第3章ー復讐の誓いー 中編
2.
――『アルミスティアが怒っている』。
それは、可笑しな言い方だった。
アルミスティアは武器である。故に、意思など無い。この言い方はまるで、アルミスティアに意志があるかの如く。
だが、レックスが冗談を言っている訳ではないのは、先ほどの気配で充分過ぎた。
「だから……」
そこで頭をよぎるのは先ほどの酒場での出来事。
「アルミスティアは、"赤く"なっていたんですか?」
クロイド遺跡とフリージングの泉で見たアルミスティアの刀身は蒼。空のように、海のように澄んだ綺麗な蒼色は、深くユニアの記憶に残っていた。
「……笑わないのか?」
真に受けない、と思っていたレックスにとって、それは予想外の返答だった。
「……正直、不思議な言い方だと思います。でも、冗談じゃないのは分かります」
驚くレックスに正直な感想を述べるユニアをまじまじと見つめ返し、やがてフッと肩の力を抜いた。
「レイナ達は、笑って相手にもしなかった」
武器は武器。意思を持たぬ無機物なのだと。そう言われ続けていた。
「信じるんだな」
溢した笑顔に、ユニアの胸はドキン、と高鳴った。
「あまり話していないのにな」
「え?」
「冗談を言っているかもしれないぞ?」
悪戯な笑顔に変わり、ユニアは虚を突かれたように首を傾げた。
「えっ。冗談を言おうか迷っていたんですか?」
口元を押さえて笑うレックスはその質問に答えない。
「とにかく、今から向かう廃教会で、アルミスティアの鬱憤晴らし」
気を取り直すように話題を反らすレックスだが、ユニアはムッと膨れて睨み付ける。
「終わったらあの銀髪少年の様子を見に行く」
「……そういえば、その子は目を覚ましたのでしょうか」
クロイド遺跡で出会った銀髪の少年。あれから3日は経っているのだ。本来なら、既に目覚めてもいいだろう。
「また勝手にいなくなっていないかを見るだけだ。あいつは、そう簡単には目を覚まさないだろうしな」
クロイド遺跡の時のような確信に満ちた発言に、ユニアは思わず納得した。
「お話、してみたいです」
「今はまだ、だな。俺もあいつとは話をしたい」
クロイド遺跡だけではヒントの欠片さえも見付からなかった。もっと龍魔族に由来するような場所へ行かなければ解らないだろう。
そんな話をしている内に、いつの間にか目的地に到着していた。
「ここ……ですか?」
見上げれば、屋根の一部が抜け落ちており、中は雨風にさらされているのでは、と不安になる。レックスは気に止める事なく、かろうじて扉としての機能を果たしている扉を開けて中へと消える。
「わぁ……!」
慌てて中へ入ったユニアは思わず声を上げた。抜け落ちた場所から射し込む光が、中央の像をキラキラと輝かせていた。よく見れば椅子などは朽ち落ちているが、それでも教会には厳かな空気が満ちているような神秘さが残っていた。
「あの、レックス君。あの像はいったい何の像ですか?」
ガーゴイルとは違い、2対の翼に鱗に覆われた身体。4足の内半分の足は根元から崩れてしまっているが、後ろ足の間から伸びる尾らしきものが像のバランスを取っているよう。吊り上げられた目と口は、来たりし来訪者を見定めているようだった。
「龍魔族の像、だと勝手に解釈している」
素っ気ない返事を返すレックスは、中腹辺りで足を止める。
「さて。始めるが、ユニア、そこは多分危険だ。あの像の下にいろ」
「え?あ、はい」
レックスの隣を横切って、ユニアは言われた通り、龍魔族の像の下でレックスと向き合った。
「アルミスティア」
レックスの呼び掛けに、刀となって姿を現す。酒場で見た時と同じ、赤く輝く刀身。
