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月下奇譚  作者: 土斑猫
一夜の話
2/59

一夜の話・弐

 森の深淵に降り注ぐ月明かり。

 その中を、二つの小柄な人影が歩いていた。


 一方の影がもう一方の影の手を引いて、行く先にあるのは、ひっそりと立つ一棟の山小屋。

 ログハウス風の外見にレンガ造りの煙突。春の星空に白い煙をモクモクとたゆらせるそれに向かって、二つの影はフラフラと踊る様に歩いていく。





 「ただいま――」



 楽しげな声とともに、一枚板で出来た戸が低く軋む音を立てて開いた。



 「さ、上がって上がって――」



 久方の客人(まろうど)が嬉しいのだろうか。

 はしゃいだ声を上げながら、急かす様に腕を引く。半ば無理やり引っ張り込まれた叉夜(さや)が、心なしか渋い顔をした。


 少々辟易しながらも、その朱眼で招き入れられた部屋を見回す。


 間取りの広い部屋。フローリングの床に断熱材の張られた壁。部屋の中央では煙突と同じ、レンガ造りの暖炉が明々と燃えていた。


 さすがに電気やガスの類は通っていないらしく、光源はテーブルの上に置かれたランタンのみ。けれど、それを除けば山小屋というよりは小洒落た別荘といっても申し分のない造りだった。



 「へへ、結構いいでしょ?」



 弥生(やよい)が、得意げに胸を張った。


 そんな彼女の声が聞こえているのかいないのか、叉夜は突っ立ったまま、ランタンの光を眩しそうにみつめていた。と、そこに奇妙な音が聞こえて来た。



 ズル……ズル……ズル……



 重い布袋を引きずる様な、あるいは巨大な(くちなわ)が這いずる様な、そんな音。



 ズル……ズル……ズル……



 音は、叉夜と弥生のいる居間の隣。引き戸一つを隔てた向こうから聞こえてくる。



 ズル……ズル……ズル……



 音はゆっくりと近づいてくる。それとともに、戸の隙間から奇妙な匂いが漂ってきた。

 幾つかの異なる匂いが折り重なった、混沌とした匂い。

 何かの香か、嗅ぎ慣れない香気。しっとりと湿った、土の匂い。咽気を誘う、草いきれ。


 そして……。


 叉夜は無言で、音のする引き戸を見つめる。



 ズル……ズル……



 音が、戸の直ぐ向こう側でピタリと止まる。


 やがて、スルスルと細い音とともに、引き戸がゆっくりと開き始めた。細く開いたその隙間向こうから、蝋燭のものらしい淡い明かりが漏れる。その暗い光の中で細い影が動いた。



 「お帰りなさい……。お姉ちゃん……」



 そんな声とともに戸の隙間から覗いたのは、叉夜や弥生よりも一、二つ幼い少女の顔。


 細い隙間から覗く、半顔。全体の姿こそ分からないものの、肩口で短めに切りそろえた髪形や、病的な肌の白さを除けば、弥生のそれによく似ていた。



 「……誰……?」



 弥生と同じ、琥珀色の瞳が見知らぬ訪問者を写す。

 微かに歪められる、細い眉根。叉夜としばし、無言で見つめ合う。

 空気が、奇妙に張り詰めた。



 「あ、その娘、皐月(さつき)って言うの。さっき言った、あたしの妹」



 その空気を和らげるかの様に、弥生が言葉を挟む。



 「お客様だよ。皐月、挨拶しなさい」



 けれど、皐月と呼ばれた少女が姉の言葉に応じる事はなかった。

 無言のまま閉じられる引き戸。そして、先程と同じ、ズルズルと言う音が閉じた戸の向こうで遠ざかっていった。


 「あ~~、えっとぉ……。ご、ごめんね。あの娘、何ていうか、酷く人見知りするたち(・・)でさぁ……」


 気まずそうに取り繕う弥生をよそに、叉夜は遠ざかっていく音に耳を澄ます。


 その朱眼には、戸が閉じられる一瞬、皐月の顔に浮かんだ表情が焼きついていた。


 酷く何かに怯える様な、酷く何かを悲しむ様な、そんな顔だった。





 ランタンの光に染まる部屋の虚空に、白い湯気がユラユラと舞う。

 手にしたポットから花柄のティーカップへ中身が注がれると、甘い香料の香りが部屋いっぱいに満ちた。



 「はい、どうぞ。お手製だよん」



 そう言いながら、弥生はお茶菓子の入った器と共に湯気を立てるカップを叉夜の前に置く。置きながら、「なーんて言っても、インスタントですけど」と悪戯っぽく笑う。


 カップの中身はレモンティー。インスタントらしく、わざとらしい程に濃く、人工的なレモンの香りが鼻をくすぐる。



 「ちょっと沸かしすぎちゃった。熱いから、気をつけてね」

 「………」



 叉夜は無言でカップを手に取ると、冷ましもせずに熱い湯気とレモンの香りの立ち上るそれに口を付ける。



 「あっ!!そんないきなり口つけたら……!!」



 慌てる弥生に構わず、そのまま湯冷ましでも飲む様にコクコクと飲む。その様を見て、弥生は「あれ?」と小首を傾げる。


 「……熱くないの?」

 「………」


 叉夜は答えず、コクコクと琥珀色の液体を飲み干していく。



 (……ひょっとして、これ(ぬる)い……?)



