第2章ーフリージングの変異種ー 中編
2.
フリージングの泉。そこへ到るには、魔層魔境の森を通らなければならない。この森に存在する魔物たちは、他とは少し、違っていた。
「邪魔だ」
レックスは一瞬で距離を詰め、双葉の頭をした魔物――チリールに踵落としをかます。声なき悲鳴を上げて、元素解離を起こす。
騒ぎを聞き付け飛び出してきた狼の魔物――ウルフには回転蹴りで近くの木に吹き飛ばし、それが致命傷となった。
魔境の森に入って数分。その短時間で倒した魔物は既に20体近く。異常な程の魔物の出現に、レックスはややうんざりしていた。ハーウェルンと話していた懸念が、的中して欲しくないと思いつつ、更にウルフを体術で2体倒す。
「……ちっ」
風の攻撃魔法、ゲイル。魔法の扱いに慣れたものであれば誰でも習得できる魔法の1つ。その放たれた風の刃を避け、何処からか集まったチリール達を次々と葬り去る。
終わった頃合いを見計らうようにウルフの群れが襲い来る。無論敵ではない奴らを葬るのに10秒もいらない。
風属性であるチリール。地属性であるウルフ。この魔層は2つの元素が集まる、特異な空間。しかしながら、その特性ゆえに元素の量も満ちる魔素も他よりやや少ない。そのため、この地に集まる魔物も多くはなく、また強くもない。クロイド遺跡のような罠もないため、ある意味では最も攻略しやすい魔層と言えるだろう。
断続的にやってくる魔物を体術で捌くレックスは、その魔物たちよりも森の異変に首を傾げていた。
「この辺りも枯れているのか」
草木にとっても魔素は必要なもの。魔層と化している場所では免疫のない毒に侵されない限りは青々と生い茂っているのが通常だ。にもかかわらず、レックスが見付けたその木は既に枯れ果て、触れれば倒れてしまいそうなほど脆い。
「…………人為的か」
ハーウェルンとの会話を思い返しながら、レックスは更なる奥へと足を進めていった。
……その足跡を追うように、3人の来訪者がやって来ている事に気付かぬまま。
「………………」
フリージングの泉へ近付くにつれ、枯れた木々の量が増えていった。それはつまり、木々を枯らす原因に近付いている、という証でもあった。
「異変が起きている、と言うことでもあるか」
この事態が明らかになれば、本格的な調査が行われる事になるだろう。アルタスクやギルドの調査能力は高い。過去に現れた変異種の弱点や行動パターンは解析されており、また発見されている魔層のほとんども攻略書がある状態だ。
故に、調査が始まれば何かしらの手掛かりを見付ける事は容易に想像できる。それが、レックスが追い求めているものに繋がればなお良いのだが。
「…………全滅か」
考えつつ魔物を倒しつつ進んでいたら、フリージングの泉に到着していた。普段は綺麗な水面と色とりどりの薬草の楽園が広がるのだが、今は違った。
輝きのない水面、枯れ果て茶色さえ見える地面。まるでそこだけ淀んだ気配によって汚されているかのよう。そして感じる今までとは違う魔物の気配。
水面の先にある森の中から響く倒れる木々の音。
「……フォックストレント」
レックスの呟きに答えるように姿を現す魔層の主。それはまるで怨霊の大木。
二足歩行で歩く大木には鈍く赤く光る2つの眼と真横に裂けるギザギザの牙。武器となるのは眼の上で無数に伸びる枝の数々と地面に伸ばした無数の根。
獲物であるレックスを見付け、その巨体では考えられないような跳躍でフリージングの泉を飛び越えた。
ドスゥン……と地響きと砂煙を撒き散らされてもレックスはただフォックストレントを見据えた。
先制攻撃とばかりに地面からレックスを貫かんとする根たちが迸った。
