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不老不死を得たある男の一生  作者: ヴァレー
10/25

人間社会がどうでもよくなった不老不死の男

不老不死から150年後。

男、170歳。



男は山の中で気楽に生活していた。

山の生活にも少々飽きはじめていたので、何もしない日もかなりあった。たまに狩りや釣りをして楽しんだ。


毎日朝に日の出を見て、夕方に日が沈むのを見る。そんな漫然とした日々。

すでに人間の世界に執着がなくなってしまい、どうでもよくなっていた。興味を失っていた。


ここで男の時間的な感覚が、以前と比べて多少変化したことは重要なことである。

非常に変化の少ない気楽な生活であり、自身が死ぬ心配もないため、男は時間を「数える」ということをしなくなっていた。

なんとなく「これくらい経過した」という感覚はあったが、具体的な数字で時間を把握することがなくなった。


元々「時間を数える」というのは、限られた少ない時間で多くのことを成し遂げなければならない者たちが必要とする能力である。

非常に長い時間軸で生きている男にとっては、時間を数える必要がなかった。


男は、たまに人間社会での生活を思い出すことがあった。

その時よく思うことは、人間社会ではなぜあんなにストレスばかりの生活を余儀なくされるのかということだった。

毎日時間に追われ、時間に焦り、いつも危機感を持ちながら心が休まることがない。


本来、動物というのはこのように、のんびりとストレスのない生活をすべきではないのか?そのほうが幸せではないか?

人間だけが生物の法則から外れてしまっているがために、余計なストレスだらけの生活をしているのではないか?

人間というのは、ほかの生物たちよりも、はたして幸せに生きているのかどうか?

そんな疑問さえ湧き上がってくるのだった。


また「時間の密度」についても考えることがあった。

自分の生活が以前に比べて、非常に密度が薄くなっている。


人間社会にいたとき、特に不老不死を得る以前は、寿命が非常に短く設定されているがゆえに、密度の高い生活を維持しなければならなかった。

そうでないと年齢相当の地位や能力が身につかず、競争社会で他者に置いてけぼりにされる。

その忙しさはある場合に「生きがい」をもたらすこともあったが、男にとってその忙しさはたいてい苦しいことであった。


寿命が無限にある自分は、焦って能力を身に着ける必要もなければ、誰かと競争して少しでも早く収入を上げたりと努力する必要もない。

ストレスのない今の生活に、大いに満足を感じていた。少なくとも人間社会にいたころの自分は、不幸だと感じていた。


のんびりした密度の薄い生活、だがその気楽さに不安がないわけでもない。

自分の長すぎる人生では、生活の質は限りなく密度が薄くなっていくかもしれないということ。


時間の密度が薄くなっていくというのがどういうことか。その時自分はどう感じ、どういう反応をするのだろうか?


漫然とした不安は残っていた。

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