三夜の話・終
バタッ バタバタバタッ
「うわっ!!」
「きゃあっ!!」
頭上から降り注ぐ、鮮血の雨。それに、あたし達は思わず身を竦める。いつ尽きるかもしれない滴りを、目を瞑って耐える。
それでも、時間はあっという間。
いつの間にか雨はは止んで、あたし達は血に塗れた姿で呆然と立ち尽くしていた。
周りを見渡す。
広がる血溜りの中に、数個の欠片になった仮面が浮いていた。
「やった……のかな?」
「みたい……だな」
顔を見合わせる、龍樹とあたし。少しの間。そして、
「龍樹!!」
「うわ!?」
あたしは、思いっきり龍樹の首っ玉に抱きついた。バランスを崩した龍樹が盛大に尻餅をつく。だけど、あたしは離れない。
「ちょ、おま!!苦しい!!苦しいって!!」
抗議の声を上げる龍樹。でも、あたしは放さない。ますます力を入れて抱きつく。
「やった!!やったよ!!龍樹!!」
「惠……」
「討ったよ!!ゆうちゃんの仇、討ったよ!!」
あたしの言葉に、龍樹が顔を綻ばせた。
「ああ。やったな……」
そう言って、あたしの髪をクシャクシャと撫ぜる。
「ナイスシュートだったぜ。さすが、オレの相棒だな」
「えへへ……」
笑い合うあたし達。そして、彼の胸に顔を埋めながら、あたしはあの一瞬の事を問う。
あの事を、幻と思いたくなかったから。
「ねえ……」
「うん?」
「見た?あの時……」
それだけで、通じてくれた。
龍樹も、頷く。
「ああ……」
「来てくれたよね?ゆうちゃん……」
「だな……。やっぱり、南方は南方だった……」
そう言って、宙を仰ぐ龍樹。彼が、ここに来るまでに何を見たのかは分からない。けれど、その言葉で何かが納得出来た。だから、あたしはただ微笑んで身を彼に委ねた。
その時――
ピシャッ
湿った音が響いた。
「!!」
「何!?」
見ると、血溜りに浮いていた仮面の欠片。それらが、ピチャピチャと揺れ動き始めていた。
ピシャピシャッ ピシャピシャピシャッ
欠片達は浅瀬で跳ねる小魚の様に蠢きながら、少しずつ寄り集まっていく。
「た、龍樹!!」
「こいつ、まだ!!」
あたし達がパニックになりかけたその時――
――「無粋ねぇ」――
何処からともなく、そんな声が聞こえた。そして、
ガシャンッ
「うわっ!?」
「きゃんっ!!」
飛び散る欠片と血飛沫。
突然落ちてきた黒いダンスシューズが、もう一度一つになろうとしていた欠片達を蹴散らした。
「あんたはぁ、負けたのよぉ。役の済んだ俳優はぁ、さっさと舞台を降りなさいぃ」
もがく欠片を踏み躙りながら、シューズの主が言う。
その姿に、あたしは覚えがあった。間違いない。あの時、街中でパフォーマンスをしていた二人の片割れ。
黒衣の舞姫だ。
「お楽しみの最中ぅ、悪いわねぇ」
欠片が動かなくなるまで踏み躙ると、彼女は長いサイドテールをさらりと流して笑みを浮かべる。歳はさしてあたし達と変わらないのに、酷く妖艶な微笑みだった。
「それにしてもぉ、驚いたわぁ」
血溜りをパシャパシャと鳴らしながら、近づいてくる。
「まさかぁ、あんらみたいな小娘小僧がぁ、ジャックを退けるなんてねぇ。”助け”が入ったとはいえ、まあ大したもんだわぁ」
酷く楽しげに微笑みながら、抱き合うあたし達を見下ろす彼女。
「あらあらぁ。血塗れでのまぐわいってのも、扇情的だけどぉ、洒落た演劇のラストにしちゃあ、ちょっと酷い格好ねぇ」
そう言うと、ツイと後ろを振り向く。
「唱未ぃ」
「!」
見ると、いつの間に来たのだろう。彼女の後ろに女の子がもう一人立っていた。金色の髪に純白の服。そう、あの時の彼女の片割れ。白衣の歌姫だ。
「ほら、これぇ。何とかならないぃ?」
唱未と呼ばれた女の子が、分かったと言う様に頷く。そのまま、テクテクと歩いて来る。あたし達の前に立つとニコリと微笑んで、口を開いた。