レックスはひょいひょいと避けながら、目を細めた。
「何かいるようだな。とりあえず」
――レックスはフォックストレントを見ていたわけではなかった。
「邪魔だ。退け」
一気に疾走。瞬く間にフォックストレントとの距離を詰めたレックスはフォックストレントの背後を取った。
拳を握りしめ、気を溜めて振り上げた。重いはずのフォックストレントを軽々ぶっ飛ばし、レックスは何事もなかったかのように両手を払った。
邪魔者が消えた事で、レックスは改めてフリージングの泉へ向き直る。気配はまだ残っている。
今まで来た時と同じ歩調で泉へ歩き始める。そして、レックスの足が枯れた薬草の葉に触れた時。
「――!」
バックステップ。止まることなくレックスは横へ走り出す。
「アルミスティア」
直後に鳴り響く陥没音を背後から聞きながら、レックスは自身の武器を呼び出した。身の丈近くある巨大な剣の柄を両手で握りしめ、レックスは一気に振り仰いだ。
「水……?――変異種か!」
切り裂いたのは水の塊。この魔層に存在するのは風と地属性の魔物のみ。ここに来るまでに現れていた大量の魔物たちは、この水属性の変異種によって居場所を奪われていたのだった。
「ちっ……」
舌打ちし、更に逃げる。攻撃を仕掛けたいが、姿が見えない。水属性で泉の水を使っている以上はこの近くにいるのは明らか。
「降り注げ雷鳴!バッシュブレイド!」
考えられる可能性を1つでも多く潰すため、レックスは雷属性の攻撃魔法を、フリージングの泉に叩き付けた。
――…………!!
声無き叫び。レックスはそれを聞いて確信した。その確信に応えるように、その魔物は姿を現した。
「……ウンディーネの変異種、か」
透き通るような少女の身体を持つ水属性の魔物。目も口も水で出来たウンディーネは、片手を天へと突き上げた。彼女の身体を形作るフリージングの泉の水を吸い上げて、幾つもの水の珠を造り出していく。
「アルミスティア」
大剣では不利。レックスがアルミスティアを双剣へと変化させたと同時にウンディーネは振り下ろす。
近くに盾となるようなものはない。つまり、360度からの攻撃の連鎖がレックスを襲う。不規則に変化し、時間差によるフェイント、ぶつかり、更に細かく鋭くなった水球たちを見つめ、ウンディーネは再び動く。吸い上げた水が凍り、1本の槍へと変化する。水球を斬り伏せ続けるレックスへ投擲。
――バチィッ!!バキン!
後ろを向いていたはずのレックスの背後から迸る雷撃の矢は、氷槍を射ち砕いて消失した。
「相討ちか」
氷槍から立ち上る細い煙の向こうで、全ての水球を斬り伏せたレックスが、剣に付着した水を飛ばしていた。
対するウンディーネは身体をたゆたわせ、1体の水の獣を造り出す。それは独立するように地面に足を着け、咆哮が大気を震わせた。
レックスは片手剣へとアルミスティアを持ち変えて、疾走した。
噛み砕かんとする水の獣の牙を容易く回避するレックスだったが、反撃に出るより速く獣の尾がしなり、立ち位置を変えるだけに留まった。
レックスも水の獣もそれに気を取られることなく次の行動へと移っていた。
「龍雷撃波!」
地から天へ迸る雷撃の龍は水の獣を確かに捉えていた。だが、対したダメージに至ることなくその爪の刃を振り下ろす。
「なるほど」
獣の腹部が氷に変化している事に目敏く気付いたレックスは再び獣に肉薄する。
「時雨円舞」
超高速で繰り出されれる連撃のスピードに、水の獣は気圧され、ダメージを軽減させようと、腹部から凍らせていく。レックスはそのスピードに勝ろうと、更にスピードを上げていく。
――パキィィィン……!!