 自分の分のカップに、叉夜と同じ様に冷まさずに口をつける弥生。

 途端、



 「○×△□○△×☆――――!!」



 口を押さえて悶絶する弥生を横目に、叉夜はコクリと飲み干した。





 「……君……」



 不意にかけられた声。火傷で真っ赤になった舌を悲しそうに手鏡で確認していた弥生は、あからさまに驚いた顔で振向いた。



 「うわ!?ひょっとして叉夜さん、話しかけた?あたしに!?」



 他人が見たら何事かと思うほどの喜色を浮かべ、弥生は叉夜に向かって身を乗り出す。



 「ねっ、ねっ!!初めてじゃない!?叉夜さんの方から声かけてくれたの!!」



 大げさにはしゃぐ彼女に構う事なく、叉夜は言葉を紡ぐ。



 「妹さん、足に不自由でもしてるのかい?」



 その言葉に、春奈の顔から笑みが消えた。



 「……何で?」

 「さっき、妹さんが動く度に何か引きずるような音がしてただろう。それに……」



 そこで一旦言葉を区切ると、ちらりと弥生を見やる。



 「香か何かの香りに混じって分かり難かったが、確かに血の匂いがした」

 「はは……鼻、いいんだねぇ……」



 一旦笑みの消えた顔に、先程までとは違う苦い微笑みを浮かべながら弥生は答える。



 「あの娘、結構そそっかしくてさ。土手から転がり落ちちゃって、途中にあった枯木で太ももざっくり……。おかげで、しばらく動けなくなっちゃった。たまに酷く痛むから、薬がないと眠ることもできないんだけど……。でも、こんな所に住んでるから、薬の調達もままなんなくて。まぁ、それで不機嫌なところもあるって訳。」

 「病院には、行かないのかい?」

 「今のあの娘には遠すぎるよ。傷に負担かかって、かえって悪くなっちゃう。だから、パパとママが泊りがけで街まで薬買いに行ってるの。パパは大分、渋ってたけどねぇ……」

 「ふむ……」



 とりあえずは納得したらしく、叉夜はそうつぶやくとすでに注がれていた二杯目のお茶に口を付けた。





 楽しげに話す少女と、無愛想ながらもそれに付き合うもう一人の少女。そんな二人を、細く開いた反対側の引き戸から琥珀色の双眸が悲しげに見つめていた。





 ボオン ボオン ボオン……



 灯りの落ちた小屋の中から、時を告げる時計の音が響く。その音を壁越しに聞きながら、叉夜は小屋の裏手に佇んでいた。


 時折、腰下までもある白髪を夜風が派手に嬲るが、それを気にすることもない。彼女はただ、その瞳を眼前の裏庭へと泳がせるだけ。


 森の闇の間にポッカリと開いた、狭いけれど開けた空間。


 そこにあるのは、暖炉にくべる為の薪の束と、ひなびたトマトやレタスが疎らに生えた小さな菜園。そして、煌々と降り注ぐ月明かりに照らされて整然と並ぶ、塚の群れ。


 掘り返して間もない黒土を積み上げた盛り土。その上に立てられた、無骨な自然石。そして、それに稚拙な(すべ)で刻まれた文字。


 それが、幾つも幾つも。


 少し視線を落とすと、一番手前の塚が何かによって無残に掘り返されていた。倒れた碑石。散らばる黒土。掘り穿たれた穴の中から覗くそれが、その身に降り注ぐ月明かりを青白い燐火の様に照り返す。暗い眼窩が、自分を見つめる少女の視線を虚ろに浮け返していた。



 「……何してるの?」



 そんな声と同時に、叉夜の視界の端で白い影がサラリと揺れる。


 身に纏った白襦袢の裾が足元の草に擦れ、サラサラと乾いた音を立てる。身に着けたものはそれだけなのか。月明かりの中、薄い布地に素肌の色が透けて見えた。亜麻色の髪が吹き通る夜風に舞い、甘い香を散らした。



