46.せめてあなたに花束を
男の笑いが止まると、フィオナに向かって狂気の眼差しを向ける。カイアスとアールがフィオナの盾となり間に入り、黒龍は男に睨みを利かせている。
でも、男の笑いは止まらない。
「いくら正面を固めても無駄ですよ。雷は私が望むとき、望む場所に落ちるのです。あなた方の巫女は守れません。あなた方ができることはせめて、心中することでしょうか」
言葉の合間に黒龍は息を大きく吸い込む。アールは気づいている。だが精霊を制止せず、男に炎を向けることを認めた。
放たれる赤い炎。祭壇に散る花を焦がし、瞬く間に男を包む。熱気は後ろに立つフィオナにも伝わる。
だが黒龍の炎は届かない。祭壇中をこだまする笑い声は炎を浴びて喜んでいるようだった。
精霊は炎を吐き続け、祭壇の供物は次々と焼け落ちてゆく。男の笑いは高鳴る。より大きく、より狂気に満ち、ついにはより残酷な笑顔を見せた。
そのとき黒龍の炎が止まる。氷の刃に射抜かれて、黒龍は悶絶の声を上げる。アールは全てを無くしたような悲壮な顔を見せる。黒龍はゆっくりとその場に横倒しになってしまった。
残りはカイアスだけ。彼は精霊契約者ではない。精霊を見ることすらできない。ただ勘にだけ支えられて鏡破りで居続けた若手騎士。腕はあるが男には到底かなわない。
もはや望みはない、絶望がフィオナを襲う。
「さぁ私があなた達を救って見せましょう、アルフィリアの巫女様。あなたは知っているでしょう、巫女の末路を。私に委ねなさい。一瞬の痛みとともに終わらせてあげますから」
青い閃光が祭壇に煌めき、フィオナの脳天に衝撃が走る。身は地面へと急降下する。駆け寄るカイアス。絶えない笑い声。
だがそれらが感じられるほどに、フィオナの意識は保たれていた。
視界に広がる青い光。リリアがフィオナの内側からそっと守ってくれていた。
男の笑いは止まった。そして地面に向かって沈み込む。雷撃は精霊の力。精霊は男に宿り力を行使し、力の反動は男に課せられた。
だが、男も今は精霊の身。雷撃一発で倒れるほどヤワではなかった。
「何故に、我が願いを妨げる。あなたが倒れればアルフィリアは私の物。玉座に就き、精霊のご神意も叶えられるのに」
「じゃあ、あなたの願いは何なの?」
男はまた笑う。怒りを誘うような腹立たしい笑い。
「精霊達を解放すること。まずそれが精霊の願い。私の願いは精霊の願いを達成するため、アルフィリアの玉座に就くことです」
目の前の男は王族で、継承順なら今の国王より上だった。鏡さえ割れていなければ彼が国王だった。一方、巫女は常に下賤の役目、女性の役目、だが適任がいなくなれば……。
「アルフィリアは鏡の割れた者が力を持つ唯一の国。あなたが倒れれば私は覡となって頂点を担い、ご神意を伝えます」
男は立ち上がり構える。
「それなのに弟は卑怯ですね。鏡の割れた者を三人もよこし、私の同情を誘おうとしている。生贄を出して、自らの願いを叶えようというのは堕ちた精霊使いと同じです」
フィオナに再び雷撃が落ちる。フィオナと男は衝撃に苛まれる。
「おかげでこの通り、同情する気は起きないのですがね……」
雷撃は連続で放たれる。自らを同時に痛めつけながら。
おそらく彼の真の望みは王の座。精霊の願いは名目に過ぎない。だが、王の座に彼が就けば精霊の願いも叶いやすい。ちょうどフィオナとリリアのように。彼らが鏡無しに繋がれている理由。それは目指す場所が同じだから。願いは違えど、双方の願いが同時に満たされるから。
フィオナ達に彼らを切り裂く術はない。ただ反動により彼らが先に倒れるのを待つだけ。
だが、青い光はまたも収束してゆく。