レックスの一撃が、水の獣の足を捉えた時。水の獣の足は粉々に砕け散った。水の獣は、身を護るために覆った氷によって己の動きを鈍らせている事に気付かぬまま、足を失った事実と痛みに悶えた。
当然の如く、レックスはそんな状態の魔物を見逃すことも、躊躇うことなく、一刀両断した。
水の獣は再び咆哮を上げようと顔を上げたが、もはや形を保つことも出来ずに水の塊となって地面に飛び散った。
レックスは泉から動くことの出来ぬウンディーネへ踵を返し、戦いを終わらせようと、アルミスティアを大きく振り被った。
「っ――!?」
振り上げたアルミスティアを、しかしレックスは振り下ろせなかった。
その隙をウンディーネは見逃さない。
「っ……がはっ!」
水弾をアルミスティアで受け止めるも、勢いは殺せない。そのままレックスは木に叩き付けられ、肺から空気が抜ける。
「レックス君!――っぁ!?」
響く少女の声は苦悶に歪む。背後からは駆け寄ってくる音が2つ。レックスは無言で立ち上がりながら、ウンディーネを見据える。
「やぁ、レックス。えっと……」
「嬢ちゃんを拐われちまった!すまん!」
言いよどむ栗色の髪を靡かせる細身の男性の代わりに豪快に頭を下げた屈強な身体の中年男を一瞥し、レックスはアルミスティアを振るった。
「ちっ……」
――厄介なものを食らったか。
舌打ちをし、レックスはアルミスティアを真横に構える。
――【壱の型 闘気龍昇】
アルミスティアの刀身から赤い炎が立ち上る。それは赤い光となりレックスの身体へ溶けていく。
音無き叫びと共に、ウンディーネは少女を締め上げ、己の盾とする。
「――遅い」
目の前にいたレックスの姿は消えていた。ウンディーネが反応するより速く、レックスの剣閃は心臓である魔晶を砕いていた。
「ぅ……ひゃっ…………!」
ウンディーネの拘束から解放された少女を抱きかかえて、レックスは着地する。
「…………」
泉に背を向けたまま、レックスは意識を辺りに霧散させる。やがて、小さく安堵を漏らすと立ち上がった。同時に少女を一睨み。蛇に睨まれた蛙のように、少女の顔からは血の気が引けた。
「……リオン、ゼウス。何でユニアといる?」
レックスが叩き付けられた木に隠れようとしたリオンを半ば引きずるようにゼウスは真っ直ぐレックスと向き合った。
「レックス君、それはわた――くしゅんっ」
リオン達の代わりに説明しようとした少女――ユニアだったが、可愛いくしゃみで辺りは静寂に包まれる。
「…………あー、えっと。服、着替えた方が良いよね」
「で、でも……」
最初に口を開いたのはリオン。
「僕らのは随分と汚れているし、サイズもブカブカだろう。レックス、君のでもブカブカだろうけど、君のが1番清潔だ」
「レックス君の方がずぶ濡れです」
先ほど受けた水球によってコートもマフラーも水の中に飛び込んだかのように水が滴っていた。対するユニアは、締め上げられていた部分のみがじっとりと濡れているぐらい。
しかしながら、今の季節では風が吹くだけで寒さを感じることもある。濡れていればなおさらその寒さは身体の体温を奪っていくことだろう。
「……ディメンション」
ユニアを地に着けながら、レックスは呟いた。刹那、レックスの脇にジッパーが現れる。独りでに開いたチャックの先は蠢く闇。レックスは臆する事なく手を突っ込み。
「わわっ……」
バサッと音を立ててユニアの視界が暗くなる。視界を良好にさせると、目の前にはレックスの服とおぼしきもの。
「女の子の着替えは、覗くべきではないし、魔物蠢く森でさせる訳にはいかないよね」
リオンの笑顔を見たユニアはハッと気付く。それは昨日見たレイナがレックスを騙す時の笑顔ととても似ていた事に。
