第1章ー遺跡探索者ー 前編
1.
「……寝て、るのか…………?」
静かな森の中。そこで彼は少年と出逢った。それが、彼の運命の始まりである事を、後に知る事になるだろう。
人と魔物が息巻き、剣と魔法が未だ科学という魔の手に脅かされていない世界――ヴァーレル。
人は魔物を恐れながらも、そこそこ平和な日常を貪っていた。今なお世界の各地で魔物の襲撃があるものの、それらは全て魔物討伐機関『ギルド』によって撃退されていた。
首都ミッセリアにある、『ギルド』総本山の最上階に設けられた一室に、2人の男女が机を挟んで向かい合っていた。
「………………」
20代半ばの女性は、帰ってきた青年から渡された依頼報告書を確認していたが、ふぅ……とため息をついて顔を上げた。
「聖魔の森で、そんな事があったんだね。ともかく、その少年を助けられて良かったよ」
栗色の髪を手の先で弄りながら、青年に笑いかける。
「気になるなら、様子を見に行ってもいいよ?」
「…………。行くだけ無駄だろ」
暫しの沈黙。返ってきたのはいつもの声音より低く、気落ちしたような静かな声。
女性は依頼完了の手続きをしながら、赤髪の青年――レックスが右手を握りしめている事に、あえて気付かないふりをした。
「さて、まだいくつか依頼残ってるし、まとめてやっちゃう?君なら今日中に終わらせられそうだけど」
話を切り替えつつ、レックスの気分転換になりそうな依頼を卓上に積み上げられた書類の中から選んでいく。
「魔犬ヘルウォードの討伐に、希蕾雪の採取、ミレスレア遺跡の再調査。あ、魔種の獲得もあるみたい」
基本パーティーを組んで行われる最高難度の依頼を、すらすらと読み上げていく女性。
「いや、依頼は受けない」
その言葉に、女性はちょっと意外そうに眉を上げた。いつもの彼なら、文句も言わずに二つ返事で快諾するものだが。
「クロイド遺跡に行く」
「ふぇ?クロイド遺跡?」
ミッセリア近郊にある初心者向けの魔層であるクロイド遺跡。レックスは既に何回も足を運んだ場所であり、今さら行った所で、新しい発見も無いだろう。何より今日は――
「ダメダメ。今日はミストラル学園生の試験会場になってるんだから」
「試験会場?魔層が?」
世界に満ちる魔素が通常よりも多く集まり、魔物の巣と化した場所。それが『魔層』である。
本来なら、『ギルド』や『アルタスク』の一員が赴くような危険な場所。
「年に1度の新入生の力を試す試験だよ。ミストラル学園からの依頼だし、分かるでしょ?」
「…………それで?」
首を傾げるレックスに、女性は肩を落とした。
「まさか君、学園を知らなかったの?」
「ルシルド大戦後に、世界三大機関が合同で造った施設だろう?」
『世界三大機関』。
魔物という魔の手から人々を守るために立ち上がった者たちにより造られた機関。最初はただの魔物討伐機関だったそれが、長い年月を経る中で細分化され、その系統によって姿も形も大きく変えた。
魔物の弱点や性質を研究し、魔法の根源を調査する魔導研究機関『アルタスク』。
人々の生活を支え、魔物出現をいち早く住民に知らせ救援や支援を目的とした経済生活機関『オルガド』。
そして魔物を討伐し、人々の生活を護る魔物討伐機関『ギルド』。
アルタスク、オルガド、ギルドを世界最高機関と定めた事で、この3つの機関を総称して『世界三大機関』と呼ばれるようになったのだ。
「そうそう。よく覚えてくれていたね、レックス」
10年前に起きた人間と魔物との戦争。何時からか『ルシルド大戦』と呼ばれる大戦で、各機関がほぼ壊滅する事態に陥った。
指揮系統は崩壊し、魔物は逃げ惑う人々を容赦なく襲撃した。長い間研究していた資料も、食料の生産も、大切な仲間さえも失った。