――「汚れし雫よ。地に帰れ」――
あの時の歌の様な、とても綺麗な声。それで彼女が囁いた途端――
シュンッ
「え!?」
「な、何だよ!?これ!!」
血が、消えていた。
地面に溜まっていた鮮血も。あたし達の身体を染めていた血糊も。その全てが一瞬で地面に吸われ、消えていた。
訳が分からずに狼狽するあたし達に向かって、黙って微笑む歌い手の女の子。舞手の女の子が言う。
「唱未はねぇ、言霊使いなのよぉ。口にした言葉は、全部現実になるわぁ。もっともぉ、お陰で滅多な事じゃ話せないんだけどねぇ」
言ってる事が分からない。戸惑うあたし達を見て、舞手の女の子は、「まあ、分かんなくてもいいけどぉ」と言ってケタケタと笑った。
「それにしてもぉ、やってくれたもんだわぁ。ものの見事に、バラッバラァ」
地面に散らばっていた欠片を拾い上げながら、舞手の女の子がやれやれと溜息をつく。
いや、半分はあなたが踏みにじったせいだと思うんですけど……。
「唱未ぃ。ついでにこれ、直してくれなぁい?」
傍らに立っている歌い手の女の子にそう声をかけたけど、彼女は目を瞑って頭を振る。どうやら、駄目だと言っているらしい。
「あららぁ」
わざとらしく頭を落とす、舞手の女の子。でも、すぐにヘラリとした表情で言う。
「まあ、いいけどねぇ。欠片でも、それなりの値はつくからぁ」
そして、散らばる破片をカツカツと蹴り上げると、手の中に収め始める。
『値が付く』
その言葉に、龍樹が反応した。
「おい!!”値”って、何だよ!?お前、それが何か知ってるのか!?」
龍樹の呼びかけに、宙に欠片を蹴り上げた女の子が「ああ、これぇ?」と言いながら、飛んだ欠片をパシリと捉える。握る手の中で、欠片がカチャリと音を立てた。
「世の中には好事家が多くてねぇ、こう言う下手物に高値をつけるのが多いのよぉ」
こっちの訊きたい事は分かってる筈なのに、わざとらしくはぐらかす。龍樹が、イラついた様に怒鳴った。
「そんな事訊いてんじゃねぇ!!そいつは、何なんだって訊いてるんだ!!」
「あははぁ、分かってるわよぉ。手間も省いてくれたしぃ。ご褒美にぃ、ちゃんと教えてあげるってぇ」
ケタケタと笑いながら、女の子は言う。
「これはねぇ、切り裂きジャックの『面霊気』よぉ」
「『めんれき』?」
聞いた事のない言葉に、あたし達は首を傾げる。
「あらぁ。知らないのぉ?」
女の子が、小意地悪そうな顔をして手の中の欠片を晒した。
「『面霊気』っていうのはねぇ、年経た仮面が変化する妖物よぉ。これは、切り裂きジャックって呼ばれてた男がぁ、事を成す時に顔を隠す為に使ってた面。その情念が感染ってぇ、変化したみたいねぇ」
「………!!」
普通に聞いたら、荒唐無稽な話。でも、今のあたし達には信じる事しか出来なかった。
「物分りのいい事でぇ。二人共、良い子ねぇ」
言いながら、もう一つ欠片を蹴り上げる。
「向こうからの貨物に紛れて来たんだけどぉ、時を経て少し歪んだみたいねぇ。元々はぁ、娼婦狙いだったのにぃ、女なら何でもよくなっちゃったみたいぃ。随分色々とぉ、手を出したわねぇ。まぁ、おかげでぇ……」
そこで、また女の子が笑む。ただ、今度はすごく悪意のこもった笑み。
「余計に、値が上がったんだけどねぇ」
「何言ってやがんだ!!」
その言葉に、龍樹が激昂した。
「そいつのために、どんだけ人が殺されたと思ってんだ!!金になんか換算出来ないくらい、沢山の人が殺されたんだぞ!?」
けど、そんな龍樹の激情を受け流す様に、女の子は平々然と言う。
「青いわねぇ。人の命なんてぇ、軽いもんよぉ。世の中にはぁ、もっとイイものがぁ、沢山あるんだからぁ」
そうのたまって、またケタケタと笑う。今度こそ龍樹が怒った。
「てめぇ!!」
怒鳴って、掴みかかる。けれど、
ヒョイ
その手は、あっさりとかわされる。
