第9章ー賭けー中編
2.
カチリ、と何かがはまる感覚に、レックスは小さくほくそ笑んだ。
「やっと、"目を覚ました"か」
キアとマヴィードールの間に立ち、振り下ろされた腕を刀で受け止めたまま、レックスは呟いた。
「――容赦はしない」
レックスの放つ殺気が膨れ上がる。それに畏怖を感じたマヴィードールは後退しようと跳躍する。
だがそれは、悪手であった。
「抜刀――絶破」
距離を取ったマヴィードールを追い、レックスは超至近距離で抜刀する。
刹那、大地が震えた。
「な、なんだね!?」
驚愕するリートの目の前で、光の軌跡が迸り、マヴィードール達の身体を一瞬の内に真っ二つにしていった。
「ふむ。やはり"弱い"か」
肩に刀を掛けつつ、レックスは首を傾げた。
「よ、弱い……?」
目の前にいた、残りのマヴィードールを全て倒した攻撃を"弱い"と評価するレックスに、アクルは目を丸くした。
「なんで……助けたのよ」
地面にへたり込み、レックスを見上げる格好のまま、キアは尋ねた。
「死にたかったのか?」
「そ、そんなわけないじゃない!」
つい先程までレックスと戦い合っていた。そして、キアは助けを求めていない。事前に決めた約束事を守るなら、レックスはキアを助ける必要はなかったのだ。
「……一応、助かったわ。でも、勝負はまだ終わっていないのよ?」
渋々ながらも感謝の意を述べて、キアは服に付いた砂を払い落として立ち上がる。
「そうか」
しかしレックスの態度は素っ気ないもの。それに疑問を浮かべるものの、次に現れた魔物にユニア達は絶句した。
「う……そ」
「む、虫……!?」
上の階でも遭遇した、サラマンダー集団。更には植物系の魔物であるマンドプラント、昆虫系の魔物であるアビードルの集団が黒い軍団の如く押し寄せていた。
「これは……誰かが"主"と戦っているな」
ユニア達が黒い軍団に怯えと絶望の顔を見せる中、レックスは何食わぬ顔でその集団を眺めていた。
「戦っている……って、まさか――」
その言葉で思い起こす人物はただ1人。
「まぁ、どうでもいいか。やっと、アルミスティアも"起きた"事だし、軽い運動もしたい」
が、その人物の名を出す前にレックスはそれを放り投げ、刀を真横に構える。
「え……起きた?」
アクルが瞬きをして、逡巡する。
「えー……じゃあ、僕らがいくら頑張ってレックスを追い詰めさせても、アルミスティアを呼び出す事が出来なかったって事?」
レックスの言葉を借りるなら、アルミスティアが"寝ていた"という事であり、レックスが出した条件である、『アルミスティアを呼び出させてみせろ』という条件は、どうあっても達成出来なかった訳で。
「なっ!?ちょっと待ちたまえ!貴様はさっき"呼ばせてみせろ"とかぬかしていなかったかね!?」
激昂するリートをしり目に、レックスは絶破を放つ。輝く光の軌跡は地を這うように滑り、3つの集団の最前線を崩した。
「そうだな。俺が窮地に陥れば自然と出てくると思ったが……」
そこで1度言葉を区切り。
「やっぱりお前達じゃ、力不足だった」
その1言だけ告げる。
「なっ……。言ったはずよ!まだ私たちとの戦いは残っているのよ!」
それがやけになって言った言葉である事は、キアも充分、判っていた。それでも言わずにはいられなかったのだ。
「…………。はぁー…………」
一瞬の沈黙の後に、レックスはため息を1つ。
「"主"との戦いが長引けば、あちこちで魔物凶暴化の影響が出る。こいつらをさっさと倒して"主"の元へ向かうべきだ。これ以上、お前達との戦いに時間は割けない」
これはまだ序の口だ。例え速攻で魔物達を倒してユニア達との戦いを再開させたとしても、先程よりも短い間隔で再び魔物達は現れる。それも、今より数は多くなった状態で、だ。
「でも……それじゃ――」
「なら一撃だ」