その原因の1つとされるのが、未来を担う子供への教育が、本来の機能を低下させていた、という世論がわき上がったのだ。
大戦が終結した後、長い時間をかけて各機関は本来の機能を回復させていった。その一方で、機関の最高位が集まり、ある1つの施設を設ける事を決めた。
それが、学園である。
「邪魔をするな、と言うことだろう?レイナ」
誉めてあげようとして、手を伸ばす栗色の髪の女性――レイナから若干距離を取りつつ、レックスは彼女の意図を察した。
「……だって、君が介入しちゃえばどんな魔層でも容易く攻略されちゃうもん。受けるのは君と同い年くらいの子供たちだしねー」
これまで幾つもの魔層を攻略しているレックスにとってはクロイド遺跡など、肩慣らしにもなりはしない。
しかし、今受けている子たちは違う。これが初めての魔層となる子が多いのだ。そんな子たちの前に現れた同年代がサクサク攻略する様を見て、何を思うだろうか。
「会わなければ問題ないだろ」
「試験官の人にどうやって説明するの?試験官の人だって驚くよ」
むぅ、と唸るレックスをたしなめる。この様子では行く気満々だ。
「大変ですー!ギルドマスター!!」
やかましい声と共に扉が盛大に開かれる。
「ノックをしなさい、ノックを」
レイナは手にしていた消しゴムを入って来たギルド員の額に直撃させる。
「いたっ!っていやいや、ミストラル学園の新入生達が試験官を置いてきぼりにしてクロイド遺跡に行ってしまったそうです!」
「へっ?」
思わぬ報告に目をパチクリするレイナと、首を傾げるレックス。
「確か、特待生3人と研究生1人の4人パーティーだよね。試験官の先生は彼女たちに追い付けるの?発覚は?」
「発覚したのはつい先程です。先生は他の学園生を抑えているため、迎えていません」
ピシッと姿勢を正し、ギルド員は現状を伝えていく。黙って聞いていたレックスだったが、ため息を溢した。
「聞いたね、レックス」
「その依頼は受けない」
無駄だと分かりながらも、とりあえずレックスは拒否の意思を示す。
「はい却下。1人でも倒れていたら助けること。後は魔層に棲息していない魔物の討伐を。"主"に挑むようなら出来れば止めること」
聞く耳持たずで話を進めていく。レックスはため息混じりに思う。
「君と同い年だから、すぐに分かると思う。じゃ、お願いね」
「………………分かった」
例え断り続けても無意味だろう。ならば、さっさと終わらせた上で改めて赴いた方が目的を果たす1番の近道であるのだろう、と。
「たくっ……」
クロイド遺跡。その外観はさながら巨大な礼拝堂。ステンドグラスがあっただろう部分は吹き抜けとなっており、外壁も崩れている部分も見受けられる。人々がここに根付く前から遺跡として残っているのだ。外見が崩れていないだけまだマシなほうなのだ。
扉の無い入り口から中へ足を踏み入れる。円形の広間と数本の柱があるだけの空間。その最奥には通路とおぼしき一本道の空間が広がっている。
「………………」
一本道へ向かいながら、レックスは辺りをざっくりと見渡した。鋭い刃で裂かれた柱、水溜まり、異様に隆起した地面。これらはまだ出来て間もないものだと一目で分かる。つまり、レイナの言っていた新入生たちは既に、この魔層に入り込んでいるということになる。
見た目の外観に囚われていれば、中の迷路のような造りに、まず驚かされるだろう。縦横無尽に張り巡らせたその構造は、魔層となる前からあるのか、それとも魔層に巣食う魔物によって形成されたのかは、今となっては分からない。
「………………」
――探してみるべきか。
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。しかし、ここにいる魔物と言えば、最弱と言われるゴブリンと図体がでかいだけのオークがいるくらい。ここで手こずるようであれば、その新入生たちの未来は無い。
