6.トンネル
フィオナは教会に入った報告を司祭から聞いた。
まず、階級三等の中級貴族アステア家が契約の儀式に失敗した可能性があるということ。
儀式の途中にしては魔道士風情の出入りが激しいらしい。
もう一点は、この底辺市民用の教会に居た魔道士がフィオナの契約成立を漏らしたらしく、現在外側の城壁に向かって魔道士風情が押し寄せているとのことだった。城壁の通門には手続きがいるが、魔道士ならすぐに許可が下りる。ここにくるのなら半刻も必要ないとのことだった。
司祭は一通り状況を伝えると、ため息をついた。
「そういうことで、君はもうここを出ないといけない。ここにいて守られるのは夕刻まで。夕刻を過ぎると彼らが押し寄せ、手を付けられなくなる。君は選択の余地なく、精霊を奪われるだけだ」
フィオナは黙っていた。言っていることが分からない。いや、父が言っていたのはこのことだろうか。
司祭が立ち上がり、部屋の奥にある壁を叩く、するといつの間にかあったはずの壁は消え、暗い通路が現れた。
「貴族に不幸があったとき、この教会で精霊契約した子は真っ先に狙われる。彼らには身分がかかっているから、元々身分が高くない子から奪おうとするのだよ。昔はこれがなかったから教会の目の前で契約書換え魔法を使われ、多くの精霊が奪われていった。でも本来は精霊の意思で成立した契約。正しい契約を守るために私達にせめてできることは、隠し通路を作ってそこから逃げてもらう。それだけなんだ」
司祭はランプを手に取って火を灯し、フィオナに渡す。
「有名な道や、市街へつながる道は小さい柵がある。柵のない道を通りなさい。そして、最後に一つ言わせてくれないか」
フィオナは振り返る。
「これからは君の命がかかっている。私達は君が身を守るため、優位に立つためにする選択を咎めはしない。ただ、契約したときの私の最後の言葉は精霊使いとして、肝に銘じてほしい」
フィオナは頷いた。
「では、行きなさい」
司祭の言葉とともに、フィオナは暗い隠し通路の中へ駆けていった。
司祭はフィオナが通路の奥へ去ってゆくのを見届け、通路の入口を消した。
「果敢な子ですね。物怖じもしないし、慣れているだけなのかもしれませんが」
「彼女は奴隷身分の子だからな、こういう道を使うことには私達以上に慣れているかもしれん」
「しかし、奴隷身分だと前途多難ですね」
「確かに精霊使いの世界は、元の身分が結構ものをいうからな」
現代の精霊使いは貴族出身者で占められている。その中で元奴隷身分が一人なら、たとえ技量で優れていたとしても、蔑み疎まれて不利な立場に追いやられるのは間違いない。
それ以前に十分な技量を身に着けられる機会があるか怪しい。貴族の子は精霊契約すると、専門の学院に入学する。そこでは、最高水準の教養に加え、精霊の力を引き出す技術を学び、最終的には魔道士を凌駕する力を得る。ただし学費が高い。年間金貨十枚、市民以下には到底用意できない。
もちろん学院に入らなくとも、精霊契約は問題ない。しかし本人の地が良く、精霊も優秀でなければまともな精霊使いにはなれないのが現実だ。
「でも、その境遇の中から出てくる子が案外本物だったりする。私は今の貴族の精霊使いに本物がいるとは思えない」
「司祭は夢見人ですね。ここで契約者が出るといつもこうなっちゃう」
「期待しているんだよ。いつか本物が現れることを。この教会からね」
司祭は、今は無き通路の方を見る。
残念だけど、もう助けてはあげられない。
司祭の会話をフィオナは知らない。
あれからずっと暗い通路の中を進んでいた。奥は人が掘って作ったままの荒いトンネルだった。ランプの光は十分で視界に問題はないけど、動く度影がゆらめき薄気味悪かった。
今、フィオナは問題にぶつかっていた。
このトンネルに入ってから柵のある道しか見つからないのだ。たぶん道の九割は柵がかかっていると思う。