地に突き刺さるアルミスティアを見つめていたレックスだったが、次の瞬間、レックスは地を駆け出した。
「えっ!?」
アルミスティアは武器。無論、1人でに動くはずはない。はずはないのだが、ユニアの目の前で行われるそれは明らかに常識から脱していた。
交差する赤き刃と舞う赤髪。ダンスでも踊るように軽やかにその凶刃から逃れ続けるレックスはただただ首をひねるばかり。
「あの程度の毒で鈍るとでも思うのか?全く……」
高まる魔力。レックスが魔法を放つつもりなのだと、離れているユニアでも分かった。
「燃やし尽くせ!ボルケーノ!」
アルミスティアの上空に顕現される太陽は、炎をほとばしながら降下していく。
「えぇっ!?」
予想を遥かに上回る強力な攻撃魔法に、ユニアは悲鳴を上げた。が、それはアルミスティアの反撃によってかき消される。
大地全てを氷の世界へと変える、ボルケーノに匹敵するほどの氷属性の攻撃魔法アイシクルフォール。降下してくる太陽を氷の柱で受け止める。
溶かすか、凍るか。それを決めるのは両者の魔力によって決まる。
「!これは……。でも、この魔法、いったい誰が……?」
戦いの様子を見守るユニアの目の前で太陽がみるみる"凍っていく"。
「魔法は……まだまだ、か!」
アルミスティアの支配する氷の世界へ、レックスは単身で飛び込む。
「は……早まっちゃ駄目ですっ!!レックス君!」
「!!?」
……つもりが、飛び出してきたユニアによって、急停止を余儀なくされる。
「ア、アルミスティアを助けたいのは分かりますが、まずは術者を見付けなくては!」
水晶杖アクアリウムを呼び出して、身構えるユニアにレックスは唖然とした。
「……く、くくくっ」
やがて、ユニアの勘違いに思考が追い付いてきたレックスは堪えきれず、笑いを溢す。
「あぁ、なるほど。そうか、くくっ」
笑いは止まらない。
「アルミスティア。もう、いいんじゃないか?」
氷の世界に佇むアルミスティアへ、レックスは投げ掛ける。目を瞬かせるユニアが見つめる事数秒。赤い刀身はスゥッと蒼い刀身へと戻っていく。それと同時に溶けていく世界。
「アイシクルフォールの発動者?みたいのは、こいつだ」
アルミスティアを手元に引き寄せながら、レックスは説明する。
「……これは、レイナも知らない事だ。アルミスティアは、その気になれば魔法が使える。さっきのは、まぁ、本気で返すとは思わなかったからな」
魔法の発動には、魔力と元素、そしてそれらを結び付け変化させるための祝詞――詠唱が必要だ。
「じゃあ、その……」
武器が魔法を扱う事など、聞いた事も見た事もない。しかしながら、レックスの言葉を信じるのなら、あれはアルミスティアの意思であり、第3者の仕業ではないという事になる。
「アルミスティアは平気だ。敵もいない」
「……でも、その…………どうして武器であるアルミスティアが、……えっと、魔法を……?」
頭の上ではてなマークを浮かべながら、必死に状況を飲み込もうとしているユニアの頭を優しく撫でてやる。
「……意外にも、気に入られているのかもな」
「???」
アルミスティアを持ったまま、レックスは像の下へと歩き出す。
「アルミスティアもまた、俺と同じ誓いを立てている」
底冷えするレックスの殺気に、ユニアは血の気が引けてしまう。
「あの時、唯一生き残ってしまった俺達だからこそ、この誓いだけは死んでも果たす」
それはまるで、死に急ぐようにも見えて。ユニアは、レイナの言葉を、ハインの言葉を思い出して、ハッと気付く。
「……私。私も、ルシルド大戦で故郷を失いました」
目を閉じて、心を落ち着けながら、ユニアは語り出した。
