第3章ー復讐の誓いー 前編
1.
――夢を、見る。
変わらぬ景色、変えられぬ運命。それでも俺は、手を伸ばす。その手にアルミスティアは無い。戦う力を持たぬ、小さな小さな手。
闇色の炎が、兄さんの赤髪を拐う。抗うことさえ、いや届きさえしないその手には、まだ兄さんの温もりが残っている。
嘲笑う声。炎が揺らいで、俺の視界を黒く塗り潰さんとする。恐怖が、声を塞ぐ。だが、微かに見えた赤髪に、俺は懲りずに手を伸ばす。
――その手に、"何か"が触れた。
「――!」
「ひゃっ……!?」
ドサッと少女の小さな悲鳴と共に、レックスはベッドから落ちる。幸い怪我をするほどやわではない。
「…………」
「…………」
「…………………………ここで何をしている?」
瞳を瞬かせ、言葉を失う少女と見つめ合う事、数秒。少女の首もとに刀のアルミスティアを当てたまま、レックスは声を低くさせる。
「……悪い、夢を見ていましたか?」
質問を質問で返されて、レックスの気分は下降していく。それに気付いていないのか、不安げな表情を浮かべる少女はそっと手を伸ばす。
「凄い汗です。タオル、そこの机に置いてありますから、使って下さい」
触れた手はヒンヤリしていて気持ちよく、同時に濡れる感覚に、レックスはハッと少女から離れる。
左手で額を拭えば、ベトリと濡れて気持ちが悪い。
「私、お粥を温めてきますね」
顔をしかめたレックスを見ながら、困ったような笑顔を浮かべて、彼女――ユニアは立ち上がる。
「2日も寝込んでいました。無茶はしないでくださいね」
「待て」
っと、流されそうになった所でレックスは呼び止める。アルミスティアをしまい、代わりにタオルを取って立ち上がった。
「俺の質問に答えろ」
「私のせいで、レックス君は変異種の毒を食らってしまいました。だから、その……」
せめてもの償い、のつもりなのだと分かり、レックスは少々、苛ついた。
「だからここにいると?あの後キア達も来たはずだ。そのままあいつらと一緒に戻るべきだ。この程度で俺は死なん」
殺気すら溢すほどの威圧に、ユニアはただ身体を小さくさせるしかなかった。
「でも………………」
消え入る声は、レックスには届かない。
「はいはいはーい。ストップ、ストップ」
部屋に響く明るい声に、レックスとユニアはそちらへ振り返る。
「ずっと介抱してくれてた子になんて事いってんだ。謝りなさい」
小脇に抱えた書類の束でレックスの頭をこつき、乱入してきたレイナは肩をすくめた。
「君、またアレを見ていたんだろう?その度にユニアはすっごく心配してくれていたんだ。もう苛めたいくらいに」
アレ、という単語にレックスはピクリと反応し、ユニアはボッと顔を爆発させた。
「レレレレイナさん!その話はっ……はぅっ!?」
「あ~可愛い可愛い」
テンパるユニアをからかいながら捕ま――抱き締める。
「…………」
レックスのテンションは変わらない。が、言う気が失せたのか、ため息を1つつくと、汗でベットリとなっている服を脱ぎ始めた。
「あっ、服ならいつもの場所にしまってあげたよ」
「!?で、出ましょうレイナさん!そしてレックス君はもう少し恥ずかしがって下さい!?」
レックスは不思議そうに首を傾げ、ケラケラと笑うレイナをユニアは大慌てで押しながら出ていった。
久しぶりの1人になったレックスは無言で服を着替える。
ハイネックの黒のインナーの上に紺色のシャツを着る。ギルド指定の赤いコートには手を伸ばさずに代わりに白いマフラーを身に付ける。明るい黒のズボンに紫色の宝石で出来たチェーンをくっ付けて。
「……アルミスティア」
刀となるアルミスティア。その刀身は"赤く輝いて"いた。