よって、レックスが選んだ答えは先へ進むこと。最深部へ至る最短ルートを突き進む。初めて訪れる新入生たちよりも早く、最深部に着いてしまうかもしれないが、それはそれで好都合というもの。
たまに襲い来るゴブリンを体術のみで倒していくこと小1時間。入り口よりもやや小さい広間に出た所で、レックスは足を止めた。
そこに広がるものは、およそ知能を持たないゴブリンやオークが創れるものではない。
『古代大戦』。その出来事が記されたとされている壁に描かれた絵の意味を、今もなお全てを理解するものはいない。
「龍魔族、か……」
その全貌の見えない『古代大戦』にて滅びたとされるかつての王者。人よりも知能が高く、魔物よりも力が強く。正しく絶対王者と言われた、伝説の存在。
失われた存在に思いをはぜながら、レックスの耳は確かに足音を捉えていた。
「会いたくなかったな……」
ガックリと肩を落として、レックスは後ろへ跳躍した。
――ボコリ……
響く陥没音。棍棒を振り落としたオークの腕から、数体のゴブリンが跳躍した。
「……アルミスティア」
武器精製。それは、人が生み出した魔法の1つ。己の血と魔力、呪いのかかった魔法陣によって唯一無二の武器を造り出す魔法。武器精製によって造り出された武器は、与えた名を呼ぶ事でその姿を顕現させることが出来るようになる。
レックスの手に握られたのは、茶の柄に黒い紋様が、金の鍔には赤い紋様が施された蒼い刀身の剣。
一閃、二閃、三閃。
研ぎ澄まされた剣撃は、迫り来るゴブリンたちの凶器全てを払いのけ、薙ぎ払い、ゴブリンの身体を引き裂いた。
「に、逃げて下さい!」
続けてオークを仕留めようとした時、この場に不釣り合いな、透き通った声が響いた。
「ちっ……」
舌打ちをして、更に後ろへ跳躍した。
「あれって……オーク!?」
「それより、あいつは誰よ!?」
金髪のツインテールの少女を先頭に、4人。背後には大量のゴブリンを引き連れて、こちらへと駆けてくる。
「はぁ……」
呆れのため息を1つ。ざっと見て100はいるだろう。
「あぁっ、もうっ!」
「やはりやるしかないですね!」
金髪のツインテールの少女は槍を構え、ゴブリンと向き合った。それにつられるように剣を持った焦げ茶色の髪の青年も少女の隣に立つ。
「2人とも、駄目だよ!」
「オークだけならまだしも、このゴブリンも一緒じゃ分が悪すぎる!」
青髪の青年と銀髪の少女は2人の後ろに下がりながらも、逃げようとしていた。
「………………」
オークの攻撃を避けながら、レックスはそのやり取りを聞いていた。丁度彼女らは後退しながらも、中心に集まっていた。
「地烈衝煌龍牙」
地を穿ち、龍の牙のように尖った大地が最前線を走るゴブリン達を易々と突き刺した。それにより、ゴブリン達の進軍は止まる。
「えっ……?」
思わぬ助太刀に、4人の動きが鈍る。
「ゴブリンはやる」
「は?」
レックスは彼女らに近付き、言葉を1つ。オークは軽く吹き飛ばしたため、軽い会話を交わす時間はある。
「ゴブリンどもは俺がやる。オークをやれるというなら、やってみろ」
「無謀です!」
4人で手こずる数なのだ。たった1人では死にに行くようなもの。と、考えているのがよく分かる。
「たかが100程度のゴブリン集団に、5秒もいらないと思えるがな」
銀髪の少女の声を無視して、レックスは駆けた。背後に響くオークの雄叫び。
「アルミスティア」
自身の武器の名を呼ぶ。瞬間、アルミスティアは炎を纏って姿を変える。片手剣は跡形もなく消えて、それはレックスの身の丈以上の大剣へ。
「はっ!」
一閃。それは隆起した大地を容易く剥ぎ取り、その先にいるゴブリンさえも飲み込む業火を放った。倒れていくゴブリンは元素解離――死した生き物が元素と魔素へ還る現象――を引き起こしていた。
