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月下奇譚  作者: 土斑猫
三夜の話
12/59

三夜の話・弐

 1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間、ロンドンで5人の女性がバラバラに切り裂かれて殺されるという、連続猟奇殺人事件が起きた。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなどの奇行も伴い、劇場型犯罪の始まりとも言われている。犯人は精神病患者から王室関係者までが挙げられたが、結局逮捕には至らず、迷宮入りした。一世紀以上経った現在も犯人は不明。


 その犯人を、人々は恐怖の意を持ってこう呼んだ。


 ――「切り裂きジャック」――と。





 キーンコーンカーンコーン




 学校の、終業を告げるチャイムが鳴る。先にも言ったみたいに、例の事件のせいで、部活動は軒並み休止されている。あたし達生徒は、速攻で帰宅を促される。ゾロゾロと群れ帰る生徒に混じりながら、あたしは溜息をついた。



 「あ〜あ。部活やりたいな〜。この戒厳令、いつまで続くんだろう?」

 「事件が解決するまでは無理だよ。いい加減諦めなよ。(けい)



 ぼやくあたしを、夕子(ゆうこ)がそう言って諌める。


 「でもぉ〜」

 「でももストも、ないでしょう」


 まあ、分かってはいるのだ。何だかんだ言っても、今は非常事態。これ以上被害を増やすまいとする警察の懸命さも、子供(あたし)達を心配する親や先生達の想いも。


 でも、いくら理解出来ても募る不満はまた別問題。道々に見て取れる警察官の姿を見て、あたしはもう一度溜息をついた。


 そんな自分を、夕子が困った様に見ている。それに気づいて、あたしは二ヘラッと頼りなく笑って見せた。


 と、



 「よお、相変わらずしょぼくれてんな」



 後ろから、聞こえて来る声。振り返ると、サッカーボールを頭でリフティングしながら歩く龍樹(たつき)の姿があった。龍樹はあたしと同じサッカー部。チームのエースでもある。あたしも、一対一じゃ絶対勝てない。忌々しい事だ。



 「中上君、道路でそんな事してると危ないよ」



 そんな龍樹の姿を見た夕子が、すかさず注意する。



 「はいはいっと……」



 いつも反抗的な龍樹も、夕子には逆らわない。素直にボールを下ろして、両手に持つ。普段、あたしの言う事なんか聞きやしないくせに。癪に障る事この上もない。



 「全く。めーわくな話だよな。犯人、早くとっ捕まればいいのにさ」



 ブツブツ言う龍樹。思うところは、あたしと同じだ。

 「そうだよね。お陰で欲求不満もいい所だよ」



 そう相槌を打つあたしを見て、龍樹がポンと手を打つ。



 「あ、そうだ。惠、お前囮になれよ」

 「は?」



 何を言ってるんだ?こいつは。



 「お前が囮になってさ、夜の街を歩き回ればいいんだよ。釣られて犯人が出てきたら、そこをふん縛ればいい」



 ピクリ。思わず米神がヒクつく。



 「あ~ら。それは良い考えですこと。でもね、狙われてるのは若くても高校生からなのよ?あたしじゃあ、ちょ~っと若過ぎるんじゃないかしら~?」

 「ああ、平気平気。お前なら、高校生どころか30代でも通用するって」



 ピクピク。さらにヒクつく米神。



 「あら~、それはそれは。それって何かしら?あたしが老けてるって言いたいのかしら?」

 「よく分かってるじゃねえか。いい子いい子」



 そう言いながら、あたしの頭をよしよしと撫でる龍樹。



 プッチン



 切れた。限界である。



 「んだとテメェ!!何ならアンタから地獄に送ってやろうかぁ!?」



 憤怒の形相で身構えるあたし。けれど、龍樹は涼しい顔。



 「大丈夫だって」

 「は?何がよ!?」

 「そん時は、オレが守ってやるって」



 シレっと、そんな事を言った。



 「あぅ……」



 ボシュッ



 一瞬で消える、怒りの炎。代わりに、顔に血が上る。


 これだ。こいつはいつも、サラッとこんな事を言うのだ。やり辛いったら、ありゃしない。言葉を失い、黙り込むあたし。多分、顔は真っ赤だ。そんなあたしを見て、龍樹は笑う。