そう言っても引く気はない様子で口を開いたユニアに被せるように、レックスは言い放った。
「俺はお前達に対して、あと一撃だけ、魔法を放つ。それを耐えきるようならお前達の勝ちでいい」
一方的に突き付けると、レックスは刀をしまい、地を駆けた。
「えっ……待って!?」
本日何度目かとなる捨て身にも取れる特攻と突き付けられた条件に、ユニアは悲鳴に近い声を上げた。しかしユニアの悲鳴は既に魔物集団に入っていってしまったレックスには聞こえてこなかった。
まずレックスが最初に相手取ったのはサラマンダー集団。サラマンダーは素早い動きでレックスを取り囲み、残るマンドプラントとアビードルの集団は両脇から回り込むようにサラマンダーの戦いを無視して行軍する。
「甘い」
魔力を高めながら、レックスは言葉を置き去りにして体術のみでサラマンダーを次々、宙へと吹き飛ばしていく。だがそれだけでは元素解離が引き起こされない。
レックスに焦りの表情はなく、ただ機械のように淡々と数秒でサラマンダー全てを宙へと放った。
「時雨円舞」
レックスは双剣に手を伸ばし、引き抜くと同時に風切り音を立てながら、宙から降ってくるサラマンダーを細切れに変えていく。
「何が……起きているのよ」
行軍してくる2つの集団の背後で、レックスがサラマンダーを圧倒しているのは明白だった。
「キア、呆ける前に魔力を溜めて」
唖然とするキアの背中を軽く叩いて現実に戻させる。
「レックスがどの属性の魔法を使うか解らないけど、やれるだけの作戦はしたい」
アクルの頭の中では既に、魔物達と戦う道は放棄していた。今から2つの集団を相手にした上でレックスの魔法を防ぐだけの力が無い事は勿論のこと、そもそも異なる種族の魔物を相手取るのは想像以上に難しく、アクル達にその経験は無い。
「まずはリート、僕、キアの魔法による連続攻撃。広範囲じゃなくて、僕らの延長線上の範囲だけに限定。レックスみたいに魔法を斬れるわけじゃないから、ユニアの元まで後退しておくよ。ユニアの防御魔法で守りを固めて、更に僕の扇術で少しでも多く魔法を散らしてみる」
レックスは未だサラマンダーを細切れにしながらもその魔力は刻一刻と増している。おそらく、サラマンダーを全て切り伏せたら、マンドプラントとアビードルのどちらかの集団を背後から強襲するつもりだろう。
そうなれば背後を警戒していない2つの集団は、サラマンダーより早く決着は付けられてしまう。
「リートとキアはユニアの魔法が発動したら援護をして。ユニアが崩れれば、僕らにレックスの魔法を凌ぐ力は無い」
ユニアの近くまで後退しつつ、アクルはちらりとレックスの方へと振り返る。
「…………」
作戦を話した僅かな時間で、レックスは既に戦闘を終えていた。しかし、アクルの思惑とは裏腹に、レックスは動かない。
「こんな状態で防げるの?魔物にまで攻められたらひとたまりも無いわよ?」
これはもはや、賭けに近い。
ユニアの魔法で絶対に防げる可能性は無いし、放つ魔法によっては素直に逃げるべきかもしれない。だがここでそれを言ってしまえば、迷いが生じてしまう。迷いがある時に魔法を発動させても、不発に終わるだけだ。
「大丈夫。ここでレックスが魔法を放てば巻き添えを食らうはずだから」
レックスとアクル達の間には、マンドプラントとアビードルがいる。巻き添えとなる可能性は高い。
「だから防御に専念。危険ギリギリまで耐えて、逃げる」
魔法には範囲があり、ある一定以上の範囲にしか影響が出ない。それは個々の魔力量や威力を落とされるだけでも変動はする。故に、アクルはギリギリまで引き付けた状態で部屋の縁ギリギリか次の階層へ向かう階段にまで逃げる事が出来れば、より耐えきる可能性は増すはずだった。
「逃げ出すタイミングは僕が出す。それまでは全力でレックスの魔法に攻撃を当てて」