 「部屋にいないから、驚いちゃった……」



 サラサラと歩いて隣に立った弥生。その顔を叉夜に向けて、にこりと妖艶な笑みを浮かべる。



 「ごめんなさい。寒かったでしょ……?」



 そう言って腰を屈めると、叉夜の足元に転がる“それ”を抱き上げる様にして拾い上げる。そして、”それ“を元の穴へと納めると、周りの土をかき集め、件の穴に被せ始めた。

 被せながら、



 「どうしてここ、気付いたの?」



 後ろで自分を見つめている叉夜に、背を向けたまま尋ねる。



 「匂い」

 「匂い?」

 「この家に入る時、裏手(こちら)の方から風が吹いてきた。その風が、墓土の匂いを乗せてたかんだよ……」

 「……はは、本当に鼻、良いんだねぇ……」


 弥生は苦笑いを浮かべながら、作業を続ける。



 「ここにいる方々は誰かな?まさか、先祖代々の墓地とは言わないだろうね」

 「まさか」



 叉夜の問いに、弥生は笑って答える。



 「……あのね、この辺りの土、落ち葉がいっぱい混じってるの。だから、ふわふわしてて、温かくって、とっても寝心地がいいんだよ……」



 穴を満たしながら、弥生は土を一握り、叉夜に向かって差し出した。



 「ほら……」

 「………」



 叉夜は黙って土を受け取ると、手の中で転がす。良くこなれた腐葉土が、サラサラと指の隙間から零れて散った。



 「ね、いい感じでしょ……?」



 言いながら穴を満たした土を丁寧に均すと、その上に転がっていた碑石を乗せる。



 「でも、掘り易いのがたまにきずかな。こうやって、よく獣に掘り返されちゃうんだ……」



 そして合掌。しばしの黙祷の後、ゆっくりと立ち上がると襦袢に付いた土埃や草きれをポンポンとはらう。

 その様子を、背後で叉夜は佇んだままじっと見つめる。そんな彼女をちらりと横目で見て、またニコリ。



 「だから……」



 着物の裾を優雅に舞わせ、クルリと振り返る。



 「叉夜さんも、気持ち良く眠れると思うよ……」

 「………」



 叉夜の視線が、弥生の右手に注がれる。その手の中で輝くのは、一振りの短刀。

 一度微笑む、弥生。

 酷く優しい、微笑み。

 ゆっくりとした足取りで、弥生が叉夜に近づく。一歩、一歩、ゆっくりと。



 「動かないでね……」



 だらりと下がっていた短刀の切っ先が、ゆらりと上がって叉夜に向けられる。



 「動くと、一度で終わらせてあげられないから」



 月を背負って微笑む弥生の顔が影に沈み、笑みの形に歪んだ口だけがやけにはっきりと見えた。


 一歩。

 もう一歩。


 叉夜が言う。



 「大人しくやられる義理は、ないがね?」

 「……そう?」



 ニコニコ笑みながら、もう一歩。

 と――



 「――っ!?」



 不意に叉夜が、ふらふらと小屋の外壁に左肩からもたれかかった。そのまま崩れ落ちそうになる身体を、壁についた左手が辛うじて支える。その手首を、視界の外から伸びてきたもう一本の手がガシッと掴んだ。



 「ほら、捕まえた」



 得意気な声に、顔を上げる。


 霞む視界いっぱいに飛び込む、満面の笑み。


 叉夜は自分の手首を掴む手を振り解こうとするが、すでにそれすらも適わない。ただ、だらりと下がった右手がプルプルと刻む様な痙攣を繰り返すだけ。



 「危ないよ」



 崩れ落ちそうになる叉夜。その細い身体を、弥生が抱き抱える様にして支える。うなだれた頭が微かに動き、半ば焦点を失った目が春奈を見つめる。



 「動けない?動けないよね」



 そう言って、またクスリと笑う。



 「さっき飲んだお茶ね、そう、寝る前にわたしと一緒に飲んだやつ。あのね、叉夜さんの分、薬草を煮出したお湯でいれてたんだよ。痛み止めとか、沈静の効果があるやつ。良く効くの。効き目が出るの、ちょっと遅いけど。それをね、ちょっと多めに入れて、濃いめに煮出したの。大丈夫。大したことないよ。ちょっと、効果がきつめになるだけ。言ったよね。お手製だって。ねぇ、聞いてる?聞いてないか……」



 いつしか叉夜は目を瞑り、糸のない操り人形の様にぐったりとその身体を弥生に委ねていた。


 弥生はほくそ笑み、自分の腕の中の細身に愛しげに腕を絡める。逆手に持たれた短刀が叉夜の背にまわされ、切っ先がピタリと心臓の位置に当てがわれた。



 「あのね、今言った薬草、痛み止めの効果もあるって言ったでしょ?だからね……」



 弥生の手に、力が篭る。



 「痛くないよ……」



 鋭い切っ先が、サクリと叉夜のローブに埋まる。そのまま一気に押し込もうとして――


 止めた。



 「……(ここ)でやったら、汚れちゃうか……」



 そう言って右手を引くと、短刀を懐の鞘へと納める。そして、改めて叉夜の身体を抱き直すと、それを小屋の戸口に向かってゆっくりと引きずり始めた。



 ズルリ ズルリ サラリ サラリ



 引きずられる音と、襦袢が擦れる音。それらが、静寂の中で控えめに響く。



 ズルリ ズルリ サラリ サラリ



 やがて、二人の姿が戸口の中の闇へと消える。少し遅れて、パタリと戸が閉じた。

 後に残るは、煌々と降り注ぐ月光と、寂しく鳴く夜の風だけ。

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