二夜の話・後
「連れがいなくなった?」
連れ立ち歩きながら、少年は少女の言葉に目を細めた。
「はい……」
対する少女は、何処か申し訳なさそうにうなだれる。
「何せ、初めての事でしたから……。怯えてしまったらしくて……。ちょっと目を離した隙に……」
「……それは、良くないね……」
話を聞いた少年が、何かを案ずる様に空を仰ぐ。
「この辺りは、昔から相が良くないんだ。訳も分からず彷徨っていると、何に捕られるか分からない」
「……そうなんです……」
少年の言葉に、あからさまに悄気返る少女。銀色の瞳に見る見る涙が溜まり、ポロポロと溢れ出す。
「わたしって、いっつもこうなんです。バカでドジでグズでノロマで、何をしても馬鹿みたいにヘマばっかり。この仕事だって、就いてからバカみたいに長いのに今だにこんなバカな失敗を……。ああ、ホントになんて馬鹿なんでしょう!!バカバカバカバカバカバカ!!わたしの馬鹿!!こんな馬鹿はカバに踏まれてバカみたいにカバ口になっちゃえばいいんだわ!!バカ!!」
大概、馬鹿がゲシュタルト崩壊を起こしそうな愚痴を速射する少女。けれど、ふと我に返ると、肝心の相手がそれを聞いていない事に気づく。
少年が、自分とは反対側の方向を凝視していた。
「あの~、もしもし。聞いてます?」
少年の肩を、ツンツンとつつきながらそんな事を問う。
別に聞いてもらわなければならないほど重要な内容ではなかったのだが、無視されているとなるとそれはそれで物寂しい。と言うか、これでは本当の一人馬鹿である。
「ねぇ~。ちょっと~。ちゃんと聞いてくださいよ~」
些か赤くなった顔で抗議するが、少年の視線は戻らない。なんか、寂しい。
「もしもしってば~」
半ば半泣きになって言い募ろうとしたその時、少年が言った。
――「その迷い子って、あの子の事かい?」――
「え?」
言われて、少女も少年の視線の方を見やる。
そこは、住宅街の外れの路地。その向こうにはもう人家はなく、深い夜闇だけが満ちている。闇の手前には外灯が一本立ち、頼りない明かりをユロユロと道に落としていた。
「ん~~~?」
その光の外に目を凝らすと……
「あ!!」
いた。
光との対比で、より深く目に染み込む夜闇。その中に佇む人影がある。黒いチョッキとスカート。そして、黒い髪。それらが周囲に紛れて見え辛いが、それは年の頃、五~六歳ほどの女児だった。
歳に似合わず、闇に怯える様子もなく佇む女児。その目は何処か虚ろで、何やら忘我している様にも見えた。
その姿を見とめた少女。大いに喜ぶ。
「そ、そうです!!あの子です!!ああ、良かった!!」
思わず駆け出そうとする少女。しかし、その手を少年の手が掴んだ。
「待って」
「な、何ですか!?離してください!!早く、迎えに行ってあげないと!!」
「落ち着いて」
逸る少女を、少年が諌める。
「よく、見て」
「え……?」
言われ、意識した瞬間。
「!!」
それは、現れた。
――グニャリ――
女児の周りの闇が、不可解に歪む。
グニャリ……グニャリ……グニャリ……
闇が歪む。蠢く。形作る。
風に流れる古布の様に歪み広がる、空間。
ズルリ ズルリ ズルリ
あちこちから伸びる、幾数もの痩手。
ギョロリ ギョロリ ギョロリ
四方から見つめる、無数の眼球。そして――
ズルンッ
それらの中心からまろび出る、巨大な頭。身体から、丸ごと抜き出された様な頭骨と脊髄。それを思わせる顔と首が、カラカラと乾いた声を響かせた。
「あ……あれは……!?」
「『邪霊』……。あの子を取り込もうとしてる」
戦慄く少女の隣で、少年は淡々と話す。そんな、彼らの目の前。その言葉を肯定する様に、悪夢の様に揺らぐ手が立ち尽くす女児をゆっくりと囲い込んでいく。
「いけない!!」
少女が、纏うショールの中に手を入れる。
ズルルッ
そこから引き出されるのは、長い柄の様なもの。物理法則を無視して出てきた”それ”を、少女が振りかざしたその時、
「待ちなよ」
静かな声が、再び彼女を制した。
「何ですか!!邪魔しないでください!!」
激昂する少女。けれど、声の主である少年はあくまで冷静。
「あの邪霊は、大分年経てる。相応の魂を喰ってる筈だ。まともにやりあっては、君でも分が悪い」
「そんな事言ってる場合じゃありません!!早くしないと、あの子も喰われてしまう!!」
そう叫んで走り出そうとする少女。その襟首を、少年が掴む。
「だから、待ちなって」
「ぐえっ!?」
踏み潰されたアマガエルみたいな声を出して、尻餅をつく少女。そんな彼女を見下ろしながら、少年は言う。
「邪霊は、僕がやるよ」
「え……?」
「そもそも、これは、僕の仕事だ」
その言葉に沿う様に、少年の中で何かが蠢く。
ザワリ……ザワリ……
「!!……それは……!?」
夜色の外套の中からざわめき出てきたモノを見て、息を呑む少女。構わずに、少年は続ける。
「君には君の、大事な役目があるだろう……」
ザワリ……ザワリ……
夜が、さざめく。闇が、怯える。
「何かあっちゃあ、困るからね」
そして、無表情だった少年の顔に、亀裂の様な笑みが浮かんだ。
全ては、ほんの一時で終わった。
千々に刻まれた邪霊は霧となり、夜の大気の中へと消えていく。サラサラと流れゆく残滓の中で、少年は静かに息をついた。
と、
「ありがとう……。”狭間”の人……」
かけられた声にふりむくと、そこには外灯の光の中に立つ少女の姿。その隣には、目の光を取り戻した女児が、母親にそうする様に寄り添っていた。
少女は言う。
「お陰で、無事にこの子を送り届ける事が出来ます……」
言葉とともに、頭を下げる彼女。そんな少女に、少年も言葉を返す。
「大変だね。可哀想な魂達の加護も」
「それが、死神の役目ですから……」
何の躊躇もなくそう言う少女に、少年も微笑む。すると、少女がススッと近づいてきた。
「本当に、ありがとうございます」
改めて言いながら、少年の肩に手をかける。
「このお礼は、いつか必ず……」
そして、長い前髪の間から覗く頬に軽く口づけ。氷を押し当てられた様な感覚に、少年の背が震える。
「また、お会いしましょう……」
その言葉を残して、少女の姿は消える。連れ合う、幼い魂とともに。
それを見送り、少年は呟く。
「死神のキスか。世間では、縁起でもないとか言われるけど……」
頬に残るその感触を、サラリと撫でる。
「まあ、役得かな……?」
そして、少年の姿も失せる。まるで、夜闇の中に溶けゆく様に。
後に残るは、蒼く光る月の道。
煌々と、光の注ぐ道ばかり。
終わり