4.契約の儀式
中の光景は異様だった。教会には窓があるはずなのに全て暗幕がかけられて、外からの光が入らないようになっていた。その代わりに松明が焚かれ、揺らめく炎が所々照らしている。
教会の入口側には数人が意味不明な『言葉』らしきものを発していて、ただでさえ暗いのに、より黒い何かを感じてしまう。
フィオナ達はその『言葉』を発する主の近くの席に案内され、そこに座った。
奴隷の居住区でもこんな噂が流れていた。
儀式中の教会には呪文が響いている。この呪文は儀式のためではなく、精霊契約を妨害するものである。
身分の固定を望む貴族が中心となって、市民階級以下が集う会場に魔道士を配備して呪文を唱えさせ、一定以下の身分の者が精霊と契約できなくする。一方、自分たちは精霊と契約できるよう、精霊を呼び寄せる呪文を唱え、他の者より高位で能力の高い精霊と契約している。
そうして、自らの子孫の身分を維持しているのだと。
このようなことをする理由は簡単に想像がつく。
まず、契約の儀式は十歳となった子供が受けることになっている。受ける機会は一生に一回だけ。どんなに高貴な身分でも変わらない。また、門前払いにされなければ市民だけでなく奴隷身分まで等しく受けることができる。これは精霊様の意向といわれており、人間が制度を変えることはできない。
そして契約の儀式で精霊と契約できた者は高い身分が約束される。貴族でない者が精霊契約だけで貴族階級の五等以上になることはできない。ただ元がどんなに下賤でも下級貴族に届く可能性のある上級市民の位が与えられるとされる。
逆に、精霊と契約できなかった場合はたとえ王族でさえも市民階級まで降格となってしまう。
これが儀式の掟だ。
この掟の下では、持たざる奴隷階級や下級市民には身分の昇格しかないが、貴族達には転落の危険性が待ち受けている。それに貴族同士でも契約した精霊によって家の地位が逆転しかねない。
貴族の頭を悩ませることがまだある。精霊契約は全員できるわけではない。絶対的に精霊の方が数が少なく、契約が成立する子供は二十人に一人とされている。よってほとんどの子供は精霊契約することなく、一生に一度の儀式を終える。
もう一つ最大の問題がある。何もしなければ精霊は身分を問わず契約する。大昔は何もしなかったため契約の儀式を行う度、身分が頻繁に逆転した。奴隷階級や底辺市民が上級市民や騎士階級に昇格する反面、貴族の大半は市民階級に落ちた。このことは一発逆転を夢見ることができる反面、貴族のプライドを傷つけるだけでなく、政治にも悪影響を及ぼした。政権が不安定になり過ぎたのだ。
結果、国を挙げて精霊契約を調節する魔法が開発された。最初は政治を安定させるためだった。それがいつしか、貴族の地位を守り、階級を固定する手段へと成り果てた。貴族たちは潤沢な資産を使って、家付きの魔道士を雇い、魔法の行使によって精霊と優先的に結ばれるようになった。
この儀式の変容は今日まで続いている。教会に発せられ反響する悪しき呪文は変革の賜物だった。
呪文の中、天より教会の鐘の音が鳴り響く。松明に照らされる教会の祭壇の前にフィオナは見たことない妙な衣を着た司祭が現れた。
「皆の者、座ったまま目を閉じて。松明の火も消しなさい」
司祭の声にフィオナは目を閉じる。というよりかは、何か強制的に閉じさせられた感じがする。
まぶたの向こうから赤く映り込む僅かな光はまもなく消えた。一方、教会に入ったときから響き渡る呪文の声は最後の仕上げといわんばかりに強くなってゆく。それに抗うが如く、司祭も声を張る。
「我らに陽光の如く、深き恩寵を授けんとする精霊よ。この者達は巫覡となりて、現世に崇高たる御神意を体現せんとする者なり。この者達より相応しき者を選び給え。これより巫覡となる者よ、精霊に傅き現世にその恩寵をあまねく注ぐ誓いを立て給え。精霊よ、両者相容れるならその御神意で以って契りを交わし給え。畏れ多くも契りの証として再びの日の出と共にその御姿を現し給え」
司祭の詠唱が終わると、教会に取り付けられた暗幕が剥がされる。それとともに窓から陽の光が射し瞼の中が白くなった。貴族が雇った魔道士の呪文も止み、目の中には白い静寂の世界が広がっていた。