「直接『魔王』に襲われたわけではありませんが、魔物の数は人より遥かに多く、私のお父様とお母様は私に魔除け石を持たせて逃がしてくれました」
空を埋めつくす魔物の黒い影。その光景は今でも絶望の光景だったと断言できる。
「魔除け石のお陰か、私は魔物に出会う事はありませんでした。お父様に言われた通り、ただ真っ直ぐ森の中を走り続けました」
魔物を退かせる力を宿した魔除け石は、ユニアに残された両親の形見。既に効力を無くしたその石を、ユニアはネックレスにして今もなお身に付けている。
「子供の足ではたかが知れています。森の外に出る事すら叶わず、ただ無意識に歩き続けていました」
見えぬ光と忍び寄る闇に怯えていたあの頃を思い出し、ユニアは僅かに身体を震わせた。
「振り返る事は、出来ませんでした。振り返れば、受け入れたくない現実を見てしまう、と直感的に分かっていたからでしょう」
レックスは何も答えない。相づちも、何も。ただユニアが伝えようとしている事を聞き逃すまいとするように、ユニアと向かい合ったまま動かない。
「そうして、歩いて、歩いて、歩き続けて。いつ効力が切れたのかは分かりません。でも、私は遂に1体の魔物と、出会ってしまったんです」
ユニアの表情に、レックスは驚いた。
魔物は人を襲う。極限状態で魔物と出会ったのならば、人は恐怖と絶望しか抱かないはずだ。
「――いいえ。出会う事ができたんです」
はにかむように、ユニアは笑っていた。
「その魔物は、私より一回りくらい大きい、子供の魔物でした。その子は、背中から生えた翼を怪我していました」
最初は恐怖があった。だが、その怪我を見た瞬間に、それは吹き飛んでいた。
「その子は、気を失いかけていました。駆け寄る私に気付いていたとは思いますが、振り払う気力もなかったと思います」
クスクスと気恥ずかしそうにユニアは今も瞳の奥に残るあの魔物の姿を思い描く。
「私、その子に覚えたての回復魔法をかけてあげたんです」
「!?」
まさか魔物を助けようとするとは思わず、レックスは絶句した。下手をすれば恩を仇で返されて死んでもおかしくない状況だろう。
「何回もかけているうちに、魔力切れを起こして眠ってしまいました」
「……よく、生きられたな」
「えへへ……。気が付いたら私、その子の背中に乗っていたんですよ?」
もはや返す言葉は浮かばない。
「その子は話す事ができたんです。色んな話をして、たまに現れる魔物から私を庇ってくれました」
楽しげに話すユニアは、しかし、悲しげに顔を伏せた。
「……その子との別れは唐突で、私は無理やり背中から下ろされて、その子は空へと飛び立ちました。その時、人の声が聞こえました」
ぎゅっとアクアリウムを握りしめ、レックスの背後にそびえる像を見上げた。
「私、何も言えませんでした。ただ人から逃げていくあの子を見上げるだけで。だから、決めたんです」
像から、レックスへ。そこには、揺るがぬ強い意志が宿っていた。
「あの子に、会いに行こうって。会って、『あの時、助けてくれてありがとう』って言おう。そう、決めたんです」
「………………」
――ああ。そうか。そういう事か。
ユニアの話を最後まで聞いて、レックスは悟った。同時に、心の奥が冷たくなっていく感覚を素直に受け入れていた。
「戦いは、嫌いです。でも、ギルドじゃなきゃ、きっとあの子の近くには行けないと思うのです」
――同じ。彼女も、レイナ達と同じなんだ。
「レックス君も、そう思ってギルドにいるんだって何となく、分かりました。レイナさん達の気持ちも、少しだけ」
レックスは口を閉ざす。きっとこの先に紡がれる言葉は、『諦めろ』。
「だから、レックス君。生きて誓いを果たしてください」
「…………?」