「待って下さい!レックス君だって濡れてます!私は平気ですから、レックス君が――くしゅんっ!」
言葉を最後まで紡ぎ切れずに再びくしゃみをしてしまう。
「……さっさと済ませろ」
「えっ?」
「アルミスティア」
レックスのため息と共にアルミスティアは姿を変える。あの魔法防御に特化した盾がユニアを囲むように形成される。天井は無いため、壁際に影が落ちている程度で暗くはない。しかし、ここから出るのはほぼ不可能だろう。
「まずは、経緯を聞こう」
暫く壁となったアルミスティアを見ていたが、レックスは表情を変えることなく、静かに聞いた。
「……怒ってんのか?」
「呆れている」
「それは彼女にかい?それとも甘い自分」
「……凍てつく業火に永久の息吹よ――」
「待て待て待て待て!!悪かった!なっ?なっ?」
リオンの言葉に目を据わらせたレックスが詠唱で答える。それをゼウスは必死で止めた。
「僕らとしても偶然でね。ハーウェルンに会いに行く途中で悪い奴らに絡まれている彼女を助けたんだよ。そしたら君を探しているときたから、やっとレックスにも春が来たのかと思ったんだ」
レックスをからかうのが面白いのか、リオンはあっけらかんとした表情で簡潔にここまでの経緯を説明した。
「……春?」
レックスの無表情は崩れない。むしろそこから冷ややかな空気が辺りに満ちてきている。
「どうせ今日でレイナのわがままも終わりだ。……もう会う事すらない」
「会いたいと思わねぇのか?」
「俺が今すぐ会いたいのは――」
そこで言葉を切り、レックスは壁のようになったアルミスティアを見つめた。
「アルミスティア」
その呼び声に応え、アルミスティアは再び剣の姿でレックスの右手に収まった。
「うぅ……ごめんなさい、レックス君」
両手で抱えたコートをレックスへと差し出すユニア。
それを見たリオンとゼウスの脳天に雷が落ちた。
「は、恥ずかしいですけど、私はこれで平気です。だから、せめてコートはレックス君が着て下さい」
差し出されたコートを見つめ、レックスはため息を溢して濡れたままのコートを脱いだ。
「おめぇ……」
「まさかの、無反応……!?」
今のユニアはレックスと全く同じ格好をしている。のだが、レックスには無いその双丘が服を圧迫させているのが分かる。しかも、黒のインナーを着けているためギリギリ見えないが、お臍が見えてしまいそうなほど蒼い服を押し上げている。
サイズが合っていないため、手が完全に隠れてしまうほど長く、プリーツスカートはそのまま着用しているため、何とも言えない可憐さが際立っていた。
「ちっ。さっきの珠、思った以上に水を凝縮させていたか」
そんなユニアを見ても顔色1つ変えずに、絞っているコートから滝のように溢れる水に悪態をつくレックスを、2人は信じられない思いで見ていた。
そのコートをまだ開けていたディメンションの中へと放り込み、更に服のボタンへと手を伸ばす。
「ひゃあっ――!?」
その下の服を脱ぎ始めたレックスに、顔を赤くしたユニアは慌ててレックスから背を向けた。
「大胆だなぁ、レックス」
「……彼女が可哀想」
背を向けたユニアの背後から手を伸ばし、レックスはコートを羽織る。そのままでは流石に寒いので留め具を調節させて肌の露出を最小限にさせる。
「さっさと戻る」
「帰りは僕らが片すよ。レックスは彼女をお願い」
無言で威圧され、リオンは苦笑いする。だが、追及されることなくレックスはユニアを抱き上げた。
「ひゃああ!?」
「それは素でやってるの?わざと?」
ニヤニヤと笑うリオンを数秒見返し、レックスは歩き出す。
「……魔廊よりいずりし煉瞑の――」
「レックス!それは止めろ!?」
ちゃっかり詠唱を始めるレックスを必死でゼウスが宥めつつ、一行は帰路へとつく。