「皆の者目を開けなさい」
司祭の声と共に、目が開けられるようになった。
人の頭越しに祭壇が映り、装飾がされた壁に、きらびやかなステンドグラス。ただの教会の光景だった。
何者かが膝を触っている感触がする。
膝元を見ると、霞のようなものがまとわり付いている。その霞は徐々に明瞭な手の形になり、手が映ると腕や脚が現れた。
「えっ、えっ?」
フィオナは思わず声を上げてしまう。そうしている間に急速に胴と顔が現れ、いつしか青いドレスを着た貴族風の少女となっていた。体は小さく同年代か一つ年下くらいの子供の姿だった。
「おい、ここに精霊がいるぞ」
「三日前から準備して妨害魔法を構築したのだぞ、ありえない」
「それも、奴隷身分のエリアだ」
「よく見ると、人型ではないか」
さっきまで呪文を唱えていた魔道士が驚きの声をあげる。フィオナが声をあげたためか、皆こちらをジロジロ見ている。
背後で教会の扉が開いた。
「残念だったな、君らは一生最外城壁の外だ。帰るぞ」
扉を閉めると多数の兵士が駆け寄り、奴隷身分の子の両手を縄で縛り始める。
「てめぇもだ」
フィオナの背後に兵士が駆け寄り、強引に腕を引っ張り縄をかけ始める。それを見ていた司祭が呼び止めた。
「この子は選ばれた。縄を解きなさい。私が預かる」
「俺の目には映ってないけどな、その御姿は」
そういって、兵士は乱暴に縄を切った。そのときナイフが掠り痛みが走る。
「それが人に対する対応ですか?」
兵士はふてくされた表情で残る縄を切った。
縄が切れると司祭と共に祭壇の方へ向かい、祭壇に隠されていた扉を通った。青いドレスの少女もついてくる。通り際に振り返ると、朝一緒に来た子が教会の外に全員連れ出され、市民階級の人も退場し始めていた。魔道士がこちらを指していたため、フィオナは急いで別室に入った。
「君には明日に市民以上の階級と宝玉が与えられる」
別室に入ってすぐ告げられたのは処遇の話だった。
「脅すようで申し訳ないが、階級が与えられるまでの今日一日はよく注意してほしい、君は奴隷身分の子だったから、危機意識は他の階級より鋭いと思う。ただ、奴隷階級の君が精霊に選ばれたことを知って快く思わない人が大勢いるんだ」
司祭はそういいながら重そうな装飾を外してゆく。
「もう君が精霊に選ばれたのは感づいているから、全身分が君を狙う可能性がある。上層階級の人は特にね。騎士や貴族が満足してればいいんだが……」
「そんなに危ないならここで匿ってもらうことはできますか」
「ここに居続けるのは危ない。君がいる場所さえわかれば、彼らは手を触れなくても君をどうにでもできる。非情だと思うかもしれないが、今日は市街を動きまわり奴隷居住区と同じ暮らしをしてもらう必要がある。私には君を匿うことはできないし、それが最も安全な策だよ」
「じゃあ、家に帰れますか」
望み薄だが、フィオナは聞いてみた。
「それは無理だよ。君の身分は今も奴隷階級でしかない。居住区への門を通る許可は出ないから必然的に底辺市民階級の居住区で今日を過ごしてもらうことになる」
「そうですか」
「まぁ、外が落ち着くまではここに居なさい。元々夕方くらいまでは誰も手を出せないようにしてあるから」
その後、フィオナは契約したての精霊についての簡単な注意を受けた。
まず精霊は契約者しか見えないこと。よって契約者の少ない下流階級は情報が伝わらない限り、精霊契約した人とは分からない。
次に、精霊契約当日は仮契約状態で安定しない。
そのため魔道士の魔法で精霊を奪われることが多々あったということ。大抵、契約に失敗した上流階級の人々がお抱えの魔道士に委託しているらしい。この点に一番注意が必要だった。
契約の完成は日光と月光をよく浴びることで早まること。契約が完了すれば、魔法で横槍を入れることができなくとのことだった。
一通り、注意を受けたあと誰かが扉を開けた。儀式の補助をしていた女の人だった。頭には未だに装飾が載っている。
「司祭……」
「それはまずいな」
遠くで良くない出来事が起きている。その報告だった。