笑顔を見せるユニアの真意が、レックスには分からなかった。
「レックス君が救えなかった人のためにも、これまで出逢ってきた人のためにも……これから出逢う、人のためにも。絶対に、死んでしまっては駄目です」
目を反らさずに、ユニアは言葉を紡ぐ。
「レックス君の身に何があったのか、私は何も知りません。でも、誓いは、死んで果たすのは駄目です。絶対、生きて、果たしてください」
「……お前は」
ユニアを見据えながら、レックスは首を傾けた。
「随分、変わっているんだな」
「え……?ええぇぇぇっ!?」
瞬き1つして、ユニアは大きなショックを受けた。
「レイナか、ハイン辺りが言っていたんだろう?俺が、『魔王』に復讐するために奴の居場所を追っている事を」
答えに窮するユニアの態度は、肯定しているのと同じ事だった。
「2人に限った事じゃない。今まで会ってきた者は皆、『魔王』殺しなど諦めてしまえ、ってな」
「レイナさんたちはただ、心配なんだと思います」
まるで小さな子供の心配をする母親のような表情を見せていたのは、ユニアの気のせいではないと思う。だがレックスは否定する。
「レイナは何かにつけて俺を戦いから遠ざけようとしていたし、そもそもお前たちと会う事すら仕組まれていたんだろうしな」
学園の試験は毎年行われているのだ。ギルドマスターでなくとも、対処できる人は大勢いるはずだ。それでもレイナがでしゃばった理由は、容易に想像できる。
「え……?で、でも私たちは勝手に探索に向かって……」
本来なら試験官であるティスの同伴のもと行うはずだった所をキアの提案で自分たちだけで行ってしまったのが原因だ。
「そうだな。だが、それでもレイナは俺に向かわせただろうな」
向かわせるための理由など、どうにでもなる。
「諦めて、逃げて、何が残る。皆が救われるとでも思うのか?」
――ふざけるな。
怒りにも似た感情を無理やり押し込めて、レックスは頭を振った。
「……この話は終わりだ」
「でも……ひゃっ」
それ以上は聞きたくないように、レックスはユニアの手を引いて、次の目的地へと歩き出した。
そこは、オルガドの管轄である医療専門の公共施設オルガナ。
魔法では治癒出来ない病気の治療や、回復魔法の代わりとなる回復薬の製造、販売を行う販売所もある施設には、連日数多くの人々が訪れている。
「キアちゃん……?」
そこで2人は意外な人物たちと再会した。
「あら、ユニア?……レックスもいるのね」
パァッと笑顔が輝いたのは一瞬の事。ユニアの後ろに立つレックスを見て、キアはげんなりとした。
「もう平気みたいだね」
「終わったのか?」
リオンに対して軽く頷いて答えたレックスは横長の椅子に座る3人をざっくりと観察した。
「ま、まだまだあまちゃんたちだな!」
ニカッと歯を見せるゼウスの言うとおり、キア、リート、アクルは傷を負っていた。そこそこの数の打撲がある所を見ると、恐らくオークか、復活したオークスリーダー辺りだろう。
「私、回復魔法をかけようか?」
「それは大丈夫よ、ユニアちゃん♪」
赤く腫れる傷を痛々しそうに見ていたユニアの目の前に、体格のいい男が現れてウィンクを送った。
「あたしが特別に治療するのよ。でも、どうしてユニアちゃんたちがここにいるのかしらん?」
「あの銀髪の子供の様子を見に来た」
オルガドマスターであるハインシュタインに、レックスが代わりに答える。
「今日はあの子、大人しいわよ」
ユニアの隣に座り込みながら、ハインはキアに手を翳す。
「聖天使の祝福のベルよ、鳴り響いてね。オールドベルキュアラー」
翼が付いたベルが鳴り響き、キアの傷を癒していく。ついでとばかりにリートとアクルを初めとする周囲の怪我人も癒す範囲回復の魔法に、ユニアは目を輝かせた。