フィオナは国王にリリアの願いを叶えるように願った。リリアの生み主、青い花園でアルフィリアを満たすように。だが当然、期間は十分ではなかった。いませいぜいできていることは種を播くことくらいだろう。リリアの力の後押しができるはずも無かった。
もうフィオナを守る者はない。エレシアはこの世におらず。アールの黒龍は倒れ、ラルももう動かない。
雷撃は止まない。男は反動を全て受け止め、休むことなく放ち続ける。一撃ごとに減りゆく青い光。
もうフィオナの体を覆い切ることはできなかった。
瞬く稲妻にフィオナは倒れてしまった。
高らかに笑う男の声。残りは騎士二人、巫女などに比べれば倒すことはたやすい。
手を天に向ける。天井には力が集結する。騎士二人は男に剣を向けて駆け寄る。たとえ運命を変えられないのだとしても、これしかできない。
容赦なく振り降ろされる手。雷光に撃ち抜かれる、そう思った。
だが、雷は別の所に落ちた。男は体をすくめ、悶絶する。
カイアス達が振り返ると、青い光を纏ったリリアの姿がそこにあった。
リリアは透き通る光になって、そっとフィオナに手を触れる。倒れていたフィオナが目を覚ました。
「私……?」
「大丈夫、生きているから。さあ、立って」
フィオナはリリアに言われるまま立ち上がる。
フィオナの目に映る光景は変わっていた。
再び満たされた青い光、その光は二人を守った。逆に男からは精霊が引き裂かれてゆく。
一言で表すなら奇跡。そうとしか言いようがなかった。
でも無償の奇跡ではなかった。リリアがそっとフィオナの手を握る。空気に触れているような感触だった。
体も淡く透けてゆく。初めて出会った儀式のときを遡って見ているかのように。
「リリア?」
フィオナは目を潤ませ、目の前のリリアの姿を疑う。
まだほのかに青い服の色が見えている。何となくリリアの顔は微笑んでいた。
「フィオナとの約束、果たせたかな。フィオナを守ってあげるって」
フィオナは気づいてしまった。巫女が自らを捧げて国を守るように、リリアは自分を捧げてフィオナ達を守ろうとした。
ありがたいけど、すごいけど、そこまで……。
「だって、フィオナは約束守ってくれたんだもの。私の花園を広めてくれた。私の生み主の願いを叶えてくれた。役目を果たしたの」 フィオナは思った。自分のせいだ。自分が弱いからリリアが贄になったんだ。
その心の声を聞いたのか、リリアは顔を横に振る。
「ううん。フィオナのせいじゃないよ。願いが叶えばいつか私は終わる。精霊が終わるときってね、力に溢れているの。願いを叶えられるほどにね」
その力を使うとき、それは今しかない。ここで使わなきゃ、何の意味がある?
死んでしまったら元も子もないじゃない。
「フィオナは私を花園で満たしてくれた。私ができることはたいしたことじゃないけれど、花の精霊として願いを叶えて返してあげる」
差し出される両手。握り返すとほのかに暖かかった。
「せめてあなたに花束を。願いという名の花束を」
リリアの言葉が響く、その体は初めて宿した時の旋律と共に遠ざかってゆく。
「大丈夫、またきっと会えるから。フィオナが望めば、きっと」
リリアの姿はもう見えない。ただ彼女の声だけが、耳に響いた。
「さぁ、願ってみて。フィオナの思うままに」
リリアが消えたとき、男に宿っていた精霊も消え去っていた。
精霊の望みは確かに叶った。フィオナの元にリリアはもういない。自ずと巫女ではなくなる。次の候補者がいなければ、アルフィリアの巫女の座は空席となるだろう。
精霊の想いは晴れたから、必ずしもそうではなかった。
男の神鏡の枠縁が二つに割れ、割れ目から青い花が祭壇に舞い散った。そして鏡は自らを焼き切る橙の炎を灯し、炎は瞬く間に全体に広がってゆく。男は火に包まれた鏡を見て絶叫し、鏡を投げ捨てた。もう男に騎士達の剣を受け止める力はない。カイアスとアールから距離を置くように、祭壇の入り口に駆け寄り。そのまま外へ出て行った。
