第8章ーチェレッチェ迷宮ー後編
3.
悲鳴と共に、3人が空中へと投げ出される。
「キアちゃん!アクル君!リート君!」
投げ出された人物に、ユニアは声をあげた。当の本人達は返事をする前に地面を転がった。
「いった……。なんなのよ、あの男……」
「一気に上まで……たたっ」
「今、ユニアさんの声が……?」
3人が複数の切り傷を負っているのが見えたユニアは急いで3人の元へと駆け寄った。
「今、回復するね」
しゃがみこみ、ユニアは魔力を高めていく。その様子を横目で見ながら、レックスは刀に手をかけたまま歩き出す。
呼応するように、階下へ続く道からも靴の音が響いてくる。
最初に見えたのは自分と同じ赤い髪。次に少し柔らかな印象を持つよく知る顔が見えてくる。レックス同様に左側に刀を提げた男は、一定の距離を保つように立ち止まった。
「…………」
「…………」
ユニアの回復魔法が発動している音のみが空間を支配していた。
「やっぱり、レックスに似ている……?」
ユニアの治療を受けながら、アクルは呟いた。目付きなど、細かな違いはあるものの、その姿は実にレックスに似ていた。
「似ていて当たり前だ。これは、俺の意識から引き出された物理幻象だからな」
「レックス君にとって、苦手な存在。その、人が?」
先程レックスから教わった内容を思い出し、ユニアは目を瞬かせた。
「俺にとって苦手な奴はあまりいない。だから、俺にとって、"最強"だと思う存在が苦手な存在として認識されているんだろうな」
現れた男から目を逸らさずにレックスは訂正を加える。
「アルミスティアがいれば、少しは楽にはなるが……仕方がない、か」
1人納得したように頷くと、レックスは腰を落として力強く踏み込んだ。
――ガキィィィン…………!!
刹那、空間全体に刀と刀がぶつかり合う、甲高い音が広がり、それが戦闘の開始となった。
「な、なに……!?」
レックス達の姿が消えたかと思うと、空間のあちこちで響く剣撃の音と火花にキア達は身を強張らせた。
「み、見えん……何が起きているのだ」
音を頼りに目を走らせるも、レックスの姿を捉える事は出来ない。
「唸れ光粒生まれし鞭。パーティクルウィップ」
刀での攻防を繰り広げながら、レックスは光属性の攻撃魔法パーティクルウィップをユニア達へ向けて放った。
「ちょっ――!?」
アクルが目を見開いた瞬間、レックスと対峙していたはずの男の刀とパーティクルウィップが激しい火花を散らした。
「時雨円舞!」
パーティクルウィップに気を取られた一瞬の隙を突くように双剣に持ち変えたレックスが連撃を見舞わせた。だが、その連撃は全て弾かれて、大きく後ろに下がらせるだけの結果となった。
「……助かったわ」
パーティクルウィップが無ければキアが確実に大怪我を負っていた事だろう。
「今のお前らじゃ、兄さんの動きなんか見えないだろうからな。とりあえずそこから動くな」
魔力を高め殺気で相手を牽制しながら、レックスは事もなさげに返した。
「兄さんの、だと……?貴様の兄はルシルド大戦で亡くなったのではなかったのかね?」
「そうだ。あれは、物理幻象で具現化した兄さんだ」
リートの疑問に頷いて答えると、レックスの右手の籠手に炎と冷気の渦が巻き起こる。対する男は口を閉ざしたまま刀の切っ先をレックスへ向けた。
「偽者でも力は本物。魔法が来たら全員で防御しても防げるかどうか、だね……」
つい先程までの逃走中に魔法が放たれる事は無かったが、弟であるレックスの魔法の威力もその魔力量も凄すぎた。
「兄さんに魔法の才は無かった。魔法による奇襲は絶対にない」
アクルの不安を取り除くように、レックスはきっぱりと言い切った。左足を僅かに前に出し、右手を握りしめると腰を低くする。
「最も、刀の技の中にも飛来させる技はある。注意は怠るなよ」
ユニア達が安堵する前に釘を刺して、 レックスは地を蹴った。
「業炎波」
最初に魔物を葬った格闘技を繰り出すが、1振りの薙ぎで炎は跡形もなく消え去った。その先に冷気を纏うレックスを捉えた偽者は、更に刀を振るった。
その軌跡をなぞる、幾つもの衝撃波がレックスへと迫り来る……!