そこでユニアの近くに辿り着いたアクルは改めてレックスの方へと向き直る。レックスが動いた様子はなく、代わりに更に魔力が高まっているのを肌で感じ取った。
「レックスの詠唱が始まったらリート、頼んだよ」
「ま、任せたまえ。キアさんとユニアさんには触れさせません」
声が若干震えてはいるが、アクルはこの際聞かなかった事にした。リートもまたアクルと同じ心境である事はリートの顔がひきつった笑みである事から分かっていた。けれど、誰もその事に触れる事なく迎撃のための準備を進めていく。
その様子をアビードル越しに見ていたレックスは詠唱の言葉を口にすることなく、歩き出す。アビードルへと迫る足を速めながら、ガントレットの付いた右手をギリッという音がなるほど握りしめる。
「業炎波」
最後尾にいるアビードル数体に目掛け、拳を振り上げた。直後、アビードルは真下から全身を焼かれて元素解離を引き起こす。
異変に察知した他のアビードル達は一斉に警戒するようにより上空へと逃れていく。
人の身だけではそこまで跳ぶ事は出来ない。仮に出来たとしても、羽根を持つアビードルでは簡単に軌道を読まれて1匹も捕まらない。
なのでレックスは、植物系である事から炎を苦手とし、業炎波を放った事で距離を取ったマンドプラントへ目を向ける。
刹那、レックスの殺気を感じ取ったマンドプラント達の無数の蔓の鞭がレックスの視界を覆い尽くす。蔓の隙間の先にまた別の蔓が重なり、それはさながら巨大な蔓の壁のよう。
業炎波で焼いたとしても、すぐに新たな蔓が追加されてたちまち修復されてしまうだろう。レックスは僅かな隙間さえも無い蔓の壁から逃れるように後退する。
レックスの行動を察知したマンドプラント達はこの危険な存在を排除しようと更に蔓の壁を強化させながらレックスへと迫る。
上空へと逃げたアビードル達にも届きそうなほど高くなった所で、レックスは後退を止めた。
バネのように足を曲げ、一気に加速。蔓の壁はリーチに入った獲物を閉じ込め、押し潰さんとする。
その、内部で。
「豪嵐刃。業炎波」
旋風が、蔓の壁の一部を細切れに変え、修復より早く、炎がその傷口を焼き尽くす。それは蔓の壁を震わせるほど強く、マンドプラント達に焦りが生じる。
足を絡めとらんとする蔓は左手に持った刀で切り伏せて、その一方で、右手のガントレットで旋風の刃と炎の波を繰り出し、上空にいるアビードルへと繋がるトンネルを突貫で作り続けた。
焦りながらも、マンドプラント達は的確にレックスを阻まんと蔓を重ね続けた。
「…………悪夢だ」
マンドプラントも、アビードルもこの空間に別の人間がいる事を完全に忘れていた。それほどまでにレックスの存在が危険であると思わせられている証拠ではあるのだが、その光景を見ている彼らにとってそれが良いことなのか悪いことなのかは、今だけは分からなかった。
そして、マンドプラント達の蔓を切り刻み、焼き尽くして、レックスは蔓の壁を打ち破った。
「…………やり過ぎたか」
最後に大きく跳躍して、蔓の鞭から逃れると、下を見てレックスはペースを上げるべきだったとちょっと後悔した。
レックスの狙いでは、アビードル達より僅か上の位置で抜け出る予定であった。
しかしいざ蓋を開けてみれば、アビードル達よりやや離れた位置であり、しかもアビードル達より遥か上空の場所であった。
逡巡するものの、やるべき事は変わらない。レックスは重力に逆らう事なく、落下する。すぐ近くにある壁から蔓の鞭が幾つも飛来するようにしなってくるが、刀で切り伏せる。
身体を回転させて蔓の壁の上に着地と同時に跳ぶように走り出し、アビードルへと一直線へと向かう。蔓の鞭が足下から飛び出るが、刀とガントレットで切り抜ける。
危険を感じたアビードル達は羽根を羽ばたかせて決死の突進を繰り出した。