それを暫し見つめた後、レックスはアルミスティアをしまう。何事もなかったように、ユニアたちが出ていった唯一の扉を開けた。
「あっ、レックス君!助けて下さい!」
開けた瞬間、胸に飛び込むユニアを一睨み。ビクッと震えるも離れるつもりは無いらしい。
「レックス、ユニアを渡して?」
両手をワキワキさせながらにじみ寄るレイナの目は変質者そのものだった。
「……出かける」
付き合いたくないレックスはユニアをひっぺがし、そのまま玄関へと向かっていく。
「だ、駄目です!」
今度は腕に抱き付かれ、レックスは殺気の威圧を放つ。
「せ、せめてお粥を食べて下さい。もう、温かいですから」
ユニアは青ざめた表情のまま、そそくさと手のひらサイズの鍋を持ってくる。
蓋を開けると湯気と共に立ち上る香ばしい香りがレックスの鼻をくすぐった。
「ずっとうなされていて、全然食べていなかったんです。一口だけでもいいですから、食べて下さい」
流石のレックスも空腹には敵わない。早々に折れたレックスは備え付けられたスプーンでお粥を一口。
質素な味付けだが、身体にじんわりと染み渡るような美味しさに、レックスはお粥を瞬く間に平らげる。
「ご馳走さま」
「私もとくせ――」
「アルミスティア」
目を輝かせるレイナへ、レックスは無言の鉄槌を下す。
「えっと……まだ、食べますか?」
「……とりあえずお前はもうキア達の所に戻れ」
「あ、それは無理かな」
アルミスティアから脱したレイナがユニアに助け船を出した。
「君の指摘を受けて、リオ兄とゼウスの付き添いの下、クロイド遺跡を再挑戦中。まだ帰って来ないかな?」
チッと舌打ちしたレックスはアルミスティアを回収し、玄関で漆黒のブーツを履く。
「私はまだギルドの仕事が残っているし、ユニア。悪いけどもう少しだけこの子と一緒にいてあげる?」
空になった鍋をヒョイと奪いながら、レイナはニコニコと笑っていた。
「いらん」
「君の暴走を止めてもらうんだよ、君の」
バッサリと切り捨てて、出ていこうとするレックスに鋭い一撃を浴びせる。
「アレの夢を見た直後の君は暴れやすいだろう?誰かが抱き締めれば止まるし、保険だよ。ほ・け・ん」
戸惑っているユニアに靴を履かせ、ポンッと背中を押す。
「リオ兄たちに会えたらいいけど、暗くなる前にはきちんと2人で帰ってくること。はい、行ってらっしゃい」
レイナにペースを持っていかれたレックスはユニアと共に外へ閉め出された。
「…………」
振り返った瞬間にはガチャリと鍵のかかる音。無言が支配するかと思いきや、レックスは諦めたようにため息をついてギルド本部へと続く道を歩き始める。
首都ミッセリアにあるギルド本部の裏手側。ここから大通りに行くには1度ギルド本部の中を素通りしなければいけない。
「ご、……ごめん、なさい」
「……なぜ謝る」
レックスの後ろをヒョコヒョコ付いていきながら謝るユニアに、レックスは見返すだけ。
「本当はレックス君、1人で行きたかったんですよね?それなのに……」
「ユニアが居なければレイナが勝手に付いてくる。それに、レイナの言うことはあながち間違ってはいない」
下を向いていたユニアの頭をぐしゃぐしゃにしながら、無理やり上を向かせる。
「え……?間違っては……?ええっ!?」
落ち込んでいた顔が一気にひきつる。
おろおろとし始めるユニアに対し、レックスは小さく肩をすくめた。
「何かありましたか……?」
「さて、な」
そんな短いやり取りはギルドに入った瞬間、ピタリと止んだ。
「あらん?レックスちゃん、もう大丈夫なのね」
ウィンクを飛ばすハインを素通り……出来なかった。
「んもぅ、いけずね。ご飯いるかしら?」
肩をガッシリと掴まれ、身動きが制限される。
「いらん。食べた」
殺気を放ちながらも律儀に答えるレックスに、ハインは目をパチクリさせる。
