5.王立教会
第一城壁の内側、そこには唯一の王立の教会がある。ここは騎士階級以上しか入ることの許されない特別な教会であった。普段から五つの祭壇が設けられ、王国の運営に係わる儀式を並行で行えるようになっていた。
今日は階級五等以上の貴族三家に特別に祭壇が三つ与えられ、各家で別々に契約の儀式を行っていた。
契約の儀式への参加が身分を問わず平等であるように、方法や契約を促す詠唱も王族から奴隷まで一字一句変わらない。そのため、参加さえできれば、どこで受けても同じである。
ただ、貴族たちは皆ここでの儀式を望んだ。理由は三つある。第一は奴隷や市民と区別するため。身の安全という意味もあるが、市民以下の精霊契約を妨害し、さらに自分達に優位になるよう契約を操作できる。工作活動をするにはうってつけだった。
第二は家の権威を示すため。貴族になると、儀式は各家で準備し執り行う。儀式の結果は即、家の格に反映されるため、どの家も上級市民の十年分以上の収入をこの一日につぎ込むのだ。
現に、階級三等の中級貴族アステア家の儀式は、祭壇全てに神聖な白銀の装飾が施され、中央に精霊が好むとされる月精石の結晶が置かれている。それも下級貴族でも十年分の収入を全てつぎ込まないと手に入らないであろう代物だ。
月精石に向かい跪く一人の少年がいた。彼も白銀の装飾具をつけ、月精石があしらわれた腕輪と首飾りをしている。
「アール、心配しなくていいのよ。別に痛いわけでもないただ受け入れればいいの」
「そうだ準備は万全だ。落ち着いて敬意を示せばいい、アールは父さんの優秀な子だ。成功できる」
緊張するアールに父母が優しい声をかける。その顔は柔らかな微笑みに満ちていた。
「はい、お父様、お母様」
返事を聞いた父が言った。
「よし、始めてくれ」
まず、静かに呪文を唱えていた魔道士の声が大きくなる。ここで唱えられている呪文はフィオナ達が聞かされたものの逆。精霊を呼び寄せる呪文。その中でも高貴で力の強い精霊たちに向けて嘆願する内容になっている。
彼らの呪文が一巡すると、司祭が詠唱を始める。アールの目が勝手に閉じ、しばらくすると僅かに灯っていた松明の火が消され、真っ暗となった。アールは静かに祈りの姿勢を続けた。
「我らに陽光の如く、深き恩寵を授けんとする精霊よ……」
貴族だろうと奴隷だろうとこの詠唱は変わらない。下の身分と違った詠唱にしようとしたが、それは功を奏さなかった。人は身分がかかっているため精霊の格を気にするが、精霊側は契約相手の身分は一切見ないのだ。結果は逆に疑義をかけられ奴隷や市民身分の者ばかりが契約に成功し、大半の貴族は地位を失った。貴族にとって精霊契約の歴史は必須の教養となっている。
「……畏れ多くも契りの証として再びの日の出と共にその御姿を現し給え」
司祭の詠唱が終わると、一斉に教会の窓の暗幕が剥がされた。教会内に陽の光が射し込む。
「目を開けなさい」
アールの目が開くようになり、彼は目を開けた。
背後では一族の者総員がアールに注目し、来るべき瞬間を固唾を飲んで見守っている。
魔道士の呪文もなく、教会内は静寂に満ちている。
アールがいる場所は陽光が鋭く当たり、白く輝いている。
精霊様が来たのだ。
このときは誰もが精霊となりゆく靄だと信じていた。だが、一刻を過ぎても白い輝きは変わらず、次第にアールから離れていった。
「これはどういうことだ」
儀式前、アールに微笑みかけた父の顔は、悪魔が乗り移ったかのような変貌を遂げていた。
「落ち着いてください。ご主人様、まだ策はあります」
「どういった策だ」
「手の打ちやすいものとしては、精霊が降りた者からアール様に精霊を譲ってもらうことです」
「進捗は?」
「現在市民階級と奴隷階級の契約者を調べてさせています。まだ契約者は見つかっておりません」
「そうか見つかり次第、報告しろ」
「御意」
「他には?」
「もう一つ策はあります。ただお勧めしませんが」
アールの父は知っていた。貴族の中の裏常識。今日は儀式のために家毎に儀式を執り行える王立教会の祭壇を借りた。まだ、他の家には契約失敗は伝わっていない。そして、夕刻までは祭壇が使い放題となっている。
貴族が王立教会を使う第三の理由は突発的事態への対処が可能なためだ。一般の者にはできない工作がここではできる。
ただ、父はためらった。もう一つの策は貴族では一般的ではあるものの外道に違いなかった。
契約の儀式を再度執り行うこと。いや、祭壇が貸し出される間繰り返すことだ。
もう一度契約の儀式を行えば、精霊と契約できる可能性が高まる。それで救われた貴族は数多い。儀式を再度執り行うには司祭を買収する必要がある。足元を見られているため下級騎士なら全財産を失うほどの高額な提示となるが、アステア家には十分な資金がある。絶対払える自信があった。
「金額は?」
「金貨五十枚だそうです」
金額なら余裕だ。十倍でもなんとかなる。それでも父は簡単に手を出そうとはしない。
契約の儀式を二度以上行うことが外道なのは、貴族でも対処できない所に理由がある。恐らく王族でも無理だろう。
二度目以降の儀式で契約できる精霊というのは、通常質が悪いのだ。格が低く能力も劣る。もし奴隷身分の者が精霊契約を成功させていたら、その者の精霊の方が絶対的に格上だろう。
それに、アステア家には精霊の契約相手をすり替える魔法に精通した魔道士がいる。無知で防衛術も知らない奴隷身分や底辺市民なら、呪文一つでアールと精霊が契約できる。もちろん彼らも精霊と契約すれば上流階級になれることを知っているから、金貨一枚ぐらいは渡す。金貨一枚は貴族にとっては端金だが、彼らにとっては大金だ。一生暮らすには到底足りないが満足するに違いない。傷つくものが少なく安全で、だいたいうまく収まる。
差は歴然だ。父は下層階級に精霊の契約者がいることを願った。大金を払ってまで息子に『危険』な儀式を受けさせないために。
「ご主人様、市民以下の契約者が見つかりました」
「詳細は?」
「契約者は奴隷階級の少女です。精霊の能力は予想がつきませんが、青いドレスを着て王立学院のお嬢様みたいだったと報告が上がっています」
完璧な条件だった。契約者は奴隷階級。元が底辺なため精霊を奪うことで生活水準が変わることがない。慰謝料として払う金額も少なくて済む、金貨一枚ではなく大銀五枚で済むかもしれない。
そして人型の精霊。こんな精霊は滅多にいない。普通、精霊は動物のような姿か、低級になれば魔物に近い姿をしている。人型とは精霊の中でも最上級だ。元々階級三等のアステア家なら階級維持どころか、二等は確実だ。
アールの父の腹は決まった。
「今すぐ魔道士を向かわせろ。金貨三枚まで出す。契約書換えを必ず成功させろ。成功すれば臨時賞与を出す」
「御意!」