アビードルの羽根は鋭い刃となっている。それに羽ばたきとスピードが加わることで、さながら鎌鼬と思えるほどの切れ味を発揮する。レックスは数体の突進を大きく回避し、内1体の頭と胴を切り裂いた。
更にアビードルの厄介なところは、小回りが利きやすいところだろう。レックスが避けた背後で旋回し、レックスの背中を穿とうと再度の突進を一瞬の間を置いて繰り出していた。
「抜刀――刹牙」
それはレックスも充分判っていた。振り返り際にカウンターを繰り出して、アビードルを真横に両断した。ついでに絶え間なく現れる蔓の鞭も切り捨てて、アビードルの殲滅を優先させる。
「………………」
ギュッと水晶杖を握りしめ、蔓の壁の上から発せられる魔力を全身で感じていた。
――もうすぐ、来る。
「無垢なる水精の揺りかごを……」
だからこそ、ユニアは詠唱を始めた。レックスが詠唱を始めてからでは、きっと間に合わないからだ。突然のユニアの詠唱に集中していたキア達は、僅かに肩をびくつかせて驚くが、その意図を察したようにキア達もまた、詠唱を唱え始めた。
ユニアの予感通り、レックスは回避とカウンターを数度繰り返したところで、アビードルの殲滅を完了していた。残るはマンドプラントだけとなったが、レックスは足下に広がる蔓の壁を破壊せず、地上へ向けて走り出す。向かう先はユニア達の元――ではなく、マンドプラントの真上を目指して。
襲い来る鞭の集団を巧みにかわしながら、ユニア達よりやや遅れるように、放つ魔法の詠唱を開始する。
「虚ろな眼差し、煌めき凍れ」
圧倒的なまでの物量で降りてくる巨大化した鞭から逃れるように、レックスは再びその身体を空中へと投げ出した。
「世界に寄りし無垢なる氷精に安らぎを与えよ」
ちらりとユニア達の方へ目を配れば、ユニアを中心に水のドームのようなものがユニア達を覆っていた。その水のドームを護るように、ドームの目の前には幾つもの竜巻が現れ始めていた。
と、そこで鞭の1つが、レックスの頬を引っ掻いた。意識をユニア達からマンドプラントへ。見ると、醜い笑みを浮かべて手招きでもするかのように蔓の鞭をうねらせていた。
マンドプラントの特徴は、先程からレックスを妨害しまくる、その蔓の鞭による多方面から来る連続攻撃だろう。しかしマンドプラントはサラマンダーやアビードルよりも弱い部類である。
1つは攻撃の要である蔓の鞭の攻撃力の低さ。サラマンダーは硬い尾の振り回し、アビードルであれば鎌鼬のような鋭い刃だろう。だが、マンドプラントは触れれば引っ掻く程度の威力。とてもこの一撃だけでは殺せはしないだろう。
「今ここに氷結の世界よ、顕現せよ」
レックスは醜い笑みを見せるマンドプラントの蔓を刀で切り落としながら、マンドプラント達の中心地へ、足から着地した。
「――アイシクルフォール」
刹那。
レックスを中心に、近くにいたマンドプラント達は次々と氷像へと姿を変えていく。氷像と化したマンドプラントを食すかのように、遅れて現れた氷の龍が噛み砕いていく。
マンドプラントは、炎に弱く、更には氷に弱い。このように凍らせた上で砕いてしまえば、容易く倒す事ができる。
「唸れ雷、敵を穿て!バッシュブレイド!」
「紡げ、光の軌跡よ!ライディングスラッシュ!」
マンドプラントを全て氷結させ、噛み砕いた氷龍は次なる獲物を求めるようにキア達へと迫る。それをキアとリートの攻撃が阻止せんと繰り出されるが、容易く呑み込んだ。更にアクルが発動させただろうシルフィーレスタさえ呑み込むと。
水のドームを一瞬で凍らせ、砕いた。
「きゃあっ!?」
その衝撃でユニア達は後方に吹き飛ばされ、しっかり握っていたはずの水晶杖がユニアの手から離れ、宙を舞う。
「っ……」
武器を失い、無防備になったユニアへと、白銀の世界が襲った…………!!
 