「んふ。ユニアちゃんもすぐに扱えるわ。あなた、素質あるもの」
まだ扱えぬ魔法への憧れだと気付いたハインは、ユニアの頭を優しく撫でてあげる。
「さて、レックスちゃん。こっちよ」
立ち上がったハインは踵を返し、奥へと向かっていった。
「起きた事はあるのか?」
後に続くレックスの質問に、ハインは頭を振って否定する。
「レイナちゃんの報告にもあった、レックスちゃん以外は入れない結界?みたいのは無いみたいよ。でも電気ショックも活力注入も全く聞かないの。あの子、いったい何者なの?レックスちゃん」
「…………。そうか。俺もまだ何も把握していない」
心底困った様子のハインの言葉に気になる単語があるものの、レックスはあえて触れない事に事に決めた。
「活力注入……?」
「触れぬ神に祟りなし、だよ」
はてなを浮かべるユニア達に、リオンは暗い笑顔で忠告する。
「リオンちゃん、受けてみたいかしら?」
笑顔で振り返るハインに、リオンもまた笑顔で断った。2人の火花が散る間に立たされたユニア達は身体を小さくさせていた。
「止めんか、阿保!」
ゴスッと重たい音が2つ鳴る。
「全く、学園生達を怖がらせてどうすんだ」
頭を抱えてうずくまるハインとリオンを仁王立ちで叱咤するゼウスの行動によって、ユニア達は胸を撫で下ろした。
「レックスも止めようとしろっ!」
傍観していたレックスにまで飛び火しつつも、一行は少年と対峙する。
「変化はなさそうかしらね」
そんなハインの言葉を聞き流しつつ、レックスは大股で少年に歩み寄る。
穏やかな寝息をたてる少年へ躊躇いなく触れる。
「………………」
レックスは目を細めるだけで、微動だにしない。
「ちょっと、どうしたのよ?」
動かないレックスへ、痺れを切らしたキアが問いかける。その問いかけに1拍遅れて反応する。
「…………『魔王』」
ポツリ、と紡がれた言葉に、リオンはピクリと反応した。だが、それ以上の言葉は紡がれず、レックスは大きなため息をついた。
「体調は、大丈夫……なのかな?」
アクルはクロイド遺跡での出来事を思い返して、レックスに近付きながら、その顔色を窺った。
「問題ない。……不思議なことにな」
「不思議だと?」
コクリと頷いて、レックスは少年から手を離した。
「この感覚が何なのか、正直よく分からない。だが、こいつは自分がいる場所が分かっているみたいだ」
納得していないような仏頂面で、首をさする。
「なんだそりゃ?」
「自分でも馬鹿らしい事を言っているのは自覚している」
ポカンとするゼウスに、苛立ちまじりで言い返すレックスは、踵を返し出ていこうとする。
「レックス。君はこの子の面倒を見るつもり?」
リオンは口元に小さく笑みを浮かべてレックスを呼び止める。
「見るつもりはない。わかっているはずだ」
レックスの睨みに臆することなく表情を崩さないリオンは言った。
「――『魔王』殺し」
「おい、リオン坊っちゃん!」
ゼウスは驚いて目を見開いた。これは、学園生達がいる場所で話すような内容ではないと分かっているからだ。
「今回"も"情報は無い。いい加減諦め――」
瞬間、風を切る音がリオンの首筋にまで届いた。
「何が分かる」
リオンの首筋に、ツゥ……と血が流れる。皮1枚を切った所に刀と為したアルミスティアがあった。
「それは、君に返す言葉だ」
「っ……!何も出来なかったお前に、何が分かる」
怒りと悲しみに顔を歪ませて、レックスはそう吐き捨てると、逃げるようにその場から居なくなった。
「レックス君!」
様子を窺っていたユニアが慌ててレックスを追いかける。
「ちょっと、ユニア!?」