黒龍の精霊は氷の刃が解け、再び動けるようになった。
だが、目の前の騎士は動かないままだった。
「ラル?」
フィオナは兜を外し顔を出す。彼の顔は不思議な程に傷ひとつ無く、城壁時代の幼さを帯びたまま眠っていた。
手をそっと口元に寄せる。
ん? 何だろう、わずかに空気が流れる感触がする。
フィオナは左右に激しく揺さぶる。ラルはきっと、きっと生きている。
「フィオナちゃん。揺さ振るときはこうやってやるんだよ」
カイアスがそっと横になった隊長を抱きかかえる。どこかで見た気がする。確かあのとき、カイアスの腕の上にいた。
予想通りフィオナのときと同じように、一人でラルを胴上げし始めた。
一回、二回……。ラルは起きる様子を見せない。
「カイアスさん……」
あまりにも隊長を乱暴に扱うカイアスにアールも心配そうに見つめる。
十回、十一回。やはりまだ起きな……。
「うわっ、やめろ、やめろっ」
腕の上からラルの声が響いた。慌ててカイアスはラルを降ろす。
「前にも言っただろう。危ないからやめろって」
「だって、だって、てっきり死んだのかと……」
ゲホッ、グフェ。カイアスはラルの拳を二発受けた。
死んだと思っていた。それは彼自身も同じだった。カイアスを殴った後、不思議な面持ちで自分を見ている。
フィオナがラルの手を握る。
「生きてて良かった」
そっとラルは手を握り返し、そっと微笑みかけた。
だが、ラルの顔がゆがんだ。そして慌てて胸元に触れる。
そこには火のついた神鏡。ラルは首から鏡を外して石の床に置く。鏡は急激に燃え盛り、その身を炎で包んだ後、灰一つ残すことなく消え去った。
「やっぱりな」
ラルは小さくつぶやいた。
「リトが身代わりになってくれたんだ。きっと」
ラルもフィオナと同じく願い事を叶えてもらったのだろうか。ラルが願ったのは何なんだろう。
ウサギの精霊リトを失ったラルの神鏡はもうない。
けれども、フィオナの鏡は今も残っていた。もうリリアの姿は見えないのに。
いつかきっと会える。残された枠縁はその約束の証だと今は信じよう。
*****
三日後。
アルフィリアの街は元に戻っていた。ギルド・メメントのメンバーは復興のため働いていた。
城に帰ると、四人は歓声に包まれた。豪華なパーティーが催された。騎士三人には褒賞が与えられた。
だが、城の外では国王陛下の功績として語られた。戦勝の功績者としてフィオナの名は挙がることなく。城に入ることの無い市民にはフィオナという少女を知る者はいなかった。
精霊を失ったフィオナは巫女の座を退くことになり、宝玉も十等まで格下げされ王城から出ることになった。
もう王室に縛られない自由の身。フィオナはこれから一人の市民として生きることになった。
城を出るとき、ラルが走ってきた。
「これから、ギルド・メメントに戻るのか」
「もちろん」
「そうか、もう誰かに振り回されることはないだろうけどな。何かあったら俺に言えよ。ずっと一緒にはいられないけど、再設立者としては関われるんだから」
フィオナは頷いた。
「また、会える?」
「もちろん。降級したとはいえ、十等なら上級市民だから王城まで来れるだろう。俺はこれから当面内勤だし夜に寮に来れば会えるよ」
フィオナは走ってくる馬車を捕まえ、乗り込んだ。馬車は外の城壁に向かって走り出す。
後ろからラルが手を振っている。フィオナも窓から手を振り返した。
これからすることは決まっている。
消えてしまったあなたにせめてものお返しを。今度は私の力でアルフィリアをあなたの花で染めてあげる。いつか帰ってくるその日までに。
再び会えたなら、きっとあなたに花束を。地面一杯の花達を。あなたの生まれた場所で待っていてあげる。




