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月下奇譚  作者: 土斑猫
閑話休題
21/59

ある夜の話

 その日は、とても綺麗な月夜でした。


 大きな丸餅の様な満月が天宙に座して、煌々と夜闇を照らし出していました。


 で、私めときましては久々の休暇でありまして。月明かりに誘われて、フラフラと夜の散歩になぞ洒落込んだのです。


 月を眺め、野良犬と世間話をし、猫の喧嘩を仲裁しつつ、涼やかな夜気を楽しんでおりますと、不意にこんな声が聞こえてきました。



 「もしもし……そこのお方……」



 声の出処は、この時分には人の気などありえない筈の場所。街外れの墓地でした。



 「どちら様ですか?」

 「こちらです。こちらでございます」



 呼び声につられて、手近な墓石の影を覗きました。するとそこには……。



 「す……すみませぬ……。どうか、どうか医者を……」

 「ふぇえええ!?」



 今にも息絶えそうな魍魎(もうりょう)様が、口から泡を吹き吹き呻いていました。


 まったく、びっくりポンでございます。


 しかし、私めが腰を抜かしている間にも、件の魍魎様はビクンビクンと末期(まつご)の痙攣を始める始末。こりゃいかんと慌てて背に負いまして、行きつけの物の怪病院に駆け込んだ次第なのです。





 「食中りの様じゃ」



 それが、院長の白蔵主(はくぞうす)先生の見解でした。



 「………」

 「なんじゃ?その顔は?」



 その時、私めはさぞや珍妙な顔をしていたのでしょう。白蔵主(はくぞうす)先生は、些かお引きになった顔でそうおっしゃいました。


 しかし、その様になった言い分は私めにもあります。僭越ながら、言わせていただきました。



 「食中りって……、白蔵主(はくぞうす)先生、あの方”魍魎(もうりょう)”ですよ?」

 「魍魎(もうりょう)が食中りしては、いかんのかえ?」

 「だって、魍魎(もうりょう)って言ったら……」



 『魍魎(もうりょう)


 姿は三歳の小児の如し。色、赤黒く、目は赤く、耳は長い。その髪は美しい。好んで死者の脳や肝を喰む。



 「って言う様な方ですよ?そもそも死体を食するのが勤めの方なのに、食中りなんて……」

 けれど、そう言う私めに、白蔵主(はくぞうす)先生はこうおっしゃるのです。

 「やれやれ。死神とは存外物知らずなものよな」

 「と、いいますと?」

 「最近、増えておるのじゃぞ。魍魎(あやつ)の様な死体喰いの急性中毒」

 「ええ!?」



 驚く私めに、先生は重ねておっしゃるのです。



 「死体喰いだけではない。鬼どもの様な活人間喰いや、(ぬえ)の様な魂喰いの連中にも、被害は拡大しておるのじゃ」



 何と言う事でしょう。最近忙しくて新聞を読んでいなかったとは言え、そんな大事を知らなかったとは。まさに羞恥の極みというものです。



 「だけど、何でまたそんな事に?」



 私めの問いに、先生は「うむ」と言って答えます。



 「どうやら、人間どもの変質が原因らしいわ」

 「変質?」

 「分からんか?死神(おぬし)の様な職務であらば、分かるであろ」

 「え……?」



 言われてみれば、確かに。


 昨今の人間の歪みっぷりは、些か度を越している嫌いがあります。


 自己中心。自善他悪。欲の為に他人を害し、思想の為に他者を貶める。己の力を傘にきて、あるいは社会の裏から陰惨に。善を行う者を嘲笑し、静かに暮らす者を妬み、時には守るべき子すらも標的に。


 そんな卑しい人間が、とみに増えている様に思われます。


 心根の汚れは身体にも通じます。心の歪んだ人間は、その血肉も汚れているとみて良いでしょう。


 基本、我ら妖魅は清純なものです。人を喰う所業も、そうある様に生まれればこそ。邪念があってのものではありません。


 そんな妖魅(我ら)が、かような代物を食すれば。


 結果は明白。中るも当然かもしれません。


 溜息つきつき、先生はおっしゃいます。



 「この間なぞ、何処ぞの大物政治家とやらの寝息を吸うた『黒坊主』が、腐気に中って転がり込んできおったわ」

 「ね……寝息だけで……」



 驚愕、ここに極まれりです。


 ちなみに、『黒坊主』という方は、寝ている人間の元に現れて、寝息を吸い、口を舐める事を生業としている()です。それ以外に危害は加えませんので、遭遇なさってもどうぞご平静に。吐き気がするくらい、口臭がキツイのが玉にきずですが。