衝撃波と衝撃波の僅かな隙間を縫うように紙一重でかわしつつ前進するレックスは、最後のすり抜けで左足に痛みが走るのを感じた。
「っ――」
しかしそれに構う暇などは与えられない。懐へ入る事に成功するが、待ち構えているのは目にも止まらぬ速さで繰り出される技、技、技。
「っ、ぅ」
致命傷となりえる剣撃のみ避けて、冷気を爆発させる。
「氷烈華!」
拳が刀の腹に当たった瞬間に音もなく刀は凍っていく。己さえ凍る恐れのある技を見て、偽者は呆気なく刀を手放した。
「抜刀、絶破!」
無防備となる一瞬。そこへ、抜刀と共に繰り出される光の剣撃を超至近距離で放った。
「――!?なっ……」
これで仕留めたと確信したレックスだったが、何かの警鐘が鳴り響き、次の瞬間には宙を舞っていた。
ズザザッ、と足で着地して、右手に持つ刀を見る。
「――忘れてたな」
そこには、"凍った刀"があった。偽者の方へと目を向けると、先程までレックスが使っていた刀があった。
「兄さんは盗みのスキル、持ってないぞ」
チェレッチェ迷宮に挑む時はいつも1人だった。だから、失念していたんだろう。
複数人でチェレッチェ迷宮に挑んだ場合、物理幻象は、パーツのように組合わさる時がある。
ある1人の苦手な存在に、更に別の1人の苦手な存在が重なり、この魔層でしか出現しない、特異な魔物が現れる時がある。
今回運の悪い事に、レックスの意識から生み出された兄さんに、別の誰か――この空間にいる誰かの苦手な存在が密かに組み合わされている。
「天明の輝きよ、我が敵を穿て。ライジングランサー」
凍った刀を放り投げ、魔法を発動させる。6本の雷の槍がレックスの周りに静止する。込める魔力を微妙に調節し、双剣を手に取り、雷の槍と共に偽者へ直進する。
偽者もまた、レックスへ直進していた。後数秒でレックスとぶつかる、と思った瞬間、偽者はその矛先をグルリと回転させた。
「…………えっ」
治療を終え、レックスへ回復魔法をかけようと顔を上げた時、目の前に赤髪が迫っていた。レックスによく似た顔が崩れ落ちて、代わりに鋭い牙と皮膚をこそげ落としたグロテスクな顔へと変貌した。
「マヴィードール――!?」
アクルが恐怖の声でその名を叫ぶ。そのグロテスクな見た目にユニア達も恐怖で身を強張らせ、回避行動が遅れてしまう。
それを庇うように、真横から雷の槍がユニア達と偽者の間に迸る。雷の槍に邪魔をされ、偽者は顔を元に戻しながらユニア達から距離を取る。だが、その先にいた残り5本の槍を従えたレックスの双剣と再び火花を散らせた。
拮抗するかに思えたつばぜり合いは、レックスの発動させたライジングランサーによって呆気なく崩れ去る。
「すごい……でも」
5本の雷の槍を操り、偽者を翻弄していくレックスの姿に、ユニアは驚きと辛い表情を隠せなかった。
双剣で偽者の刀をいなしながら、ユニア達では見えない隙という隙に立て続けにライジングランサーを放つ。レックスは簡単そうにやってのけているが、複数の槍を操るという事は、相当の集中力と精密さが求められるという事。
それに加えて、魔法を発動させ続けるには、常に魔力を消費し続けなければならない。ライジングランサーの威力はそこそこ強い部類であるが、レックスのように平行して扱うには相当の魔力量が必要となるだろう。
――カァン…………!