柵といっても、ひざ丈ほどしかなく中央付近は人ひとりがひっかからず進めるほど開いていた。おそらく、緊急時は柵を通り越して避難するのだろう。
ただ、今は状況が違う。それなりの数の人間がフィオナ一人を探している。
司祭が言うように、街中に出てしまうと目立つし、分かりきっている道はマークされているに違いない。
また柵が現れた。分岐の両方に柵がついていた。要は行き止まり、前の柵なしの分岐に戻らないといけない。
フィオナはひとまず前の分岐に戻った。前は元来た道。右はまだ見ていない道。フィオナは右の道に入った。
もう迷って訳が分からなくなる子も大勢いただろうが、フィオナは道の記憶には自信があった。幼いころからこういう抜け道を使って遊んでいた。最近も商品を探し、奴隷商の物色を避けるために使っている。
それにしても、さっきから気になることがある。
契約した青いドレスの精霊は何も語らず、足音も立てず、ただフィオナについてくるだけだった。
精霊には不思議な力があるという。この精霊には何ができるのだろうか。
次の分岐に着いた。この分岐は十字路、三本の道はどれにも柵は付いていない。
フィオナは聞いてみた。
「どの道が正しいと思う?」
精霊は少しの間黙っていたが、口を開いた。
「こっちへ行きたい、でも絶対正しい自信はないの」
精霊は明らかに右の道を見つめて言った。
私なら左にするけど……。とフィオナは思ったが、精霊の言葉を信じた。
フィオナ達は右へ針路をとる。
精霊は自信がないと言っていた。フィオナも自信はないのは同じ。どちらも悪い選択肢ではなかった。
精霊も万能ではないのだろう。
しばらくすると行き止まりにあたった。
「まぁ、こういうこともあるね」
フィオナはそういって、元の道に戻ろうとする。また、総当たりになるかもしれない。
「フィオナ、待って」
後ろをついていた精霊はフィオナを止めた。そして、指さす。指は天井を指していた。
天井には一つだけ、石でできた板があった。
恐らくマンホール。あれを外せば地上に出られるだろう。
でも、これを作ったのは大人の人だろうか。手一つ分位の差で届かない。ジャンプしてみる。
「さすがに無理か」
ジャンプして弾いたら石がずれないかと期待したけども、そこまで軽いものではないようだった。
「わたしに任せて」
精霊は天井に向かって手を伸ばす。なにか不思議な力で持ち上げるのだろうか。
「おんぶ」
「え? おんぶ?」
フィオナは思わず声を漏らしてしまった。
「背負うっていうこと?」
「うん、だって届かないんだもん」
結局、単に寸足らずということだった。
フィオナは精霊を背負い、石の下に入る。
精霊の体は空気のように軽い。体を腕で支えている感覚がほとんどない。
フィオナはふと思う。
この精霊はなんとなく幼い感じがする。精霊というのは皆こんな感じなのだろうか。精霊の力は強大だと聞かされてきたが、この精霊が強いとはとても思えなかった。
精霊の手が石に届いた。石を押し上げているのか腕に重みが加わる。
「ずらすよ」
精霊のその言葉と手の動きともに石のマンホールは横にずれ、天より光が射し込む。
マンホールに手を掛けどかすと、人ひとりが通れる穴が開いていた。
その穴が開くと、精霊は穴の縁に手を掛け、上に上がってしまった。
フィオナも穴の縁に手を掛ける。精霊と同じように腕力で上がろうとするが、力が入らない。
フィオナの体は華奢だった。奴隷身分のため体はよく動かしているので、動きは軽い。しかし、筋肉はつかない。理由は栄養失調気味だからだろう。とてもではないが腕で自分の体重を支えることができない。
上から手が伸び、右腕を掴んだ。精霊の手だった。
精霊の力は見た目とは違い、強かった。精霊の手に引っ張られ、フィオナは穴から出た。
穴の上は見たことのある光景だった。