「……レックスちゃん、まさか」
「――ユニアが作った」
ガタガタと震え出すハインに真実を伝えると、心底ホッとしたような表情を浮かべてユニアの両手を握りしめた。
「いいお嫁さんになるわね」
「はぅっ!?およ、お嫁さん……っ!?」
目をキラキラと輝かせるハインの言葉に悶絶しそうになるユニアは、背後から忍び寄る影に気付かなかった。
「当たり前じゃないっすか~!こんな凶器ぶら下げて!!」
「はううぅぅっ!!?」
後ろから鷲掴みにされ、身体をビクンと跳ねさせる。
「……誰だ?」
一応会ってはいるが、レックスは意識を保つので精一杯だったので、それすら覚えていない。
「アーミル・ラフォードちゃん。ユニアちゃんと同じミストラル学園生の"一般生"よ」
改めてアーミルの方へ視線を戻す。ポニーテールにした深緑の髪を組紐で蝶々結びにして留めている。ユニアとじゃれている隙間から、エプロンとミストラル学園の制服も見てとれる。
「仲が良いのか?」
「……そんな事より助けてあげたら?可哀想よ」
涙目になって無抵抗になりつつあるユニアの様子をただ眺めているレックスに哀れみの視線を送るハインに促され、とりあえず引き離してやる。
「ううううう………」
胸を両腕で隠しながら、ユニアはへたり込んだ。
「あっ。そういえばはじめましてですよね~!アーミル・ラフォードです、よろしくぅ!」
「あぁ。レックスだ」
名前だけ名乗るが、その様子を見たユニアは更に落ち込んだ。
「レックスさんレックスさん。ユニアの事好きなんすか~?」
顔を真っ赤にさせるユニアと意味を理解しかねるレックスは首を傾げた。
「い、行こう!?すぐに行きましょう!?さっさと行きますよね!?」
いきなりユニアに背を押されながら出口へと向かっていく。
「俺様を知らねぇのかぁ?あぁ?」
ギルドの1階部分は酒場兼情報収集の場となっている。そんな場で響き渡る怒声に、2人の足が自然と止まる。
「俺様はなぁ!かの有名な『孤高の龍』様よ!」
相当飲んでいるのだろう。顔を真っ赤にさせ、床に酒のビンを幾つも転がした大男が上機嫌で唾を吐き飛ばしていた。
「あのルシルド大戦にゃぁ、『魔王』すらも退けた大物なんだよ!」
「よっ、兄貴!カッコいい!」
辺りの客の迷惑など考えない男達の振る舞いは、突如として終わりを告げる。
「終わりね、彼ら」
ハインの声でハッと気付く。目の前にいたはずのレックスの姿が消えていた。
――ダァン!!
次いで響くのは力強く踏みしめた音と砕け散るガラスの音。
「なんだぁ?ヒィック、このガキは?」
大きなしゃっくりをし、いぶかしむ男達に臆することなく、レックスは見下ろした。
「……どこだ?」
「あぁ?」
「『魔王』と、どこであった?」
レックスが2度目の質問をする頃には、周りの客は皆そそくさと避難し終えていた。まるで、これから起こる惨事に巻き込まれまいとするように。
「そぉれが頼む態度かぁ?あぁ!?」
「土下座が常識だ、ガキが!ささっ、兄貴」
ゲラゲラと下品な笑いを上げる彼らは、レックスが既に攻撃を仕掛けている事に気付いていなかった。
お酌しようと持った酒ビンが男の手の縁ギリギリでスパリと斬れて中身の酒が床に飛び散る。
「答えろ」
赤い輝きを灯すアルミスティアは1本の短剣となってレックスの手に納まっていた。瞬く彼らはまだ、事態が飲み込めていない。
「なにもんだっ!てめぇ!」
大男の拳がレックスに目掛けて振りかぶられる。レックスがアルミスティアの名を呼ぶより早く、アルミスティアは変化する。
「いってぇぇぇ!!」
盾に拳をぶつければ痛いのは必死。
「くそガキが!猛る焔よ、敵を焼き尽くせ!フラッシュブルゼイザー!」