それにつられるように、キア、アクル、リートもその場を後にする。
「…………リオン坊っちゃん。今のはおめぇが悪いぞ」
レックスが居なくなったその部屋で、深いため息をつきながら、ゼウスはリオンを睨み付けた。
「あんな言葉を言わせて何になりやがる?無闇にあいつを追い込ますな」
「僕に向けて言った言葉だ。追い込んでないよ」
涼しい顔で言い返すリオンから目を反らし、ゼウスはレックスが立っていた場所を見つめて肩を落とした。
「ありゃ、自分に言ったんだ。阿呆」
「理解しているさ。だからこそ、きっかけをあげなくちゃ、可哀想だろう?」
肩をすくめてみせたリオンはレックスを追うように部屋から出ていってしまった。
「赤くなっていたわね」
「ん?何がだ?」
少年の布団を整えながら、ハインはふと溢した。
「レックスちゃんの武器よ。いつもは綺麗な蒼なのに、赤い刀身になってたわよ」
頬に手を置き、窓の外に広がる空を見上げた。
「まるで、あの子の怒りを現しているようで、あたしには怖いわ」
アルミスティアは、多くの謎を抱えている。武器の形状が変化することも赤く色が変化することも、所持者であるレックスですらその要因を理解していない。
「……『魔王』に会った時の方が、オレにゃあ怖ぇ」
頭をガシガシとかきながら、ゼウスは大きなため息を溢した。
「お帰り、レックス」
ギルド本部の裏手側にある、レックスの自室。
「……まだいたのか」
1枚の書類を手にしたレイナを見て、レックスは問いかけた。
「君の事だから、キアたちも連れてくるだろうし、ここで彼女たちの結果を発表しようかな、と思ってね」
レイナの読みは正しく、喧騒と共に扉が開かれる音が聞こえてくる。
「ちょっとレックス!待ちなさい!」
キアの怒りの声を無視して、レックスはレイナの襟首を掴んだ。
「説明しろ」
「へ?いや、今言った通りだよ?」
掴まれても動じないレイナはレックスの様子がいつもと違う事に気付かなかった。
「今までにお前たちが得てきた、『魔王』の情報は全部でたらめだったのか?」
いきなり『魔王』という単語が出てきた事で、レイナはハッと動揺した。
「えっ!?それ、……えーっと。レックス、話が見えないよ?」
動揺したのは一瞬。苦笑いを浮かべながら、レイナはレックスを落ち着かせようとする。それで誤魔化されるほど、レックスも鈍くはない。
「俺に、嘘を教えていたんだな」
苦虫を噛み潰したかのような苦しげな表情で、レイナから手を離す。
「ちょっと、レックス!」
踵を返し、出ていこうとするレックスの目の前に、ユニアは立った。
「………………」
無言の睨み合い。ユニアはカタカタと震えていたが、その瞳は引かぬ意思を強く宿らせていた。
「……嘘は、教えてないよ。レックス」
睨み合いに決着を着けたのは、第3者のレイナだった。
「私は、リオ兄とは別の情報網を持ってる。これはね、私がギルドマスターとなってから広げていったもの。リオ兄たちから貰う『魔王』関係の情報は、特に曖昧すぎるもの」
優しく、悲しげに諭そうとするレイナに、レックスは未だ背を向けたまま。
「正直に言えば、君に教えていった情報はほとんど推測と既存の情報の再確認。……ルシルド大戦以降、『魔王』を見た人はいない」
「奴は、生きている。絶対に」
強まる殺気に、ユニアは息を飲んだ。
「そ、そんなのどうして確信できるのよ?」
キアもまた、レックスの殺気に気圧されそうになっていた。それでも己を奮い立たせ、声を絞り出す。
「…………ルシルド大戦」
それは、10年前に勃発した、人と魔物の戦い。
「その大戦中、兄さんは『魔王』に殺された。俺の目の前でな」
――それは、もう2度と戻らぬ平穏の日々だった。