宣言通り、5秒以内に片をつけたレックスは、アルミスティアを片手剣へと戻しながら、後ろを振り返った。
「…………」
『まだ』、戦闘中。レックスは若干呆れのような、憐れみのような眼差しを向けながら、見守ることにした。戦うのが面倒になったわけではない。
槍使いのツインテールの少女と片手剣の青年2人でオークを撹乱し、青髪の扇使いがフォロー。その後方で、銀髪の少女が詠唱を唱えていた。
魔法で仕留めるつもりだろう、と容易に分かる。オークは物理で叩くより、魔法の方が倒しやすい。その判断を下したのは、フォローに回っている青髪の青年だろう。現に、撹乱している2人に対して矢継ぎ早に指示を出している。
少女が詠唱しているそれは、水属性の攻撃魔法の1つ、アクアゲイザーだろう。
「離れて、2人とも!……水流となりて裁きを!アクアゲイザー!」
レックスの予想通り、オーク目掛け、超高密度の水柱が全方位から襲いかかる。防御もままならず、オークはその身体で全てを受け止めた。
数十秒続いた攻撃は始まりと同様にピタリと止む。その中心にいたオークは、立ち尽くしたまま、元素解離を引き起こしていた。
「早く助けに――ひゃっ!?」
振り返ったすぐ近くにレックスがいる事に気付かなかった銀髪の少女は思わず悲鳴を上げた。
「ユニア!?」
撹乱するだけだった槍使いが慌てた様子で銀髪の少女――ユニアの元へ駆け寄る。
「ゴブリンが……全滅してる」
レックスの背後には、既にゴブリン集団は姿形もない。その事実に、4人は唖然とするしかなかった。
「あんた、何者よ?」
ようやく、金髪の少女が口を開いた。
「ただの遺跡探索者」
あの依頼を正式に受けたつもりはない。加えて、ここで名乗っても、再会することもないだろう。レイナに知られればまた厄介な事になるかもしれないが、レックスは気にしないことにした。
「ただの……?」
首を傾げる青髪の青年。嘘も言っていないため、レックスはその呟きを無視した。
「ただの遺跡探索者が、クロイド遺跡で何を探索しようと言うのだね?」
「教える利点がない」
そう言って、レックスは4人の間をすり抜けて、奥へと向かう。
「あっ、待ってください!……えっと」
呼び止めかけて、ユニアは言い淀んだ。当然だ。互いにまだ名を名乗っていないのだから。しかしレックスは足を止める事なく4人から遠ざかる。
「……た、探索者さん!」
故に、ユニアが出した答えはこれだった。他の3人が思わずガクッと頭を垂れた。
「ユニア……」
「ユニアさん……」
「あはは……」
ユニア本人は至って真面目に、先を行くレックスを追った。
「さっきはどうもありがとう。助かったよ」
無論立ち止まっていても仕方ないので、青髪の青年たちも付いてくる。
「僕たちはミストラル学園1期生。僕はアクル・アルフィード。この地裂扇を使ってサポート役に回っている。はい、次」
青髪の青年――アクルが自己紹介を始め、隣にいた金髪の少女にバトンタッチする。
「……キア・ランバード。雷槍ハルバードで先駆けをしているわ」
先程のやり取りが気に入らない様子で、ムスッとした表情のままぶっきらぼうに言い放つ。そのまま焦げ茶色の髪の青年を睨み付ける。
「私はリート・レガリオだ。光幻剣でキアさんと共に前衛を務めているのだ。さぁ、ユニアさん」
その視線を受け、やや自慢げに胸を張りながらその青年――リートは最後に残った少女へと声をかける。
「えっと……ユニア・ミセリアです。武器は水晶杖アクアリウムで回復と後衛をやっています」
「君の名前を……?」
アクルが次の言葉を言い終わる前に、レックスが突如として立ち止まった。レックスの視線の先には、1体の魔物が存在していた。