一際高い金属音と共に天高くに飛んでいく刀。
「終わりだ」
レックスのその合図と共に、四方から雷の槍が偽者の身体を同時に貫いた。怒りと痛みが入り交じる眼でレックスを睨み付け、鋭い牙を覗かせた時、真上から偽者の身体全てを飲み込む一際大きな雷の槍が激しい音を立て、偽者の身体を灰となるまで焼き付くした。
「…………」
雷撃の音が止み、役目を終えたライジングランサーは大気に溶けていく。レックスの後方に、弾かれた刀が地に突き刺さった。
そして、辺りを静寂が包み込んだ。
「…………ふぅ」
背を向けたまま微動だにしないレックスだったが、やがて、大きく息を吐いて踵を返す。奪われてしまっていた刀を鞘にしまってから、自身に回復魔法オールドベルキュアラーをかける。
「他に魔物はいない。もう動いていいぞ」
多少の切り傷程度なので、治療はすぐに終わる。レックスはユニア達へと足を向けた。
「……倒したの?」
偽者がいた場所とレックスを交互に見ながら、そう聞いたのはアクルだった。
「当たり前だ」
姿形はどうであれ、あれは立派な魔物だ。倒さない方がおかしい話だ。
「あれは、確かに魔物だったのかもしれないわ。でも……」
そこまで言ってから、言い淀むキアにレックスは首を傾げる。
「よく、兄の姿をした魔物を、平気な顔で倒せるものだな」
キアの代わりに言葉を紡いだリートに言われ、レックスは意外そうに眉を上げて…………呆れたようにため息をついた。
「訂正は、しておこう。まず兄さんはもっと強い。アルミスティアが顕現出来ない状態で勝てる相手じゃない。マヴィードールが物理幻象によって組み込まれたお陰で弱くなっていたようだしな」
兄の姿や力だけでなく、別の存在――マヴィードールという魔物の能力が加味された結果、弱体化していたのが、今回の勝因だったのだろう。
「さっきも言ったが、あれは偽者で、魔物。例え兄さんの姿をしていようが、関係ない」
「…………辛く、ないんですか?」
アクアリウムを握り締めて、ユニアは上目遣いにレックスを見上げた。
「辛い……?」
その意味を飲み込むように反芻して、レックスは落胆するように肩を落とした。
「…………意味が解らないな」
「だって、レックス君の大切な人ですよ?偽者だと分かっていても、そんな人とあんな風に戦うはめになるのは、辛いと思います」
ユニアの告白に、キア達も同意するかのように大きく頷いた。
「私達は、何も出来ませんでした。でも……」
「――馬鹿らしい」
必死に言葉を紡ぐユニアの言葉を遮って。レックスは冷めた目で、ユニアを見下ろした。
「兄さんは死んだ。俺の目の前で。それは、知っているはずだ」
ルシルド大戦で起きたレックスの悲劇。そう問われ、押し黙るユニア。
「なのに、兄さんの姿をしているからと言って、攻撃しないのは、馬鹿げている」
「偽者だったり、幻かもしれないわ。でも、あれは何度も大切な人に手をあげる行為よ?」
自分がレックスの立場になったら……とてもじゃないが、レックスのようには戦えない。それが、ユニア達の意思だった。
「……それで?」
しかし、その意思はレックスには微塵も伝わらない。
「それでって……」
「――お前達は、やっぱり甘い」
この2週間余り、一緒に過ごしてきて、分かった事がある。
「こういった事態になるのは、魔物を相手にするギルドにとって、日常茶飯事だ」
甘く、優しく生きてきたのだろう。戦闘中にも関わらず、ふいに集中力が途切れたり、多少の傷を負うだけでも戦闘を中断したり。
正直に言えば、その程度でやっていけるほど魔物達は甘くはない。
「魔物にも魔法が扱える奴はごまんといる。無論、幻術を扱うやつも、仲間を人質に取るような卑怯な手を使う魔物もな。それなのに、"大切な人と同じ姿だから攻撃出来ない"なんて、言っている奴は確実に死ぬ」
