7.秘密の場所
隠しトンネルの向こう、そこには青の世界が広がっている。
青いバラ、青いユリ、青いナデシコ。名の知らない花も全て青。そして、周りの木々の配置。見たことがある。
ここはフィオナが奴隷居住区にいたとき花摘みをしていた場所だった。隠しトンネルで市街とつながっていることをフィオナは知らなかった。
「フィオナ、私の庭へようこそ」
精霊は両手を広げ、微笑んでいる。
ここは今目の前にいる精霊の依り代だった。フィオナは精霊の庭の花を摘んでいたのだ。
「勝手に花摘んでごめんなさい」
「ううん、いいの。ここはフィオナしか来ない場所だったんだから。しかも、むやみに摘むことはしなかったよね。ハゲにされたら怒るけど、あのときは摘まれた花が大事にしてくれる人に行き渡ってさえすれば、それで良かったの」
「ありがとう、今まで摘むことを許してくれて」
精霊はフィオナを知っていた。商品の花摘みをずっと見ていた。毎日来て静かに花を摘む、奴隷身分のボロボロの姿も。
フィオナは精霊を知らなかった。今日まで姿を見ることはできなかったのだから。
青い花畑はフィオナ一人のものといってよかった。普通、青は良くない色とされている。身分を示す宝玉の色も青といえば、黒の次に下の身分となる。だから誰も近づかない。一方フィオナは花と色の珍しい組み合わせに惹かれていった。その珍しさから商材として、ここを秘密の場所にしていた。フィオナは今まで誰にもこの場所を教えなかった。
「フィオナ、お願いがあるの」
「どんなお願い?」
「これからも、ここは秘密にしておいてくれない?」
「いいよ、私もそのつもりだったから」
精霊の問いにフィオナはそう答えた。花売りとしての回答だった。
「お願い聞いてくれてありがとう。まだお願いあるの」
「次は?」
「あのね、見ても分かる通り、この花畑はあんまり大きくないの。いっぱい人が入ったら、すぐに荒れちゃう。私はここの精霊、本当だったらここにいないといけないの」
フィオナは精霊のことをよく知らない。噂に聞いた程度の知識で今まで一緒に逃げてきた。
噂で聞く限りは契約した精霊は精霊使いと一緒に行動しているらしい。そうなると、目の前の精霊の希望はかなわないことになる。
「今、私はフィオナからあまり離れられないみたい。だからお願い。一緒にここを守ってほしいの。守りきれなかったらこの花畑も私も消えちゃうの」
かなりの大問題だった。フィオナの商売にも精霊使いとしての役割にもかかっている。
「なるだけ、守るようにするけど。どうすればいい?」
その問いに対し、精霊が答える。
「単純に、ここに居るお花がたくさん広がること。それを手伝ってほしいの。どんな手段でもいいから」
精霊の望みは子孫繁栄のようだった。
「私は花売りだから、花売りなりの方法しか取れないよ。それでもいいの?」
「最後に世界がここのお花でいーっぱいになっていたらいい。約束してくれる」
精霊は大きく手を広げ、にこやかに答える。
「わかった約束する」
「じゃあ最後に一つだけ。そろそろ名前をちょうだい」
「名前?」
「あなたがフィオナっていうようにね。なんて呼んだらいいか困ると思うの」
確かに、今まで名前を呼んではいない。たまたま何とかなっていただけだ。
なお、精霊に名前をつける本当の理由は他にあることを、二人とも知らない。
「どういう名前にしようか」
フィオナは辺りを見回す。
「ねぇ、ここにあるどの花が好き?」
精霊は即座に答える。
「私は庭の精霊だから、ここにある花はみんな好きだよ」
当然の回答だった。何かに思い入れがあったら、ここはその花だけで満たされているかもしれない。
フィオナの目先は、たまたまある花にとまった。青いユリの花に。Azure Lilly.
「あなたの名前はリリア。それでいい?」
フィオナが名を言った瞬間、精霊の体が輝く。白の光が青のドレスを飲み込み、白銀の人型になってゆく。
今居る花畑もかすかな光を帯び、青や群青色の花はみな淡い空色となった。
最初で最後の幻想的な光景。それは長くは続かない。光は精霊の体に収束し、花の色は再び青や群青色となった。そして、精霊の体の色が元に戻り、白銀の人型は青いドレスをまとった少女の姿になった。
「これから私の名前はリリア……」
精霊はぐったりと倒れかかった。
「ちょっ、どうしたの?」
「何でもない。一瞬すごくめまいがして倒れちゃった。」
そういいながら、精霊は立ち上がった。
「本当に大丈夫?」
「もう大丈夫だよ。この通り」
精霊はジャンプしたり、グルグルまわってみたりした。今はふらついている様子はない。
「ねぇ、フィオナ。これからはリリアって呼んで」
「じゃあ、リリアよろしく」
「こちらこそ。フィオナ……」
リリアの顔は微笑んでいた。
「そうそう、私のお願いばかりだからフィオナの分も聞かせて」
「私のお願い?」
フィオナは戸惑った。お願いなんてすることはなかった。親には何を言っても叶えられることなんてほとんどなかった。奴隷身分という足枷があった。もっとも、お金がいるようなことを頼んだからであって、親の手だけで工面できることはほとんどしてくれた。
私のお願い。今、必要なこと、そしてこれからも。
「リリア。私を守って、花畑を守るのと同じようにね」
「私、人間さんは守れないよ。どうしたらいいのか分からない」
「ううん、私もリリアが言ってたことと同じ条件を出すよ。方法は何でもいい。自分のできること方法でいい。それだけ」
「ハハハハハッ、フィオナ、聞いたことがあるよこの話」
「さっき、話したことの繰り返しだね」
「似ている所でもあるのかな、私達」
「アハハハハ……」
二人だけの秘密の花園の中で、話はおおいに盛り上がった。
ここには誰も入ってくることなく時は過ぎていった。
*****
「あの通路には二本しか新しい道はないのだな」
「はい一本は城門を通らず奴隷居住区に抜けます。もう一本は奴隷居住区外れの草原に出ます」
「あの娘は、おそらくどちらかに抜けたな。ご主人様の人間総出だ、市街の出口に出たのならもう見つかっているはず」
「まだ迷っている可能性もあるけどな」
「そうなれば、精霊使いの恥さらしとして歓迎しようじゃないか」
「アハハハハ」
「ひとまず謝礼を渡そう」
男の手に、金貨一枚が渡される。
「へへっ、ありがとうございます!」
男は金貨を見て感無量だった。しかし……。
「こいつをいったん牢屋に連れてけ、娘が見つかるまでな」
「えっ、えーっ!?」
金貨を受け取った男は、体格の良い兵士風の男に縛られた。
「見つかれば、貴様は金貨を持ってすぐに帰す。見つからなければ、金貨は返してもらい相当の罰を受けてもらう。もし嘘を言っていたのなら牢内に入って一刻までに真実を語れば、今の嘘は許すいいな」
「嘘ではないですから、もういいでしょ」
「信用できん。見つかるまで牢屋入りだ」
結局男は、貴族の抱える地下牢に入れられ、牢の鍵は閉じられた。