 「あはは。何だよ。何、焼き餅みたいな顔なってんだよ」



 ケタケタと笑う龍樹。あたしには、返す言葉もない。ああもう、本当にどうしてくれよう。

 もういっそ、股間でも蹴り上げてやろうか。あたしがそう思いつめたその時、



 「あ、いけない!!」



 夕子が、突然声を上げた。



 「ん?」

 「どうしたの?」

 「わたし、学校に宿題のプリント忘れちゃった」



 そう言って、自分の頭をポカリとやる。



 「ええ!提出日、明日だよ!?」

 「うん。わたし、戻って取ってくるね」



 そして、踵を返す夕子。その背に、慌てて声をかける。



 「あたしも一緒に行くよ」



 けれど、夕子は首を振る。



 「大丈夫。二人は先に帰ってて」

 「でも……」

 「心配ないって。道には、警察の人や先生達もいるんだし」



 そう言うと、夕子はクルリと向き直って叫ぶ。



 「中上君!惠の事、しっかり送ってくんだよ!!」

 「え?あ、お、おぅ」



 急に話を振られた龍樹が、慌てた様に頷く。



 「じゃ、頼んだからね」



 そして、再び踵を返すと夕子は今まで来た道をかけ戻っていく。



 「また、明日ねー!!」



 飛んでくる言葉。あたしも声を張り上げる。



 「うん!また明日―!」



 射し始めた、紅い斜光。その光の中で、夕子が微笑むのが分かった。それが、何だかとても眩しく映ったのは、気のせいだろうか。大きく手を振ると、夕子は再び背を向けて走っていく。その背を、あたしは何だかとても切ない気持ちで見送った。



 「何だろう。ゆうちゃん、何だか変だったけど」

 「……気でも、使ってくれたんじゃねぇの」

 「え……?」



 龍樹の声に振り向くと、いつの間にか辺りに人の気がなくなっている事に気づいた。



 「……二人っきりだな」

 「え?あ、それは……」



 落ちてくる夕日の中で、龍樹の顔が紅く染まって見える。あたしも、同じ顔色をしているに違いない。



 「久しぶりじゃね?こういうの」

 「う……うん……」



 しどろもどろになりながら、答えるあたし。そう。街が今の状態になってから、あたし達は監視と集団行動の中で動いてきた。こんな風に、彼と二人っきりになるのは、本当に久しぶりだ。

 意識し始めると、もう止まらない。どんどん、顔に血が集中してくる。



 「何、真っ赤んなってんだよ。お前」



 そう言って、龍樹があたしの頬に触れた。



 「ひゃん!!」

 思わず、すくみ上がる。心臓が、トカトカ飛び出しそうだ。



 「ま、待って!!人が見てるって……」

 「誰が?」

 「誰がって……」



 アワアワしながら、キョロキョロと辺りを見回す。辺りには、本当に誰もいない。街中なのに、正真正銘の二人っきりだ。どういう事だろう。いつもなら、必ず監視係の警察官か先生がいる筈なのに。一瞬、そんな疑念が頭を過るけど、そんなものは次の事態で吹っ飛んでしまった。

 龍樹が、あたしに向かって顔を近づけてきたのだ。



 「ちょ、ちょっと龍樹!!あんた、何考えて……」

 「恥ずかしかったら、目つぶってれば?」

 「そ、そう言う問題じゃ……」



 この状況に、彼も勢いに乗ってしまったらしい。止まる様子が、全然ない。間近に来る、彼の唇。



 「~~~~~~~~っ!!」



 たまらず、目をつぶるあたし。彼の吐息を、間近に感じて――



 ビュウ……



 一瞬、日が陰った。周囲を吹き抜けて行く、冷感。身体の火照りが、あっという間に冷えていく。

 驚いて目を開けると、龍樹も当惑した顔で辺りを見回していた。


 ……霧だった。さっきまで、温かい夕日に照らされていた街路が、白い霧に覆われ始めていた。



 「何……?これ……。急に、こんな霧なんて……」



 見れば、夕日はとうに沈んで、東の空には蒼い月が昇り始めている。急激に冷えていく気温。あたしはたまらず、龍樹に身を寄せた。



 「龍樹……寒い……」

 「ああ、そうだな。早く、帰ろう」



 さっきまでの熱は、すっかり冷めていた。あたしと龍樹は、そろって帰路を歩き始める。ふと、夕子の事が気になった。



 「夕子、大丈夫かな……?」

 「大丈夫だろ。街には、まだ警備の人達がいる筈だから」



 そんな龍樹の言葉に、あたしはためらいながら頷いた。



 「そう……だね」



 この時、あたしの心は酷く萎えていた。家に、帰りたかった。一時でも早く、この場を離れたかった。



 「ほら」



 龍樹が、手を差し出してくる。迷う事なく、その手を取った。二人の手の間に、微かな温もりが灯る。まるで、さっきまでの熱の残火の様に。それを拠り所に、あたし達は走った。まるで、満ちてくる霧から逃げる様に。



 コォオオオ……



 低く唸る様に、風が鳴る。



 ……London Bridge is falling down……



 風鳴りの中に、何か唄の様なものが聞こえた様な気がした。





 後に、あたしはこの日の選択を一生悔やむ事になる。

 あの時、夕子を一人で行かせてしまった事を。


 そう。あたしはもう、夕子に会う事は二度と叶わなかったのだから……。

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