レックスの周りに炎の渦が幾つも発現し、触れるものを焼き付くしながらレックスへと迫る。
「アルミスティア」
――【肆の型 龍呀垂旋】
白き光を宿した剣のアルミスティアを真横に1回転させる。瞬間、男の魔法は跡形もなく消え失せた。
「へ……?ひぃ!」
ポカンと口を開ける男の目の前にアルミスティアを突き立てる。ようやく酔いが冷めた男はその青年の放つ冷徹な殺気に死を覚悟した。
「……『魔王』とどこで会った?」
「し、知らねぇ!俺"達"は会ったこともねぇんだ!!」
一瞬の間。次の瞬間には男は空を飛んで壁に激突していた。レックスの回し蹴りを食らったのだが、果たしてそれを認識できていたのだろうか。
「てめぇ!!許さねぇぞ!」
大男の方はまだ酔いが残っているようで、激昂する大男は痛む手とは反対側の拳を降り下ろした。
「そう、だったな」
レックスはほぼ動く事なく、大男の喉元にアルミスティアを突きつけた。
「お前は、兄さんより遥かに弱い。そんな奴らが、『魔王』と会えるわけがないか」
レックスの放つ気に気圧されて大男はガタガタと震え、やがて腰を抜かして尻餅をついた。これで酔いは完全に冷めただろう。
「……レックスちゃんはまだ、『魔王』を追っているわ。もうすぐ、10年」
立ちすくむユニアへ、ハインは言葉をかける。
「あたしは一緒に居なかったから聞いただけ。レックスちゃんの目の前で、たった1人の肉親のお兄ちゃんを殺されたそうよ」
アルミスティアをしまい、こちらへと戻ってくるレックスには聞こえないように小さい声で。
「――復讐のために、ね」
「行くぞ」
続きを聞こうとしたユニアだが、レックスに襟元を掴まれる。
「はぅっ?」
呆けるユニアをそのまま引きずるように表口へと連れていこうとする。
「あら、デート?意外ね」
意外そうに眉をあげたハインはレックスを手招きして、お金を握らせる。
「レックスちゃんにもやっと春が来たのね。応援しちゃうわ♪」
「…………リオンと同じ事を言うのか」
身体をクネクネさせるハインから少し距離を取りつつ。
「どんな些細な事も素敵な恋に変える……それが、恋レンジャーの使命よん!」
キメッキメの決めポーズでウィンクするハインに背を向けて出口へと向かう。
「あの、レックス君。私、ここで待ちますよ?」
「?2人で帰ってこいと言われただろう」
「待ちなさいな!」
ガシリ、と肩を再び掴まれ、レックスはため息をついた。
「んもぅ、その辺りは変に真面目ねぇ、レックスちゃんは。いーい?町の外には出ちゃダメよ?後、襟元じゃなくて手を握ってあげなさい」
口を尖らせながら肩をすくめるハインは、ユニアを助けながらその他注意事項をレックスへと伝える。
「ユニア、デートの結果を後できっちり聞かせてね!」
用が済んだと言わんばかりのように半強制的に外へと追い出された。
「…………」
「…………」
デジャヴのような展開に、2人はしばしその場に立ちつくす。
「…………行くか」
「あ、はい」
レックスに手を引っ張られ、ユニアはレックスと共に歩き出す。
「あの、そういえばどこに行くつもりですか?」
「いつもの場所」
それだけのヒントでは何1つ、思い浮かぶ場所など無い。
「町の外れにある廃教会」
廃教会、意外な名前が出た事にユニアは目を瞬かせた。
「あそこならいくらでも暴れられる」
「……レックス君って、意外と戦闘狂ですか?」
単純明解な回答に、ユニアは苦笑いする。
「今回"は"俺じゃない」
「え?」
先を行くレックスの表情は見えそうで見えない。だが、レックスが何かを迷っているのは気配で分かる。
「……教えてください、レックス君」
笑って、後押しする。レックスはそれでも一巡迷いを巡らせた挙げ句、答えた。
「――アルミスティアが、怒っている」