 「それだけ、今の人間達の毒が怖いと言う事よ」

 「人喰いを生業とする方々には、死活問題ですね」

 「誠、難儀な事よ」



 そう言って、私めと先生は溜息を付き合ったのでした。





 コポコポコポ



 診察室に、風変わりな香が流れます。白蔵主(はくぞうす)先生が沸かす、お茶の香。


 水晶のティーポッドから注がれる、新緑色のお茶。先生は、それを水晶のカップに注いでくれました。


 「主も、大分疲れておるようじゃのう。ほれ、薬茶(くすちゃ)をやろう」

 「あ、すいません」


 カップを受け取り、一口啜ります。些か薬臭いですが、甘く爽やかな味が口に広がりました。

 私めが「ハァ~」なんて言ってほんわかしていますと、



 「先生~」



 誰かの声が、聞こえました。


 聞き覚えのない声です。看護師の姑獲鳥(うぶめ)さんや女郎蜘蛛(じょろうぐも)さんの声では、ありません。


 その声のした方に目を向けますと、これまた見た事のない少女がこちらに近づいてくる所でした。


 彼女は言います。



 「魍魎(あいつ)(はらわた)、洗い終わったよ」



 そんな彼女の手からは、シュルリと長い鎌が伸びています。その刃は言葉の通り、先の魍魎(もうりょう)様のものでしょう。ギラギラとした血脂に塗れていました。



 「おお、そうかえ」



 そう言って、白蔵主(はくぞうす)先生が腰を上げます。


 ちなみに(はらわた)云々というのは、治療の事です。食中りの患者は、お腹を開いて内蔵を取り出し、その中をお酒で清め洗うとピタリと治るのだそうです。先生にこの治療法を聞いてから、私めは食中りだけにはなるまいと心に決めている次第です。


 さて、話は戻ります。件の少女、その手から生える鎌を見て、私めはピンときました。



 「……『鎌鼬(かまいたち)』さん……ですね?」

 「おお、分かるかえ?」



 白蔵主(はくぞうす)先生が、感心した様に言います。そりゃそうでしょう。今日日、鎌を持った妖怪と言ったら、死神(私め)鎌鼬(彼女)か、でなきゃ口裂け女さんくらいのものです。


 しかし、病院の従業員としては些か不似合いです。どう言う次第でしょう?気になったのなら、問うてみるのが一番です。



 「何で、鎌鼬(そんな方)病院(ここ)に?」



 白蔵主(はくぞうす)先生の答えは、こうでした。



 「何、どうやら現世(向こう)で何かやらかした様での。行き場がないと言うから、ここに置いておる」



 昔から、細かい事にこだわらない先生です。



 「わしの老いぼれ腕では、患者どもの腹を裂くのは些か難儀でな。こやつのお陰で楽が出来るわい」



 そう言って、ほっほと笑う白蔵主(はくぞうす)先生。大丈夫なんでしょうか?この病院。



 「それでは、わしは仕上げをしてくるでな。若い者同士仲良くする事じゃ」



 そして、白蔵主(はくぞうす)先生は私めと鎌鼬(かまいたち)さんを残して部屋を出て行ってしまいました。

 とは言われましても、お互い初見の身。通じる話題などある筈もなく。



 「………」

 「………」



 しばらく、気まずい沈黙が流れます。



 (まずい……。何か話さなければ……)



 私めがそう思い始めたその時、



 「あんた、死神なんだって?」



 何と、向こうから話しかけてきてくれました。天の助けとばかり、それに食いつきます。



 「え、あ、はい!!そうですよ!?そうですとも!!」



 悩んでいた表情が、パッと明るくなるのが自分でも分かります。そんな私めに、鎌鼬(彼女)がツイッと顔を寄せてきました。


 綺麗な顔。それが近い。お互いの吐息が届く距離。思わずドギマギしてしまいます。


 彼女が言います。



 「綺麗だねぇ。真っ白でさ」

 「そ、そうですか?」

 「ああ。本当に、綺麗」



 そう言いながら、私めの背後に回ると首に腕を絡めてきます。耳朶に当たる、冷たい息。そして、呟く一言。それは――



 「血の紅が、似合いそう」



 背筋に、嫌な悪寒が走りました。私めは問います。



 「あの……鎌鼬(かまいたち)さん?」

 「ん?なぁに?」

 「現世(向こう)で何かあったそうですけど、一体何が……」

 


 一瞬の沈黙。でも、彼女はすぐに口を開きました。



 「ん~。まぁ、いっかぁ。言っちゃっても」



 そして、彼女は囁きます。私めの耳朶の、すぐそばで。



 「鎌鼬(アタシ)の生業、知ってるでしょう?」



 鎌鼬(かまいたち)の生業。それは人を傷つける事です。突風と共に吹きつけ、人の肌に切り傷をつけていきます。でも、それだけ。決して、殺める事はありません。

 確然とした意味は、ありません。ただ、そうあるものとして生じた。それだけの事です。


 彼女は笑います。



 「そうそう。そうなんだけど、アタシちょっと変わり者でさぁ」

 「変わり者?」

 「そう。アタシ、物足りなくなっちゃったの」

 「………?」



 言っている意味が、分かりません。



 「だからぁ……」



 声が、冷えました。まるで、氷風(ひかぜ)の様に。



 「物足りなくなったのよ。切り傷つけるだけ(・・)じゃあ」

 「!!」



 言葉の意味を察した瞬間、息が止まりました。



 「うふふ。どうしたの?そんなに固くなっちゃってぇ」



 密着する身体。頬を嫌な汗が伝います。それを楽しむ様に、頬を擦り付けてくる彼女。



 「でさぁ、一回やったら、病みつきになっちゃってぇ。見境なしに手ぇ出してたら、狩り人に目ぇつけられちゃってさぁ……」



 何が可笑しいのか、ケケケと笑う声。



 「鎌鼬(かまいたち)が切り殺されちゃあ、洒落にもなんないもんねぇ……」



 細い指が、クイと私めの顎を上げました。血の色に染まった瞳が、私めの瞳を見つめます。三日月に歪んだ口が言いました。



 「心配しなくてもいいわよぉ。いくらアタシでも、死神に手を出すほどイカれちゃいないって」

 そして彼女はまた、ケケケと笑うのでした。





 まったく、世も末とはよく言ったもの。

 歪んでいるのは、人間(ひと)の世だけではない様です。





                                   終わり


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