魔物達だって、生き残るために死ぬ気で殺しに来る。生き残るために、どんな手段も使う。
「生き残りたいなら、甘い考えは捨てろ。どんな姿をしていようと、殺すと決めたなら、きっちり殺せ」
それが、この世界で生きるということ。それが嫌なら、諦めるべきだろう。
沈黙が辺りを支配し、ユニア達は俯いたまま。
立ち上がる気配を見せないユニア達を見渡し、レックスはユニア達から置いていくかのように、距離を取る。
「――甘い、かもしれません」
ポツリと小さく呟かれた言葉は、静寂の空間によく響いた。
「レックス君のように、たった1人で、大切な人の姿をした魔物相手に戦う事は――正直無理かも、です」
アクアリウムを握り締める力を更に強くして、ユニアは顔を上げることなく、立ち上がる。
「私達はあんたにしてみれば、弱いわ。だから、こうしてパーティーを組むのよ」
次いで、キアが立ち上がり、背筋を伸ばして真っ直ぐレックスを睨み付けるように見返した。
「お互いの弱い部分を補えれば、私たちはいくらでも強くなれますからな」
リートが前髪を払いのけながら立ち上がり、キアにウィンクを送る。
「今すぐレックスを越える……なんてのは無理かもしれない。でも、僕らにだって、僕らなりの戦う理由がある。甘いと否定されようと、覚悟を曲げるつもりはないよ」
笑みを浮かべて、アクルもまた立ち上がる。
「私は……非情になんか、なれません。助けたいと思ったら、助けたい。それが人であれ、魔物であれ」
レックスには解らない精神の痛みに堪えるように、強い眼差しでレックスへ返す。
「それが、何の為になる?」
冷めた声。そこに、感情らしいものはなく、ユニアは一瞬口をつぐんでしまう。
「――だから甘い」
興味を無くしたかのように、レックスはユニア達に背を向ける。一緒に飛ばされただろうティスとアルフォンスを探さなければならないのだ。あまり無駄な時間を費やすのは良くないだろう。
「甘いのが、いけない事かしら?」
「生きるか死ぬか。殺るか殺られるか。人間と魔物がぶつかった時にあるのは、ただそれだけだ」
振り返ることなく返された言葉に、キアは言い返せなかった。
「……こんな風に、争い合うことだけじゃないと、私は思います」
かつて、手負いの魔物を癒し、共に過ごした事があるユニアにとっては、レックスの――いや世間一般のその認識に、どうしても賛同できるものではなかった。
「一緒に生きる道なんか、ありはしない」
僅かな怒りを滲ませて、ユニアの気持ちを真っ向から否定した。
「やってもいないのに、どうして断言出来るんですか?」
レックスの怒りを感じ取りながらも、ユニアも負けじと言い返す。
「許すことなんか出来ない相手と共に生きるくらいなら、俺は死を選ぶ」
苛立ちを募らせて、レックスはもう一度ユニア達の方へと振り返った。
「死んだら、何も無いじゃないですか!」
「だから何だ?」
あっさりと返されて、ユニアは唖然とする。
「死を恐れて、兄さんを殺した『魔王』に勝てるはずがない。例え死んでも奴を倒す。それだけだ」
あの悲劇から続く、復讐のための戦いを今さら止める事など、レックスには出来ない相談だった。
「お前は前に言ったな。生きて誓いを果たせと。今のように、死んだらダメだとも。だが、やっぱり俺には共感できない」
脳裏に浮かぶのは、あの日ユニアと交わした言葉と、炎に飲まれる村の光景だった。
「俺には、何も無い。ただ復讐の誓いがあるだけで、例え俺が居なくなっても、何も変わりはしない」
その言葉にユニアは絶句し、フツフツと、何かが心の底から沸き上がる。
「話は終わりだ。さっさと」
「――――して、ください」
その頂点は、レックスの言葉を遮る形で表れた。
「――今の言葉、訂正してください」