「ダメよぅ。おイタをしちゃあ」
もう片方の手が伸びてきて、龍樹の額をピンと弾いた。
「―――――っ!?」
それだけで、へなへなと倒れてしまう龍樹。
「龍樹!!」
慌てて駆け寄るあたし。そんなあたし達を見て、彼女はやっぱりケタケタ笑う。
「ほらほらぁ、大事な彼女が怒ってるわよぅ。筆おろしならぁ、ちゃんとその娘に頼みなさいなぁ」
言いながら、最後の欠片をはね上げて手の中に収める。
「……っとぉ。これで最後ぉ。さてぇ、用も済んだしぃ。お暇しましょうかぁ」
その言葉に、歌い手の女の子が頷く。
クルリと返る、二人の踵。そのまま何の未練もなく、霧の向こうへと去っていく。思わず呼びかける。
「待って!!あなた達は……」
「知らなくて、いいのよ……」
あたしの言葉を遮る様に、声が聞こえた。あの、歌い手の女の子の声だった。
「世界には、貴女達が知らなくていい事が、沢山あるの……」
そして、声は言う。
「だから、今は帰りなさい。貴女達の、在るべき場所へ……」
結ばれる言葉。途端――
ザァ……
一瞬で、霧が晴れた。まるで、悪い夢から覚める様に。いつしか空は白んでいて、小鳥が鳴き交わす声が聞こえた。
「おーい!!いたぞー!!」
遠くで、誰かが叫んだ。集まってくる、人の気配。それを感じながら、あたし達はただ呆然と、昇りゆく太陽を見つめるだけだった。
それからの事は、ひたすらに目まぐるしく過ぎた。
近くにあった死体のせいで、大分警察に問い詰められた。けれど、あたし達に出来たのは、何も分からないと答える事だけ。あの夜の事を話しても、信じて貰えない事は分かっていたから。
家に帰ると、パパにぶたれて、ママには抱きしめられた。どっちとも、泣いていた。頬に落ちる涙が、とても温かかった。
9人目の被害者が出た事で、街にはさらに厳戒態勢が敷かれた。学校は休校となって、街中にはさらに沢山の警官が溢れた。
もう、そんな事に意味がない事は知っていたけれど、どうする事もなかった。後はただ、時間が全てを曖昧にしていくのだろう。
事件の事も。ジャックの事も。殺された人達の事も。そして、ゆうちゃんの死も。
微かな虚しさの中で、あたしはそう悟っていた。
時間が過ぎて、ゆうちゃんの七回忌の日。式に出たあたしは、久しぶりに龍樹に会った。ママ達が式の後片付けの手伝いに回ったので、あたし達はしばしの間、二人っきりにされた。
「……あの後、どうだった」
あたしの問いに、ゲンナリした顔で答える龍樹。
「ヒデー目にあったよ。親父にめっちゃぶん殴られた」
「あはは。おじさん、怒ると怖いもんね」
「笑いごっちゃねーよ。おかげで、口内炎になったんだぜ」
そう言って、口を開けてみせる龍樹。その顔に、また笑っていると、ふと彼の額に目が行った。そこには、病院で受けたらしい手当の跡。
「傷……大丈夫?」
「ん?ああ、4、5針縫ったくらいだ。大した事ねーよ」
「ごめんね。あたしのせいで」
「オレが勝手にやったんだ。気にする事ねーよ」
そう言って、ツンと横を向く彼。その仕草に、胸がキュンとなった。
「……そう言えばさ……」
「ん?」
こっちを向いた彼の顔に、自分の顔を近づける。彼が、目を丸くする。
「な、何だよ!?きゅ、急に!!」
「お礼、まだだなーって思って」
「ば、バカ言え!!こんな所で!!」
慌てる顔も、愛おしい。
「誰も、見てないよ?」
「で、でもな!!」
「前は、そっちからしようとしたくせに」
「い、いや、あの時とはシチュエーションが……」
なかなか、煮え切らない彼。あたしがじれ始めた、その時――
『ああ、もう。めんどくさいなぁ』
そんな声が聞こえて、グイっと背中が押された。
「!!」
「!!」
勢いで重なる、あたしと彼の口。
甘い恍惚の中、視界の隅で長い三つ編みが踊った様な気がした――
終わり