承知なのだろう?』



 シシシ…… シシシ……



 冷たく嘲る音。真実を語る。冷たく、愉しく、真実を綴る。



 『その子を喰めば、我は村を護ってあげる』

 『その子を喰えば、我は村を豊かにしてあげる』

 『お前の村は、そうして生きてきた』

 『お前の村は、そうして栄えてきた』



 軋る音が、笑む。愉しそうに、笑む。



 『お前とて、そうだろう?』

 『そうだろう?』

 『何人、こうして贄を捧げてきた?』

 『幾人、そうして我に喰ませてきた?』

 『ねえ』

 『ねえ。静莉ぃ』

 『否……』

 『可愛い……』

 『可愛い、我が、巫女よ……』

 「――――っ!!うるさい!!」



 バチィッ



 弾ける力。それから身を引く影達が、嘲り笑う。



 シシシッ シシシシシッ



 『さあ、捧げよ!!』

 『捧げよ!!』

 『捧げよ!!』



 影の群れが、ザワワと騒めく。



 『()に、贄を捧げよ!!』



 途端――



 ドバァアアアアアアッ



 大きく跳ね上がる、異形の群れ。空を覆う暗雲の様に、雪崩落ちる。



 「くぅっ!!」



 身構える静莉。けれど、一人でどうにか出来る物量ではない。見上げる目が、絶望に歪む。



 「姉上!!」



 怯え竦み上がっていた少年が、静莉の足にすがりつく。



 「澄里!!逃げなさい!!わたしが、抑えるから!!」



 叫ぶ静莉。もう、そんな事は無理と分かっていても。



 ザァアアアアアアアアアッ



 降り落ちてくる、死牙の群れ。それが、静莉と澄里を飲み込もうとしたその時――



 ズバァアアアアアンッ



 闇を走った閃光が、社の扉ごと(あやし)の群れを切り払った。



 「え!?」



 驚き、振り返る静莉。切り飛ばされ、崩れ落ちる扉の向こうで、何かが動く。



 「あ~~、もぅ~~!!」



 地の底から響く様な、胡乱な声。鋭利な光が、夜闇を照らす。



 「せっかく~、気持ちよく寝てたのに~」



 ガンッ



 苛立たしげに振るわれた足が、転がっていた扉の残骸を蹴り飛ばす。そして、



 「うるさいんだよ~!!あんたら~!!」



 巨大な剣を振り上げた少女が、夜気を震わす勢いでそう叫んだ。

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